第112話 戦女神との戦い

 柱の陰から飛び出した倉瀬は、猛然とマッハに突進していく。八田を人質に取っているマッハが、ニヤリとほくそ笑むのが見えた。距離を詰めた倉瀬は、マッハの顔面にストレートパンチを放つ。


 が、マッハの姿が消えた。


 突然、顎に衝撃が来る。相手のアッパーが当たったのだ。コンマ1秒の判断で、倉瀬は自ら体をのけぞらせ、アッパーの威力を緩和させた。


 すかさず、前蹴りを放つ。


 倉瀬の蹴りを横にさばいてかわしたマッハは、そのまま倉瀬の脚を片腕で絡め取り、刀を振り上げた。


 切断する気だ。


 少林寺拳法には「足抜」と呼ばれる技がある。脚を捕まえられた程度では、倉瀬は動じない。抱えられた脚を軸に、倉瀬は身を跳び上がらせ、空中で回転しながら浴びせ蹴りを繰り出す。


 マッハは、こめかみに激突しそうになった倉瀬の踵を、刀を持ったまま内腕で受け止めた。常人なら骨が折れる蹴りを受け、腕が痺れる。倉瀬の脚を抱える腕が緩んだ。


 すぐに倉瀬は脚を引き抜き、腰を落として構える。


 マッハの姿が消える。


 殺気が、背中側へと流れていく。倉瀬は伸脚の姿勢で身をかがめる。


 頭上を、刃が通過した。


 振り返りながら足払いの蹴りを撃つ。その蹴りよりも早く、マッハは後退した。


「ちっ」


 舌打ちとともに、マッハは消えた。


 どうやら仕切り直しをするつもりのようだ。


 倉瀬は周囲に気を配りながら、八田に近付くと、自分のシャツを脱いでビリビリに引き裂き、切断された脚の大腿部を縛った。気休め程度の止血だが、無いよりはマシだ。


「……倉瀬さ、ん……」

「喋るな」


 青白い顔の八田は、早く病院に運んでやらねば、いつ息絶えてもおかしくなさそうだ。倉瀬は携帯電話で、救急車を呼んだ。その間、マッハは様子を窺っているのか、手出ししてこない。


 倉瀬は電話を切ると、八田のそばで仁王立ちした。


(どこから来る?)


 左右にはロータリーがあり、バスやタクシーが停車している。運転手の姿は見えない。この騒ぎで逃げ出している。


 目の前は、骨組みにガラス張りのもてなしドーム。夜間ライトアップで鈍い輝きを放っている。


「ん?」


 もてなしドームの上に、ライトで照らし出された人影が見える。


 マッハだ。


(いつの間にあんな所へ登ったんだ!?)


 驚いている暇もない。


 マッハの姿が、ドーム上から消えた。


「くそっ!」


 倉瀬は横へ身をかわす。


 直後、さっきまで立っていた場所に、突然現れたマッハの蹴りが激突した。


 石畳が凹み、砕け散る。


 見えない。


 倉瀬の鍛え抜かれた動体視力をもってしても、敵の尋常ならざるスピードは追い切れない。


 マッハは八田のそばに立っている。


(まずい!)


 倉瀬は駆け寄り、刀を振りかぶったマッハへと体当たりを喰らわせる。ローラースケートが滑り、マッハは仰向けに倒れる。が、ただでは倒れない。倉瀬の左肩に刀を突き刺し、さらに背中へと空いている腕を回して、一緒に倒れ込もうとする。


「くおお!」


 左肩の激痛に耐えながら、倉瀬は刀身に手刀を当てる。ミシ、と刀は軋む。


「かあっ!!」


 気合い一声、全力の手刀を繰り出し、再び刀を強打した。


 途端に、高硬度の刃は中間でボキリと折れる。同時に、二人はもつれ合いながら倒れた。


 マッハはいまだに握っている半分の刀でもって、倉瀬の顔面を切り裂こうとする。刃が倉瀬の頬を裂くのと、それをかわした倉瀬がマッハの鼻柱に豪拳を当てようとするのと、ほぼ同タイミングで行われた。


