第110話 音速の女神

 八田が遅れてやって来る、五分前。


 いまだ現れぬ敵、殺人鬼マッハリッパーの出現を警戒しながら、倉瀬と上杉は東口もてなしドームの下で、待機していた。


「ここなら、遮蔽物も点在しており、駅構内のような狭さもない。戦うにはちょうどいい」

「私もそう思います」


 主戦場を東口とする倉瀬の提案に、平蔵も賛同した。


 時間になっても現れない敵に、倉瀬は業を煮やしていた。同時に、(最終的には来なければいいんだが)と消極的な希望を抱いたりもした。


 だが、これまでの経験から、敵は必ず来る、と信じて疑わなかった。健在な左腕で、無くなってしまった右腕の上腕部を撫でながら、倉瀬は周囲を見回していた。


「倉瀬さん、戦いの前に、ひとつ伺いたいことが」

「ああ、なんだ?」

「娘の――小夜のことですが、あなたはどうして娘が同性愛者であることを知ったのですか」

「本人の、自己申告だった。マッドバーナーに対する復讐心がどれだけ深いものか、語るために。それが?」

「いや、そうですか……娘から、直接教えてもらえたのですか……」


 平蔵は、禿げた頭をペロンと撫でて、自嘲気味に笑った。


「はは……父親であり、警察でもありながら、この体たらく……娘が死ぬまで、島谷エリカとの交際については知らなかった。それどころか、娘が同性愛者だったことも知らなかった」

「父親であるからこそ、本当のことは隠しておきたかったのだろう、か……」

「私の仕事は、アマツイクサというものは、否定することです。現代の日本の姿を肯定し、旧いものは否定する。否定こそが全て。だから、娘はそんな私の姿を見ているから、真実を言い出せなかったのかもしれない。自分は、同性愛者である、と」

「……それは、見方が、短絡的では」

「いえ、聞いてください。仮に、そのようなことは関係なかったとしても、です。私は娘の苦しみを和らげることができなかった。相談に乗ってやることができなかった。アマツイクサの指揮官たる私が、日本を守る以前に、娘を守ってやることができなかった。私は――正直、自分の仕事に、アマツイクサという極右集団に、疑問を抱いております。なぜなら、すでに申し上げたように、アマツイクサは否定することが全て。否定する対象の意見を聞き入れることなどない。だけど――」

「……」

「娘もまた、同じ苦しみを味わっていた。女しか愛せない娘は、人々から理解を得られず――表面上は迎合する人間もいたでしょう。しかし、内面では嫌悪感を持つか、あるいはレズビアンという言葉に性的興奮を感じるもの、どちらかだったことでしょう。そして、娘は人の心を読める。そんな娘の、孤独感。それを和らげてやれたのは、私だけだった――それなのに、私は、娘を理解していなかった。だから、娘を守りきれなかった」


 平蔵は天を仰ぎ、口の端を歪めた。


「だから、私は――」


 突風が吹き抜ける。


 平蔵の首が、吹き飛んだ。


 もてなしドームより外に飛び出て、地面に落ちた生首は、しばらく転がったのち、止まった。血が溢れ出して、池となる。

  

 倉瀬は、呆然として突っ立っていた。


 横には首無し死体となった平蔵の体が、ビクンビクンと震えた後、ドシャッと地面に倒れた。


 あっという間の出来事だった。


「おしゃべりしてるからさ」


 生首のそばに、女が立っている。流暢な日本語の女は、しかし外見は西洋人。スレンダーで均整の取れた肢体を、ピッチリとしたバトルスーツで包んでいる。肩や、肘や膝にプロテクターをつけている。足には、ローラースケート。


「忠告しておくけど、あたしは容赦しないぜ――殺す時は、とっととぶっ殺す。それが、あたしの戦い方」


 片手には日本刀。その切っ先を、倉瀬に向けてくる。


 ショートヘアの怜悧な容姿。言葉通り、情けなど微塵もかけてくれなさそうな鋭さを感じさせる。


 この女が――


 Sランクのミリヤード三姉妹の三女、マッハ・ミリヤードこと、マッハリッパー。


「よくも!」


 平蔵を殺されたことで激昂した倉瀬は、マッハに立ち向かっていこうとする。


 だが、不敵に笑みを浮かべるマッハの表情を見た瞬間、得体の知れない恐怖を感じた。


 倉瀬は咄嗟に、左へと退避する。


 次の瞬間、マッハの姿は完全に掻き消えた。ローラースケートがガリガリと床にこすれる音が耳をつんざく。突風が、さっきまで倉瀬の立っていたあたりを通過し、その延長線上にあるベンチが、真っ二つに切り裂かれた。


 見えない。見えないくらい、スピードがある。


「ははは、爺さん、合格だ! マッハで動くあたしの攻撃を、よくかわせたな!」


 減速して姿を見せたマッハは、後ろを振り返りながら、愉快そうに笑った。


 マッハ?


「マッハ⁉ お前は、まさか、本当に音速で動いているのか⁉」

「そうさ。だからSランクなんだよ。これまで爺さんたちが戦ってきた、人間に毛の生えた程度の連中とはわけが違う。あたしらミリヤード三姉妹は、正真正銘――人間を超越した力を持つ、戦いの女神なんだよ!」


 また姿が見えなくなる。


 倉瀬は後方へ高く跳躍してから、正面に向かって蹴りを放つ。まっすぐ突進してきたマッハは、顔面に蹴りを喰らい、「ぐっ⁉」と呻きながら、勢いあまって空中で一回転した。


 無事着地したマッハは、人間ごときの攻撃を喰らったのが信じられないのか、ブルブルと首を振って、気を取り直そうとしている。


 その間に、倉瀬は柱の陰へと隠れた。


「おっと、隠れるか。じゃあ、あたしも、隠れてやるよ。さあ、どこから、いつ襲ってくるか、あんたに見極められるかな――?」


 マッハは跳んだ。


 そして、どこかへ姿を隠してしまった。


(まずい)


 倉瀬が少しばかり焦ったとき。


 八田の自分を呼ぶ声が、駅から聞こえてきた。


 そして――


               ※ ※ ※


 八田は、人質になっている。


 両足を切断された八田は、出血多量のため息も絶え絶えになっており、指一本動かすのもしんどそうだ。


 早く助けなければ、八田が死んでしまう。


 倉瀬は、柱の陰から出た。


 たとえ敵の挑発だとわかっていても、八田を見殺しにしてはいられない。要は、負けなければいいだけの話である。


「なめるなよ、人間を。怒り狂った武術家の力は、時に鬼神にも匹敵する――覚悟しろ! 人殺しめ!」


 倉瀬の咆哮が、夜の金沢駅に響き渡った。

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