第116話 心を攻める
腹に小太刀を刺されたモリガンは、最初はきょとんとした顔をしていたが、やがて冷たく微笑むと、
「いいわね。たまらないわ」
と呟いて、鞭を振った。
パン、と学円の頭が弾けた。
赤い肉片が地面に飛び散り、首無し死体となった学円の体は、ユラユラと揺れていたが、やがて重力には逆らえずバタリと倒れた。
別れを言う暇もない。
あやめのことを大事に可愛がってくれていた義父、遠野学円は、こうして簡単に命を奪われてしまった。もう、二度と会話を交わすことは出来ない。
大事な人を殺された――それでも、あやめは、悲鳴を上げたりしなかった。
もう、戦いは極限状態にまで達している。無用な隙を見せていい時ではない。悲しみを飲み込んで、あやめは戦いへと意識を集中させる。
モリガンの腹から小太刀を抜くと、今度は相手の頚動脈目がけて、刃を振ろうとした。
「頑張るのはいいけど――これ以上傷つけられるのも、いやよ」
モリガンは、あやめの小太刀を素手で掴んだ。
バキッ、と刃をへし折る。
折った刃を、そのままあやめの胸へと突き刺す。
あやめの口から血がこぼれた。
刃が、背中側まで貫通している。飛び出た白刃から血が滴り落ちる。
「ゲームオーバー。健闘したほうだけど、所詮は人間ね」
モリガンは冷ややかに言い放つと、刃を引き抜いた。
あやめの、心臓に近いあたりの胸から、血が大量にこぼれ落ちる。もはや戦えるだけの力を振り絞ることも出来ず、あやめは膝をついた。
(死ぬ……のかぁ)
いつか戦場で死ぬと思っていた。その予感は的中した。でも、出来れば愛する人と畳の上で共に死んでゆきたかった。今となっては叶わぬ夢だが。
(死んだらどうしようかな)
化けて出てやろうか。
誰かに取り憑いてやろうか。
いっそ猫に生まれ変わるのはどうだろう。近所に住んでいる野良猫たちの仲間入りをして、遠くから玲のことを眺める。自分は、前世でそれが夫だったことを知らない。知らないのだけれど、微かに残る記憶が、その人を愛しいと思う。
(ああ、そういうのも、ありだなぁ)
あやめは、腰につけた丸薬入れから、手製の薬を三錠取り出した。
「それは何?」
モリガンが怪訝な表情で、あやめの取り出した薬を見つめる。
「ヤク」
にやりと微笑み、あやめは薬を飲み込んだ。
※ ※ ※
爆発が起きた。
煙が辺りに充満し、カラスたちがバタバタと地面に落ちてゆく。
「イザベラ⁉」
俺は、ガスマスク越しでも感じる煙の甘ったるい臭いに辟易しながら、イザベラのいた辺りへと駆け寄った。
彼女は、原形を留めていなかった。
自分を中心に爆発させたのか、四肢は飛び散り、内臓がアスファルトの上にぶち撒けられている。爆死というよりも、列車による轢死のような、中途半端にグロテスクな死に様だった。
それにしても、この煙の臭いは酷い。
甘ったるい臭いが、死臭と相まって、吐き気を催してくる。
「自爆だなんて、無粋な方ですわ」
扇子で鼻を塞ぎながら、ネヴァンは不愉快そうに眉をひそめた。
イザベラが死んだ。
俺はふと、彼女に束の間の友情を感じていたことに気が付いた。急激に胸中に悲しみが飛来してくる。だけど、いまは戦闘中だ。俺は、余計な感傷は抑え込むことにした。
そこへ、警察がやって来た。
「何してやがるんだ、お前らは!」
「動くな!」
パトカーに身を隠して、銃を構える警官たち。すぐに来ると思ってはいたが、ここまで早くやって来るとは予想していなかった。ここで三つ巴の戦いになるとは、厄介な展開だな――と考えていた俺は、ふと、妙な感覚に捉われた。
ここで、戦いに参加する人数が増えるということは、どういうことになる?
ネヴァンにとっての手駒が増えるということ――
俺はハッとなり、ネヴァンを見た。
彼女はすでに歌い始めている。
「やめろ!」
止めるも、遅い。
ネヴァンの歌によって操られた警官たちが、一斉に俺に銃口を向けて、銃を乱射し始めた。
「ぐ、お、おおおお!」
背中の燃料タンクに引火したら、切り札を失うばかりか、俺自身の命にも関わる。正面から銃弾を浴びながら、俺は耐えていた。だが、いくら防弾性能のある耐火服でも、着弾による衝撃を抑えることは出来ない。身を削られるような激痛の中、とうとう、銃弾が生身の肉体を貫いた。
カラスの攻撃で引き裂かれた耐火服の綻びから、銃弾が貫通してきたのだ。
(こ、このまま、では――)
いっそ、警官たちを皆殺しにするか?
