第108話 清澄、動き出す

 ―2009年12月4日―

  三元教 秋田道場


 清澄は薄暗がりの中、板敷きの部屋で瞑想を続けている。


 本格的にテロ活動を始めてから、早くも二ヶ月が経とうとしていた。


 日本中の主要都市で、次々と発生する自爆テロを前に、警察も自衛隊も面白いように翻弄されている。


 全てのマニュアルは、凡庸な悪意を想定して作られている。まさか、日本人そのものに対する憎悪から破壊活動を繰り広げるテロリストなどいないだろう、という考えのもと、緊急時の運用は練られているものだ。それは間違いではない。


 ただ誤算は、風間清澄のような男が表舞台に姿を現したことである。

 

 瞑想を続けている清澄の脳裏に、不意にあの時の光景が甦ってきた。


――助けて! 誰か、“かあさま”を助けて!


 必死で、周りに助けを求める。縛られた家族を見捨てて、人質になっていた近所の人々はコソコソと逃げていく。誰もが、自分の命が可愛かった。自分が殺されるくらいなら、風間の一家を犠牲にしようと、考えているようだった。


――お願い! お願いだよ! “かあさま”を助けてよお!


 誰も、ルクスに襲いかかろうとしない。奴の手に握られている拳銃を恐れている。隙を突けば倒せるのかもしれないのに、もしも撃たれたら、と尻込みしている。


 部屋の中の人々が、どんどん少なくなっていった。


――いやだ、いやあだああ!! 助けてえええ!!


 泣き喚く清澄。だが、誰もその訴えに耳を貸そうとしない。


 それどころか、近所のサラリーマンの男が部屋を出るとき、仕事帰りでくたびれたスーツを直しながら、清澄に怒鳴ってきた。


――うるさい! お前たちが怪しい宗教やってるから、こんなことになるんだろうが! 自業自得だ!


 怪しい宗教。


 “かあさま”の教えは、ただひとつ、「清く正しく生きましょう」である。それ以上のことを信者に求めないし、神を崇めるのも、「清く正しい」生活をより確かなものにするため、人間を凌駕する“天意”があることを認識するために行っていることであり、決して妖しげな偶像崇拝ではない。


 自分たちは、常に正しい行いをしてきた。周りがそれを理解せず、最初から受け入れることを拒否していただけだ。受け入れる、ということは多大なエネルギーを消費する。ただ単に面倒だから、彼らは自分たちを理解しようとしない。それだけの話。


――それに、俺は知っているんだ! いや、みんな知っているぞ! お前の母親が、何をしていたか! 汚らわしい連中め――お前らなんて、ただのケダモノだ!

――か、“かあさま”は

――言い訳なんて聞きたくない! いいか、お前の母親は、自分の

――違うよ! “かあさま”は、“かあさま”は……


 結局、誰も清澄の言葉を聞いてくれなかった。


 そして、迫り来る死の恐怖。


 家族は次々と切り刻まれ、ガソリンを頭から被せられ、火をつけられた。家中にも火をつけられ、最後は“かあさま”の体に向けて、ルクスは火のついたマッチを放り投げた。


――わあああああああああああ、“かあさま”ぁぁぁぁぁぁぁあぁあ


「清澄様?」


 いつの間にか部屋の中に入ってきたファティマが、清澄の後ろで正座をしている。


「綾子か」


 清澄は、ファティマの本名を呼んだ。ファティマこと深川綾子は、不愉快そうな顔で、唇を尖らせる。


「もう。奥様が聞いているかもしれないから、道場ではその名は呼ばないとおっしゃったではないですか」

「大丈夫だ。マドカは、とっくの昔にここを出て行ったよ」

「やはり、ユキの覚醒には反対でしたか」

「あいつも素質はあっただけに、惜しいことをしたものだ……だが、これから先、中途半端な覚悟の人間はいらない。足手まといになるだけだ」

「清澄様」


 ファティマは清澄の背後から、腕を回して、そっと抱きついてきた。清澄は首を回し、ファティマの唇を吸う。しばし、お互いの唇を貪りながら、清澄とファティマは舌を絡め続けた。


 ぷぁ、とファティマは唇を離す。


「私は、いつまでも清澄様のために戦い続けます」

「ああ……ありがとう」


 虚ろな目で、清澄は返事をする。


 実のところ、ファティマが一緒にいてくれても、全然嬉しくない。所詮はただの遊びに過ぎなかった。ファティマの完成された肉体は、何度抱いても飽きないものだ。それだけのことだった。


 しかし、マドカは違う。


 マドカは、幼い頃よりずっと一緒に暮らしてきた。お互いの良い面も悪い面も知り尽くしている。九歳で家族を失った清澄は、名古屋にいるマドカのことを知り、彼女を養っている一家のもとへと助けを求めにいった。警察が全て手配してくれたので、移動に困ることはなかった。それでも、心労からボロボロになっていた清澄は、マドカの家に辿り着いた瞬間、気を失ってしまった。


 目を覚ますと、そこに当時六歳のマドカがいた。


――龍を見たことある?


