第93話 狂乱の金沢
―同刻―
金石近辺
玲たちの車を追い駆ける2tトラック。
荷台に乗っているピエロ男のロケットランチャーが火を噴いた。
「頭押さえてて!」
千鶴の怒鳴り声とともに、玲とあやめはシートに身を伏せ、体を固定する。
千鶴はサイドブレーキを引くと同時にハンドルを切り、ドリフト走行で細い路地に滑り込んだ。
一瞬遅く、ロケット弾がアスファルトの地面に激突し、爆発した。衝撃が車内に伝わってきて、玲とあやめは前部座席に体を叩きつけられる。
「TPOわきまえてよ!」
金切り声で罵り、千鶴は運転席側のドアを殴りつける。
大通りに出て、しばらく道なりに走っていると、再び2tトラックが合流してきた。荷台のピエロ男たちがマシンガンを乱射してくる。千鶴は伏せた。弾が当たって、運転席側の窓ガラスが粉々に砕ける。
「千鶴、このままじゃやられちゃう!」
「どうするのよ、あやめ! 武器なんてろくなもん持ってきてないわよ!」
「車を荷台に近づけて! 私が何とかする!」
おい――と玲が、あやめの無謀な考えを諌めようとしたが、あやめはそっと玲の唇に指を当て、
「君は大人しくしてて。私はこういう戦いが一番得意なの」
と微笑んだ。
千鶴はブレーキを踏み、急速にスピードを落とした。車は2tトラックの荷台に近づいてゆき、横にピッタリとつく。
「よせ、あやめ!」
玲の制止も聞かず、あやめは車のドアを開け、荷台の取っ掛かりに手をかけた。
そして荷台に上った瞬間。
銃声とともに、あやめの体から血飛沫が飛んだ。
―同刻―
医王山
倉瀬は、冨原の腕を引いて走っていたが、急に引っ張っている相手の重みが軽くなり、バランスを崩して、つんのめった。
(なんだ!? やけに軽い――)
振り返って、自分が掴んでいる冨原の腕を見てみた。
肩の付け根から、バッサリと切り落とされている。
「ぐおおおああああ!!」
肩口から噴き出る血を押さえて、冨原は苦悶の絶叫を上げている。
その背後では、チェーンソーを高々と掲げた大男が、血の滴る回転刃を眺めながら、狂喜乱舞している。
「冨原!」
倉瀬が叫ぶのと同時に、チェーンソー男は冨原の首を狙って、チェーンソーを大きく振った。
だが、冨原は身を屈めて回転刃を交わし、腰を返して、片手でステッキに仕込んだ刀を抜いた。
振り返りざまの抜刀術に、チェーンソー男は対処出来ず、腰を斬り裂かれた。しかし大した傷ではない。ほんの少し怯んだだけで、またチェーンソーを振り上げ、攻撃を再開する。
冨原が腕を斬り落とされたことで、倉瀬の麻痺した頭は、徐々に機能を取り戻しつつあった。
(私としたことが!)
敵に臆した自分を恥じ、チェーンソー男へと立ち向かってゆく。
チェーンソー男は大柄な、典型的な西洋人の体型だ。通常であれば小柄な自分が戦うには不利を否めないが、こと秘孔に関しては、その限りではない。小柄だが繊細な作りをしている東洋人の肉体に比べて、大柄な体格の西洋人は、パワーに優れている分、経絡秘孔が効きやすいという致命的な弱点を持っている。
その弱点を突けば――。
「えいああ!」
チェーンソー男の懐に潜り込み、正拳で、胸のど真ん中にある急所、膻中(だんちゅう)を突き抜く。
ゴフッ――とチェーンソー男は咳き込み、二歩後退した。膝をつき、チェーンソーを落とし、胸を押さえている。
まともに喰らったのであれば、肺に穴が開いているはずだ。そうでなくても、しばらくは動けないだろう。
「冨原、逃げるぞ」
倉瀬は冨原を立ち上がらせようとしたが、冨原は残った片腕で、倉瀬が差し出した腕を払いのけた。
「俺ァ、行かねえよ」
「何を言っている」
「わかるだろ。詰み、だ。本当は野郎が動けない今、トドメを刺してえ気分だが、手が震えてどうしようもねえ。血が薄くなってきてるみてえだ。俺はもう駄目だ。爺さん、あんただけ逃げてくれ」
「馬鹿言うな、まだ生きている人間を放っていけるものか!」
倉瀬は無理やり冨原を背負い、駆け出した。背後からピエロ男たちの怒号が聞こえてくる。かなり距離を離してから、再びチェーンソーの爆音が聞こえてきた。チェーンソー男が回復したようだ。
旧牧場地の山林を駆け抜けながら、車を停めてある駐車場を目指す倉瀬に、冨原は囁いてきた。
「爺さん――俺の人生、なんだったんだろうな」
「黙れ。車までもうすぐだ」
「世の中、上手くいかねえな。極道の中の極道になりてえ、って思っていたのに、気が付いたら、こんな所でのたれ死にだ」
「まだ終わっていない」
「あんたとの決着もつけたかったのにな」
「もう終わったはずだ」
「いいや、俺は、あんたか俺か、どっちかが死ぬまで戦いたかったんだよ。戦うってのは、そういうもんだろ」
「ここを生き延びたら、いくらでも戦ってやる」
「もう無理だ。お迎えが来てら……」
その声音の弱々しさに、倉瀬は本当に“死”を感じた。
