第113話 エニグマクイーン

 夜の兼六園、普段は暗闇に包まれている林が、白い光で輝かしく照らし出されている。黙々と働いている男女の影。全員、上半身裸で、ボロ布のような衣だけ下に纏っている。まるで古代王国の奴隷の如く。


 ひと際輝く銅像。


 兼六園内でも特に目立つ、倭建命ヤマトタケルノミコト像。


「あれは、何かしら」


 眉をひそめながら、モリガン・ミリヤードは近くの下僕に問いかける。


「はっ、西南戦争で戦没した石川県民を慰霊するために建てられました、ヤマトタケルノミコトの像でございます」

「ヤマトタケル――聞いたことがあるわ。日本における、支配者の一人」


 下僕を下がらせ、モリガンは腰から鞭を外した。


 目に、殺気が篭もっている。


「無粋ね」


 風を切り、鞭が踊り狂う。


 たちまち、倭建命像は粉々に砕けて、兼六園の方々へとばら撒かれてしまった。


「いつでもそうね。侵略者に追随する者たちは、己が主の功績を偶像化しないと気が済まない。それがまるで自分たち自身の誇りであるかのように。キリストの偶像を掲げる者たちもそうだった。私は問いたいわ。“お前たちは何をした?”と」


 鞭を振るう。今度は、近くを通りかかった女奴隷の背中にぶち当てる。鞭で打たれた女奴隷は、激痛であるにもかかわらず、「あぁ」と官能の声を上げる。


「人間は好きよ。大好きよ。短い人生をもがいてもがいて、答えなど見つけられないまま、それでも眩いばかりの光を放って生き抜く人間たち。この世界で最も素晴らしくて、愛しい生物だといえるわ。でも、そんな中でも下種は下種。それは、自分が認める以外の存在を認めず、ただ征服することで下賎な支配欲を満たそうとする輩――生きる価値もない、最低の連中ね」


 モリガンは砕け散った倭建命像の台座へと歩いてゆき、今度は自分がその上に立った。たちまち、舞台のセッティングで働いていた下僕たちが、オオオと歓声を上げる。


 女王が、兼六園に降臨した。


 モリガン自身にとっては、人間とは下僕以外の何者でもない。自分が人間を支配し、陵辱し、使役するのは当然の権利である。なぜなら、自分は戦いの女神であるから――と、そう思っている。どれだけ殺しても、自分は罪に問われない。そもそも、神に対して罪という概念を適用できるのは、もはや神をも超越した“天”の意志であると、モリガンは考えている。


 一方で、人間が人間を虐殺することは我慢ならない。可愛がっているペットが、お互いに殺し合いを始めるのを見るようなもので、モリガンには耐え切れないほど、醜悪な事態なのである。


 だから、モリガンは、実はシリアル・キラー・アライアンスのこともあまり快く思っていない。


 そのため、長い間、マンハントにも参加していなかった。


(私たち三姉妹がたかが人間一人を追い駆け回すのも大人気ないし、他の殺人鬼がよってたかって人間を殺すのを見るのも不愉快極まりないわ)


 そう思って、アイルランドの古城に篭もりながら、自由気ままにペットの人間たちを弄んで、永遠に続く退屈な一生(いや、“一生”という概念がそもそも当てはまらないかもしれない)のせめてもの暇潰しとしていた。


 ところが、今回のマンハントの状況を聞いて、気が変わった。


(一年間も粘る連中だなんて――なかなかしぶといわね)


 モリガンは見てみたくなった。凶悪な殺人鬼たちの猛攻を受けながら、それでもなお生き抜いてきた人間たちの生命力を。そして、そんな人間たちが最期の瞬間にどんな輝きを放つのかを。


 自らの手で、殺してみたくなった。


「さあ、ショーの開幕よ!」


 鞭の弾ける音が夜の兼六園に響く。


 下僕たちがスポットライトを一斉にモリガンへと向け、スイッチをつける。林から、池から、小道から、園内のあらゆる場所からモリガンへと向けて、白色の明かりが浴びせられる。


