第96話 The Dark Night Comes

―同日 19:30―

 小松空港


 トリックスターは小松空港まで車で乗りつけた後、人質のミス百万石の女性を銃で脅しながら、ターミナルの中へと入っていった。


「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」


 折からの爆破事件で、警備に当たっていた警官たちが、トリックスターの姿を認めて銃を構える。


 トリックスターは空港の中を見回して、あさっての方向を向いたまま、警官たちをサブマシンガンで撃った。トリックスターの視界の外で、警官たちは次々と血を噴いて倒れてゆく。


 ミス百万石の女性が悲鳴を上げた。


 周りの利用客たちも、泣き叫びながら右へ左へ逃げ惑う。


「さて、最後のゲームと洒落込むか」


 混乱の中、誰ともなしに呟くトリックスター。


 ちょうど空港の前に一台のワゴンが猛スピードで滑り込んできて、急停車したところだった。


 ワゴンの中から、マッドバーナーと風間ユキが飛び出してくる。


「ウェェェェルカァァァァム……王子様とお姫様のご訪問だ。せいぜい楽しませてくれよ」


 トリックスターは冷笑を浮かべて、ミス百万石を盾代わりに、クロースチェーンソーを殿に残して、二階へと進んでいった。



※ ※ ※



 トリックスターこと、クリストファー・ローヴェンは、南米のある貧民街で生まれ育った。


 彼は、自分の運命を呪ったこともなければ、自分の人生を不幸だと思ったこともない。


 自分が他人と違う哲学の持ち主であることを、恥じたこともない。


 天性の“悪”。


 貧民街という環境が彼を育てたのではなく、彼という“悪”が、貧民街の中で純粋培養されていっただけなのである。


 十歳のころには、すでに貧民街のボスとして君臨していた。常人離れした知恵と暴力性で、幼くして、若者たちのカリスマ的存在であった。


 二十歳のころに、仲間を引き連れて北米へと渡り、あらゆる悪事に手を染めた。彼にとって犯罪とは、一種のゲームであり、単なる退屈しのぎであった。そこに意味など求めなかったし、人が死んだり殺されたりといった出来事に対して特別な感情を持つこともなかった。


 三十歳になって、彼は暇を持て余すようになっていた。


 この世界は、憎々しいほど、“調和”で成り立っている。大きな混乱が訪れた後には、また落ち着いた世界がやってくる。いつまでも混乱が続けばいいのに、そうすれば退屈しないで済むのに――と、トリックスターは感じるようになっていた。


 そんなある日、彼の前にシリアル・キラー・アライアンスが現れた。


 まさに世界に混乱をもたらす存在であり、あらゆる善悪の価値観を逆転してしまおうとしているSKAの志に惚れ込んだトリックスターは、迷うことなく入会した。


 そしてSKAの庇護のもと、トリックスターの狂気はますます激しいものとなり、ついに去年のマンハントを制するまでに至った。


 それでも。


 それでも、喉の渇きは収まらない。


 いつまで経っても、彼の求める混沌は実現出来ずにいる。


 そろそろくたびれてきていた。



 ※ ※ ※



 クロースチェーンソーこと、エドウィン・ハンセンは、生まれてすぐに川に捨てられた。


 誰が、何のために捨てたのか、エドウィンにはわからない。


 物心ついた時には、ある貧乏農家で家畜のように育てられていた。


 生後すぐに川に溺れたせいか、エドウィンの脳には欠陥が生じていた。人間を傷つけることに対する情緒の欠如。そのため彼は十歳の時、近くを通りかかった六歳くらいの女の子の頭を、後ろから大きな石で打ち砕いた。死体を家に持ち帰ったのは、彼にとって大きな魚を釣ったのと同じように、ただ自慢したいがための行為であった。


 彼を拾った一家は、この事件で彼を遠ざけるどころか、逆に彼を家族の一員として迎え入れた。その一家自体が、すでに頭のおかしい人間ばかりだったのである。


 やがて彼は、小学校へ入れられた。しかし、ぬいぐるみを友だち代わりに溺愛し、自分の世界しか見ていない彼が、他の同級生たちに受け入れられるはずもなく、すぐに自主退学へと追い込まれてしまった。以来、エドウィンは、ますます世間から離れていってしまった。


 初めてチェーンソーで人を殺したのは、二十歳の夏。観光気分で田舎町にやってきた若者たちを、自分の家に連れ込んで、次々と解体したのが始まりである。


 貧乏農家だった家族は、彼が“食料”を運んできたことに大喜びした。


 以来、家族も一丸となって、よそ者をさらってきては家の地下室で生きたまま腑分けし、肉を捌き、新鮮な人肉を食べるのが習慣となっていた。


 だがある日、急に一家は姿を消してしまった。


 残されたエドウィンは、家中を探し回ったが、誰一人発見することは出来なかった。


 彼の脳味噌では、自分がなぜ置き去りにされてしまったのか、理解出来ていなかった。


 シリアル・キラー・アライアンスという組織の人間が、エドウィンに入会を勧めてきた時も、彼は何ひとつ理解出来ないまま、契約書にサインをした。


 世界の動きも、自分の身の回りのことも、生い立ちのことも、何も理解出来ず。


 エドウィンには、ただひたすらチェーンソーで人を殺し続けることしか、他に選択肢はなかった。



 ※ ※ ※



「おまえ……なに……かんがえ、て、る」


 クロースチェーンソーの問いかけに、トリックスターはサブマシンガンを手の中で転がしながら、


「別に」


 と気のない返事を返した。


 階段の上にクロースチェーンソーは陣取り、玲とユキを牽制している。その背中に隠れるようにして、ミス百万石を抱きかかえたトリックスターは、サブマシンガンを構えたまま様子を窺っていた。


「どう……する……めいれ、い……くれ」


 トリックスターは答えない。


 下から睨みつけているユキの顔を、しばらく眺めた後、楽しそうに微笑んだ。


「いいねえ、その顔。俺に引導を渡そうと思ってるのか? ところが、お嬢ちゃん。世の中、そんなに甘くはねえんだよ。いつもいつも正義のヒーローばかりがカタルシスを得られると思うなよ」


 銃口を、クロースチェーンソーに向けた。


「いい加減、飽きたぜ。続きはあの世でやろうか」


 サブマシンガンが火を噴く。


 クロースチェーンソーのぶ厚い肉体が削れ、血と肉が飛び散った。攻撃を喰らったクロースチェーンソーの眼球が、怒りで真っ赤に血走る。


「お、ま、え――⁉」


「ヒャアアアハッハッハッハッハ! アイムトリックスタァァァァ! 最高に後味の悪い結末を馳走してやるぜ!」


 なおもサブマシンガンを撃とうと、引き金に指をかけたトリックスターだったが、一瞬のうちに距離を詰めてきたクロースチェーンソーによって、首を刎ね飛ばされた。


 今際の際に、トリックスターの生首が、虚空に向かって呟いた。


「The Dark Night Comes――(暗黒の夜の始まりだぜ)」

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