第102話 かあさまの器

「迷惑ね、正直。堅気の人以外お断りよ」


 イザベラがカレー皿を布巾で拭きながら、ブツブツと文句を言ってる。


 カウンター奥の厨房から顔を出しているユキが、心配そうに、俺とイザベラを交互に見ている。和久井氏のコンサート中、俺はユキを狙う殺人鬼に客が巻き込まれることを恐れ、彼女をイザベラに預けていた。最初は不平を言っていたイザベラだったが、「今度、ここのカレーのテイクアウトをメニューに入れてやる」と約束したら、喜んで引き受けてくれた。意外と安い条件だった。


 でも、いまの状況だけは、いくらなんでも受け入れ難いのだろう。


 マンハントのターゲットに、チャイニーズマフィアの大ボス、新興宗教の教祖……おまけに、殺人鬼の俺までいる。穏やかでないメンバーの集まりに、さぞかしイザベラは頭が痛いに違いない。


「いつから私の店は怪しい集会場と化したの?」

「すまんな、イザベラ」

「前々から言いたかったけど、気安く呼ばないで。あなたより長い時間生きているの、“さん”くらい付けてちょうだい」

「ああ、すまんな」


 俺は謝って、カウンター席に座った。


 奥から、清澄、リウ大人。そこで二人分空席を挟んで、俺、といった並びになっている。


「席を詰めるか?」


 俺は、わざと皮肉を交えて尋ねたが、リウ大人は真顔で、「いや、空けておいてくれ」と断ってきた。


「もう一人、来る。飛び入り参加だ」

「もう一人?」


 俺が首を傾げると、サラスパティの玄関のドアが開き、一人の女性が入ってきた。背が高く、目鼻立ちの彫りが深い美人で、髪の毛はうなじでバッサリと切り落としたショートカット。紺のタイトなスーツを着ており、一見するとボーイッシュなモデルのようだ。


 ただ彼女は美しいだけではない。どこか触れれば吹き飛ばされてしまいそうな迫力を持っている。


 清澄と同種の、人知を超えた力を感じさせるものが。


「私の妻のマドカだ」


 清澄が紹介してきた。


「風間円(カザママドカ)です。初めまして」


 相手が丁寧にお辞儀をしてきたので、俺もつい立ち上がり、お辞儀で返してしまった。


 つまりは清澄の味方でもある、ということか――と俺が勝手に考えていると、風間マドカは清澄に近寄り、いきなり鋭い声で詰問を始めた。それは、とても夫婦同士であるとは思えない、敵意に満ちた声音だった。


「私がこの場へ来た理由は、わかっていますね、あなた」

「わかるさ。お前は、私の計画に反対しているからな」

「当たり前です」


 風間マドカは、厨房の方のユキを指差した。


「あなたは、あの子の中に眠る“かあさま”を目覚めさせようとしている――そのようなこと、母の私には耐えられません」


 俺も、イザベラも、ユキも、風間マドカが何を言っているのかまるで理解出来ず、一斉に彼女に注目した。特にユキは、名前を挙げられた当事者なだけに、どういう意味なのだろうかと気が気でない様子だ。


 俺は手を上げて、風間マドカに質問をした。


「“かあさま”というのは、つまり、殺された風間鏡子……」

「そうです。遠野玲さん。あなたの本当の母親でもある、風間鏡子を、清澄は復活させようとしているのです」

「復、活」


 話の意味はわかる。だが、理屈で考えようとすると、どうしても理解しがたいものがある。「復活」とはどういうことだ? 人間を蘇らせるということか? そんな魔法のようなことが出来るというのか?


 そこで、ユキが金沢駅で起こした奇跡を思い出した。尋常ならざるエネルギーを必要としたが、ユキは上杉小夜を復活させたではないか。


「我が風間の一族は、時を操ることが出来る。その力は、壊れた物の復元も可能なほどだ。当然、死者を蘇らせることも出来ます」

「知っている。ユキが、一度死んだ人間を蘇らせる瞬間を、この目で見た」

「私の力が覚醒したのは、成人してからだった」


 急に清澄が割り込んできた。


「風間一族でも女は覚醒が早いようだが、私は男だからか、通常よりも遅いスタートを切っていた。もっとも、早かったとしても、上手くいかなかっただろうがな――“かあさま”の復活は」

「風間鏡子の復活を望んでいるのか、あんたは」


 無茶だ。金沢駅で奇跡を起こした時、数秒前に死んだ上杉小夜を蘇らせるのですら、ユキは三ヶ月も寝込むほどのエネルギーを必要とした。十何年も前に死んだ人間を復活させるなど、己の命を削ったとしても、不可能に近い。


