第115話 反撃の狼煙
(仕留めた!)
老刑事の首を切り落とそうと二振りのサーベルで挟み込むように斬りかかったマッハは、勝利を確信してほくそ笑んだ。
が、突然、何者かに胸を蹴られて、マッハはよろめいた。
「ぐっ!?」
攻撃を中断させられたマッハは、首を傾げる。
さっきまで、老刑事の背後には誰もいなかった。
それなのに、唐突にその空間へとワープしてきたかのように、人影が徐々に存在感を増してきている。
「……誰だ、あんたは」
滑らかな日本語で話しかけるマッハだったが、人影は答えない。日本語を理解していないのだ。
(へえ)
マッハは、相手の顔を見て、口笛を鳴らした。マッハ好みの線の細い顔をしている。一見すると、女の子にしか見えない。だが、細身に見える体は無駄なく筋肉がついており、戦闘能力が高いわけではなさそうだが、華奢というほどでもない。均整の取れたプロポーション。
ネイティブアメリカンの服を身に纏っている青年は、静かに、マッハを見つめている。
「お前は――!」
倉瀬は驚きのあまり身をのけぞらせた。
名古屋で干戈を交え、投獄されているはずの殺人鬼、イール・ワールバーグ――通称インヴィシブル・マニトゥが、再び自分の前に姿を現したのだから。
「どきな、そこ」
マッハは日本語で警告を放つ。しかし、日本語を解さないイールは、黙って突っ立っている。
「どけ、って言ってるんだよ」
それでも、イールは動かない。
「ああああ、鬱陶しいなぁ!」
マッハの好みのタイプだったが、それとこれとは話が別だ。マッハは、地面を蹴ると、高速でイールに攻撃を仕掛けていく。
が、イールの姿が見えなくなった。
(気配が――しない⁉)
イールの技である、存在感の消失。たとえ視界に姿が入っていても、人間の脳がその形を認識してしなくなってしまう、恐るべき能力。
未知の能力を前にして、突進を躊躇してしまったマッハ。
そこへ、姿を現したイールが、横から組み付いてきた。
マッハの腰に手を回し、動きを封じる。
(!)
倉瀬は膝を起こし、立ち上がった。
イールの真意は知らないが、この機を逃すべきではない、と本能が告げている。
「おおおおお!」
掛け声とともに、飛び蹴りを放った。
しかし。
イールの全身から血が噴き出た。
組み付かれた状態のまま、マッハがサーベルでイールを滅茶苦茶に切り裂いたのだ。
ゴボリ、と血を吐き、イールの体は崩れる。
同時に、マッハの顔面に、倉瀬の蹴りがヒットした。
マッハの美しい顔がひしゃげ、歯が一本折れて、宙に舞う。
「Shit!」
罵声とともにマッハが消えるのと、イールが地面に倒れるのと、倉瀬が着地するのは、ほぼ同じタイミングだった。
※ ※ ※
遅い来るカラスの大群を前に、俺は火炎放射器を構えた。
焼いてしまえば、燃える火の玉と化したカラスが、あちこちに飛んでいってしまう。そうなれば、さらなる惨事を招くことになる。
だが、黙って殺されるわけにはいかない。
そうして、火炎放射器の引き金を引こうとした瞬間だった。
操られていたはずのイザベラが、突然銃口をネヴァンに向け、二丁拳銃で乱射を始めた。
「あら、私ったら――あなたのことを忘れていたわ」
ネヴァンは微笑み、傘をイザベラへ向けると、銃弾を防いだ。
銃撃が効かないとわかると、イザベラは攻撃を中断し、俺のそばへと寄ってきた。いつから洗脳が解けていたのか、意識のハッキリした目で、俺を見つめてくる。
「ごめん、危ない目に遭わせたわ」
「記憶はあるのか」
「ええ。本当に、ごめんなさい。でも、もう大丈夫よ」
「あまりこっちは大丈夫とは言えないがな」
黒い波となったカラス軍が、あっという間に距離を詰めてくる。
俺もイザベラも引き金に指をかけ、空から来る敵に向かって銃口を向けた。動物愛護団体が見たら発狂しかねないが、あいにく、俺たちは自分の命も大事なんだ。
これまで多くの人間を殺してきた俺が、いまさら生き延びようとするのも虫のいい話だとは思うが。
火炎放射器が火を噴く。
イザベラの拳銃からも、鉛の玉が発射される。
カラスたちの絶叫が、夜の兼六園下にこだました。
俺たちがカラスを相手に壮絶な死闘を繰り広げている間、ネヴァンは余裕の表情で傘を抱え、ひたすら見物を楽しんでいる。
すぐに、カラスの群れに俺たちの体は包まれ、互いの姿も、ネヴァンの様子も、全てが確認出来ない状態となってしまった。
俺はさらに、炎でカラスたちを薙ぎ払った――。
※ ※ ※
イールは、すでに虫の息だった。
(僕は、正義だ……)
薄れゆく意識の中で、イールは倉瀬に主張していた。
愛知県警での激闘のとき、倉瀬に投げかけられたセリフ、「この外道め」――自分が正義だと信じて戦ってきていたイールにとって、数少ない理解できる日本語の中でも、罵言だと知っている「外道」――そのレッテルを貼られたことは、我慢ならないことだった。