「ぐ、ぬ!」


 頬から飛び散る血が目に入り、倉瀬は呻き声を上げる。


 マッハの顔面に拳は吸い込まれていき、ぐしゃりと音がした。相手の顔面を潰した――と思いきや、マッハは一瞬のうちに頭を横にずらして攻撃を避けていた。潰れたのは、地面を全力で殴った倉瀬の拳だった。


「ぐおお!」


 肉の裂けた拳をだらんと下げて、苦悶の声を上げる。これで、左手まで使えなくなった。


「しゃっ!」


 マッハは馬乗りになっている倉瀬の腹を蹴り、自身から引き剥がす。蹴り飛ばされ、尻餅をつく倉瀬。


「爺さん、なかなかしぶといな。気に入ったよ」


 折れた刀を捨て、マッハは腰の後ろに装着していた新しい武器を外す。それは、一対のサーベル。両手で振り回せるサイズの湾曲刀。


「それじゃあ、そろそろチェックメイトといくか――バラバラにしてやるよ」


 マッハの姿が、見えなくなった。


 倉瀬はあえて前に出て、敵の攻撃タイミングを外そうとする。概ね成功――だが、かわし切れなかった。


 体のあちこちから血が噴き出る。目には見えなかったが、すれ違いざまに、何回も体を切り刻まれたようだった。倉瀬は眩暈を感じ、膝をついた。


 その背後に、血まみれのサーベルを構えたマッハが立った。


「これで、終わりだな」


 マッハは両手に持ったサーベルを振り上げ、倉瀬の首を挟み切ろうとした。



            ※ ※ ※



 俺はネヴァンから距離を取った。


 あの女の歌声を間近で聞いていると、鼓膜が破裂してしまいそうになる。それに、全身に感じる妙な倦怠感。気を抜くと、体を何者かの意思で操られてしまいそうになる。


 歌声で、人間を操る?


 そんなことが本当に可能なのか?


 声量豊かな独唱が続くなか、大木に終結しているカラスたちの鳴き声がさらに激しさを増す。最初は、ネヴァンの歌声がうるさいのかと思っていたが、どうも様子がおかしい。


 などと考えていると、イザベラが突っ込んできた。


 至近距離で、ワルサーP99を突きつけ、躊躇なく引き金を引いてくる。


「よせ!」


 俺はイザベラの銃を持つ左手を掴み、銃口を逸らした。だが、イザベラはすぐに右手に持つ50AEモデルのデザートイーグルを構え、俺の頭部に狙いを定めてくる。


 ここへ来る前に、イザベラは説明していた。


 50AE弾を撃てるデザートイーグルの威力は、世界でもトップクラス。あまりの破壊力に、「ハンドキャノン」の異名を持つ――と。


 俺は身をのけぞらせる。無理な体勢を取ったせいで、耐火服がミチミチと悲鳴を上げた。直後、顔の前で、火花が散った。轟音が脳髄にまで響いてくる。デザートイーグルが火を噴いたのだ。間一髪で攻撃を交わした俺は、冷や汗を垂らしながら、ブーツでイザベラの腹を蹴った。


「ぐっ!」


 イザベラは呻いて、腹を抱えて吹っ飛ぶ。


 いくら死に対する恐怖は薄いといっても、やはりいざ殺されそうになったら、そう易々と命をやるわけにはいかない。


「操られていようと、手加減はしないぞ、イザベラ」


 俺は火炎放射器を構えた。


 最後の手段は、躊躇せずに、イザベラを焼き殺すことだ。そうでもしなければ、俺まで殺されてしまう。


 イザベラは、無感情な顔をこちらに向けて、二丁の拳銃を再び構えてきた。


 そのときだった。


 大木が鳴動し、天地を轟音で震わせた。上のほうを見上げると、大木のシルエットから黒い幕のようなものがブワッと広がり、夜空に展開する。風船が膨らむように膨れ上がった幕は、大木から離れると、放射線状に散開した。