だが、それをやったら、俺の中で何かが終わる。それをやったら、俺はただの殺人鬼ではなくなってしまう。もっと大事な何かが、死んでしまう。
「この、卑怯者!」
横で見物しているだけのネヴァンに対し、俺は怒りを覚え、火炎を放った。だが、ネヴァンは届かない距離にいる。残念だが、移動しなければ当てられない。けれども、警官の銃撃の中、ネヴァンに逃げられないよう距離を詰めるのは至難の業だ。
そのうち、警官の銃撃が中断した。
弾切れだ。
(いまだ!)
俺は火炎放射器を構えてネヴァンに踊りかかり、再び炎を撃ち放った。が、ネヴァンは傘を倒して炎に向けると、またもや防御してしまった。
「SKA製の特別仕様の傘ですわ――そんな火遊び程度では、焼けなくってよ」
炎を噴射しているうちに、警官たちは弾込めを終えたらしい。
銃弾が、燃料タンクをかすった。
俺はネヴァンから、警官たちのほうへと向き直り、また体を丸めて銃撃から身を防いだ。
(打つ手はないのか!)
このままでは、じわりじわりと戦闘力を削られていって、いつか負けてしまうのは必至だった。
※ ※ ※
あやめは跳ね起きた。
胸から血が噴き出たが、構わなかった。どうせ助からない。それならば、奥の手を使って、派手に散ってゆこう。
九州地方で名家として栄える神座部の太祖は、神話でアマテラスを岩戸から誘き出した女神アメノウズメに遡ることが出来る。
代々、音曲を始めとする芸事に熱心な一族で、同時にそれらを神々へと奉納するための娯神としての役割を担う神職を輩出してきた家柄でもあった。
その中で、より容易に芸術性を高めるため、トランス状態になれる薬を開発していったのは、ごく自然の流れともいえる。神座部一族が作った秘薬は、特にアマツイクサの戦闘部隊にも重宝された。
しかし、実際に使用することは一度もなかった。
秘薬は、錠剤一粒でも非常に強力で、服用直後から効果を発揮し、常人の倍近い身体能力と、異常なまでの感覚麻痺を伴う。その代償として、服用後の副作用が大きく、場合によっては廃人同然の一生を送ることになってしまう――それほど、恐ろしい薬だった。
その薬を、あやめは、三錠飲んだ。
胸を貫かれた痛みは薄れており、引き替えに、人間離れした身体能力を手に入れた。
命を失うことも厭わずに。
あやめの小太刀が空を裂く。
胸を切り裂かれたモリガンは、乳房の傷口に目をやって、肩をすくめた。
「信じられないわ――人間でも、これだけの力が出せるのね」
その軽口も、あやめの耳には届いていない。
最期の力を振り絞って、神にも匹敵する女に立ち向かおうとしているあやめには、敵のくだらない挑発に乗っている余裕などなかった。
風を巻きながら、矢継ぎ早に繰り出される斬撃。
人間の剣客なら、対応しきれずに切り刻まれているであろう怒涛の連撃を、モリガンはなんとかかわしている。
だが、全ては避けきれず、その美しく白い肌、黒いボンテージレオタードが、所々傷つけられてゆく。
「くっ」
初めて、モリガンの顔に不快感が表れた。
あやめは、手応えを感じた。
さらに休む間もなく、小太刀を振る。やがて、右手一本に小太刀を持ち替え、左手には新たに苦無を握り締めた。
左右の手で繰り出される連斬に、さすがのモリガンも防げなくなり、徐々に徐々に後退を余儀なくされてゆく。その間も、体中に切り傷が刻まれてゆく。
「あああ、モリガンさまぁ」
奴隷の一人が、うろたえた様子で、主人の身を案じた。
モリガンは、自分が奴隷に気遣われているという事実に、あからさまな嫌悪感を露わにした。
「私を誰だと思っているの!」
鞭でその奴隷を打つ。
奴隷の頭が弾け飛び、血と脳味噌が両隣の奴隷にベチャベチャと降りかかった。
そんな余計なことをしているうちに、あやめは距離を詰め、小太刀を振ってきた。
(いけない――!)
