第111話 バインドボイス
カラスの糞が、歩道に落ちた。
俺は頭上の樹上に集まっているカラスたちの、ギャアギャアカアカアとやかましい鳴き声を聞きながら、夜七時の暗い中、やけに元気な連中だな、と首を傾げた。
兼六園と金沢城の近辺は、カラスが多い。だけど、普段は早朝にしか騒がないはずだ。
「いやだわ、服にかかってないかしら」
イザベラは自分のスーツに目をやり、顔をしかめた。
俺たちはカラスの糞被害に遭わないよう、大木のそばから離れて、兼六園下の交差点まで避難した。
「だけど、本当にいいのか、イザベラ」
「何が?」
「元々SKAの幹部だったお前が、俺に協力しても」
イザベラは、今日の夜になって、突然俺に協力を申し出てきた。理由は、『あなた一人を送り出すのは心配だから』というものだった。
「別に、構わないわ、私は」
「俺は一人でもよかった。むしろ、仲間がいると、戦いづらい」
「あら。人の好意を無碍にするつもり?」
「そういうわけじゃ――」
俺はイザベラのほうを向いて、続けて何かを言おうとしたが、言葉が出てこなくなった。
イザベラが強い意志を持った視線で、俺のことを見つめていたからだ。
「私は、あなたをもっと見てみたいの」
「俺の何に、そんなに興味引かれているんだ?」
「人の心――かしら」
「人の心?」
「殺人鬼でありながら、あなたは何か大切なものを失わずにいる。もちろん、人殺しという罪は背負っているけど……でも、あなたは、人として、興味深い」
「買い被りだ」
「いいえ。私はあなたを生かしたい。あなたには生き延びてほしい。そして――私に、人間の新たな可能性を見せてほしいの」
「その前にお前も生き残らないといけないけどな」
そこで一度、俺もイザベラも口を閉ざした。
交差点に静寂が訪れた。
そばの林は鬱蒼と茂っており、薄暗い。車道の反対側にある兼六園も同様だ。曇り夜空のもと、金沢城と兼六園を結ぶ石橋のシルエットが、夜闇のなか浮かび上がっていた。
向こう側の、兼六園へと通じる坂道には、土産物屋や料理屋が並んでいる。どこもこの時間は閉まっている。夜道を急ぐ住民が、早歩きで歩いていくのが見える。幸い、俺たちのいる金沢城側には、誰も歩いてこない。きっと、俺たちの姿格好を見たら、悲鳴を上げて逃げていくことだろう。
「さて――時間ね。敵はどう出てくるかしら」
すでに二人とも準備は整え、いつでも開戦可能になっている。俺は耐火服を着て、フルに可燃剤を積み込んだタンクを背中にしょい、火炎放射器を両手で抱えている。イザベラはブランド物の黒スーツを着ているが、腰にはガンホルダーを装着しており、左右に二挺の拳銃を携帯している。
油断はしていない。
「バインドボイス……名前から判断すると、声が武器となるのだろうか」
「私もよく知らないわ。ただ、常識を超えた能力であることは間違いない。人間を相手に戦うのと同じ感覚で挑むと、痛い目に遭うわ。注意して」
「まともな人間と戦えるなんて思っていない。とっくの昔に、諦めているさ」
ガスマスクのゴーグル横にあるスイッチを押す。暗視機能が作動し、視界が緑色に染まる。暗いところも僅かな光をキャッチして、明るく映し出す。とはいえ、ここら辺は街灯もあるので、当分は必要ない。もう一度スイッチを押して、暗視機能を停止させた。
「まだ、来ないな」
「焦らす気かしら」
「あるいはもう戦いは始まっているのかもしれない」
俺は火炎放射器を構える。
イザベラも腰のベルトから、二挺拳銃を抜いた。
「ねえ、玲。ひとつ聞きたいことがあるの」
「手短にしろ。しゃべっている隙に襲撃を受けたら、終わりだ」
「あなたは、死ぬのが怖くないの?」
俺は顔をイザベラに向ける。イザベラは、横目で俺を見やりながら、フッと微笑んだ。
「普通、人間は死ぬことを恐れるわ。だから戦いを避けようとする。だから殺人を罪とする。それなのに、あなたは戦いを恐れず、自分の死も恐れていないように見える。どうしてかしら?」
「……恐れる理由がないからだ」
「あら、嘘ばっかり。本当は怖いんでしょう?」
「死を特別視するのは勝手だが、俺までそのネガティブ思考に巻き込まないでほしいな。『人間は死んだらどうせ……』なんて考え方は大っ嫌いなんだ。少なくとも、『我思う、故に我あり』、考えているうちは生きているんだ。生きているうちは考えられるんだ。考えるために生きる、生きるために戦う。簡単な方程式だ。そして、ここにもうひとつ――大切な者を守るために戦う、が加わる。そうなると、死について考える余裕などない」
俺は早口で一気に自分の考えをぶつけると、イザベラを睨みつけた。
「戦う前に、くだらない質問をするな」
「ごめんなさい」
「大体、そう言うお前自身はどうなんだ、イザベラ」
「私は――」
天を仰ぎ、目を細めるイザベラ。
「私は、ただ、哀しいだけよ」
「何が哀しい」
「人間の矛盾に」
「矛盾とは?」
「殺人鬼のあなたが、風間ユキを助けようとしている。そして、その行為が風間ユキだけでなく、日本をも救うことになるかもしれない。仮にあなたが逮捕されて、処刑されていたなら、もしかしたら誰も彼女を助けられなかったかもしれない。そうなると、風間清澄の計画は成就し、この国は壊滅的打撃を受けたかもしれない」
