第92話 狂乱のチェーンソー

―2009年6月8日 19:00―

 医王山


 金沢郊外の医王山。


 旧牧場跡地に一台のバスが停まっている。


 星空の下、バスの中では場違いなほど焦燥しきった表情の老若男女が、いつ自分たちは解放されるのだろうかと、怯えた目で様子を窺っている。


「迂闊には踏み込めんな」


 使われなくなったサイロの陰に隠れて、倉瀬は状況確認をしていた。


 バスの周りには、四方を囲む形で、ピエロの扮装をした男たちが四人警備をしている。それぞれアサルトライフルを所持している。


「AKS-47だ」


 ダイナマイトと呼ばれている悪獣部隊の隊長が、憎々しげに呟いた。


「あの道化野郎、どこから手に入れたんだ、あんな武器……」

「シリアル・キラー・アライアンスの手にかかれば、あの程度の武器を調達することなど朝飯前なのかもしれん。お前さんたちが喧嘩を売ろうとしているのは、そういう相手だ」

「知るか、そんなこと」


 ダイナマイトは倉瀬を睨んだ。


「俺は堂坂のオヤジのために戦っているだけだ。わけわかんねえ殺人鬼どもについて考えてる時間なんてねえんだよ」

「だから、とっととケリをつけたいと」

「おうよ」

「あんなマフィアでもない素人連中は、軽くひと捻りだと」

「おうよ」

「だがなあ……そのマフィアの背後をも、シリアル・キラー・アライアンスは操っているのだぞ。より危ない連中だとは思わんのか」


 これまで倉瀬や遠野玲たちが手に入れてきた情報を整理すると、この戦いに関わる勢力は、大きく四つに分けられる。


 1つは、SKAと、その直系組織であるマフィア龍章帮。SKA側。


 1つは、アイオーン教団。SKAと対立していると思われる。


 1つは、アマツイクサや堂坂組、あるいは警察。日本を守ろうとする集団。


 そして、最後に、いまだ何を企んでいるのかわからない――三元教。


「この戦いは、単純な勢力図では全貌を掴めない、ややこしい力関係が働いている。あまり侮ってかかると、痛い目に遭うぞ」

「侮ってはいねえよ」


 ダイナマイトは、虎髭を掻いた。ボサボサに伸びた髭は、まるで古代中国の武将のようだ。性格の偏狭さはさて置き、戦いとなれば、それなりの働きが期待出来そうではある。表情がここに来て落ち着いてきている。とりあえず、倉瀬はダイナマイトの考えを聞くことにした。


「見ろ、雲が流れている」


 指さす方向を見上げると、星空を覆い隠すように、雲が広大な範囲にまたがって広がってきている。


「もうすぐ月にかかる。その時がチャンスだ」

「まさか、月の明かりが消えた程度の暗さで、あの中に突入するつもりじゃないだろうな。奴らの設置した灯りもあるんだぞ」

「月が隠れると同時に、全部壊してやるぜ」


 そうこうしているうちに、月は雲に隠れた。


 ダイナマイトは暗視ゴーグルを装着し、手を上げた。


 他の場所に隠れていた部下たちが行動を開始し、次々にバスの周りの照明を銃で破壊してゆく。全ての灯りが壊れた時、月明かりのない旧牧場は、闇に包まれた。


「行くぞ、てめえら!」


 悪獣部隊は陰から飛び出て、あっという間にピエロ姿の男たちを押し倒し、アサルトライフルを取り上げる。呆気ないほど一瞬の出来事であった。


「さすが――だな」


 倉瀬は目を見張った。


 堂坂組の悪獣部隊については、噂には聞いたことがある。特殊部隊顔負けの熟練度と機動力を誇る、最強の戦闘集団と。その噂に違わぬ活躍ぶりに、ダイナマイトが自信たっぷりであったのも納得出来た。


「しかし、まだ油断するな。バスの中に敵は潜んでいるのかもしれない」

「ふん、余計な忠告だぜ」


 ダイナマイトは鼻で笑い、バスのドアを開けた。中に入って、乗客たちに声をかけている。


(一件落着……か?)


 倉瀬は腑に落ちない。


 まず、バスがこの医王山の旧牧場跡に置き去りになっていることである。ここは、昼間は家族連れや小中学校の生徒たちが遊びに来る場所でもあり、夜になるまで別の場所に隠していたのだとしても、わざわざこんな目立つ所にバスを放置するメリットはない。自分たちが先に見つけたが、普通はすぐに警察が見つけ出してしまうだろう。


 それに、警備が緩すぎる。


 先ほどの悪獣部隊の突入に対しても、まるで抵抗なしだ。


(まさか――わざと、見つけやすく!?)


