第106話 女神達の足音
11月になった。
もはやマンハントは事実上中止になったに等しく、殺人鬼たちは一人もユキを襲ってこなくなった。そもそも、トリックスターが暴れたために金沢の警戒が厳しくなっていたところ、今度は10月30日に起きた三元教のテロ事件によって、日本全国が厳戒態勢に入っているのである。殺人鬼が入り込む余地など、ない。
カレー屋サラスパティで、魚カレーに舌鼓を打ちながら、八田は隣に座っている倉瀬に笑いながら話しかけた。
「この調子なら、もう楽勝かもしれないですね」
明るく言う八田に対し、
「そう楽観視してられんぞ」
倉瀬は渋い顔でかぶりを振った。
片腕を失い、9月に転院してからは、リハビリを続けていた倉瀬だったが、日本全体が混乱している現状を見ているうちにいても立ってもいられなくなり、黙って病院を抜け出してきたのである。いまだ包帯の巻かれた片腕が痛々しい。
「最後に何か仕掛けてくるかもしれん。SKAが、我々の常識の通じる相手でないことくらい、お前さんもわかっているだろう? もしも、あの時のチェーンソー男以上の力を持った相手が襲ってきたら……」
倉瀬の額に、脂汗が浮かぶ。あの時の恐怖が思い起こされた。あれは人間を相手にした戦いではなかった。完全にモンスターが相手だった。
「私も、今度こそ終わりかもしれない」
「また……またまた、倉瀬さんらしくもない」
引きつった笑みを浮かべる八田。軽口を叩くことで、ネガティブな雰囲気を払拭しようと努めたが、厨房から出てきたイザベラのひと言で、その試みは無駄なものとなってしまった。
「倉瀬さんの言う通りね。6月に風間清澄がここへ来た時に、『ミリヤード三姉妹が興味を示している』と教えてくれたわ。もしもミリヤード三姉妹が、参戦してくるのであれば――」
「あれば?」
「全滅は確実ね」
八田の顔が、クシャクシャに歪む。そんなこと聞きたくなかった、と言わんばかりの顔だ。
テーブル席に座っていたシャンユエが、読んでいた新聞を脇に置いて、八田に、「案ずるな」と声をかけてきた。
「どうせ、ハッタリだ。同じ人間相手で、どうして負けようか」
「で、でも、倉瀬さんの腕切ったみたいな、無茶苦茶強い奴だったら、どうするんですか」
「情けない。それでも警察か」
ギロリとシャンユエは睨んでくる。
「いいか、SKAだって蓋を開ければ、結局はただの人間だ。ちょっと特殊なことをしているだけで。例のチェーンソー男だって、玲が倒したではないか。倒せない敵等いない。杞憂で時間を潰すくらいなら、もっと建設的な――」
「あながち、杞憂とも言えないっすね」
同じテーブル席に座っている情報屋のアズが、割って入ってきた。珍しくアズに話の腰を折られて、ムッとした表情のシャンユエが、首を傾げる。
「なんでだ?」
「ミリヤード三姉妹って、その筋じゃ有名なんすよ。モリガン、ネヴァン、マッハ。ケルト神話の三女神の名を冠した超美人姉妹で、アイルランドの古城に住みながら、たまに人間をさらっては玩具のように扱って遊んでいるという……それこそ、神がかった強さを持った、化け物みたいな連中らしいっす」
「噂じゃないのか」
「だと、思ってたんすけどね。今日までは。でも、ベラさんの口から、その名前が出るところを見ると……やっぱ、本当なのかな、って」
「馬鹿な」
表向きは信じようとしていないシャンユエだったが、その目には不安が宿っている。
「本当よ。私は会ったことがないけど、確かにSKAに所属している。ランクは三人ともS。恐ろしく強いと評判ね」
「……どんな敵だ」
倉瀬の質問に、イザベラは肩をすくめた。
「わからないわ。Sランクはトップシークレットだもの。ただ、名前から、推測は出来るわ」
「名前?」
「元となっているケルトの女神の名前よ。マッハは、名前の通り足の速い女神。ネヴァンは、その象徴はカラスであり、戦場に狂乱と同士討ちをもたらす。モリガンは、戦いの女神。破壊と勝利をもたらす女王。簡単に言うと、こんなところね」
「他には? 何かないか」
