第86話 トリックスターとクロースチェーンソー

―2009年5月2日―

 アメリカ


 アメリカはニューヨーク。


 市内でも五本指に入る大手銀行に、突如として、ピエロのメイクをした男たちが次々と乱入して、手際の良い組織的行動で、金庫の金を強奪するという凶悪事件が発生した。


 最近、アメリカの主要都市で多種多様な犯罪を働いている、トリックスターと呼ばれる男の一味である。


 集団強盗、猟奇殺人、テロ行為――およそ人間が出来うる犯罪は全てやりつくしているという犯罪者であり、犯していない罪は自殺だけという、筋金入りの悪党トリックスター。


 実は、彼もまたシリアル・キラー・アライアンスの一員であった。




 現金を積んだトラックの中。


 用済みになった部下たちを次々と銃で撃ち殺して、血に染まった車内で鼻歌を歌っていたトリックスターは、携帯電話からSKAの会員サイトにアクセスし、マンハントの近況を確認した。


 つい最近死亡確認されたのは、カースカーズ(呪われた車たち)とチェインナード(鎖のオタク)。


 行方不明になっているのは、チャーリーパニッシャー(執行人チャーリー)。


「ハッ……どいつもこいつも、カス揃いだぜ」


 甲高い声で、トリックスターはマンハント脱落した会員たちを馬鹿にした。


 そろそろ自分が動くか。


 去年のマンハントをクリアしたトリックスターは、それっきり興味をなくして自分の犯罪に没頭していたが、「今年のマンハントは別格である」と聞かされて、二年連続で挑戦しようかと思い始めていたころだった。


「俺も舞台に上がるとするかな」


 引き金を引いて、運転席の運転手を無造作に射殺する。


 トラックから飛び降りた。


 郊外の道に降り立ったトリックスターは、背後で岩場に激突して爆発炎上するトラック――先ほど奪ったばかりの何百万ドルもの大金も炎に呑まれて灰となっている――には目もくれず、鼻歌を続けながら、踊るように道を歩いていた。


「ここはどこだ」


 安全装置の外れたサブマシンガンの引き金部分に指を引っ掛けながら、ブンブンと振り回して遊んでいたトリックスターは、ふと足を止めた。


 田舎道に入ってしまったようだ。


「俺様はー、ストレイシープー♪」


 鼻歌を歌いつつ、再びトリックスターは歩き出す。


 夏の暑さに汗が噴き出して、顔のドーランを落としていく。


 直進方向に、古ぼけた二階建ての一軒家がある。多少年季が入っていることを除けば、ごく普通の田舎の家屋である。


 と、いきなり二階の窓ガラスが砕け散り、女性が飛び降りてきた。


 地面に着地した女性は、自分が外にいることを確認すると、引きつった笑みを浮かべて、キャアアと歓喜の悲鳴を上げた。家の中でよほどの恐怖に遭遇したのか、狂ったように笑っている。まだハイスクール通いしているような年齢の、ブロンド髪を束ねた若い女性だった。


 こちらに向かって駆けてくる。


 前が見えていない。


「ハイ」


 トリックスターが声をかけると、目の前まで接近していた女性は急に立ち止まり、そしてトリックスターの異様なメイクを見て、今度は恐怖の叫びを上げた。


 腰を抜かして崩れ落ちる。


「おいおい、なんでそんなに余裕ないんだ? 俺を見ろ、悪人に見えるか」

「ひ――ひ――」

「あの中で何があった? 言ってみろ」

「チェ、チェーンソー持った殺人鬼が――み、みんなを、殺して――」

「そいつぁ、可哀想に。逃げな。おじちゃんがいっちょ、ぶっ殺してきてやるよ」

「あ、あり、ありがと――」


 女性が例を言うのと同時に。


 玄関からチェーンソーを持った巨漢が飛び出してきた。


 頭部にはボロ布を継ぎ合わせた面妖なマスクを被っており、どう見ても正常ではない。


「ひ――来た――」

「早く逃げろ。あとは俺に任せて」

「は、はい!」


 トリックスターの手に握られたサブマシンガンを見て、女性は心強いと感じたのか、明るい表情になり、トリックスターが進んできた道を走り去ってゆく。後ろを振り返らずに一目散に逃げてゆく女性の後ろ姿を見送りながら、トリックスターは手を振っていたが、おもむろにサブマシンガンの銃口を女性の背中に向けると、引き金を引いた。


