第117話 人が人を殺す理由
俺を攻撃していた警官の一人が、突然悲鳴を上げて倒れた。
銃撃が若干緩くなり、顔を上げて様子を見ると、黒い影が操られている警官たちの間を跳び回り、二丁の拳銃で大立ち回りを演じている。
「イザベラ⁉」
先ほど、カラスの大群相手に自爆したはずのイザベラが、五体満足の状態で動き回っている。一瞬、混乱しかけた俺だが、初めて彼女と会った時のことを思い出して、ようやく納得した。
彼女は、あの時も香を焚いて、幻覚を見せていた。
さっきの爆発で発生した甘ったるい薫りは、幻術を行うための香の匂いだったのだ。
「まあ。私としたことが――」
ネヴァンは大して悔しそうでもない様子で、形だけ唖然とした表情を取っていた。
「殺すな、イザベラ!」
「殺人鬼のあなたに言われたくないわね! 黙って任せてちょうだい!」
イザベラは最初から警官に致命傷を負わせる気はないようだった。巧みに急所を外して銃撃を繰り返し、ものの数秒で警官たちを無力化した。
「同じことを繰り返すだけ……もう一度操ってあげますわ!」
歌声が聞こえてくる。頭がキンキンと痛くなる。まずい。このままではイザベラがまた俺を襲ってくる。
案の定、イザベラは頭を抱えて、屈んでしまった。ネヴァンの歌声に必死で抵抗しようとしている。
それだけじゃない。カラスたちも全滅はしておらず、周りの木々に退避していた十数羽ほどが、再び宙に飛び上がった。
(なんて能力だ)
俺は舌を巻いた。理屈は正確にはわからないが、ネヴァンの歌声には一種の信号のようなものが含まれており、その信号が生物の脳髄に伝わると、勝手に体の動きを制御してしまうのだろう。だから、ネヴァンが歌えば、彼女が意図した通りに周りの生き物は操られてしまうのだ。
「イザベラ、しっかりしろ、イザベラ――」
「年上の女には、“さん”を付けなさいって――言ったでしょ!」
イザベラは腰のポーチから丸い物体を取り出した。
手榴弾だ。
ネヴァンの歌声に悩まされながらも、イザベラは大きく腕を振りかぶって、手榴弾を思い切り投げつけた。
ネヴァンは歌い続けたまま、傘を構えて、手榴弾を防いだ。
爆発が起きる。傘の陰に隠れていたネヴァンは、無事だ。だが、煙がたち込めた直後、ネヴァンに異変が起きた。
「かはっ――!?」
煙を吸い込んでしまったネヴァンが、歌を中断してむせ返った。くしゃみと咳がひっきりなしに聞こえてくる。
「何を投げたんだ?」
「催涙弾よ」
俺のそばに寄ってきたイザベラは、しれっと言ってのけた。
「女神だのなんだの言っても、あんな物が効くなんて、案外大したことないわね」
「ああ。所詮はそんなものだ。神様がわざわざ人間の相手なんかするか」
俺はむせているネヴァンの前に立ち、火炎放射器を構えた。チェックメイトだった。あとは、引き金を引くだけで殺せる。
しかし、俺は、相手を殺すのをためらっていた。
※ ※ ※
あやめは普通の女になることに憧れていた。
ドラマで職場恋愛をするOLや、マンガで楽しい学園生活を送る女子高生を見たりするたびに、こんな人生を送ってみたい、と思っていた。
遠野玲と結婚してから、あやめはアマツイクサとして戦わなくなり、主婦業に専念するようになって、ようやく自分が女としての人生を歩み始めたと実感するようになった。
愛する人のために生きることが、何よりも幸せだった。
戦いの途中で、あやめはモリガンに強烈なシンパシーを感じていた。
人の命を奪い、周囲を破壊することだけが人生の全てであるかのような生き方。まるで、昔の自分のように。
モリガンは、規格外の強さとは裏腹に、精神は意外なほどに未完成で未熟なものだった。幼子が大人の腕力を手に入れたようなものだった。
仲間の命を奪っていくモリガンに対して憎しみを覚えると同時に、あやめは虚しさも感じていた。力しか知らない相手を、力で強引に制圧しようとするのは、人間として好ましいやり方なのだろうか、と。