「この世界の乱れを見ろ、晃一」

「晃一はやはり気に食わないな。俺はずっと玲だから、玲で」

「いいか、“晃一”。世界は偽りの平和に満ちている。だが、その裏では、人々の心は激しく傷ついている。なぜか? 人は宗教を必要としている。ところが、一部の人間が宗教を軽視するせいで、まるで宗教を信じる人間は悪であるかのような扱いを受けるようになってきている。特にこの日本はそうだ。宗教に頼らない人間こそが正しい人間で、宗教に頼る人間は弱くて惨めで間違っている人間――その差別が、この国の人間の心を病ませた。だから、この国はおかしな方向へと進みつつある」

「意外と愛国的な精神を持っているんだな」

「いや。私が抱いているのは、絶望しかない」


 清澄は立ち上がった。


 両腕を広げ、宣言する。


「すでに病状は末期に達している。何をしようと変わるものではない。だから、私はこの国を刷新させるつもりだ。私を信じる信者たちと一丸となり、新たな理想郷を実現する――が、それには足りないものがある」

「“かあさま”か」

「私では力が足りない。“かあさま”のように聡明で、カリスマのある人間こそが、三元教を率いるべきなのだ。だから、“かあさま”を復活させようと考えた。“かあさま”さえいれば万事上手くいく」

「ユキはどう関係してくる? ユキの中に眠る“かあさま”とは、どういう意味だ?」

「そのままの意味だよ、晃一」

「何度も言わせるな。俺は、玲だ。で?」

「我が風間の一族の、時を操る能力――その力に目覚めた私は、何度も“かあさま”の復活を試みた。だが、上手くいかなかった。また、冷静に考えれば、“かあさま”の精神を仮に復活させたとしても、肉体が無ければ意味はない。物理的に考えて、何もない場所に人間の体を1つ用意するなど、たとえ時を戻したとしても不可能だ。だから私は……」


 清澄はそこで言葉を切り、ユキの方に目を向けた。


 ユキは体を震わせ、イザベラの後ろに隠れる。


 険しい表情のイザベラが、ユキをかばうように立って、清澄を睨みつけた。


「まさか、あなたは……」


 イザベラの問いに、フッ、と清澄の口元が緩んだ。


「そのために、ユキ、お前は生まれてきたのだ」


 イザベラの服を掴んでいるユキの手に、強く力が込められるのが見て取れた。それは怒りなのか、悲しみなのか。実の父に、見たこともない祖母の復活のために生まれてきたと告げられて、ユキの心中が穏やかでないことは明らかであった。


「あなたは、この子を、自分の母親の肉体にしようと――!」

「いい考えだろう?」


 どれだけイザベラが声音を鋭くしようとも、清澄に悪びれた様子はない。


「“かあさま”の血を引くユキだ。肉体の波長はきっと合うはずだ。私は、ユキが成長するのを待っていた。“かあさま”の精神を宿しても耐えられるような体に成長するまで……」

「じゃあ、マンハントはなんなの!」


 それまで黙って耐えていたユキが、ついに声を荒らげて怒鳴った。


「どうして私を、マンハントなんかに差し出したの! 納得のいく説明をしてよ、お父さん!」

「力を、その身に宿させるためさ」

「な――なに……を?」

「“かあさま”の力、だよ。お前は幼い頃から素質はあった。だが、なかなか真価を発揮することはなかった。私はもどかしかったよ。“かあさま”がすでに奇跡を起こしていた歳――同じ十七歳になっても、お前は能力を発現させることはなかった。だから、少々荒っぽいが、その身に危険が迫れば、真の力に目覚めるだろうと、そう考えたわけだ」

「それだけのことで……私を……マンハントに……少々なんてものじゃない! いつ死んでもおかしくなかった!」

「だから晃一に、お前を託したのじゃないか」


 俺もユキも、互いに驚きの顔を見合わせる。そこまで計画のうちだったのか。


「死なれたら困るからな。そのために、晃一を護衛に当てたつもりだった」

「それで?」


 俺は口を挟んだ。ユキは目が赤くなるほど激昂している。これ以上興奮させるのはあまり好ましくない。


「お前の思惑通り、ユキはかなり力を使いこなせるようになった。それで計画は終わりか? あとはユキの体に“かあさま”の精神を宿せば完成なのか?」

「いや、まだだ」


 清澄はかぶりを振ってから、リウ大人に頷きかけた。


 リウ大人は帰り支度を始める。


「マンハントのことだが、もう参加する殺人鬼はほとんどいなくなったそうだ」

「本当か」

「だが、むしろ地獄はこれからだと思え。Sランクがついに興味を示し始めたそうだ」

「Sランク?」

「ミリヤード三姉妹さ。彼女たちが出てくる以上、万が一でもお前たちに勝ち目はない。とはいえ、死なれても困る。特にユキは。ここまで来て、死んでもらっては困るのだよ」


 俺はユキを見た。


 ユキはイザベラの陰に隠れたまま、ずっと清澄を睨み続けている。


 実の父であるとか、宗教の教祖であるとか、そんなことはもう関係ないらしい。娘のことを道具としてしか考えていない非情な男に対する、怒りの想いが、その瞳に込められている。