自分が、単なる悪ではないことを証明したかった。
(僕は、あんたを救った……だから、僕は、正、義……)
悪を殺すことに心血を注いで、多くの人間の命を奪ってきた殺人鬼イール・ワールバーグは、最期の瞬間になってもまだ、自分が正義であると信じて疑っていなかった。
犯した罪が、たった一度の善行で帳消しになるわけでもない、にもかかわらず。
そして、イールは死んだ。
(お前さんは……結局、何をしたかったのだろうか)
イールの死を見届けた倉瀬は、瞑目合掌をした。
それから、呼吸を整えると、重心を落とした。
両腕は使えず、脚しか攻撃手段はない。敵と渡り合うには、重心移動を上手に絡めながら戦うほかない。
(それでも、負けん)
かつての敵によって、危ういところを拾われた命。無駄に散らせるわけにはいかない。そのためには、どんな化け物みたいな敵であろうと、勝つしかない。
「来い。少林寺拳法の底の深さを、身をもって教えてやるぞ」
深く呼吸を練りながら、倉瀬は次の敵の攻撃を待っていた。
マッハは苛立っていた。
これまで自分のスピードに着いてこられる人間など一人もいなかった。誰もがまともに戦えず、なす術もなく五体を切り刻まれて死んでいった。
それなのに、この老刑事は、なぜまだ生きている?
(生意気だ)
自分は神だ。
スピードと戦いの女神、マッハだ。
人間如きが神と互角に戦っていいはずがない。あってはならない。そればかりか、神の顔面に拳を当てるなど、不遜の極みだ。
(殺してやる――最大のスピードで、お前を殺してやる!)
三姉妹の中でも、最も粗暴で短気なマッハは、早くも頭に血が上っていた。さっさと老刑事を殺したくて、ウズウズしていた。
冷静さを欠いていた。
倉瀬は落ち着いている。
不思議な感覚だった。流れゆく風の動き、遠く離れた落ち葉の転がる音まで、全身でつぶさに感じ取ることが出来ている。
世界が、見える。
(金剛禅……⁉)
少林寺拳法の目指す究極の境地、金剛禅。宇宙の大霊力であるとするその領域は、この世界を存在させるエネルギーの基とされており、とどのつまり少林寺拳法とは格闘技ではなく、その悟りの境地へと至るための宗門の行に他ならない。
生きている間に到達しうるとは、とても思えなかった金剛禅の悟りを――倉瀬はいま、会得しようとしていた。
(感じるぞ、全てを。世界の繋がりを――敵の呼吸を、考えを、何もかも!)
呼吸を整える。
両脚に力を込め、迎え撃つ体勢を取った。
マッハはサーベルを持ち替える。
右手は順手、左手は逆手に持って、通り過ぎ様の二連撃を最速で行えるよう、調整を図る。
ジリ、と柱の陰から、足をすり出す。
(すぐに――その首、撥ね落としてやる!)
サーベルを胸の高さまで持ち上げ、攻撃のタイミングを計り始めた。
気質の変化に気が付いた倉瀬は、それでも心穏やかなまま、敵の攻撃を待っている。
マッハは、倉瀬のことを、次第に薄気味悪く感じていた。
あまりにも静かすぎる。
倉瀬は、敵が警戒していることを察知した。
このままでは近寄ってこない。しかし、こちらから攻撃したのでは、返り討ちに遭ってしまう。なんとしてでも、敵から攻撃を仕掛けさせないといけない。
構えを、解いた。
急に隙だらけになった倉瀬を見て、マッハはますます警戒心を強めた。
沸騰していた頭に冷静さが戻ってくる。どうして、敵はあえて隙を見せているのか? 何か、確実に勝てる見込みでもあるのだろうか? 考えれば考えるほど、敵の行動は怪しく感じられてくる。
倉瀬は歩き出した。
敵に向かって。
マッハは驚く。
無造作に歩いてくる老刑事。何か目論見があってのことなのか、それとも自暴自棄になっているのか。
目論見があるのなら、迂闊に攻撃するのはまずい。かといって、接近を許してしまえば、それはそれで敵の思う壺かもしれない。
大丈夫。自分のスピードには、誰も着いてこれない。
だが、その自信は、倉瀬に対する音速攻撃が何度か失敗したことで、ぐらつきつつある。十中八九、自分のスピードなら攻撃は成功する――だけど、もしも失敗したら? そして、相手の渾身の一撃を喰らったら、どうなる? 自分はそれでも立っていられるか?
倉瀬には考えがあった。
全ては繋がっている。些細な事象でも、それはカオス理論の如く、自分たちの戦いに影響を与える。もしも、偶然の積み重ねを制御することが出来たなら――
マッハは死ぬのが怖いのではない。
人間ごときに敗北を喫するのが屈辱的なだけだ。
(畜生、ふざけんな。あたしは最速だ! この世界で最速だ! 誰にも負けない――下種な人間たちには、もう誰にも負けてなんかやるものか!)