もちろん、負ける気はなかった。だけど、負けて初めて、あやめは自分がすべきことに気が付いた。
(心を――攻める)
圧倒的な武力を誇る相手に勝つには、同じ武力で立ち向かうのでは勝ち目がない。だから、心を攻めなければならない。
相手のことを、深く理解して。
頬に雪の結晶が触れた。
黒い夜空から、白銀の雪がはらはらと舞い落ちてくる。
「雪……」
あやめは手を伸ばした。
愛する夫も、雪が降り始めていることに気が付いているのだろうか。
目を閉じた。
兼六園を通り抜ける風の音が、耳に心地良かった。
玲と結婚してからは、幸せな人生だった。
この兼六園では二回デートをした。二回目の時は、雪が降り積もった後だった。もう一度くらい、雪の兼六園を一緒に散歩してみたかった。
でも、十分だった。十分温かいものはもらった。
(ありがとう、アキラくん……)
幸福感に包まれながら、意識を深淵へと委ねる。暗い波が頭の中に押し寄せてきて、自我が薄れてゆき、静寂が全てを包み込んでくる。
夢見る貝のように、動かず、穏やかに。
最後に、もう一度だけ、夫の顔を思い浮かべ――
あやめは、安らかに逝った。
※ ※ ※
モリガンは、独り、水面を眺めている。
(人間でないことを自覚させられること……)
あやめが息を引き取る直前に、自分に投げかけた言葉。長い時の中で、あえて目を逸らし続けた事実。自分のことなんてろくに知らないような女が、たった一度刃を交えただけで、抱えている“恐れ”を見抜いてきた。
(私は、誰?)
神? それとも……
(ただ人間より身体能力が優れているだけの――人間?)
人間に歩み寄ることも出来ず、常に独りぼっちでいることを余儀なくされていたモリガン。人間と対等の立場に立とうとしても、なんらかの形で裏切られることを恐れて、結局は神の視点でしか物事を見られなかった。
そんな自分の苦しみを、あやめは理解していた。
(あの子も、同じだったのかしら)
自分が人間でなくなる恐怖。
周りに同化出来ず、常に独立した存在であることを認識させられる哀しみ。
(あの子は……私と友人になれたかもしれない)
ベンチの上の死体を見る。
愛する男のために命を懸けて戦い、最後まで輝きながら散っていった女戦士。モリガンは、微かに、ペットにかけるのとは別の愛着を、あやめに感じていた。
「汝の敵を、愛せよ……か」
モリガンは苦笑を浮かた。
「私の負けね――」
女神が人間に心を見透かされては形無しだ。挙句の果てに、同情までされていた節がある。
たとえ戦いは勝ちでも、自分の心が摘み取られてしまえば、それは負け。
孤高の女神、モリガン・ミリヤードは、静かに歩を進めながら、兼六園を後にした。その両肩に、寂しさを乗せながら。
※ ※ ※
雪が降り始めた兼六園下の交差点に、最初その女が現れた時、俺は何が起きたのかと我が目を疑ってしまった。
まるでフランスあたりの娼婦(イメージ的な問題で、実際に見たわけじゃないが)のような格好をしたグラマラスな女が、兼六園のほうから歩いてきた。その女を見て、ネヴァンは、「お姉さま」と呟いた。
つまり、あの女が、長女のモリガン・ミリヤードなのだろう。
「私のほうは片付いたわ」
モリガンの言葉に、俺はある結末を想像した。彼女が生きている、ということは、あやめや親父は負けたのだ。もう生きてはいまい。
俺は悲しむべきだと思ったが、どうにもそんな気分ではなかった。戦いの疲労があまりにも激しくて、何も考えられない。それに、場合によっては、このままモリガンと連戦しなければならない。
(いや……)
戦うことはなさそうだ。
モリガンもまた、黒いレオタードがズタズタに引き裂かれており、肌のあちこちから血を流して、くたびれた顔をしている。
決着はついたようだった。
「帰るわ、ネヴァン。ここまで粘られたら、私たちの負け――」