「戦いのヒントになるようなこと? そうね……風間清澄がここを去る時、こんなことを言い残していったわ。『ひとつ助言をしよう。ミリヤード三姉妹は、人間と言うよりも、もはや神に近い。まさにキリスト教の勢力拡大によって僻地へと押しやられた、ヨーロッパ古来の三女神』と。それが、彼女たちと戦う上で、重要になってくるみたいね」
「どういうことだ」
「私にもわからないけど、話の意味は理解出来るわ。ヨーロッパ古来の神々は、キリスト教の伝播に伴い、次々と邪神に仕立て上げられていった。ケルトの神々も、偶像を破壊されるなどして、その伝承の多くが散逸していった。中にはキリスト教の聖女に組み込まれた女神もいたわ。乱暴な言い方をすると、ヨーロッパ古来の神々と、キリスト教の相性は最悪ね」
「あ、はいはい、質問」
八田が、学生のように手を上げる。
「それって、十字架が苦手なドラキュラのようなもんでしょうか」
「……ドラキュラは、ちょっと違うわ。その考えでいくと、正しい理解が出来なくなるから、忘れてちょうだい」
「あ、はい。すみません」
意気消沈した八田は、しおしおと丸くなる。
「文化大革命のようなものか」
続いて、倉瀬が別の喩えを出す。
「うーん……そうね、言いたいことはわかるわ。中国古来の信仰や書物の一斉排除。キリスト教による異教徒の排除と通じるものがあるわね」
「どこもやることは変わらんな。支配した人間は、支配されているものを否定することで、世界を自分の理想通りに変えていこうとする。その理想が、万人に通じるものではないというのに……」
「あなたの言う通りよ、倉瀬さん。人間はそれの繰り返し。世界を変えようとして、既存のシステムを壊すのはいいのだけど、先の時代には必ずまた別の人間が別の理想を掲げて立ち上がる。イタチごっこね。だけど、悲しいことに、人間はそれを繰り返すことで存続している生物とも言えるわ。定期的なシステムの刷新。それが図らずも、人間という種をここまで生き永らえさせてきていると言っても過言ではないと思うの。もしも、人間から争いを取り払ったら――その時から、人間は滅びの道を歩み始めると思うわ」
「そうか」
倉瀬は、イザベラの理論に反対意見を述べようかと思ったが、やめた。言ったところで、イザベラにはわかるまい。
それに、いささか感情論も混じっているから、言うべきでないと倉瀬は思った。
それでも人間はより良い方向を目指して進むべきだ、とは。
「で、話を元に戻すが、何かミリヤード三姉妹の戦いに役立つようなものはあるか?」
「まさか、それこそ吸血鬼じゃないし、十字架が効くとは思えないけど……」
「かえって激昂するかもしれんな」
「言えてるわ」
イザベラは苦笑した。
そのとき、急に店のドアが開いた。玲が店内に飛び込んでくる。
「どうしたの、玲?」
「SKAから通告があった」
「通告?」
イザベラの目が険しくなる。
「まさか、最後の――」
「手紙が俺宛に届いた。読むぞ」
封筒の中から便箋を取り出し、達筆な日本語で書かれた手紙の内容を、玲は読み上げていく。
「『拝啓 遠野玲殿 来る12月24日、マンハント最後の戦いを実施致したく、ここに通知致します。つきましては、当日19:00に以下の場所にお越し頂きたく。場所は全部で三箇所、一箇所につき何人でも連れてきて構いません。但し、これまでの殺人鬼とはレベルが違うことを留意した上で、人選に望んで下さい』」
そして、場所と、それぞれの場所に待機しているであろうSランクの名前が記載されていた。
場所1:兼六園
【会員No】210
【登録名 】エニグマクイーン(謎の女王)
【本 名 】モリガン・ミリヤード
【年 齢 】不詳
【国 籍 】アイルランド
【ラ ン ク】S
場所2:兼六園下交差点付近
【会員No】211
【登録名 】バインドボイス(束縛の歌声)
【本 名 】ネヴァン・ミリヤード
【年 齢 】不詳
【国 籍 】アイルランド
【ラ ン ク】S
場所3:金沢駅
【会員No】212
【登録名 】マッハリッパー(切り裂きマッハ)
【本 名 】マッハ・ミリヤード
【年 齢 】不詳
【国 籍 】アイルランド
【ラ ン ク】S
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