第87話 変わる心

 一週間後。


 トリックスターはクロースチェーンソーを家に残したまま、山の麓にある町へと下りていった。


 クロースチェーンソーの銃創がある程度治るまでの間に、仕込みは済んでいる。まだ奴は自由には動けない状態だが、今回の計画では特に機動力は必要ではない。


 あとは計画を実行するだけだ。


「ポチ、っと」


 町の中心部にある公園で、トリックスターは起爆装置のスイッチを入れた。


 たちまち、町の各所に仕掛けられた爆弾が爆発する。


 一気にあたりは大パニックとなった。


 鼻歌を歌いながら、トリックスターは幼稚園の送迎バスに乗り込み、目的地へと向かう。


 幼稚園に到着すると、金で雇った男に窓から顔を出させて、


「早く子どもたちを中に! 避難させないと!」


 と煽らせた。


 薬物のジャンキーで、薬が買えるだけの金を餌に釣った程度の男にしては、なかなかの名演技だった。上出来上出来、とトリックスターは内心拍手した。


 各地の爆発で正常な判断能力を失っていた幼稚園の先生たちは、慌てて子どもたちを送迎バスに乗り込ませた。田舎の幼稚園だから、一台のバスで足りた。


 幼稚園児が全員乗ったところで、トリックスターは車を発進させた。


 やがてバスが山奥に入ってゆき、幼稚園児たちが不安そうに顔を見合わせ始めた時。


 トリックスターは金で雇った男を銃で撃ち殺した。


「ばあ」


 運転席から後ろを向いて、幼稚園児たちに舌を突き出す。


 阿鼻叫喚。


 幼稚園児たちは震え上がり、泣き叫び、ひたすらパパやママの名前を呼んだ。だけど、走っているバスから飛び降りることも出来ず、残虐な殺人鬼の待つ一軒家へと連れて行かれる以外、彼らに他の選択肢はなかった。




 さらに一週間後。

 幼稚園児たちは、それぞれの家に帰ってきた。

 無残な姿で。




―2009年5月20日―

 洋上の飛行機


「どうして……ころさ、なかった……」


 日本へ向かう飛行機の中。


 ファーストクラスの座席に身を埋めたクロースチェーンソーは、隣で悠々とワインを飲んでいるトリックスターに、非難の声をかけた。


 布キレを脱いだクロースチェーンソーの素顔は意外と美男子だった。浅黒い肌の情熱的で濃い顔立ちをしている。メキシコあたりの血が混じっているのか、とトリックスターは冷静に分析していた。


「他の客もいるぜ。物騒な話をするなよ」


 とは言っても、他の客は寝入っているし、各席は間が離れている。仮に会話の内容を聞かれたとしても、どうとでも出来る自信がトリックスターにはあった。


「ガキ殺しってのは、スマートじゃないし、犯罪の世界でもタブーなんだよ」

「なん、で」

「どんな人間でも、幼い命が奪われることには抵抗がある。同じ無差別殺人でも、大人が死にまくる場合と違って、ガキが死にまくった場合は、残虐非道のレッテルを貼られる。そうなると犯罪者の間でも嫌われるようになって、次の活動がしにくくなる。だからガキは殺さない」

「わかん、ない」

「わかんなくていい。だが気は済んだろ」

「う、ん」

「だったら、次の殺しのことを考えようぜ」


 トリックスターはあえて幼稚園児たちを殺さなかった。


 殺さなかったが、クロースチェーンソーの家に軟禁して、一週間の共同生活を強要した。


 その過程で、近隣から何人か大人を誘拐して、幼稚園児たちの目の前で惨殺したり、時には幼稚園児たちに殺害を指示したりした。バラした死体の肉を、鍋に入れて、夕飯に出したこともあった。食べるのを拒否した子どもには、無理やり食べさせた。夜寝ている時に、断続的にクロースチェーンソーにチェーンソーを起動させて、幼稚園児たちを怯えさせることもした。