「ひとつ助言をしよう。ミリヤード三姉妹は、人間と言うよりも、もはや神に近い。キリスト教の勢力拡大によって僻地へと押しやられた、ヨーロッパ古来の三女神。これ以上教えるとSKAの制裁が入るので、あまり詳しくは言えないがな。あとは自分でどう戦えばいいのか、よく考えたまえ」


 そう言って、清澄は俺の横を通って、外に出ようとした。


「待て。おとなしく帰っていいと、誰が言った」


 逃がすまいと、俺は奴の腕をガッシリと掴んだ。


「離したまえ」


 清澄が冷ややかな目を向けてきた。


「断る」


 冗談じゃない。


 俺は確信していた。風間清澄を倒せば、ひとつの問題は解決する。マンハントが終わるわけでもなく、SKAが壊滅するわけでもないが、逃がしていい道理はない。


「勝てるとでも思っているのか、晃一」

「戦いに関しては俺のほうが上だ」

「どうかな」


 突然、俺の体は宙に浮かび上がった。


 清澄が腕を軽く振っただけで、俺は天井近くまで跳ね上げられたのだ。


「な――⁉」

「腕力ではない。気功の技だ」


 空中で俺の胸倉を掴んだ清澄は、腰を勢いよく回して、カウンターの向こう側へと投げつけた。コンロの上の湯が入った鍋や、まな板などが、派手な音を立ててひっくり返る。俺は雑多な調理器具類の中に埋もれてしまった。


「アキラ!」


 イザベラが近寄り、俺を気遣う。


 やがて店の扉の閉まる音が聞こえた。


 散乱した器具を片付けながら、俺は痛む腰をさすった。どこかに強くぶつけてしまったようだ。


「なぜ清澄は、自分の計画を暴露しに来たんだ?」


 作業をしつつ、いまだ店内に残っている風間マドカに尋ねた。


 俺には納得がいかなかった。ユキの体を使って、“かあさま”を復活させることは、最後の最後まで黙っている必要があったのではないだろうか。


 ここでその計画を明かされて、俺たちが素直にユキの体を引き渡すはずがない。そんなこと出来るわけがない。断固として抵抗する。それくらい清澄はわからなかったのだろうか。


「言霊です」

「コトダマ?」


 風間マドカの言葉に、俺は首を傾げる。


「人間は、言葉によって支配される生き物です。言葉を与えれば、人間の脳内にイメージが作られ、あたかも本当のことのように形作られていく。清澄は、あなたたちに言霊を残していった」

「計画のことか」

「術を使う時には、関わる全ての人間の共通認識を正確なものに高める必要があります。何もわからない人間が多い状態で術が成功する確率は、極めて低い。だからあの人は、あなたたちの頭の中に、計画のイメージを刷り込んだ。風間鏡子の復活、というイメージを」

「俺たちの脳内にそのイメージを植えつけたことで、目的の術はより成功しやすくなった、というわけか……」


 なんであれ、奴の計画は順調に進みつつある、ということだ。


 ただし、おそらくSランクのミリヤード三姉妹とやらは、唯一の不安要素であるのだろう。


 奴の思惑通りにユキを守って戦うのは癪に障るが、守らないわけにもいかない。悔しいが、Sランクとの決戦を覚悟する必要があった。


「これからの戦いも、同じ話です」


 風間マドカも何か知っているのか、最後に助言を残してきた。


「清澄の言った言葉を、よく憶えておいてください。全てはイメージの戦いです。圧倒的な実力差があろうとも、敵の持っているイメージ次第では、勝機は必ず訪れます。どうかお命を大事に――」


 そして。


「ユキを、私の娘をまもってください」


 その風間マドカの表情に、微かに母親としての情愛を感じ取った。


 俺は、静かに、力強く頷いた。


 サラスパティでの一件後、ピース・レジャーに戻った俺は、打ち上げのラストに加わり、全員を見送った後で店を閉めた。


 入り口のシャッターを下ろしている間、ユキは俺の後ろに佇んでいた。


 お互いに何も喋れない。ただでさえ、2人が血縁関係であると知った時から、普通の会話が出来なくなっていたというのに、清澄の計画を聞かされて、少なくとも俺は何を話せばいいというのだろうか。


「ユキ」


 俺は、彼女の名前を呼ぶ。それくらいが限界だった。


「……帰るぞ」


 ユキは小さく頷いた。


 遠野屋旅館まで徒歩5分ほどの距離だが、親父たちや無関係の宿泊客たちに迷惑をかけるわけにはいかない。俺たちは、タクシーに乗って、金沢駅の向こう側まで出て、アパートへと戻った。

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