「あれは――まさか!?」


 俺は一歩退いた。


 大木から飛び出し、宙を滑空して飛んでくる黒の大軍。鋭い嘴をこちらに向けて、肉をついばもうとする猛禽たち。


 間違いない。


 さっきまで大木で騒いでいたカラスたちが、一斉攻撃を開始したのだ。


 カラスたちは一丸となって俺の体を包み込み、嘴で次々と耐火服を切り裂いてゆく。たかが鳥とは思えない。決して弱くはないはずの耐火服が、見る見るうちにボロボロにされてゆく。


 一陣の黒い風が通り過ぎ去った後、俺はよろめいた。


 直接的な肉体ダメージはほとんどないものの、耐火服の防御力は著しく低下してしまった。次に同じ攻撃を喰らったら、今度は生身の肉体を傷つけられ、食い散らかされてしまう。


 最初に攻撃してきたカラスたちは宙を旋回し、次の攻撃に備えようとしている。が、その前に――別方向に展開していたカラスの軍勢、第二陣が、俺に向かって突進してきた。


「俺と火遊びでもするか、カラ公め!!」


 俺は怒号し、火炎放射器から炎を放つ。無防備に向かってきたカラスの先陣は炎に包まれて、ギャアアアと悲鳴を上げながらあらぬ方向へと飛んでゆく。燃えているカラスたちは、ある一羽は商店の窓から中に飛び込み、ある一羽は金沢城下の林の中へと落ちてゆく。


 たちまち、各所から火の手が上がった。


「しまった――くそ、俺は、なんてことを」


 アメリカから見た神風特攻隊よりもタチが悪い。玉砕覚悟で突っ込んでくるだけでなく、燃やされてなお、一矢報いる。このカラスたちの狂信者じみた行動は、異常だ。


 これもまた、ネヴァンの歌で操られているせいなのか?


 あの女の歌声は、人間だけでなく、カラスまでも自由自在に操るのか。


 銃声が響く。


 俺の太ももに鈍痛が走る。銃弾がめり込んでいる。幸い、脚の部分はまだ防弾機能が生きている。それに、撃ってきたイザベラは、軽量級のワルサーP99を使ってきていた。高威力のデザートイーグルは、最後の一撃まで大事に取っておくつもりなのだろう。


 ならば、チャンスだ。


「おおおおお!」


 俺は虚を突いて、イザベラの脇を駆け抜ける。ワルサーP99が火を噴く。何発か耐火服に当たったが、実際の肉体には傷ひとつついていない。デザートイーグルを使われない限り、いくら撃たれても安心だ。


 俺は、ネヴァンの前に立った。


 ネヴァンはハッとなり、歌うのを中断した。油断していたようだ。だけど、いまさら気が付いても遅い。


「さあ――大人しく焼かれろ!」


 俺は火炎放射器の引き金を引いた。


 が、ネヴァンはいきなり持っていた傘を傾けると、自分の体を傘の裏側に隠して、俺の炎を遮るように身構えてきた。驚いた事に、ネヴァンの傘は、俺の炎に燃やされない。傘の曲面に当たった炎は、流れを変えて、ネヴァンの周囲へと拡散していく。


 炎を傘で防ぎながら、ネヴァンは得意そうに、俺に話しかけてきた。


「これは我々三女神による無償の愛――貴方がたに素晴らしき血塗れの戦いを捧げるという、愛情の証。血とともに生きている貴方には、圧倒的な力の差があることをその身に思い知らせながら、鮮血の断末魔を与えましょう。さあ、燃やせると思うのなら、もっと炎をお出しなさい」


 燃やせない。


 信じられないことに、ネヴァンの傘は、どれだけ炎を当てても溶ける気配すらない。


(そんな、馬鹿、な)


 これまでの敵は、全部常識の範囲内で終わる奴らだった。しかし、今度の敵は、人間を遥かに超越した力を持っている。俺たちには勝ち目がないほど、神に近い能力。


 本物の戦女神たち――を相手に、どうやって勝てと⁉


 愕然とした俺は、静かに、火炎放射器の噴射をやめた。


 傘の奥から、隠れていたネヴァンが顔を出し、「くすっ」と微笑んだ。悪戯っぽい目つきで、こちらを見つめてくる。


「終曲、ですわ」


 上空を飛んでいたカラスたちが、俺目がけて、総力挙げての波状攻撃を仕掛けてきた。

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