 ありとあらゆる残虐行為を見せつけて、幼稚園児たちの精神に異常を来たさせる。


 それがトリックスターの狙いだった。


 家に帰ってきた幼稚園児たちはほとんどが精神に破綻をきたしていた。


 親にとっては、子どもが殺されるのと同じくらい残酷な仕打ちだっただろう。あのレベルのトラウマは、そう簡単には治らない。成長してからもずっと恐怖を引きずることになるだろう。


「どんな敵に襲われても生き延びる女、か……だったら、自分から死にたくなるようにさせてやるぜ」


 自分の犯罪者人生最大のターゲットを如何にして殺すか。


 その策を考えては、早く日本に到着しないものかと、トリックスターは身をウズウズさせていた。


【会員No】797

【登録名 】トリックスター(破壊的道化)

【本  名 】クリストファー・ローヴェン

【年  齢 】39

【国  籍 】不詳

【ラ ン ク】B


【会員No】801

【登録名 】クロースチェーンソー(布被りのチェーンソー)

【本  名 】エドウィン・ハンセン

【年  齢 】35

【国  籍 】アメリカ合衆国

【ラ ン ク】D




―2009年6月7日―

 金沢


「ちょっと、ちょっと。あの可愛い子、なんなの? 奥さんと別れちゃったの?」

「馬鹿か。違う」


 行きつけの美容院にユキを連れていき、彼女を待っている間、週刊誌を読んでいた俺に店長の千鶴が話しかけてきた。


 千鶴は高校時代の俺の同級生で、卒業後は美容師の資格を取るために専門学校へと進学していった。


 そして今では広坂で美容院を営んでいる。


「じゃあ、不倫?」

「親戚だ!」


 嘘ではない。俺の姪なのだから。


 嘘ではないのだが、当のユキ自身は俺のことを赤の他人と思っている以上、嘘をついているようなものだ。


「くす」


 ユキがこっちを見て笑った。


 ああ、本当のことを言ってやるべきか。実の父親とか、そこまで深刻な話でもないから、打ち明けてやるべきなのだろうが、ついつい躊躇してしまう。


「なーんか、遠野くん、様子がおかしいね……?」


 カールした髪をくるくると指で回しながら、千鶴はつぶやいた。


 昔から彼女は変なところで勘が鋭い。


 夏向けに爽やかな髪型に。


 うなじのあたりでバッサリと切ったショートボブの髪は、案外、ユキに似合っている。ロングヘアだった頃と比べて、急に活発な女の子になった感じだ。


「うん、いい感じ」


 鏡を見て、ユキが満足げにうなずいた。


 さっぱりした自分の髪に、ユキはご満悦の様子だった。


「う~ん、悔しいけど……若いっていいわね」


 千鶴は腕を組んで、唸り声を上げる。


「どうせ勝てないんだから張り合うな」


 俺はいやみを言ってやった。


 千鶴の蹴りが飛んできた。




 レジで金を払う時、千鶴は最近の殺人事件について話してきた。


「最近、金沢でやたらと人殺しが多いじゃない。1月に金沢駅で軍隊みたいなのがテロ活動したのとか、4月に21世紀美術館で刑事さんが殺されたのとか。全部マッドバーナーの仕業だっていうし。観光に来てる外人が次々と死んでるっていうんで、県の観光課とかも焦ってるんだって」

「ふうん」

「私の店も21世紀美術館に近いじゃない」


 広坂の目と鼻の先が21世紀美術館だ。


「あそこで殺人事件が起きた、なんて思うと、怖くて夜まで営業してられないよ。遠野くんも、夜道には気をつけてよ」

「ああ」


 レシートを受け取り、ユキと一緒に外へ出る。


 もうすぐ夜の六時。空は暗くなりつつあり、街灯も点き始めている。そろそろ浅野川で灯篭流しが始まるはずだ。


「遠野さん、私、灯篭流し見てみたい」

「大したことないぞ」

「でも、見たことないの。初めてだから、一度だけでも見てみたいよ」

「はいはい、わかったわかった」


 殺人鬼の襲撃が懸念されるが、なんとかなると思った。それに金沢市内は、相次ぐ惨殺事件の影響で、厳戒態勢に入っている。町のあちこちに警察官が立っているから、迂闊には奴らも行動を起こせないだろう。