「お姉さま、しかし、まだお姉さまは戦えるのでは」
「覗かれたのよ」
「え」
「女神が心を覗かれた。たかが人間に。ショックだったわ」
「それが、負けを認める理由……ですの?」
「神である私たちが人間の心を理解出来ないのに、人間に私たちの心を見透かされるなんて、私には耐えられないわ。だから、私たちの負け、なの。不満かしら?」
「いえ。お姉さまが、そうおっしゃるのでしたら」
俺は、二人が会話している間に、火炎放射器の噴射口を下に向けた。もうネヴァンも戦う気力はないようだ。だったら、無駄に殺す必要もあるまい。
「アイルランドに帰るのか?」
俺の問いに、モリガンは答えない。ただ黙って笑みを浮かべただけだ。
「マッドバーナー。ひとつ教えて」
「女神さまにわからないことが、俺にわかるとは思えないけどな」
「人はなぜ人を殺すのかしら」
モリガンはまっすぐ俺の瞳を見つめてくる。ネヴァンもその隣で、俺に注目している。人はなぜ人を殺すのか。その問いに対して、俺はとっくの昔に答えを出している。だけど、それを言ってしまってもいいものか。
俺自身、受け入れたくない答えだから。
「人間は――」
※ ※ ※
「人間は、人間であるが故に人間を殺す。そういうもんでしょ?」
ルクスは高層階のラウンジから金沢の夜景を見下ろしながら、ワイングラスをピンと指で弾いた。幼い少年の風貌でありながら、洒落たスーツを着こなしている。
テーブル席の向かい側には、道服を着た風間清澄が座っている。
ミリヤード三姉妹との戦いをも乗り切るようであれば、マンハント主催者として、風間清澄を詰問する。そのため、この高層階で清澄と共に待機して、勝負の結果報告を待っていた。
戦いは、意外な形で決着がついた。
マッハとネヴァンは普通に敗北したが、モリガンは圧勝だった。まだまだ余力を残しているモリガンであれば、そのまま残る敵を掃討することも容易に出来たはずだった。
(勝敗については予想通りだったけど……)
ルクスには理解出来ない。
あと少しで勝てる立場にありながら、どうしてモリガンは最後の詰めを放棄したのか。何が彼女に起きたのか。
勝っていたはずだ。そこに異変はなかったはずだ。
「化けの皮が剥がれてきたか、ルクス」
清澄は楽しそうに口元を歪めて、ルクスの顔を覗いてきた。
「余裕なさそうだぞ」
「黙っていてもらえないかな」
ルクスは睨んだ。
「話をするのは僕のほうだ。清澄、あんたじゃない」
「それは失礼――だが、話すことなどほとんどないと思うが」
「へえ……あれを見ても、同じことが言える?」
ラウンジの端を指差され、清澄は目を細めて、そちらのほうを見つめた。そこにいる人物を認めた瞬間、顔が強張った。
「ユキ――⁉」
「邪魔されても困るから、彼女にはここへ来てもらったよ。金沢市民が人質だと脅したら、大人しく従ってくれたね」
「娘はお前とは無関係だろう」
「マンハントのターゲットだけど」
「主催者が直接関わり合いになるのはルール違反じゃないのか」
「その前に、あんたがルール違反をしているんじゃないの?」
「私が? ははは、面白い冗談だ。まさか、ユキがいままで生き延びてきたことをもって、不正が行われているなどと考えているのではないだろうな」
「愚かな人だなあ……自分のしたことを、まさか忘れたわけじゃないよね」
「ほう、私が何をした」
「清澄。あんたは嘘をついていた」
「……なんだと?」
「あの人は、風間ユキじゃ、ない」
時が凍りついた。
最後の最後まで隠されていた真実が暴かれようとしている。
「何を、言い出す」
清澄は唇を舐める。顔が青ざめている。
「気が付かないと、思っていたの? 馬鹿だなあ。集めた情報を総合的に考えれば、すぐにわかることなのに」
ルクスは席を立った。
清澄の背後に回り込み、その耳元に少女のような顔を近づけて、囁きかける。