モリガンは素手で小太刀を防ごうと、狙われている頚動脈の前へと手を割り込ませようと、防御の体勢に入るも、間に合わない。
だが、あと少しでモリガンの頚動脈を切り裂けるというところで、あやめの動きは止まった。
ゼンマイの切れた人形のように、いきなりガクンと膝を折ったあやめは、うなだれたまま動かなくなってしまった。
時間切れだった。
薬の効果は、長続きしなかった。すでに虫の息だったあやめは、通常より早く、薬の効き目が切れてしまったのである。
「ここ、まで――みたいね」
あやめは、力なく微笑んだ。
モリガンは何か言いたげに口を開きかけたが、やめて、ひとまず鞭を腕に巻きつけて収めた。
戦えなくなったあやめと、いまだ平然としているモリガン。
もはや勝敗は決していた。
モリガンは奴隷たちを解散させた。
役目を終えた奴隷たちは、しばらく立ち去るのを逡巡していたが、「行きなさい」と主人に冷たく言われて、仕方なくそれぞれの家へと帰っていった。
この日本から遠く離れたアイルランドへ奴隷たちを連れて帰るわけにもいかない。モリガンもせっかくのペットを手放してしまうのは勿体ないと思っていたが、やむえないことだと諦めた。
奴隷たちがいなくなった後、モリガンは瀕死のあやめを抱えて、大池のほとりにあるベンチへと運び込んだ。
ベンチに寝かされたあやめは、モリガンに生気のない目を向けた。
「私の、負け――?」
モリガンは答えない。
いつでもモリガンは勝負をした人間に、はっきりと「勝ち」を宣言したことがなかった。明らかに自分の圧勝であったとしても、モリガンはそれを誇りにしない。なぜなら、戦いの女神である自分が勝つのは当然のことであり、それを自慢することは大人気ない行為だと思っているからだ。
「そっか……負けた、のか」
あやめはそう言いつつも、満足げに微笑んだ。
ベンチに横たわるあやめを、モリガンは見下ろしている。瞳には奇異なものを見る色が浮かんでいる。
「あなたは負けたかったの?」
「ううん――でも、本当は、そう、だったのかも」
あやめの不可思議な言葉に惹き込まれ、モリガンはそばにしゃがみ込んで、より話をちゃんと聞けるよう、耳を傾けた。
これまでにも、戦場に死に場所を求めている戦士は数多くいた。あやめもまた、その一人に過ぎない。それでも、モリガンはこれまでの戦士とは異質なものをあやめに感じて、興味を湧かせていた。
「あなたは輝いている」
モリガンは歌うように言葉を発した。それは、あやめに対する言葉というよりも自分たちを追い詰めた相容れぬ“唯一神”に対する問いかけだったのかもしれない。
「死を迎えてなお、あなたは輝いている。人間としての生命の煌めき。なぜ? どうしてあなたは他の戦士と違うの? 何があなたを――美しくするの?」
あやめは首を傾けた。モリガンの目を見据え、フッと優しく微笑む。
「教えて、あげない」
んべ、と舌を出して、あかんべえをする。
そんなあやめを見て、モリガンは苦笑した。これから死んでゆく人間の発する言葉とは思えない。
「ひとつだけ、ヒントを上げる」
あやめは挑発的な目でモリガンを見つめた。
「あなたは、私の夫を、殺せない――それが答え」
「何よ、それ」
モリガンは笑いながら、風で乱れた髪を掻き上げ、整える。謎かけのようなあやめの言葉は、死を間近に控えた人間のうわ言のようなものでありつつも、正気の発言のようにも感じられ、いつしか自然と聞き入ってしまっている。
「だって――殺したら、あなたは負けるから」
「誰に負けると言うの?」
「あなたの天敵――西暦の始まりとなった男」
「わけがわからないわ。それと、あなたの輝きと、どう関係が」
「汝の敵を愛せよ……でしょ?」
あやめの言葉に、モリガンの表情が固まる。
「答えは……愛?」
「あなたにはわからない感情ね」
「女が男を愛する心……」
「あなたは神を気取って、普通の女として生きることを放棄した――そんなあなたに、愛、なんて絶対に理解出来ない」
「愛が、あなたの輝きの正体?」
「うらやましい?」
「別に」
モリガンは立ち上がった。
気丈に明るく喋っているが、あやめは間もなく死ぬ。息遣いが荒くなってきている。そろそろ口を開くのも辛くなっているはずだ。
「本当に、うらやましくないの?」
「何が言いたいの」
あやめの問いに、モリガンは首を傾げた。
「だって、ずっと、独りぼっちだったんじゃないの」
「妹たちがいたわ」
「友達は?」
「必要なかったわ」
「必要なかったんじゃなくて――怖かったんでしょ」
「私が? 怖い? 何を怖がるというのよ」
モリガンはくすくすと笑っていたが、次に発せられたあやめのセリフで、笑うのをやめた。
「自分が人間でないことを、自覚、させられるのが」
兼六園の池のほとりで、二人の女が見つめ合っている。
いつしか、その関係は逆転しつつあった。
戦いの勝敗をも覆して。
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