 とはいえ、奴らはとりあえずユキを殺せばゲームクリアなのに対し、俺はあと何人襲ってくるかわからない殺人鬼たちを相手に、いつ来るかと待ち構えていなければならない。


 おまけに自分がマッドバーナーであることが警察にバレてもいけない。


 圧倒的に不利な立場。慢心は禁物だ。


 


 浅野川に着く頃には、すでに灯篭流しは始まっていた。


「きれい――」


 橋の上で、眼下を流れる灯篭を眺めながら、ユキは眼を輝かせている。


「ね、下におりようよ」

「川辺の方にか?」

「うん、近くで見てみたい」


 ユキにねだられて、俺は彼女の周囲に気を配りながら、一緒に橋の下へと下りていった。


 川原にはすでにカップルや家族連れが集まっており、間近で灯篭流しを鑑賞している。人気の少ない橋の下へと潜り、空いているスペースに俺たちは入った。


 水上をオレンジ色に輝く灯篭が次々と流れてゆく。


 ユキはうっとりとその光景を堪能している。


「遠野さん、座ろ」

「ん? ああ……」


 どうも展開がおかしい。ユキは浮かれすぎのような気がする。


 と、隣に腰かけた瞬間、彼女は俺の肩に頭をこつんと寄せてきた。


「――!」


 息を呑んだ。


「遠野さんは」

「ああ」

「本当は強くって、優しくて、素敵な人だと思う」

「そりゃ、どうも」

「でも――どうして人殺しなんだろ」

「……」


 俺もユキも黙っている。


 流れる川の音が耳に入ってくる。暑い夏の夜に清涼感をもたらしている。


「上杉刑事は俺に言った。『お前みたいな悪魔が、生きていていい道理はない』と」

「小夜さんが……?」

「ああ」


 俺は頷く。


 だんだん肩にのっているユキの頭の感触が心地良くなってきている。


「事実そうだと思う。俺は殺さなくてもいい人間を殺してきた。たしかにクリスマスイブになると発作が起きる。人を殺さないと元には戻らない。それでも、俺が自分の命に執着さえしなければ、無駄に人は死ななかったかもしれない」

「それは――」

「いや、いい。本当にその通りなんだ。そもそも、クリスマスイブの地獄の苦しみを耐え抜けば、もしかしたら発作は収まるのかもしれない。それなのに、我慢しようともせずに、誰かを焼き殺してきた」


 あるいは。


「どこかで、人が焼け死ぬのを楽しんでいる俺が」

「そこまで」


 みなまで言わせてもらえなかった。


 俺の口は、ユキの小さな手の平でふさがれた。石鹸のいい薫りがした。


「……?」

「もうそれ以上言わなくていい。私のことを命懸けで守ってくれてる。私にはそれで十分だから。あんまり自分を責めないで、遠野さん」


 ユキは微笑みかけてきた。


「私のこと、いつまでも守って」


 いつまでも――


 それはマンハントが終わるまでという意味か、それとも。


「すまん、辛気くさい話して。帰ろうか」

「うん」


 明るく頷いて、ユキは俺の腕に抱きつくと、体を寄せてきた。甘える感じで。


 周りからは俺たちはどんな関係に見えるのだろうか。親子か兄弟と見てくれればいいが、しかしユキの抱きつき方は、ちょっと度を越しているかもしれない。


 嫌な予感がした。


 思えば、この二ヶ月間、ずっとユキを守って激しい戦いを続けてきている。何度もユキの窮地を救った。


 そのたびにユキの俺を見る目が信頼の眼差しへと変わっていったが、やがて信頼をも超えた“熱”がこもるようになっていた。


 まさかとは思うが。


 俺はこの子の心に、あってはならない変化を起こしてしまったのかもしれない。

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