第109話 虫けらの末路
決戦の日が来た。
ついに参戦を表明し、風間ユキを守る守護者たちに挑戦状を叩きつけてきたSランクの殺人鬼三姉妹。それを支援し、また風間清澄の目論見にあえて乗ろうとするシリアル・キラー・アライアンス。この戦いで母を復活させ、シリアル・キラー・アライアンスを滅ぼそうとする風間清澄。
三者三様の敵を迎えたマッドバーナーこと遠野玲たち。
夜、それぞれ所定の位置へと向かう。
この戦いさえ乗り切れば、マンハントの期限は間近。風間ユキは殺されずに済む。
ある者は一人の少女を守るため、ある者は尊厳を守るため。
それぞれの思惑を抱えた戦士たちは、命を捨てる覚悟で戦いに臨む。
金沢駅構内のコンビニのおにぎりコーナーで、倉瀬たちは軽く腹ごしらえをしていた。倉瀬は昆布、八田は明太子、上杉平蔵は鮭のおにぎりを注文し、味噌汁もついでに頼んで、カウンターで食していた。
誰も口を聞かない。
八田は心臓の音を耳の奥に感じ、そのせいでさらに緊張が高まった。
(怖い……)
やめればよかったかと思う。戦いなんて、自分には向いていない。なんとなく、あの時は勇気が湧いただけで、本当は命懸けの戦いになんて加わりたくなかった。
※ ※ ※
大学時代、八田はお笑い芸人を目指していた。
テレビ局主催のグランプリに出場するため、相方とギリギリまでネタの練習をしていた。完璧な出来だと思っていた。グランプリ予選の前日までは。
予選前日、八田は怖くなってきた。自分たちのネタは本当に面白いのか。出場したら赤っ恥をかくんじゃないのか。
そして、当日、八田は逃げた。
相方に何も言わず、ボイコットした。
以来、八田は相方と音信不通になっている。もともと学部が違うので、顔を合わせる機会もなく、会わずに済んでいた。だから、八田はそのことを記憶の片隅に追いやり、思い出さないようにしていた。
警察を目指すようになってからは、完全に忘れた――つもりだった。
それが、なぜか、八田は思い出した。最終決戦直前になって。
(また逃げ出すのかよ、俺)
自分は非力だから、と言い聞かせて、これまでずっと戦闘に加わってこなかった。本当は、命を懸けて戦うのが怖かったから、逃げていただけだった。その中途半端な姿勢も、もう許されないところまで来ている。
シリアル・キラー・アライアンスの一件は、風間清澄の凶器じみた暴走によって、日本全土を揺るがす大事件へと発展してしまった。もしもこのまま進行してしまえば、八田の知る人々にまで被害は拡大していくかもしれない。
そんな危機を目の前にして、自分だけ助かろうと逃げることは、果たして人として許されることだろうか?
いや。
(男としては許せない)
だから、八田は参戦を決意した。
もう一度、男になるため。家族の未来を自らの手で守るため。恐怖に震えながらも、八田は戦うことを決めたのだ。
「お前さんは戦わなくていいんだがな」
困ったような顔で、倉瀬は土壇場での八田の申し出に、なかなかOKサインを出さなかった。だが、八田に何度も頭を下げられ、ようやく首を縦に振った。
「ただし、自分の命は自分で守れ。敵の強さは並大抵のものではないだろう。一人でも足手まといがいれば、全員の命が危うくなる。逃げる時は逃げろ、死ぬ時は潔く死ね。それくらいの覚悟を決めて戦うんだ。いいな?」
片腕を失った倉瀬は、八田に対して、これまでにない厳しい言葉をぶつけてきた。その余裕のなさが、シリアル・キラー・アライアンスの底知れぬ恐ろしさを如実に物語っている。
「が、頑張ります」
八田はブルブルと震える唇で、なんとか宣誓の言葉を絞り出した。
それから、すぐに後悔の念が押し寄せてきた。
※ ※ ※
19:00になった。
「とうとう、時間か……」
まだ敵の来ていない今のうちなら、逃げられるんじゃないか――と八田は思っていた。
戦いの場は、金沢駅、と指定されているものの、具体的な場所はわからない。駅構内か、東口か、西口なのか、八田の地元である名古屋駅と比べたらそう広い所でもないが、細かな場所が決まっていない以上、すぐにはお互いの姿を確認することはできない。
この隙に逃げようか、と八田は幾度もここから離れようとした。きっと倉瀬刑事なら許してくれるだろう、と計算していた。
それでも、優柔不断な彼は、心を決めることができなかった。
戦って死ぬのも怖い。逃げて後悔するのも怖い。
「顔が青いぞ。大丈夫か」
倉瀬が優しい声をかけてくる。
八田は弱々しい笑顔を向けた。大丈夫、と強がりを見せたかったが、どうにも吐き気が収まらない。
「トイレ、に」
かろうじて、それだけ言う。倉瀬はうなずき、八田を送り出した。「東口に行ってるぞ」背中から言葉をかけられる。八田は泣きたい気分だった。なんで、それを教えてくれるんだ。どこにいるか知ってしまったら、自分は戦場となるであろうそこへ行く勇気がなくなってしまうじゃないか。
個室に駆け込んだ八田は、盛大に胃の内容物を便器の中にぶちまけた。
トイレの個室で頭を抱え、八田はうずくまっている。
死んだら、どうなる? どこへ行ってしまう? 映画やマンガでヒーローのように戦っている主人公たち。死をも恐れない猛者。彼らは平気で自分の命を懸けられるが、死に対する恐怖は感じないのだろうか?