逡巡する。確実性を取るのであれば、ここで冨原を置き去りにして、自分だけ逃げた方がいい。感情に流されて、自分まで命を落としては、それこそ本末転倒だ。
けれども、人としての心が、倉瀬を悩ませている。
冨原を見殺しにしてもいいのだろうか。
そんな権利が自分にはあるのだろうか。
「爺さん……あんた、死にかけの俺を救いてえのか? 風間ユキを助けてえのか? どっちなんだ?」
冨原の言葉で、悟る。
自分はいま、運命の選択を求められている。
どちらか一方しか選べない非情な選択。そして、この場合、一方の選択肢は選ぶ意味がない。意味があるとすれば、それは自分の自己満足を満たすためだけだ。結局は誰のためにもならない。
倉瀬は、冨原を下ろした。
「それで……いいんだ」
「……」
目の見えない冨原と向かい合い、倉瀬はしばし無言で佇んでいたが、
「すまぬ」
頭を下げ、全速力でその場から離れていった。
背後から銃声とチェーンソーの音、冨原の叫び声が聞こえてきたが、倉瀬は決して振り返ることなく、ただひたすらに自分の命を守るため、苦渋の逃走を続けていた。
―同刻―
金石付近
あやめは右腕を撃たれた瞬間、ピエロ男の一人に向かって跳び込み、その背後に回ると、左腕で相手の喉笛に短刀を押し当てた。
「おとなしくしないと、こいつの首を掻っ切るよ!!」
脅しをかけるも、
「人質ごと撃ち殺せ!」
リーファの無慈悲な号令とともに、残る四人のピエロ男たちが、一斉射撃を開始した。
人質になっていたピエロ男は、無数の銃弾を喰らい、肉片と血を飛び散らせながら体を躍らせた。
あやめは、巻き添えを喰う前に荷台から飛び出し、突起物を掴みながら、猛スピードで走行する2tトラックの側面を素早く移動する。
運転席側に到達した瞬間、窓ガラスを蹴破って、車内に突入した。
「げっ⁉」
運転席にいた殺人鬼が、驚いてハンドルを放す。
あやめはすかさず、殺人鬼の喉を短刀で切り裂いた。
噴き出た血がフロントガラスを真っ赤に染める。
「痛っ」
撃たれた右腕が痛む。痺れている。神経をやられたかもしれない。
「女の子の大事な体に――なんてことすんのよ、バカぁ!」
涙目になりながら、あやめは急ブレーキを踏む。
荷台の敵どもがバタバタと倒れる音がした。
「ええい!」
ブレーキを踏みつつ、ハンドルを思い切り横に切った。
限界までハンドルが回転すると同時に、2tトラックは急速に向きを変え、慣性のまま横滑りし、やがてバランスが崩れて車体の片側が浮き上がった。
上下の感覚が狂ってきた車内で、あやめは助手席へと駆け上がり、ウィンドウを蹴破ると、外に飛び出した。
車道に着地する。
それと同じタイミングで、2tトラックは横倒しに転倒し、向こうの方へと滑っていく。
小さいビルに激突し、停止した。
あやめは倒れた2tトラックへと駆け寄っていく。
トラックの陰から、アサルトライフルを持ったピエロ男が二人、よろめきながら立ち上がってくる。あやめは棒手裏剣を胸元から出し、連続で投げた。
ピエロ男たちの頭に命中、一撃で絶命させる。
続いて、リーファが、ロケットランチャーを構えて、飛び出してきた。
「ぶっ殺してやるわ!」
ロケットが発射された。
あやめは弾の軌道を読んで、激突寸前で身を横にずらす。
かわした、と思った。だが、彼女の予想よりも短い距離で、ロケット弾は地面に着弾した。
爆風で吹き飛ばされた。
地面に叩きつけられる。頭を打つ。直撃は避けたものの、破裂したロケット弾の破片が脚に突き刺さり、地面に打ちつけた頭が、ガンガンに痛む。
それでも、夫に異常な愛を注ぐリーファに――あの中国女なんかに負けたくなかった。
腰から棒手裏剣を外し、リーファに向かって投げつける。入れ違いに、リーファがアサルトライフルの引き金を引いた。
棒手裏剣はリーファの額に突き刺さった。
かわりに、あやめの腹部に、ライフルの銃弾が三発食い込んだ。
血を吐き出す。
「え……?」
あやめは、腹に手を当て、手の平にベットリとついた赤い血を見て、自分の負った傷の深さを知った。
「や……だ」
薄れゆく意識の中、あやめは何もない空間に手を伸ばし、誰かに助けを求めようとする。
あやめは倒れ――ゆっくりと目を閉じた。
―同刻―
医王山
冨原は笑っていた。
最期の最後に、大和魂を見せつけてやることが出来た。
林の中に隠れて、目が見えないながらも、追ってきたピエロ男二人を仕込み杖で切り刻んでやった。何発か銃弾を体に受けてしまったが、もう死にかけの身であるから、怖くはなかった。むしろ、追加で相手の首を刎ね飛ばしてやったくらいだった。
直後に現れたチェーンソー男には、さすがに勝てなかったが。
三回ほど刃を交えた後、腰を切断された。
臓物がこぼれ落ちるのと、自分の体が上下バラバラになるのを感じた。腰から下がポッカリと空白になった感じが気持ち悪かった。
それでも、敵に一矢報いることが出来て、冨原は満足だった。
(親父、俺は強かったか――?)
