第104話 ミリヤード三姉妹

 ―2009年9月20日―

 アイルランドの奥地、山間部の寒村



 凍えるように色彩の薄い山腹に、朝日を受けて銀色に輝く古城が立っている。


 リリィは白い息を吐きながら、その古城が目的のもので合っているのかどうか、道案内をしてくれた農夫に説明を求めた。


「ミリヤード城はあれだ。間違いない」


 農夫の指さす方を改めて一瞥してから、リリィは溜め息をついた。まさか、またこの地にやってくることになろうとは思ってもいなかった。出来れば二度と関わりたくはなかった。


 SKAですら、あの三姉妹を前にしては赤子のようなものだ。


 次元が違う。


『交渉でも依頼でもない。不興を買ったら殺されるくらいの覚悟で、接するんだ』


 ルクスの言葉を思い返す。


「あんた、本当に行くのか?」


 農夫が心配そうに声をかけてくる。だけど、自分が護衛についていく気はさらさらないらしい。道中耳にした、近隣に広まっている噂を考えると、無理もない反応だった。


 リリィは作り笑いを浮かべた。


「大丈夫です。行ってまいります」




 城の前に着くと、どこかで監視していたのか、門の格子戸がガラガラと音を立てて上がっていった。城の奥から、白蝋のような肌のメイドが音もなく進み出てきて、ボソリと呟いた。


「リリィ・ミラー様ですね。どうぞ、こちらへ」


 メイドに案内されて、城内に入る。


 中庭を歩いていると、城の背後の山から、カラスの大群がドッと飛び出し、編隊を組んで空中を飛行してゆくのが見えた。


 城の高塔のテラスに、胸元の開いたドレスを着た貴婦人が立っている。


 突然、両腕を広げて歌い始めた。空間によく響き渡るソプラノの歌声だ。その抑揚に合わせるかのように、カラスは編隊を組んで縦横無尽に空を駆け巡っている。


 ミリヤード三姉妹の次女、ネヴァン・ミリヤード。SKAでの登録名は、「バインドボイス」。


「どうぞ、暗いので、お足元には気をつけて」


 中庭から、地下へと通じる階段を下りていく。忠告通り、本当に暗い。ランプは壁に等間隔で設置されているが、誰も火をつけていないようだ。


 地下室に近づくにつれて、絶叫がハッキリと聞こえるようになってきた。


 リリィは顔をしかめた。どんな残酷な殺人であろうと、嫌悪感を抱くことのない自分が、あの女のやることだけは不愉快でしょうがない。それは好みの違いなのかもしれないが、本質的には淫欲を好むリリィでも、長女モリガン・ミリヤードの淫猥な趣味にはついてこれなかった。


「あ、ああぁ――」


 泣き叫ぶ声に、官能が混じっている。地下室に入ると、鞭が飛び、拘束具をつけられた女性の柔肌が裂けて、血が噴き出る瞬間が視界に入ってきた。泣きじゃくりながらも、女性はブルブルと唇を震わせながら、「もっと、お願い、します」と鞭打ちをさらに哀願している。


 黒い拘束具風のボンテージレオタードを着ている金髪の美女が、ペロリと唇を舐め、「駄目よ」と冷たく言い放つと、鞭で打たれていた女性の尻を思い切り蹴飛ばした。拷問を受けていた女性は絶叫を上げ、泡を吹いて失神した。


「あら、ベアトリス。新しい奴隷を調達してきたのかしら」


 ボンテージレオタードの女は、嬉々とした表情で、リリィの方を向いてきた。


 ややウェーブのかかった長い金髪は、まさに黄金色に輝く色鮮やかな至高の髪艶。透き通る白さの肌。170cm超の長身。柔らかく大きな乳房に、肉感的な唇が、男ならむしゃぶりつきたくなるような色香を醸し出している。グラマラスな体型であるが、長身ゆえに太って見えることはない。まさに美の結晶であり、残虐さとは裏腹に、儚げな目つきが、彼女の思慮深さと破格の知恵を想像させ、世界中のあらゆる男が命懸けても奪いたいであろう、完成された美。


 ミリヤード三姉妹の長女、モリガン・ミリヤード。SKAでの登録名は、「エニグマクイーン」。


 片目を覆っている金髪を掻き分け、両目で、モリガンはリリィを見据えてきた。あまりの美しさに、リリィは見られただけでゾクリと快感を感じてしまう。


(息が、詰まる)