「あんたは、風間ユキの肉体を触媒に、母親を復活させようとしている。そのはずなのに、マッドバーナー、遠野玲と肉体関係を持ち、妊娠までしているというのに、うろたえた様子もない。自分の母親の肉体になるかもしれないのに、孕んだとあれば、普通は取り乱してもおかしくないはずだ。それなのにあんたは平静でいる。なぜか?」
清澄は口を閉ざしている。
「まだある。あんたの計画は実に綱渡りだ。もしも風間ユキがマンハントで命を落としたら、どうするつもりだった? 確実に生き延びるという保証はない。死んでしまったら、母親の復活どころじゃない。極限状態に置くことで、秘められた記憶と能力を解放していく……どこか、無理のある計画だね」
ルクスは写真を取り出した。清澄とリウ大人が握手をしている写真。
「だけど、ここでリウ大人の存在を加えて考えると、驚くべき仮定が成り立ってくるんだ。リウ大人には、僕たちシリアル・キラー・アライアンス――かつてのアイオーン教団における“記憶の継承”、それを機械的に可能とする、『記憶のバックアップ装置』を貸与していた。すでにリウ大人がその機能を活かして、娘を何度も復元していることはあんたも知っての通り」
写真をテーブルの上に放り投げる。ルクスは両腕を広げ、得意げな笑みを浮かべた。
「その技術を、あんたも利用していた。娘の記憶を一時的に、別の人間の脳内へと移動させ、本体は別の場所に保管する――そして、仮の肉体を利用して安全に計画を実行させ、マンハントが終了した暁には――また本体へと、記憶を戻す。それが、あんたの計画だった」
「……面白い推測だが、穴がある」
「どこかに矛盾でも?」
「時を操る能力は風間の血によるものだ。風間の一族の肉体でないのであれば、どうしてユキは時を操ることが出来るのだ?」
「もちろん、それは、記憶を一時的に移している肉体もまた――あんたの娘の体だからでしょ」
もう一人の娘。
清澄は、そこまでルクスに追及されたことで、ついに観念した。
「生まれてきたのは双子だった……」
誰ともなしに、語り出す。
「最初は、特に考えてもいなかった。だが、娘の片方が6歳の時に、時を止めてみせた。その瞬間、私はひらめいた。もしも娘が“力”に耐えられるだけの肉体を手に入れたならば、私の能力を持ってすれば、“かあさま”を蘇らせられるかもしれない、と……」
「そして、片方の人生を奪い、ただの器として使うようになった。万が一のため、保険として本体は残しながら――」
「ああ」
「僕に殺された母親を――復活させるため」
「そうさ、ルクス。お前たちへの復讐を果たすことと、“かあさま”を蘇らせること。その目的を果たすためなら、私は悪鬼にも成り果てよう。たとえ、娘を一人失うことになろうとも――!」
清澄は、道服の袖の中からリモコンを取り出した。
ボタンを押す。
高層ビルの中間階で、爆発が起きた。
※ ※ ※
「人間は――愛ゆえに、人を殺す」
「愛?」
俺の答えに、モリガンは怪訝な表情を浮かべた。
「全て、愛だ。執着、と言い換えてもいい。自分に対する執着、他人に対する執着、国に対する執着、プライドに対する執着……執着があるからこそ、人は何かを守ろうとし、その結果、時として他人を傷つけようとする。それが高じた結果が、殺人だ」
「だけど、何か執着することを捨てたら、人間ではなくなるわ。人間は生きることに執着する生き物だもの」
「そうだ。だから、この世から殺人はなかなか無くならない。しかし――執着さえ捨てれば、理屈上は消えるはずだ」
「無理な話ね」
「俺もそう思うさ」
その時、携帯電話が鳴った。
取り出してみると、倉瀬刑事からの着信だった。
あの人は生き延びたのか。そうと知って、俺はホッとした。
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