第101話 残酷な選択

―現在 ピース・レジャー店内―



「愛だった――と父は語っていた」


 リウ大人は天井を見上げながら、記憶を掘り起こしつつ、呟いた。


「柳景鳳は私の父だ。SKAに惨殺される一年前、私に聞かせてくれた。風間ナオコは父に惚れていたそうだ。そこに理屈などない。愛があるから、柳景鳳のために尽くそうとした」

「夫は? 風間ナオコの夫はどうした」

「すでに病気で他界していた。夫のいなかった風間ナオコは、寂しくて耐えられなかったのだろう。挙句の果てに、息子を特攻隊で失っている。自らの信じる神に祈りを捧げても、日本は敗色濃くなっていく。誰かに依存したい、そんな時に私の父が現れた、というわけだ」

「その想いを利用して、柳景鳳は日本における協力者を手に入れた……」

「ちょうど同じ頃、SKAが風間ナオコを勧誘しに来た。どこで情報を手に入れたのか、徐々に心を病みつつあった彼女に、殺人鬼としての才能を見出していたのだろう。そしてSKAという後ろ盾を得た風間ナオコは、敗戦直後で混乱している日本国内を浄化するかの如く、一〇五式を引っさげ、次々と横須賀・横浜界隈の日本人を虐殺した。アーサー・ヘイゲンの焼殺事件は、風間ナオコが狂っていたと見なす向きが大半だ。だが、私は父から聞いて知っている。本当は違う」


 二杯目のジョッキビールを空にしたリウ大人は、煙草に火をつけた。


 横に座っている風間清澄は口を閉ざして、いまのところ聞き役に回っている。


「本当は何があった?」

「風間ナオコは、五十歳近い女だったが、ぞくりとするほど美しい女だったらしい」


 ふぅ、と煙を吐き出したリウ大人は、天井を見上げたまましばらく黙っていた。


 顔を下ろし、俺の目を見つめてくる。


「強姦されていたんだよ――アーサー・ヘイゲンに」

「な……?」

「経緯は知らないが、少なくともアーサーだけに犯されたわけではない。複数人の米兵が関わっていたらしい。だが終戦直後のゴタゴタの中で、全ては有耶無耶のうちに隠されてしまった」

「そして後日、アーサー・ヘイゲンを殺しに行った――意味もなく焼き殺したわけじゃないんだな」

「ああ。それなりの動機はあったんだよ。そして、風間ナオコは何を考えていたのか知らないが、一〇五式は装着しているだけで一度も使わず、持参したガソリンでアーサーを焼き殺した。意外性も何もないが、それがアーサー・ヘイゲン殺しの真相だ」


 俺は、救いのない話を延々と聞かされて、胸焼けするような気分だった。


 けれども話は終わりではなかった。


「では、清澄――そろそろ話を交代してくれ」

「ええ」


 ほとんどビールに口をつけていなかった風間清澄が、身を乗り出し、口を開いた。俺も自然と緊張する。


 風間ナオコの話は、俺の生まれていない時代のことだ。


 だが、俺の兄である風間清澄の話は、必ずや俺に直結するものが出てくる。


「では話そうか、遠野玲――いや、晃一。お前と私とユキと、“かあさま”のことについて」


 俺は固唾を呑んで、清澄の次の言葉を待った。


「“かあさま”は水方教という教団を率いる、優れた能力を持つ神官だった。“かあさま”は時を操る奇跡を起こし、怪我を負った信者を治し、危険の迫る信者を救ったりした。私は、そんな“かあさま”を尊敬していた」


 淡々と清澄は語る。


「そして、お前が生まれてから一ヶ月が経った、あの日――奴が現れた」

「リチャード・ヘイゲン……いや、ルクスか」


 父親アーサーを殺された復讐を果たすため、ルクスという悪魔に魂を売り渡した男リチャード・ヘイゲン。


 そのリチャードの精神を乗っ取り、風間家に赴いたルクスは、虐殺を開始した。ただ、「悪意を育む」という、およそ常軌を逸した理由にもとづいて。


「ルクスにとって、それはただの戯れだった。私たちの家族は、その程度の目的で皆殺しにされたのだ。ルクスは許せない。私は奴を殺すつもりだ。だが、本当に憎むべきは、ルクスではない。奴ではない」