歯を食い縛る。
だけど、このまま立ち尽くしていても、負ける可能性は高い。それならば、一か八か、自分のスピードを信じて、奴を葬るしかない。
敵が動き出すのを、倉瀬は感じた。
来る。
音速移動でも壊れない特注のローラースケートを、足から外して、マッハは素足になった。
ハンディキャップは、もう不要だ。
やはり自分の足で動いたほうが、小回りも利くし、間にローラーを噛んでいるよりも、幾分かスピードも速くなる。
本気で、殺しにかかることが出来る。
倉瀬の全身の毛が逆立った。
マッハは地面を蹴った。
柱の陰から飛び出て、すぐに照準を老刑事へと定めて、サーベルを振り上げながら特攻してゆく。
倉瀬は、彼方から聞こえてきた音に気が付き、横を向いた。
勝てる――と思った瞬間、マッハの身が一瞬だけ強張った。
接近してくるサイレンの音。救急車の音色。無視することが出来なかったマッハは、やって来た救急車へと、ほんのコンマ数秒、顔を向けてしまった。
八田のために呼んだ救急車が、マッハ攻撃の瞬間にタイミングよく飛び込んできた。
だが、それは、偶然ではない。倉瀬の超感覚が導き出した、必然の策。マッハといえども、サイレンの音を完全に無視することは出来ないだろう、そう読んでの作戦だった。
倉瀬は見逃さなかった。マッハの意識が、救急車へと向けられている。
マッハは自分の犯した過ちに気が付き、狼狽した。
すぐに老刑事のほうへと向いた。が、遅かった。
刹那の隙に、倉瀬はマッハの懐へと潜り込み、左脚にしっかりと重心を預け、右脚を振り上げた。
爪先が、マッハの顎に激突した。
マッハはのけぞり、口の中を切ったのか血を噴き、よろめく。
が、それだけで倉瀬の攻撃は終わらない。
(まずい!)
マッハはうろたえた。
まさか人間がここまでやるとは想像していなかっただけに、こうも何度も攻撃を喰らうと、平静ではいられなくなる。
(畜生、畜生、負けてたまるか!!)
顎に蹴りを喰らいながらも、なお、マッハはサーベルで斬りかかろうとする。
しかし。
蹴り上げた脚を、倉瀬は高々と掲げた後――振り下ろした。
踵落としが、マッハの肩にめり込む。
骨の砕ける音。
「おおおおおお!」
マッハは吼えた。
痛みに耐えながら、サーベルを振る。
刃が、蹴りを放った脚をぶった切ろうとした瞬間、倉瀬は跳んだ。
マッハのサーベルは、跳躍した倉瀬の足もとを、虚しく空振りした。
「ジジイイイイ!」
叫んだ。
宙に浮かび上がった倉瀬は、跳んだ勢いそのままに、飛び足刀を放つ。
足刀が、マッハの顔面をグシャリと潰した。
マッハは鼻血の出る顔を押さえ、フラフラと後退した。
痛みよりも何よりも、人間にボコられている自分が許せなかった。悔しかった。負けたくなかった。
(人間め、人間め、人げ――!)
執念が、マッハの体を突き動かす。
片手で顔面を押さえながらも、マッハはサーベルを突き出した。
(臓物をひり出しなぁ!)
刃が、倉瀬の脇腹をかすった。
かすった程度で終わってしまった。
倉瀬は、あわやというところでマッハの刺突攻撃をかわすと、頭突きを繰り出した。
倉瀬の頭部が、マッハの顔面を狙う。顔を手で押さえていたマッハは、まず手を頭突きで潰された。
相手がバランスを崩したのを確認し、倉瀬は上体を倒してから、腰を回転させた。
敵の水月を狙って、遠心力を十分に乗せての足刀を撃ち込む。
ドスンッ、と足刀の踵が、マッハの水月に突き刺さった。
気脈の流れを狂わされ、全身に痺れのようなものが走り、マッハの思考が真っ白になる。気絶する直前。
少林寺拳法の究極奥義、圧法。
その圧法を、倉瀬は足で極めたのだ。
(意識が――ぅぐ、飛び、そう、だ――!)
マッハは、それでも踏ん張った。
倉瀬は体を回転させた。
とどめの一撃を放つ。
(こんな、ノロい、攻撃――!)
マッハは反撃を返そうと、弱々しくも、サーベルを持ち上げようとした。
が、膝がガクンと折れてしまった。
(そんな……あたしが、人間の攻撃で、倒れそうに……⁉)
愕然とした表情を見せたとき。
マッハのこめかみに、倉瀬の後ろ回し蹴りが炸裂した。
「いい加減――眠ってろ!」
倉瀬が怒号する。
頭部を蹴り抜かれたマッハは、横っ飛びに吹き飛び、柱に激突した。
倉瀬は油断せず、すかさず次の戦闘体勢に移行した。が、相手が動かないと見るや、わずかに構えを解いた。
マッハは、横たわったまま、動かなかった。
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