第100話 思わぬ訪問

―同日夜 ピース・レジャー店内―


 あやめと倉瀬さんが入院している病院へ行ってから、一度家へと戻り、俺は店へと向かった。


 病院で聞かされた話は、正直こたえた。精神的に参るほどのものではなかったが、事の大きさを理解して、途方に暮れてしまったからだ。


 それでも俺は、前々から計画していた和久井憲次氏のライブを、ピース・レジャーで開催した。


 ピース・レジャーは普通の喫茶店と比べて、店内が広い。小規模のライブも、演劇も行える。


 この晩も、『人間国宝』と評判の高い歌唱力抜群の和久井憲次氏のバラードを聞いて、客の多くが涙を流していた。店内に用意した客席は満席で、通り抜けるスペースもないほど、人でごった返している。


 俺も、和久井氏の歌声に心を揺さぶられ、これまでの苦しみが一気に抜け出るような開放感を感じていた。


「これだけ町が大変なことになっていても、みんな、来てくれるんですね」


 時おり、俺と一緒にカウンターの奥に待機して、録音機の状態を確認していた伊咲ちゃんが、曲の合間に話しかけてきた。


「戦争中でも、人は歌を忘れない。絵を忘れない。芸術は人の心の奥底を捉えるものだ。つらい時だからこそ、音楽や絵画に人間らしさを求める」

「人間、らしさ……」


 伊咲ちゃんは横を向いて、何か深刻な表情で考え事をしている。少し顔色が悪い。


「マスター」

「うん?」

「実は、私――」


 そのとき、店のドアが開いた。


「――な!?」


 入ってきた2人の顔を見て、俺は絶句した。


 風間清澄と、リウ大人だった。


「当日券でもよろしいかな」


 清澄は外で購入したチケットをポケットから出して、俺に尋ねてきた。


 和久井氏の次の曲が始まった。


 俺はただ頷いた。


 そのまま風間清澄とリウ大人は、ドアのそばに立って、店内に流れる歌声に耳を傾けていた。



 ※ ※ ※



「いい店だ」


 風間清澄がしみじみと呟いた。


 コンサートの終わった店内。打ち上げで残っていた和久井氏と関係者一同は、フロアの真ん中で、伊咲ちゃんと仲良く話をしている。


 俺たちはカウンターを間に挟んで向かい合っている。


 風間清澄は、リウ大人の方を向いた。


「リウさん、昔、武蔵ヶ辻に似たようなお店がありましたね。あれはなんという店だったか」

「名前は憶えていないが――息子は、あの店が好きだった。だから同じような店を開いた」

「なるほど」


 ちらりと清澄は俺の顔を見る。


「意志を、受け継いだというわけか」

「そんな大それたもんじゃないさ」


 俺は二人にビールを出してやりながら、ぼそりと呟いた。


 イザベラは言っていた。


 彼女が営んでいるサラスパティは、元々は違う名前のカレー屋だった。そして、彼女はそのカレー屋を気に入り、跡を継いだ。サラスパティという名前は新しくつけたものだが、店内の雰囲気は全く同じものにした。「人と人とが触れ合う空間そのものに、私は魅力を感じた」とイザベラは語っていた。


 シリアル・キラー・アライアンスに所属していた彼女が、普通の人間に戻って、普通の生活を送りたいと思わせるほどの魅力。


 人間は、何かを受け継ぐとき、果たしてその“想い”まで継承しようと思っているだろうか。


 俺は、多くの人間は、そこまで深くは考えていないんじゃないか、と思っている。ただ、先人が築き上げてきたものを失いたくないという気持ち。それが、人が何かを繋いでいくということの裏側にあるものなのかもしれない。


「俺は普通の空間が欲しかった。それだけだ」


 多くの人が訪れ、談笑し、時には喧嘩し、川のように流れてゆく。賑やかで、たまに少しうっとうしくて、それでも人生を終える最期の時には、「ああ、幸せだったな」とのんびり思えるような時間。そんな時間を与えてくれる空間。


 時間、空間、人間。


 何もかも調和が取れていて、心和む場所。それこそが、俺の作りたかった理想の店だ。


「人殺しが、“普通”を望むか」


 リウ大人は冷たく笑う。


「もう後戻りは出来んよ、アキラ。全てはカタストロフィに向かって進んでいる……そして、お前もまたその輪の中に組み込まれている」

「断る、と言ったら?」

「断れんさ。SKAと関わった時点で、お前はもう運命の渦中に引きずり込まれてしまったのだ。すでにSランクのミリヤード三姉妹が、マンハントに興味を示し始めているとの情報が入っている。あの魔女たちが動き出せば、この金沢はもはや塵ひとつ残らん。お前とて例外ではない。我々との戦いで散るか、SKAとの戦いで散るか、二つに一つだ」