「推論だ」
「そうね。でも、あなた一人が生きていることで、誰かが救われる。トータルで見れば、あなたが殺した人間の数を引いたとしても、大勢の人の命が助かる――かもしれない」
「だから、憶測でものを話すのは、やめろ」
「私が言いたいのは、ね。“マッドバーナー”」
交差点の向こう、歩道をヒタヒタと、何者かが歩いてくる。イザベラは、その方向に向かって二挺拳銃を構えた。
「罪を裁くのは人――では、その裁きの根源にあるのは、何? ってことよ」
「法による抑制は、過ちの再発を防ぐことが出来る」
「よく言うわ。人類の歴史を見て。誰が殺人をやめた? 誰が戦争をやめた? レイプもドラッグも、窃盗も破壊も、次から次へと咎人が罰を受けていったにもかかわらず、誰もやめようとしない。なぜかしら? それはね、人間は根本的に勘違いをしているのよ」
交差点の向こうにいる人物は、ゆっくりと、道路を横断してくる。イザベラは、引き金に指をかけた。
「罰とは、自己満足に過ぎない。人が人を裁く基準にあるのは、マジョリティによる共通認識に基づくものでしかない。そこではマイノリティは常に除外されている。例えば、シリアル・キラー・アライアンスに所属しているような殺人鬼たち。人は人を殺してはならない、という原則は、しかしそれを是とした人間の個人的な哲学に基づくものであり、たまたまその考え方が大多数の人間の支持を受けただけ。これが、もしも、『汝、隣人を殺しても良し』なんて考え方のほうが、大勢に支持されたら、どうなっていたと思う?」
「そんな世界はありえない」
「私だって、そう願いたいわ。でもね――それがありうるのが、人間という生き物なの。この戦いを終わらせるには、あるいは、その根本的なところを見直す必要があるかもしれない」
「何が言いたい」
「全てを許す――ということよ」
「俺も、シリアル・キラー・アライアンスの殺人鬼どもも、風間清澄も、全部をか?」
「……話はここまで。続きは、あいつとの戦いの後よ」
イザベラにうながされ、俺も火炎放射器の噴射口を、敵のほうへと向けた。
「ごきげんよう」
大きな傘を差した西洋風の貴婦人が、にこやかに挨拶をしてきた。胸元の開いた白いドレスを着て、まるで場違いな外観。それが逆に、彼女こそ俺たちが戦うべき敵であることを示している。
「まずは自己紹介を致しませんか?」
傘を折り畳んで、貴婦人はふわっと微笑む。よく見れば、外見年齢はかなり若い。二十代前半に見える。令嬢と呼ぶほうがふさわしいかもしれない。まるで中世の絵画から抜け出てきたかのような、美貌の貴族令嬢。
「わたくしはネヴァン・ミリヤード。またの名をバインドボイス。あなた方は?」
「俺はマッドバーナー」
「私は、イザベラ・フェゴール」
「まあ――話で聞くよりも、ずっとお強そうな方々ですわ。大丈夫かしら、私が相手で」
ネヴァンは両手を頬に当て、ふぅ、と溜め息をつく。
「てっきりモリガンお姉さまの所へ行かれるものとばかり思っていたのですけど……まさか、私の相手になるなんて、思いもしませんでしたわ」
「怖気づいたのかしら?」
イザベラは、拳銃を構えたまま、一歩前に出た。
「そうですね」
ネヴァンは頷く。
「とても恐ろしいですわ――私ごときが、あなたたちを殺してしまっても、いいのかしら――」
スッ、と息を吸う。
イザベラが怪訝な表情を見せた、その瞬間。
音が、弾けた。
ネヴァンの口から、大音量の歌声が流れ出てくる。耳栓をしても果たして防ぎきれるのか、わからないくらいの音の大きさ。高周波を伴い、俺たちの耳を破壊しそうになる。一流のオペラ歌手は高音域の歌声だけでガラスを割るというが、この歌声は、そんな生易しいものじゃない。
両腕を広げ、目をつむりながら、ネヴァンは自分の歌声に酔い痴れている。
隙だらけだ。
やはり、バインドボイスの名前の通り、歌声が武器となっている。この鼓膜を破りそうなほどの高音域は、なるほど確かに立派な武器だ。しかし、これぐらいでは俺達を倒すまでには至らない。
Sランクなのに、この程度なのか?
「イザベラ! 撃て!」
俺は指示を下す。
イザベラは、こちらを向いてきた。
「イザベ――ラ⁉」
銃口は、俺の顔を狙っている。
ドン、と発砲音。
火炎放射器を縦に構えて、顔面正中線を守っていた俺は、かろうじて銃による一撃を防ぐことができた。
が、そんな些細なファインプレーはどうでもよかった。
なぜ、イザベラは急に裏切ってきたのか?
「私が操っているのですよ」
歌を中断したネヴァンは、俺の困惑の表情を見たせいか、満足げに笑みを浮かべた。
「だから、私のもうひとつの名は――バインドボイスなのです」
俺は、自分の耳を疑った。
歌声で人間を操る? そんなこと出来るのか? 出来るわけがない。そんな魔法のようなことが出来たら、そいつは人間じゃない。
いや。
だからこそ、Sランクなのか⁉
「さあ、歌を続けましょうか!」
ネヴァンは腰を落として、甲高い声で歌を披露する。
途端に、大木の上にいたカラスたちが、一斉にギャアギャアと騒ぎを大きくし始めた。
その間も、ネヴァンは一心不乱に歌を続けていた。
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