第99話 演説

―金沢市内 病院―




「それで結論は出たのか」


 ベッドに寝転がり、倉瀬は片腕だけで文庫本のページをめくっている。目線は文庫本に向けたまま、八田の報告を促した。


「一連の事件の背景にあるものは、ハッキリしてきました。SKAと、それを滅ぼそうとするものたちの闘い――」

「私たちは、それに巻き込まれた、というわけか」


 倉瀬は文庫本を閉じ、溜め息をついた。


「結局のところ、マッドバーナーが風間清澄の弟である以上、マッドバーナーを追う我々がいつかはマンハントに関与してしまうのは必然だった、ということなんだろうな」

「どうすりゃいいんですかね」


 八田は弱気な声を上げる。


 倉瀬は苦笑した。


「情けない奴だな。どうもこうもない。とにかく生き延びることだけを考えろ。あと半年もすれば、マンハントは終了だ」

「でも、自分は、SKAのことを知ってしまいました。マンハントが終わっても、いつか奴らが殺しに来るんじゃ……」

「そうならないためにもSKAを一網打尽にしてしまえばいい。幸い、元幹部のイザベラがいる。逮捕するための糸口は掴めて――」


 そこで倉瀬は言葉を切った。


「――いや、違うな」

「違う? 何がです?」

「ここのところ闘い続きで忘れていたが、私はもう何ヶ月か前に定年を迎えていたんだ。再雇用の手続きだってしていない。私はもう刑事ではない、ということになる」

「ええ⁉ すると、倉瀬さんは今後、刑事として動くことは出来ないんですか⁉」

「そうなるな。ま、いち私人として動いたほうが、私としても気楽でいい」

「マッドバーナーの逮捕は?」

「今となっては終わった夢だ。それに、私のなかの何かが狂ってしまったようだ。あらゆる道徳観念……倫理観、常識、全てが。もう、あの頃のようなマッドバーナーに対する憎しみはない」

「倉瀬さん……」

「哀しいことだな。これが、狂う、ということなのかもしれない。五体満足でいた時は、まだ人間としての理性が残っていた。だが、殺人鬼によってこの腕を切り落とされた、その直後から、私はまともな思考が出来なくなってきている」


 冷笑を浮かべる。


「次は、人を簡単に殺せるかもしれない」

「……」


 八田は何も言ってこない。


 これが死んだ二神刑事だったら、顔を真っ赤にして倉瀬の考えを否定しただろう。


 上杉刑事だったら?


 彼女だったら、きっと思いもつかない反応を示したかもしれない。もしかしたら、問答無用で銃を取り出し、倉瀬を撃ち殺していたかもしれない。


「失礼」


 部屋の入り口に、倉瀬と同じくらいの初老の男性が立った。禿げた頭に、厳しい面構え。鋭い目つきが堅気のものではない、と感じさせる。倉瀬はその男に見覚えはなかった。


「どちら様で?」


 険しい表情で問いかける。


 男は八田を手招きし、名刺を取り出すと、彼の手に渡してきた。


「公安――⁉」


 八田は息を呑んだ。


「普通はそんなもんは渡さないんだがね。身分を偽ったところで、この場では意味のない話だ。ただし他言しないでくれたまえよ」


 男は、倉瀬の枕元へと歩み寄る。


「初めまして。上杉小夜の父、上杉平蔵と申します。そこの彼がうっかり大声で口走ったように、私は公安の者です」


 ボソボソと第三者に聞き取れないよう、低い声で話しかけてくる。「うっかり大声」というセリフに、八田は自分の犯したミスに気がついて、今さらながら口を手で押さえた。


「公安が、なんの用だ」

「実は、私は公安というよりも、警視庁の特殊犯罪対策課という組織の幹部としての顔のほうが、正式なものでしてね……その特殊犯罪対策課は、何を隠そう、アマツイクサの分隊なのです」

「アマツイクサ、だと?」

「ええ。アマツイクサ警視庁支所、とでも言うべきでしょうか。私は警視庁でも特に有能な者を抜擢し、次々と特殊犯罪対策課に組み込んでいました。娘の小夜もまた、人の心を読むという特殊な力を持っていた。その異能を買って、私は娘に転属の話を持ちかけたのです」

「上杉刑事は、アマツイクサのことを知っていたのか」

「娘は本当のことは何も知りません」

「しかし、なんでまた、警視庁にそのような――失礼な言い方かもしれんが――アマツイクサみたいな秘密組織が、存在を知られる危険を冒してまで、根を伸ばしていたんだ?」

「おっしゃる通り。本来なら、アマツイクサは決して表舞台に上がってはならない、極秘の組織です。ところが、最近は、闇に潜む者たちがこぞって表に出てくるようになっており、我々も表の組織に依存して働かなければ、思うように戦えなくなってきたのです」