 頬を紅潮させ、リリィは目を逸らした。このまま見つめ合っていたら、喜んで、自分はモリガンの奴隷となることを志願してしまうだろう。


「ああ、そうね。貴女が来る頃だったわね……いいわ、ベアトリス。先に居間へ行って、ダージリンでも入れてちょうだい」

「イエス、マム」


 メイドのベアトリスはお辞儀をし、地下室から出て行った。


 モリガンは鞭を壁の用具掛けに引っ掛けた。壁には、他にも斧やら日本刀やら、果てはチェーンソーまで、拷問や調教に使うにしては、度を過ぎた器具が所狭しと掛かっている。 


「モリガン様ぁ」


 犬のように四つんばいになった裸の青年がペタペタと近寄ってきて、端正な顔を情けなく歪めながら、モリガンの足に手をかけてきた。


「モリガン様ぁ……もう、十日も、射精出来ず、俺ぁ、限界ですぅ……モリガン様ぁ、どうかお慈悲をぉ」


 青年の訴えかけに、モリガンはしばらく黙って見下ろしているだけだった。


「……ただの豚ね」


 冷ややかに言って、モリガンは青年の頬を引っぱたいた。軽く叩いたかのような動作だったが、実際は常軌を逸した力が加えられている。


 青年の頭が、ブチブチブチと神経や血管が切れる音と共に、三回転半ほど回った。最後は、顔の向きが後ろになっていた。


 モリガンは青年の頭を横から蹴った。


 ブチンと首から千切れて、青年の頭はサッカーボールのように、地下牢の端へと転がっていった。


「相変わらず、ですね」


 嫌悪感を露わにして、リリィは感想を述べる。


「退屈すぎてつまらないわ。人間なんて、何千年経とうと変わらない。早く世界の終わりでも来てくれないかしら。もう飽き飽き」

「でも、今度のマンハントには興味を示された」

「興味はあるわ」


 ふぅ、と悩ましげに溜め息をつき、リリィの先へと立って、居間までのルートを先導する。レオタードに包まれた柔らかそうな美尻が、リリィの目の前で左右に揺れ動いている。思わず食い入るように見つめていたリリィは、自分が興奮していることに気がつき、慌てて視線を外した。気を抜くと、すぐモリガンに魅了されてしまいそうになる。


「でも、迷っているの。どうせ人間如きが私たちに勝てるわけがないもの。だから、どうしようか考え中」

「弱いなら弱いで、蹴散らせばいいでしょう。それはそれで楽しいと思います」

「フランスに出向いて、行軍中のナポレオンの軍隊を全滅させたことがあるの。あの時はつまらなかったわ。弱いものいじめって、私、昔から嫌い。マッハがどうしても、と言うから、仕方なく付き添いで行ったんだけど……」


 マッハとは、マッハ・ミリヤードのこと。ミリヤード三姉妹の三女。SKAでの登録名は「マッハリッパー」。いつもは古城にはおらず、霧深きロンドンで、通り魔的に人々を殺害している。


「では、趣向を変えては如何でしょう。武器を制限する、使う技を制限する、あるいは――」


 その時、モリガンが急に振り返り、リリィの唇に指を押し当てて、「しぃぃ」と黙らせてきた。指から、甘い薫りが漂ってくる。その匂いをかいだだけで、快楽に溺れてしまいそうな心地良さ。リリィは、歯を食いしばって、モリガンの指から顔を離した。


「何を――」

「リリィ、あまり私たちを怒らせないでちょうだい。アイオーン教団などという下らない集団から独立した下らない貴女たちのオママゴトに、わざわざ付き合ってあげているの。立場が違うわよ。言っておくけど、貴女たちの思惑通りに動くなんて、ご免よ」

「でも、私を、呼んだではないですか」

「話を聞くためよ。一応。それと、状況次第では、あなたが必要になるから」

「? どういうことでしょう」

「うふふ、続きは、居間で、じっくり話しましょ」


 含みのある言い方で、モリガンはリリィに微笑みを向けると、中庭に続く階段を足早に上っていった。




「どういうこと、ですか、ルクス様」

《言った通りのことさ》


 居間に設けられたスクリーンに、ルクスが肩をすくめる様子が映し出されている。インターネットを使ってのテレビ通話だ。


 本部との通信を始めてから二分ほどで、リリィは聞かなければよかったと後悔した。


《ミリヤード三姉妹に参戦してもらう代わりに、我々SKAも全面的に活動を展開する》

「ですから、その意味がわからないと言っているのです! まさか、表舞台に立つと言うのでは」

《そのまさかなんだよね》


 リリィは絶句した。


 これまで、SKAの暗躍に尽力してきた。秘密結社として明るみに出ないよう最善の策を講じてきた。全てはいつか来る時のための臥薪嘗胆として、耐え忍んできたことのはずだった。