 光の乱舞の中、レザーボンテージのレオタードで身を包んだ女王が屹立している。グラマラスな肢体を惜し気もなく披露し、金色に輝く長髪を風になびかせ、鞭を振り上げる。


 時刻は、夜の七時ジャスト。


 まさに秒単位で時間が切り替わった瞬間――モリガンの顔面目がけて、棒手裏剣が二本、飛んできた。


 モリガンは鞭を振る。


 叩き落された棒手裏剣は地面に突き刺さる。直後、手裏剣は爆発した。爆薬付きの手裏剣だったのだ。


「あら、面白い武器ね。でも――」


 続けて左側面から同じ手裏剣が飛んでくる。


 今度は、モリガンはかわさない。左手をスッと上げると、軽く指で弾いた。至近距離、手のところで爆発が起きる。だが、傷ひとつついていない。


 爆発が、効いていない。


「お肌には気を遣っているの。どうしても傷つけたければ、戦車でも持ってきてちょうだい」


 モリガンは、アジアの文化が好きである。特に、漢字に対しては並々ならぬ興味を示している。


「中国では、たった一文字で色々な意味を持たせるのよ」


 そう言って、自分を含め、ミリヤード三姉妹それぞれの特色を漢字一文字で表したことがあった。


 三女のマッハは、「速」。


 次女のネヴァンは、「音」。


 そして、モリガン自身は、「最」。


 その意味するところは――


 林から、黒装束のクノイチが飛び出してくる。まだ二十代にも達していないような少女。優しげな瞳に、常人とは比べ物にならない闘志の炎を灯して、モリガンに向かってくる。


「うぅん、可愛い子。持って帰って玩具にしたいわ」


 モリガンは舌なめずりをし、鞭を振った。


 が、その鞭が、背中側に回ったところで、動かなくなった。


「?」


 後ろを向くと、僧衣を着た初老の男が、ガッシリと両手で鞭を握っている。


 この程度の力、強引に振り切ってやるわ――と思い、腕に力を込めた瞬間、モリガンは目を見開いた。


 いつの間にか、足もとの台座から、二人の女が駆け上がってきていた。


「行くわよ、あやめ!」

「絶対――勝つ!」


 裂帛の気合とともに、二人の女は鈍い妖光を放つ刀を振り上げ、モリガンに斬りかかった。前後の敵に気を取られていたモリガンは、下からの奇襲に対して対応しきれない。


 胸と背中を、敵の刀で斬り裂かれた。


 血が飛び散る。


「私の肌に傷をつけるなんて――ただの刀じゃないわね? 妖刀の類かしら? よかったわ、日本人にも、まだ神の力を重んじている人間がいて――こうでないと、面白くないもの」


 平然とした様子で語り始めるモリガンにも、二人の女は動じていない。この程度の攻撃で倒せる相手でないことは、すでに予測済みなのだろう。その覚悟の仕方も、モリガンの気に入るところだった。


(いいわね。その時代遅れで現代には役に立たない心構え――神と相対する神殺しの気迫――久しぶりよ、そんな目をする人間と出会えたのは)


 モリガンは鞭を振った。すでに、鞭を押さえていた男は手を離している。


(でも、残念ね。蝿が多いのも、好みじゃないの。戦うのは、一人だけにしてちょうだい――)


 轟、と空を薙ぐ。雪釣りを施された木々が、鞭で破壊されて、次々と倒壊してゆく。やがて、半周した鞭は、最初に林から飛び出して、いままた宙に飛んで自分を攻撃しようとしていた、クノイチの少女へと襲いかかってゆく。


「千里!」


 最後に奇襲攻撃を仕掛けてきた女たちの一人が、大声で叫んだ。


 千里と呼ばれた少女は、空中で長い布を広げると、鞭に対して交わるように面を向けた。鞭が布に当たった瞬間、衝撃を柔らかく吸収する。千里はそのまま、布ごと鞭で弾かれ、近くの木へと激突した。だが、ただぶつかったのではない。空中で体の向きを制御して、上手く膝でクッションを取るように、両脚で受身を取ったのだ。


「まあ、驚いたわ」


 モリガンは頬をポリポリと掻きながら、呆れたように肩をすくめる。ここまで粘るとは、正直思っていなかった。敵のレベルをあまりにも低く見すぎていた。


「わかったわ……もう少し、本気を出してあげないと、失礼になってしまうみたいね」


 豊満な胸を自らの手で揉みしだきながら、モリガンはぺろりと唇を舐めた。予想以上の人間たちの頑張りを前にして、彼女はいますぐにでも自慰に耽りたいほど興奮していた。


(でも、可哀想な人間たち)


 所詮、人間が自分に勝てる道理はない。


 なぜなら、自分は漢字で表すと、「最」。


 この世で「最」も淫らで、この世で「最」も美しく、そして、この世で「最」も強い。


 それが、自分。


 モリガン・ミリヤードなのだから。


 あやめは、全身の筋肉にかつてないほどの力が漲るのを、ヒシヒシと感じていた。


(集中を切らしたら、死ぬ)