心の中の父に問いかける。
(俺は、俺の暴力は、強かったか――?)
足音が聞こえてくる。チェーンソー男のものと思われる、重々しい足音。自分の耳元で止まった。おそらく、倉瀬を取り逃がしたのだろう。だから、仕方なく、自分にトドメを刺しに戻ってきた……。
「ざ、ま、あ、み、ろ」
冨原は嘲笑った。
顔面に、チェーンソーの刃が当てられるのを感じた。
チェーンソーが起動し、回転する音が鳴り響いたところで、冨原の意識はブツンと切れてしまった。
―同刻―
香林坊
どいつもこいつも、やり方が甘い。
トリックスターはそう考えている。
「同じ殺すなら、派手に。持てる力を最大限に活かして、殺さないとな」
マンハントはゲームだ。
そして、ゲームをプレイする人間には、二通りのタイプがいる。
自らに制約を課して最小限の力でスマートに勝とうとするタイプと、どんな手を使ってもいいから最大限の力を発揮して勝とうとするタイプ。
トリックスターは、同じゲームをやるなら、最大限の力を発揮することを信条としている。
勝つ奴こそがスマート、とトリックスターは信じている。
「お祭り騒ぎか」
目の前の大通りで、日本人どもが踊り狂っている。百万石まつりの二日目のラストを飾る、百万石踊り流し。ライトアップされた国道で、老若男女が行列を組んで舞う賑やかな踊り。
「今ごろ、港と山の方で、大惨事が起こっているというのに、呑気なもんだねえ」
クククと苦笑した。
トリックスターは楽しくて楽しくてしょうがない。敵の戦力がどれだけ削れるか――こちらの損害とプラスマイナスしても、一人でも多く仕留められたのであれば、上出来だ。仮に誰も死ななかったとしても、それはそれだ。
今回の罠は、相手を倒すための罠ではない。
相手に恐れを抱かせるための罠だ。
たとえ損害を被ったのはこちらだけだとしても、攻撃すれば手痛い反撃が待っていると、連中に教えさせられたのであれば、目的は大成功だ。
「俺が、とっても怖い奴だって――よ~く、わかっただろ?」
片手を上げ、爆弾のスイッチに指をかける。
「お前らはまだ本当の狂気を知らない」
ボタンを押す。
途端に、百万石踊り流しの行列の真ん中で、爆発が起きた。砕け散った人体のパーツが、路上に散乱する。血肉と煙の香り。さっきまで楽しい踊りの場だった国道は、たちまち戦場を逃げ惑う人々の悲鳴と怒号で一杯になった。
「よしよし、ガキはいねえ。爺さん婆さんばかりの列だな。ハラショー!」
トリックスターは大笑いして、拍手を打ち、絶叫を上げて逃げ惑う人々の中に飛び込んだ。国道沿いに作られたステージ上に、『ミス百万石』の美女三人が腰を抜かして座り込んでいる。
「ハーイ、お嬢さんたち」
急に現れたピエロメイクの男に声をかけられ、『ミス百万石』の一人が悲鳴を上げた。メイクの異様さに怯えただけではない。ピエロ男が拳銃を握っていることに、彼女は気が付いていた。
「一緒に来てもらおうか。さらわれるのは、昔からキュートなプリンセスって相場が決まってるもんだろ?」
トリックスターはまたスイッチを取り出し、ボタンを押した。
今度は、すぐ近くの109のビル最上階で爆発が起きた。吹き飛ばされた壁面が落下して、下を逃げていた人々を押し潰した。
混乱はますます激しくなった。
『ミス百万石』の三人娘は、ただ黙ってトリックスターについていくより、他に道はなかった。
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