「オヤジ、何が言いたい」

「逃げることは許されん」


 そこでリウ大人はビールのジョッキを持って、一気に飲み始めた。息継ぎせずに、全部飲み干した。


 清澄が言葉を継いだ。


「どこまで知っている、遠野玲」

「全て――ただ一つ、あんたの思惑を除けばな――兄さん」

「なるほど、そこまで調べているのであれば上出来だ」


 清澄はほくそ笑んだ。キリスト似の男だけに、その顔で邪悪な笑みを浮かべられると、まるでこの世の破滅を目の当たりにしたような嫌な気分になる。


「では、龍章幇と風間ナオコの繋がりも」

「知っている」




―時間遡り 金沢市内 病院―


 上杉平蔵は冷静な男だった。自分の娘を狂わせ、死に追いやった男である俺を目の前にしても、彼は激昂することなく語り続けていた。


「お前の曾祖母に当たる、風間ナオコのことについて話をしたい」


 病室に入ってきた俺に対して、挨拶もそこそこに、そう切り出してきた。


「今回の件に関わることなのか?」

「極めて重要だ。この話は、お前と、お前の姪である風間ユキ、双方が聞くべきものだと、私は考えている。お前たちはこれまでSKAという組織のことしか頭に無かっただろうが、風間の一族もまた今回の事件には深く関わっている。むしろSKAよりも、風間一族こそが肝となってくるかもしれない」

「一連の戦いの中心軸には風間一族の影あり、と?」

「風間ナオコにとっても、風間清澄にとっても、SKAは道具に過ぎない。自分たちの目的を果たすための……」


 上杉平蔵は、まず風間一族の歴史について説明を始めた。すでに話は聞いているのか、倉瀬さんは窓の外を眺めて、ぼんやりと考え事をしているようだった。


 そして話は本題へと進んでいった。


「風間ナオコについて語るには、龍章幇を外すわけにはいかない。あの組織は、元々は中華民国建国の陰で暗躍していた秘密結社だった。ちょうど紅幇、青幇といった同時期に存在していた秘密結社組織と同じように。その末路もまた、紅幇、青幇と同様だった」

「どうなったんだ?」

「それまで陰で支えてきたにもかかわらず、用が済めば、今度は政府から終われるようになった。荒事では役に立った幇も、平時には危険因子に過ぎない。日中戦争の激化の中、日本へと潜り込んで、軍部中枢を直接攻撃する計画を立てていた当時の龍章幇首領、柳景鳳(リウ・ジンファン)は、戦争が終結した後、今度は用済みになって中国政府に徹底的に叩き潰されそうになった。その大禍を逃れるために、そのまま日本で身を隠し続けることにした。当時敗戦国だった日本なら、かえって柳景鳳にとって住み心地のいい土地だったのだろうよ。それに戦争が終わる前に、彼は風間ナオコと出会っていた」

「なんのために?」

「協力者を作るためだよ」


 協力者。


 日本での破壊活動をするための協力者ということか。


 いや、日中間の戦争とはまた別に、SKAとしてのミッションもあったはずだ。どちらかといえば、そちらの用の方が割合としては高かったのではないだろうか。


「それは事実であると、我々アマツイクサは掴んでいる。しかし、風間ナオコはなぜか柳景鳳に力を貸した。そこの理由までは、さすがにわからない」


 ペットボトルのフタの開く音が聞こえる。


 横になっている倉瀬刑事が、片手で水のペットボトルを飲んでいる。


 そこで初めて、俺たちは極端なくらい息を殺して、上杉平蔵の話を聞いていたのだとわかった。呼吸音以外、何も聞こえない。


「風間ナオコは熱心すぎるくらい、柳景鳳のために暗躍していた。一方で、建御名方神を祀る神官としての表の顔は、どんどん落ちぶれていった。十二月にGHQが『神道指令』を発布する前に死んだのは、運が良かったのか悪かったのか」


 まるで風間ナオコの無念を慮るかのように、上杉平蔵は同情的な口調で語った。


「風間ナオコの暴走は、周りの人間に対する怒りというよりも、あるいは建御名方神に対する不信の念と、神官の血筋でありながら神を疑う自分への苛立ちなど、ひと言では言い表せない複雑な感情が裏にあったのかもしれない。建御名方神はいわゆる『神風』を起こした神と見なされることもある。もう一度日本に『神風』をと願っていたのやもしれぬ。だが何も起きなかった。『神風』の名の下に敵戦艦へ特攻していった若者たちには本当の『神風』は吹かなかった。そう風間ナオコは考えていたのかもしれない」

「あらゆる面で精神的に追い詰められた風間ナオコは、やり場のない感情をぶつける場所として、殺戮の道を選んだというわけか」

「誰にもわからないことだがな。そして、風間ナオコはとうとう最後の事件を起こした。それがアーサー・ヘイゲン焼殺事件だ」

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