「?」

「本当に、私たちが復讐すべきは――この国の人間だ」

「……何が、あったんだ?」

「取捨選択だ。誰を殺すかの」



 ※ ※ ※


―同刻 スイス SKA本部―



 ウォーターベッドに横たわり、天窓からスイスの星空を見上げながら、ルクスはこれまでの自分の人生を振り返っていた。


 いつの時代のイスラエルか。


 自分が生まれたとき、すでにその地は争いに包まれていた。人が人を疑い、人が人を否定し、人が人を殺す。


 特定の宗教に対する信仰心さえあれば、ルクスは心の拠り所が出来て、いまのような思想を持つようなことはなかっただろう。ところが不幸なことに、彼の父はアイオーン教団の人間であった。一歩離れた視点から、イスラエルという地を冷静に分析していた。それがよくなかった。


 ルクスにとって、人間のもつ“悪意”こそが世界の全てであった。


 彼が導き出した結論は、「人間は人間を否定するために生まれてきた」というものであり、人間が二人も揃えば、いつかは殺しあう――という考えである。


 だから、彼は父に連れられて世界を放浪するに至り、平和な国もあることを知って、愕然とした。


 上辺だけの安らぎに身を置く、愚か者たち。彼らは人間の本質を何もわかっていない。


 法律も、道徳も、全ては人の“善意”を基準として作られている。“悪意”は常に罰せられる。だが、“悪意”こそ人間の正しいあり方であると思っているルクスは、“善意”を主軸に据えたこの世界の構造に対して、大いなる疑問を抱いていた。


「正す」


 この世界を正しい方向へと導く。


 そう決断した時から、彼はあらゆる場所において、人間の“悪意”を覚醒させるべく、自ら行動を起こしていた。


 風間清澄の家族も同じことだった。


 風間家襲撃で最も重要視していたのは、息子2人は生かしてやることだった。


 それもただ生かしてやるのではない。特に長男には、人間に対する果てしない絶望を心に刻みつけた上で、解放してやる必要があった。


 あの時、ルクスは近隣の住民を風間家に強制的に集結させた。


「これから、クリスマスにふさわしい、あるゲームをしようと思う」


 リチャード・ヘイゲンの姿をしたルクスは、怯える人々に銃を突きつけながら、そのゲームの説明を始めた。


「簡単なことだ。死にたくなければ立候補するんだ。すぐに外へ出してあげよう。しかし、もしも風間一家が皆殺しになることを不憫に思うのであれば――身代わりになることも可能だ」


 そして、柱や家具に縛りつけられている風間一家をちらりと見て、ルクスは口を捻じ曲げて笑った。


「誰か一人の命で、風間一家を全員助けてやろう。どうだ? 誰か、身代わりになる者はいないか?」


 近くにいるヒゲ面の男の額に、銃口を押し当てる。


 男は、「ヒイイ」と甲高い悲鳴を上げた。


「俺を襲いたければ、襲ってもいいぞ。ただし、誰か一人は、撃たれて死ぬだろうな。これもまた、一人が犠牲になれば風間一家は助かる。さあ、どうする? 勇気を振り絞って自分の命と引きかえに風間一家を助けるのか、それとも自分の命を最優先するのか。選べ!」

「選べ――か」


 ルクスは寝転がりながら、苦笑した。選べ、と言われても、あの状況では奴等に選択肢なんてなかった。


 だから、結果は――



 ※ ※ ※


―同刻 ピース・レジャー店内―



「最初に抜け出したのは、学校の友人だった」


 清澄の声は乾いている。


 もう当時のことを振り返って悲しむような心など、どこかへ消えてしまったのだろう。


「私は、彼のことを友人だと思っていた。彼もまた、親が宗教家である私に対しても、分け隔てなく接してくれていた。私は彼の優しさに救われていた。ところが、真っ先に自分の命を優先したのは――その彼だった」


 俺は何も言わなかった。軽薄な慰めの言葉はいくらでもかけられるだろう。しかし、過去は変えられず、死んだ人間は戻ってこない。気休めにすらならない言葉なら、言わないほうがマシだ。


「私は頼んだよ。必死で哀願したさ。何も身代わりになれ、とは言わない。せめて、ルクスを襲ってくれれば――奴の凶行を止めてくれれば、それでよかった。だが、誰もがルクスの銃を恐れて、行動を起こさなかった。次々と命乞いをして、家から抜け出していった。おまけに、報復を恐れて、警察にも通報しなかった――いや、それだけじゃない。奴らは、我々を忌み嫌っていた。私たち風間一家を」

「ただの宗教を、そこまで嫌うものか?」

「“かあさま”のカリスマ性が圧倒的過ぎたのだよ」


 清澄は力なくかぶりを振る。


「近隣の多くの住民が、“かあさま”の力に魅せられ、水方教に入信した。彼らは、“かあさま”こそが真の母であると信じ、実の家族の言葉には耳を傾けなくなった。“かあさま”はもちろん、そんなことを喜んだりはしない。時には説教をして、家庭への帰属を呼びかけたが、信者の全てが言うことを聞かなかった」