 銃の乱射を受けて、女性の背中に無数の穴が開いた。


 前方へ吹き飛ぶように倒れて、そのまま動かなくなった。


 女性の死を確認して、トリックスターは、「ハッ」と嘲笑った。


「イッツ、ショウターイム」


 トリックスターは、改めてチェーンソーを持った殺人鬼の方へと向き直る。


 チェーンソーの爆音が聞こえてくる。


 ボロ布を被った殺人鬼は、獣じみた雄叫びを上げて突進してくる。大柄な体の男がチェーンソーを振り上げて突進してくる姿は尋常ならざる迫力があり、トリックスターはつい冷や汗を掻いた。


「おいおい、無茶苦茶過ぎるだろ――」


 チェーンソーが振り上げられる。


 トリックスターは横へ跳ぶ。


 さっきまでいた所に、回転するノコギリ刃が叩きつけられ、地面が抉れた。


「ひゅう、凄いねえ。高性能じゃねえか。俺にもそれ売ってる店、紹介してくれよ――」


 軽口を叩くトリックスターの鼻先を、返す刀で襲いかかってきたチェーンソーの先端がかすめた。


「――って、聞く耳持たずか⁉ 勘弁してくれよ、おい!」


 巨漢はブオオオオと吼え、高々とチェーンソーを掲げた。


 このままでは頭から股まで両断されてしまう。


 トリックスターは舌打ちし、サブマシンガンの引き金を引いた。


 が、巨漢は素早くチェーンソーを構え直して、回転刃の平面で銃弾を防いでしまった。致命傷は避けたが、それでも、防ぎ切れなかった銃弾が太ももや腕に当たり、巨漢は呻き声を上げ、膝を折った。チェーンソーも投げ出してしまう。


「ぐ、うううう」


 巨漢はマスクの下から、憎しみの篭もった目で、トリックスターを睨みつけてくる。


 トリックスターは、アルマーニのスーツに付いた埃を払い、巨漢とチェーンソーを見比べた。


「ああ、なるほど。あんた、ランクDのクロースチェーンソーだろ。気違い殺人鬼って、会員の間で有名だぜ。そうか、こんなド田舎で観光に来た人間をさらっては、後先考えずにバラしてんだ。そりゃあ、いつ警察に捕まってもおかしくないな」


 クロースチェーンソーはひと言も喋らない。言葉を喋らないのか、喋れないのか。しかし、こちらの言葉は理解しているようだ。聞き耳を立てている。


(ふうん)


 トリックスターはある考えを持っていた。


 自分自身はランクBであり、知能犯に分類される殺人鬼、到底Aランクには及ばない。戦闘力が足りない。警官隊と正面から激突しても突破出来るような、人外の力が欲しい。


 一方でこのクロースチェーンソーは、知恵が足りない。だが、その戦闘力はAクラスに匹敵する。サブマシンガンの攻撃を咄嗟にチェーンソーで防いだ超反応は、並の人間に真似出来ることではない。これに知恵が加われば、無駄に傷つくこともなく、向かうところ敵無しの暴勇を振るえるだろう。


「ひとつ提案がある」


 サブマシンガンを地面に落とし、害意がないことを示してから、トリックスターはクロースチェーンソーに歩み寄った。


「俺と組まないか」


 クロースチェーンソーは、トリックスターの誘いかけに面食らったのか、目をパチパチと瞬かせていたが、やがてコクリと頷いた。


 そして喋り始めた。


「おれ……ころしたい……やつら、いる……」

「そいつを殺せってか? 交換条件か。いいだろう。どこにいる?」

「ようちえん……おれの、こども、ころしたやつらの……こども、いる……ふくしゅう、したい」

「子どもを殺された? お前、ガキがいたのか?」

「これ、おれのこどもの、かわ」


 クロースチェーンソーが指で示したのは、顔に被っている布切れのことだった。


 よく見ると、ぬいぐるみに使われていた布のようだ。


 自分もまた狂人であると自負しているトリックスターには、クロースチェーンソーの抱えているトラウマがなんであるか、それだけで理解出来た。


 おそらく、幼少時代に大事にしていたぬいぐるみを、同世代の子どもたちに破かれるなど、酷いいじめを受けたに違いない。他の子どもたちには何の変哲もないぬいぐるみでも、クロースチェーンソーには大切な我が子だったのだろう。その復讐を、彼は果たしたいと言っているのだ。


「まち……けいかん、いっぱい、いる……おれ、こわくて、ずっとここに……だから、おれ、やつらのこども、ころせなかった……」

「オーケー、理解出来た。安心しろ、俺は全米一の頭脳派犯罪者だ。警察なんて怖がる必要はない。俺とお前が組めば無敵だ。やるか?」

「うん」

「よし、まずは傷の手当てだ。それが回復したら――行くぞ」

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