そして、八田は愕然とする。
彼らは、創作の世界の人間たち。お伽話の住人。作者による寵愛を受けているから、どれだけ深手を負っても死ぬことはない。絶対に死なない戦士たち。だからこそ、命懸けの戦いに挑めるのだ。
だけど、実際の人間はどうだ。
自分みたいな普通の人間は、いざ殺し合いの戦場へと放り出されたら、人を殺せるのだろうか。
こうしている間にも、どこかの国では内戦が行われ、虫けらのように人々は死んでいるだろう。戦争映画なんかでも、ガトリングガンの掃射を喰らった兵士たちは面白いようにバタバタと倒れていく。だけど、一人一人の脳裏には、何がよぎっているのか。あっという間に死んでしまうのは、どんな感じなのだろうか。何も考えられなくなるから、怖くないのか。何も考えられなくなるとはどういうことだ。死ぬとは、どういうことだ。
怖い。
死んでしまうのは怖い。
戦場へ赴くのは怖い。
戦いたくない。やっぱり戦いたくない。
悲鳴が聞こえた。
駅構内を逃げ惑う人々の声が聞こえる。
「……うう、ううう、ううううう!」
唇を噛んで、八田は大声で泣きそうなのをこらえる。
一年間も一緒に戦ってきた倉瀬刑事。自分の親父くらいの年齢の倉瀬刑事は、とても怖い人だったが、人間的温かみのある人であり、また破格の強さを誇り、見ているだけで安心した気分になれる人だった。
これからも親しくしていきたいと思う人だった。
その人が、死闘で命を落とすかもしれない。
(戦えるのか、俺に――?)
八田は自問自答する。
足手まといになるのは必定。でも、それでも、ここに隠れたまま倉瀬刑事をみすみす死なせてしまうのだけは、耐えられない。
俺だって、男なんだ――八田は、歯を食いしばって、立ち上がる。
また吐き気がこみ上げてきて、便器に吐瀉物を吐き出したが、口を拭うと、すぐに個室から出て駆け出した。
駅構内、人々は東口から西口に向かって逃げていく。
やはり、戦場は東口になったのか。
「倉瀬さん――倉瀬さん!」
さっきまで生きて動いていた人間が、知らないうちに死んでしまう。別れの言葉を言う暇もなく、無残に殺されてしまう。そんなのは、いやだ。
「倉瀬さん!」
東口に飛び出した八田は、東口正面の巨大な総ガラス製ドーム「もてなしドーム」の下を駆け抜け、人気のなくなった左側のバスターミナルと右側のタクシー乗り場を、交互に見比べる。どこにも、倉瀬たちの姿はない。
もてなしドームの下から出て、駅前突端の噴水まで向かおうとする。噴水の中に設置されている電光掲示板が、19:10を示している。
そのとき、噴水までの間に、黒い塊が転がっていることに気が付いた。
黒い塊の下から、赤い水が滲み出ている。血溜りだ。黒い塊が、人間の頭部であると知り、八田は「ひっ」と息を呑んだ。
(まさか、もう、一人殺されて――)
パニックになった八田の耳に、「危ない、伏せろ!」と声が聞こえてきた。
八田は反射的にしゃがんだ。間一髪で、頭の上を何かが通過した。周りの照明で輝くそれが、刃であることは、八田の決していいほうではない動体視力でもすぐにわかった。
敵は、八田の正面へ猛スピードで駆け抜けてゆくと、噴水のあたりで急転回し、向き直った。
そして、またこちらへ突進してくる。
「逃げろ、八田! 勝ち目は――」
そんなことはわかっていた。
倉瀬刑事の片腕を落とすような化け物が、ランクC。それに対して、自分がいま相対しているのは、ランクS。
殺されることは、当然の結果だった。
判断を誤った。トイレにずっと隠れているべきだった。非力な小市民が、悪に対して一矢報いるなんていうのは、作り話の世界だけの話。現実は非常で、自分のような人間は虫けらのように死んでゆく。戦争映画でバタバタと命を落とす兵士のように。それが、普通の話。
どれだけ素敵な人生を送っていようと、優れた人格者であろうと、こめかみに銃口を突きつけられて引き金を引かれれば、等しく無へと帰す。死んだら、それで終わり。殺される、ということは、どんな状況であれ、犬死には変わらない。
八田は、目をつむった。
もう駄目だ――
が、それは八田にとって幸か不幸か。
敵は、すれ違いざまに、八田の脚を斬った。
両脚が、膝から分断される。焼けるような激痛が走り、膝から下の感覚がなくなる。大量の血が、地面にぶちまけられた。
「ああ、ああああ、あああああああ!!」
泣き叫ぶ八田。
脳味噌に指を突っ込まれて掻き回されるような痛みに、八田は太ももを手でガリガリと掻き毟りながら、ゴロゴロとのた打ち回る。
その体を、何者かが背後から抱えて、押さえつけた。
喉笛に、刃が押し当てられる。
八田は、自分が犯したミスの重さを、さらに痛感した。
自分だけ死ぬのであれば、問題はなかった。
だけど、この戦いにおいて一番やってはならないこと。人質になること――すなわち、足手まといになること。
のこのこと戦場に足を踏み入れて、自分は、倉瀬にとっての足手まといとなってしまった。
八田は、号泣した。自分の愚かさに。役立たずなまま死ぬしかない、クソみたいな自分の末路に。
救いようのない、この絶望的な戦いに。
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