「それがために、信者の家族は危機感を抱いた――というわけか」

「危機感、などという甘いものではない。ただの嫉妬だよ。自分たちが家族に頼られる存在でないことを棚に上げて、私の“かあさま”に親や子や兄弟が奪われたと思い込み、妬んでいた。それがために、“かあさま”を危険視していた。実にくだらない話だ」

「信者はどうした。なぜその時助けに来なかったんだ? なぜ身代わりになろうとしなかったんだ?」

「“かあさま”が、自分を信じる者たちに、死を望むはずがない。“かあさま”は、信者に生きることを命じた。それだけじゃない……“かあさま”は、信者でもない他の人間まで、逃げるように指示したんだ」

「だがそれは偽善じゃないのか? 家族か、誰かが死ぬのなら、家族以外の誰かを犠牲にしてもよかったんじゃないか?」

「違う! “かあさま”は我々も救おうとしていた!」


 激昂した清澄が、ドンとカウンターを拳で叩き、大声で怒鳴る。


 さすがに伊咲ちゃんや和久井氏は驚いて、こちらを見てきた。


 リウ大人が、「おい」と清澄の袖を引く。


 不審に思ったのか、伊咲ちゃんがこちらへ歩み寄ってくる。


「しかし、この国に復讐とは、大げさじゃ――」

「“かあさま”亡き後、私は孤児となった。だが、誰も救ってくれなかった。“かあさま”を見殺しにした近隣の者たちも、親族も……国家でさえも。私がSKAの協力を得て、三元教を興すまでの長い間、どれだけの苦汁を飲んできたか。お前は知らない。何も知らないお前に、私の志を否定する権利など、ない」

「何かありましたか?」


 清澄とリウ大人の間に、伊咲ちゃんが割り込んできた。


(バカ、よせ!)


 一般人が関わっていい相手ではない。俺は目配せで、伊咲ちゃんを遠ざけようと努力していたが、まったく気が付いていない。


 いや。


 一瞬、俺の目を見た。


 そして微笑んだ。


「何もない。大事な話の途中だ、引っ込んでいてくれないか」


 穏やかな口調だが、凄みのある表情で、リウ大人が警告を発した。


 だが伊咲ちゃんは、ポカンとした表情でカウンターに座っている二人の大敵を見比べた後、とんでもないことを言い出した。


「大事な話? たとえば、宗教家と、マフィアの大ボスの密談――ですか?」

「!!」

「……っ!?」


 リウ大人と清澄の顔に戦慄が走る。わずかな瞬間だけ動揺を感じ取れた。さすがに海千山千の2人だけあって、気付かれないように上手く隠していたが。


「インスピレーションから来た冗談です」


 伊咲ちゃんは意味深に笑みを浮かべ、二人の前に置かれている空のビールジョッキを取ると、厨房の奥に運んでいった。冗談、と彼女は言ったが、冗談にしては鋭すぎる。


「……ここでは落ち着いて話が出来ない。場所を変えよう」


 スッキリしない顔で、リウ大人は清澄に声をかけた。


 清澄も黙って頷き、立ち上がる。


 去り際にリウ大人は振り返って、俺のことを指さしてきた。


「アキラ。まだ話は終わっていない。すぐにサラスパティまで来い。いいな」


 こちらの是非は聞かず、リウ大人は清澄と一緒に、さっさと店から出ていってしまった。


 時間はまだ夜九時。店を閉めるのは夜十一時ごろの予定だから、まだ早い。サラスパティで話の続きが出来るだろう。ひとまず店は伊咲ちゃんに任せることにし、和久井氏やメンバーたちに声をかけて、外へ出ることにした。


 地上へ向かう階段を上っている最中に、店のドアが開いた。振り返って見下ろすと、伊咲ちゃんが立っていた。やや頬が紅い。


「マスター」

「なんだ?」


 伊咲ちゃんは、少し黙った。


 それから震える声で――


「好きです」

「えっ」


 突然の告白を受けて、俺は反応に困った。


 だけど、伊咲ちゃんは構わず、次の言葉を発してきた。


「だから――頑張って」

「は……?」


 ペコリと頭を下げ、伊咲ちゃんは真っ赤になった顔を手で押さえながら、店の中に戻っていった。


 俺は困惑していた。


 そして告白されたことに対する驚きよりも先に、ずっと感じていた疑問が口をついて出た。


「君は……何者……だ?」


 全てわかっているのか、わかっていないのか。


 聞くべきかもしれないが、聞くのが怖かった。

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