「闇に潜む者?」

「古代日本の負の遺産――我々と敵対している連中――ま、我々の活動について話しても寸分も理解できんでしょうから、さっさと本題に入りますが」


 八田が差し出してきたパイプ椅子に腰掛け、上杉平蔵は鞄の中から一枚の写真を出した。それは、風間清澄とリウ大人が握手をしている、隠し撮りの写真であった。


「我々は風間清澄を追っていました。三元教に不穏な動きが見られ、どうもテロの準備をしているのではないかという、疑いがあったからです。で、この風間清澄ですが――」


 上杉平蔵はより倉瀬に顔を近づけて、さらに声を潜めて話を続けた。


「――どうも、この国に対して、相当深い怨みを抱いているようなのです」

「この国とは、この国のことか?」

「そう、日本国に対して」


 写真を鞄にしまい、今度はテープレコーダーを取り出してきた。


「これは極秘の資料です。お渡しは出来ませんので、しっかり暗記してください」


 スイッチを押すと、くぐもった音声が小さなスピーカーから流れ始めた。最初は聞き取りづらかったが、慣れてくると、何を言っているのかわかるようになってきた。


 それは演説だった。




――私の“かあさま”は、この国に追い詰められた。


 “かあさま”は、この国を救おうとしていたのに、この国の民に裏切られた。


 この国の民は信仰を無くした。


 自らの脆弱な心が、神を信じる心を捨て、唾棄すべき唯物論へと救いを求めるようになった。


 にもかかわらず、この国の民はあらゆる信仰を否定する。


 信仰だけではない。


 同じ人間をも否定する。


 全ては人が生み出した言葉に過ぎない。


 それなのに、この国の民は、個々の人間の意思を顧みようともせず、全てを枠でくくって差別しようとする。


 自分たちがこの世界で最も優れている人種であるかのように振る舞い、その厚顔無恥な態度を恥じることもない。


 自分たちがどれだけ傲慢であるか、反省しようとしない。


 理解出来ないものは排除する。


 社会的に排除する。


 それが、この国の民の、やり方だ!




 そこまで流したところで、上杉平蔵はスイッチを切った。


「どう思いますか」

「稚拙な演説だな……」

「潜入していた公安の刑事が録音した演説の多くは、実に堂々とした立派なものです。例外的に、このテープだけ内容が酷いものでした」

「それだけに作り物ではない、ありのままの風間清澄が表れていた――と考えられるわけか」

「ええ。おそらく、“かあさま”とは、彼の母親であり、解散した宗教団体水方教の教祖でもある、風間鏡子のこと……何か秘められた出来事があるのかもしれません」

「SKAのルクスに殺された、ということは知っているか?」

「それくらいは、ここへ来る前に調べています」


 上杉平蔵は肩をすくめた。


「ただ、その日のことで、疑問がありましてね」

「ほう」

「風間一家惨殺事件は、クリスマスイブの晩に起きた。当時はすでにクリスマスの風習がありましたから、当然、各家庭ではクリスマスイブの夜を楽しんでいたはずです。事実、調べによれば、隣の家ではパーティーを行っていた」

「それが?」

「当時の鑑識の記録を読むと、どうも家屋に対する放火が先にあり、その後縛りつけていた風間一家を次々と刺し、瀕死の彼らにガソリンをかけたそうです。最初に家屋に火をつけて、だいぶ時間が経ってから、消防車が駆けつけ、近隣住民も救助に赴いた。しかし、かなり早い段階で、家が燃えていることを知っていたはずです。なぜ、もっと早く動かなかったのでしょうか?」

「わからん。お前さんはどう考える?」

「いきなり意見を聞くのですか? まあ、謎かけをしているわけではないですからねえ、話を進めてしまっても構わないかな。このことについて、私は――」


 その時、個室のドアがノックされ、看護婦の声が外から聞こえてきた。


 上杉平蔵はやれやれと首を振り、話を中断した。


「今日はここまでにしましょう。続きはまた明日――出来れば、マッドバーナー、いや遠野玲と風間ユキを、ここへ連れてきてもらいたい」

「もちろんだ。私だけが聞いていい話ではない」

「……では」


 上杉平蔵は頭を下げ、部屋の外へと出て行く。入れ替わりに、点滴を運んできた看護婦が、室内に入ってきた。


(SKAと――風間一族)


 それぞれを率いる、ルクス、風間清澄。


 彼らの間に、如何なる感情が渦巻いているというのだろうか。


 知らず知らずのうちに、全ての真相に近づきつつあることを感じ、倉瀬は急に胃が縮まるような恐ろしさを感じていた。


 本当に、知ってしまっていいのだろうか。


 知ったら、元の世界には戻れなくなるのではないか。


 そんな恐怖が、倉瀬の胸中を襲い始めていた。

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