 その時、ピエロ姿の男を地面に押さえつけていた悪獣部隊の一人が、


「おい、こいつ、敵じゃない――人質の1人みたいだぞ!」


 と叫んだ。


 うつ伏せに倒されている男は、身をジタバタとよじらせながら、くぐもった声で何事かウンウンと呻いている。着ているスーツからして、サラリーマンのようだ。


「馬鹿野郎、暴れるな。何言ってるかわかんねえよ、ちゃんとこっち向いて喋れ!」


 押さえつけている悪獣部隊の男は、スーツのピエロ男の頭を掴み、自分の方を向かせた。


 何か、ピンのような物が飛んだ。


「――あ?」


 悪獣部隊の男は、首を傾げる。


 ピエロ男の下唇に、リングが突き刺さっている。リングから鋼線が伸びており、ダラリと下がった。まるで、手榴弾のピンを引っこ抜くためのような――


「やだ、やだ、やだああああああああああああああああああああああ!!!」


 爆ぜた。


 ピエロ男と、悪獣部隊の男は、五体が粉々に砕け、あたりに肉片をぶちまけた。バスの中から、乗客たちの悲鳴が上がる。


「おい、そいつらから離れろ! 唇に手榴弾のピンが付いている! 振り向かせるな! 喋らせるな! みんな死ぬぞ!!」


 倉瀬の指示に、悪獣部隊はギョッとして、残る三人のピエロ男たちから離れた。


「どういうことだ!?」

「つまり、ピエロの装飾をさせて、敵のように見せかけていたが、本当は全員人質――」


 と言いかけたところで、倉瀬は誰かに腕を引っ張られ、体を倒された。


 冨原だ。


「何をす――!?」


 抗議しようとした倉瀬の頭上を、銃弾が飛んでいく。


 ピエロ男三人のうち二人が、倉瀬に照準を合わせている。


「畜生! 本物も紛れてやがったか!」


 悪獣部隊の拳銃が火を噴いた。ピエロ男の一人が頭を撃たれて即死したが、もう一人のライフル射撃で、拳銃を撃った悪獣部隊員の一人は蜂の巣になって死んだ。


 銃撃戦が始まり、ピエロ男たちも、悪獣部隊も、物陰に隠れて激しく撃ち合う。


 倉瀬と冨原も、サイロの陰まで戻って、身を隠した。残る一人の人質と思われるピエロ男は、頭を抱えて、ムウムウと唸っている。倉瀬は助けようと身を乗り出しかけたが、流れ弾が手榴弾に当たったのか、人質のピエロ男は爆散した。倉瀬は唇を噛んだ。


 バスの中から、今度は絶叫が聞こえてくる。断末魔の叫びだ。チェーンソーのモーター音も聞こえてくる


 倉瀬は、頭を出すのは危険なので、手鏡をサイロの陰から出して、様子を見た。暗いのでわかりにくいが、それでも、バスの窓に赤い血が飛び散るのを確認出来た。


「……なんだ、あいつは!?」


 ツギハギだらけのマスクを被った大男が、バス車内でチェーンソーを振り回している。そのたびに、乗客の首や手足が切断され、血肉が車内に乱れ飛んでいる。巨大な洗濯機に、人間を押し込んだような、凄惨な光景だ。


 外に逃げ出してきた乗客は、もれなく銃撃戦の巻き添えを食らって、バタバタと死んでゆく。外の銃弾、内のチェーンソー。助かる術はない。


「隊長ぉ⁉」


 悪獣部隊の一人が、絶望の声を上げた。


 隊長ダイナマイトのズタズタに切り刻まれた生首が、バスの外に放り出されてきた。


「くそ――」


 悪獣部隊は、ある者はバスに照準を合わせ、ある者はピエロ男を狙い、両方向の敵に対応しようとした。


 しかし無意味だった。


 バスから出てきたチェーンソー男は、巨体に似合わぬ素早さで悪獣部隊員の一人に距離を詰めると、チェーンソーで体を下から上まで真っ二つに切り裂いた。


 その後、猛獣の如き俊敏さで悪獣部隊の間を駆け回り、ものの一分もしないで、全員チェーンソーの餌食としてしまった。


「化け――物」


 倉瀬は体が震えるのを抑えられずにいる。


 久々に感じる恐怖。


 愛知県警で“認識不可能な敵”と戦った時でも、これほどの恐怖は感じなかったが、今回は違う。


 この敵には勝てる気がしない。


「VWOOOOOOOOOOOO!!!」


 チェーンソー男は吼え、こちらに向かって突進してきた。


 サイロの陰に隠れるのを見られていたのか、獣の勘なのか。


 倉瀬は足が動かなくなっている。


(私は――馬鹿な、修羅場を潜り抜けてきたはずの私が――身動き出来ない、だと)


 生まれて初めて出会う、力も心もまるで別次元の存在。本物の悪魔を目の前にして、倉瀬は本当の恐怖を覚えていた。


(まず、い)


「爺さん、しっかりしろ!」


 恐慌を来たしている倉瀬の腹を、冨原が殴った。


 少し我に返る。


「う、む」


 冨原の手を掴み、サイロから離れる。


 さっきまで自分たちがいたサイロの壁を、敵のチェーンソーがガリガリと盛大に切り裂いた。


 あのスピードでは、追いつかれるのも時間の問題だ。それまでに、遠くに停めた車の所まで戻り、乗り込めるかどうか――


「これが敵の狙いか」

「あ、なんだって? 爺さん」

「敵が人質を取ったのは、ただ風間ユキを殺すためではない。この町を、金沢を混乱と恐怖に叩き込むのが最大の目的だ。見つけるのは警察でも誰でも良かった。派手に暴れる劇場型――それが敵の闘い方なんだ!」

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