 腰から小太刀を抜き、構えを持続させたまま、慎重に間合いを計る。


 細かいことを考えるのが得意じゃないあやめは、いま相対している敵がどのような存在であるか、考察することを放棄している。


 少なくとも、人間でないことはわかる。それだけで十分だ。


「あら、攻撃が止まってるじゃない」


 拘束具を模した淫靡なレオタードを着た金髪の美女、モリガンは、腰に手を当てて左右を見回した。


「さっきみたいな連携をもっと見せてちょうだい。面白かったから。それとも、もうネタ切れかしら」


 ふてぶてしい挑発に、しかし誰も乗らない。その程度で冷静さを失う面子ではない。


 あやめは、学円と目配せをした。


 打ち合わせ通り、確実に敵の息の根を止める手段を取る。そのためには、機を読む必要がある。


 敵が隙を見せる瞬間を――


「じゃあ、私から行くわ」


 モリガンは鞭を振り上げた。地面に振り下ろすと、表層が砕け、土砂が周囲に舞った。


 最初、あやめはそのモリガンの行動を、ただ自分の膂力の強さを見せつけるパフォーマンスだと思っていた。ところが、次第にその考えが間違いであることに気がついてきた。


 鞭が何度も何度も地面を抉る。舞い散る土砂は、やがて濛々と立ちこめる土煙と化していく。そのうち、モリガンの姿は煙の中へと隠れてしまった。破壊力とスピードを兼ね備えた鞭さばきだからこそ可能な煙幕術。


(もう、無茶苦茶ね)


 あやめは苦笑した。これはなんだ? 自分は、アマツイクサという秘密組織が日本に存在していることを、まるでマンガの世界だと思っていたが、そんなことがどうでもよくなってくる。これこそマンガかゲームの世界。悪い冗談だ。悪い冗談以外の何ものでもない。


 でも、これが現実。


 圧倒的な力を持つ破壊の女神は、非力な人間たちにとっては、最強最悪の殺人鬼――ただ虫けらの如く捻り潰されるのみ。


 土煙の中から、鞭が飛んできた。


 あやめは腰を落とす。


 鋭い音を立てて、頭上を鞭が飛んでゆく。


 すかさずあやめは駆け出し、鞭の使い手の懐へと接近を試みた。モタモタしていたら、鞭は振り上げられ、次の打撃が放たれるはずだ。あのパワーで体を打たれたら、重傷は避けられない。悪ければ、死。


 土煙の中に飛び込んだあやめだが、そこで目を見開いた。


 モリガンがいない。


 鞭の握り部分は、砕けた倭建命像の台座に巻きつけられている。


(引っ掛け――?)


 ゴキリ、と骨の折れる音が聞こえた。

 

 耳元で。


 あやめは素早く横に向き直る。


 そこに、モリガンが立っていた。


 両手に、二人の人間の頭を掴んで。


 千鶴と千里のアマツイクサ姉妹。それぞれ、モリガンに頭を掴まれている。どちらも瞳から生気を失っている。首の骨を折られ、絶命している。あやめと同様に、攻撃の隙を突いて倒そうとしたが、あっさり返り討ちに遭ったのだ。


「ようこそ、女神の領域へ」


 グシャリ。


 モリガンは千鶴と千里の頭を握り潰した。血肉と脳漿が指の間から絞り出されて、ビチャビチャと地面に飛散した。


「よくもおお!」


 そこへ、あやめは小太刀で斬りかかる。だが、モリガンは指一本立てると、あやめの刃を防いでしまった。


 刀を、生身の指で。


 気持ちが萎えそうになる。恐怖で歯の根が鳴る。それでも、あやめは戦いを挑む。これまでだって勝ってきたから、今度も負けない――そう信じて。


 けれども、刃はモリガンの肉体を傷つけるには至らない。人間とは違う世界の住人。生半可な攻撃では、意味がない。


「やああああああ!」


 気合とともに、あやめは小太刀を振り下ろした。剥き出しになっているモリガンの肩に触れ、肉を裂く。相手の傷口から血が噴き出た。


 効かないわけじゃない。


 諦めてはならない――ここで諦めたら、この一年間の戦いが全部無意味になってしまう。負けるわけにはいかない。


「滑稽ね」


 モリガンは口の端を歪め、右腕をスッと突き出した。


 ピン、と軽くあやめの左肩を指で弾く。


 ただそれだけの動作で、あやめの肩は脱臼してしまった。

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