 それが、こんな中途半端なタイミングで、何もかも崩してしまうというのか。


「あ、貴方は、何を考えているのですか! それがどういうことか――」

《飽きてきたんだよね》


 ルクスは、モニターの向こうであくびをした。


《僕はね、リリィ。飽きてきたんだよ。受身に回っていても表に出る機会なんて絶対に訪れない。だったら、いっそ攻勢に出ればいいって》

「ですが、それはミリヤード三姉妹の戯れなのでしょう⁉ 参戦の条件が、我々も全面展開しての小戦争とは、いくらなんでも天秤にかけるには大きすぎるリスクだと思います! 考え直してください!」

《そろそろ切るよ。風間清澄とアラストルの反乱に備えて、色々と準備する必要があるからね。あとは三姉妹と相談してね》

「……見限らせてもらっても、よろしいのでしょうか」

《誰が? 誰を?》

「私が、ルクス様、あなたを」

《ふうん。好きにすれば? 僕一人いれば、なんでも出来るし》


 そこでモニターの画面が無地になった。映し出されていたルクスの姿は消えた。


「……そんな」


 ただひたすら、リリィは呆然としていた。




―2009年10月18日―



 一ヶ月後。


 ミリヤード三姉妹の住む古城を、ルクスは自ら訪れた。


「リリィは元気かな」


 ひとしきり城内を見学してから、古城への派遣後、二度と本部へ戻ってくることのなかったリリィのことを、一応は聞いてみた。


 モリガンは肩をすくめた。


「さあ? あの日、泣きながら飛び出していったわよ。どこかの誰かさんがいじめたから」


 居間へと通されたルクスはソファに座らされた。


 モリガンもまた対面のソファに座ると、脚を組んで傲岸不遜な態度で構えた。外見的には、妙齢の美女であるモリガンに対して、声変わりしていなさそうな美少年のルクスだ。上から目線の立場を取っていてもおかしくはない。そして、それ以上に、互いの力関係の影響が強かった。


 まともに戦ったら、ルクスは絶対にモリガンには勝てない。


「で、SKAのトップ直々に、私たちに何の用かしら」


 ルクスは身を乗り出し、モリガンの目を真正面から見据える。


「マンハントの参戦時期だけど――12月24日にしてもらいたいんだ」

「また、随分と先の話なのね。何があるのかしら」

「実は、SKAに反旗を翻そうと――正確には、SKAを潰そうとしている連中がいます。あなたたち以外は、会員には盗聴器を仕掛けている。情報は全て我々に入ってくる。その上で、僕は、彼らを黙認していた」

「どうして?」

「悪意の純粋培養」

「その連中の悪意が育つまで、放っておいたわけね。そして、彼らの持つ悪意の深さを知ることで、より世界を悪意で包むための参考にすると……」

「ええ。でもそれだけじゃないんだ。もうひとつには、面白そうだったから、ていうのもある」

「面白そう――いいわ、わかるわ、その気持ち」

「でしょ。僕らは、長い時間を生きている。そうなると、並の娯楽では満足出来ない。そんな中で、奴らの僕に対する復讐計画は、まさにうってつけだった」

「あえて、迎え撃つと」

「盗聴器が仕掛けられていることを知りながら、計画についてベラベラと喋っているんだ。ある意味、正面から挑戦状を叩きつけているようなもの。それに応えてやるのも、また一興さ」

「いいわね」


 モリガンは賛同の意を示し、大きく頷いた。


「だったら、了解したわ。12月24日が、そいつらとの決戦の日なのね」

「金沢のホテルのレストランで、夜景でも観ながら、部下や会員たちに死力を尽くしてもらう。かつてない規模の闇の戦争が展開されるんだ。これほどワクワクすることはない」

「で?」


 モリガンは首を傾げた。


「いいのかしら? 私たち、勢い余ってあなたの仲間まで殺しちゃうかもしれないわよ」

「……それはそれ、ということで」


 口の端を歪め、ルクスは喉の奥から笑い声を洩らした。


「あらあら、酷い子」


 呆れた様子で、モリガンは首を左右に振った。


「とにかく12月24日は色々と意味のある日付なんだ。あなたたち三姉妹にとっても、それは同じことでしょ?」

「まあ、そうね……キリストが生誕する前夜……その日を血で染める、というのも、悪くはないわね」

「じゃあ、同意してくれるかな?」

「いいわ。約束だもの」


 二人は立ち上がって、握手を交わした。だが、互いの目は笑っていない。お互いに、相手のことを見下している目つき。人間と、人間外の存在。相容れぬ関係。


(こいつらも、どう転ぶか……)


 ルクスは、ミリヤード三姉妹のことも信じてはいなかった。


 最終的に信じられるのは、自分自身のみ。ルクスは最悪の事態を想定して、ミリヤード三姉妹に対抗するだけの策を考慮する必要があると、早くも計算を立てていた。

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