 六歳にしては大人びた口調で、マドカは清澄に尋ねてきた。


 清澄は頷いた。ただ、それは嘘だった。


 昔、近所の公園で開かれた、「星を見る会」で、母が夜空を指差しながら、「ほら、龍が飛んでいるわ」と教えてくれた。清澄は母が見ているものと同じものを見たくて、空に向かって目を凝らしながら、「どこ? どこ?」と無邪気に尋ねた。母はにこやかに微笑んで、「あそこ。オリオン座を縫うように飛んでいるでしょう」と教えてくれた。母と同じものが見えない――そのことに悲しくなった清澄は、「うん、飛んでる」と嘘をついた。母には見られないよう、涙をこぼした。周りの同い年くらいの子どもたちが、気味悪そうに清澄と母のやり取りを眺めていた。


 母は、本当に龍が見えていたのだろうか。子どもの自分に夢を与えるため、嘘をついていたのだろうか。


 ともあれ、清澄に龍のことを聞いたマドカは、清澄も同じ経験をしていると知って、大喜びした。はしゃぎ回るマドカを見ながら、(この子は、“かあさま”と同じなのだろうか)と清澄は興味を抱いた。その感情が、次第に恋に変わり、大学を卒業する頃には愛に変わっていた。


 大学卒業後すぐ、清澄はマドカに結婚を申し入れた。


 マドカは、従妹だ。血縁関係ではあるが、法的には結ばれることが出来る。マドカは最初戸惑っていたが、やがて承諾してくれた。


 この頃、清澄は“能力”をある程度は使いこなせるようになっていた。工事現場近くで、鉄骨の下敷きになって瀕死だった男を、時を巻き戻して助けたこともある。清澄は、自分は奇跡を起こせると信じていた。


 だが、母を復活させることは無理だった。


 マドカの肉体を触媒とする方法も考えたが、愛するマドカを失いたくないのと、“別の理由”から、清澄は早期にその方法を諦めた。


 ユキが生まれるまでは。


 生後六ヶ月の時、テーブルの上から湯飲みが落ちてきた時、ユキは時間を止めて、その危機を回避した。本能的に“能力”を発揮したのだ。この才能には、清澄もマドカも驚いた。特に清澄は、母の再来だと信じるようになり、また、天が母を復活させるために授けてくれた貴重な肉体なのだと考えるようになっていった。


 それに合わせて、マドカの態度も変わっていった。清澄を見る目が冷めてきていた。清澄も気が付いてはいたが、無視していた。マドカ以上に、母のことが大事であった。どんな方法を使っても、母を復活させようと、そう思っていた。


――“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”、“かあさま”……


 天国にいる母に向かって、何度も何度も祈りを捧げた。


 あの優しい笑顔に和まされたかった。あの素晴らしい教えをもう一度聞きたかった。あの柔らかい背中におぶさりたかった。たった九歳で大好きな母親を奪われた清澄は、狂おしいほどに母への愛情を深めていた。それは、妻であるマドカに対する感情よりも、遥かに大きなものであった。


 計画を打ち明けた瞬間、マドカの顔から一切の感情が消えた。その時でも、清澄は何も感じなかった。自分の崇高な目的を理解出来ない、マドカが馬鹿なのだと思った。


 だけど、こうしてマドカがいなくなると、寂しいものがある。


 やはり自分は、母の次に、マドカを愛していたのだな――と清澄は感じた。


「清澄様、あと二十日で決戦の日……ルクスは、来ますか」

「来るさ。私の体に仕掛けられた盗聴器で、私の動向は全て把握しているはずなのに、奴は一度も動こうとしなかった。この私との戦いを心待ちにしている……奴はそういう男だ。そうだろ? ルクス」


 肩甲骨のあたりに埋め込まれている盗聴器に、清澄は声をかけた。もちろん、反応があるはずない。フン、と清澄は笑い、ナイフを取り出すと、肩甲骨付近の肉を抉り取った。


「清澄様⁉」


 慌ててファティマが、血の噴き出る傷口を手で押さえる。清澄は、「邪魔だ、下がれ」とファティマを払いのけ、傷のところに手をかざした。たちまち、血が止まった。


「これで、時間を戻したら、また盗聴器は体の中だ――しばらくこの箇所だけ限定して時を止め、別途治療を行う。心配しなくていい」

「は、あ……」


 ホッとした表情で、ファティマは胸を撫で下ろした。


「さて――行くか」

「どこへ?」


 立ち上がった清澄を目で追いながら、ファティマは尋ねる。


「反撃だよ」


 清澄は、板敷きの部屋の扉を、両手で押し開けた。


『抵抗はやめなさい!』


 メガホンの割れた声が響き渡る。


 道場の外は、警官隊に包囲されていた。外から聞こえてくる騒々しい気配に、清澄は何が起きているか感付いていたので、大して驚かない。


「秋田も駄目か。そろそろ、身を隠せる道場も少なくなってきたな」


 肩をすくめ、清澄は両腕を広げた無防備な体勢で、警官隊の包囲網へとあえて近寄っていく。


 不気味な空気が場を支配する。


 警官隊は、清澄が進むに従って、じりじりと後退した。すでに、他県の道場で起こった惨劇は耳にしているはずだ。何をされるかわからない恐怖心が、警官隊の意識に根付いている。


(勝ったな)


 清澄は、片腕を天高く突き上げた。


 それから十分後。


 黒焦げになった警官の屍が、あちこちに散乱している。途中参戦したファティマに殺された警官は、輪切りの死体と化していた。


「この程度で、私を止められると思うな」


 清澄は嘲笑を浮かべ、外套を羽織ると、秋田道場を後にした。




 そして二十日が経ち。


 ついに、最終決戦の時を迎えた。

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