第88話 道化の急襲
ユキは昂ぶる感情を抑えられなくなっていた。
相手が許すべきではない殺人鬼だとわかっている。
遠野玲にそんな気持ちを抱くなど、あってはならない。
それでも遠野玲は男性として非常に魅力的な人物だった。外見上の魅力だけでなく、自分の中に一本芯を持っており、常に筋の通った言動を心がけていることがはっきりとわかるから、深く知れば知るほど惚れ惚れとしてしまう。
いまでは顔を見ているだけで、心臓の鼓動が速くなる。
顔が熱くなる。
胸の奥にじんじんと痺れが走る。
(どうしよう。本格的に、これって……)
ユキは狼狽していた。
たとえば、5月の終わりごろ、車を操る殺人鬼に襲われた時のことだ。
袋小路に追い詰められ、あわや壁と車に挟まれて潰されてしまうか――という瞬間、脇のビルからマッドバーナーが飛び降りてきて、敵の車目掛けて激突した。
轟音とともに車体が潰れ、運転席にいた殺人鬼は屋根ごと圧し潰された。
「大丈夫か?」
とガスマスク越しに話しかけてきた、その声の実に頼もしいこと。
また、同時期に襲ってきた鎖使いの殺人鬼。
気付かないうちに背後に回りこんできて、鎖を首に巻いてきた。
ユキは咄嗟に腕を首と鎖の間に滑り込ませて防御したものの、強い力で締めつけられるうちに、腕が千切れそうなほど痛くなってきた。このままではもたない――と感じ始めたとき、いきなり現れたマッドバーナーの腕が鎖を掴み、締めつけていた鎖の輪を力任せに広げた。
頭が通るだけの隙間が空いて、ユキは急いで鎖から逃げ出した。
怒り狂う殺人鬼を前蹴り一発で転ばして、倒れているところを踏みつけながら、火炎放射器で焼き殺した。
その戦いぶりの実にスマートなこと。
(私も、だいぶ、頭がおかしくなってきてるみたい……)
マッドバーナーは、自分を守るためとはいえ、人殺しをしている。
その人殺しの様子を見て、ユキは、彼を“格好いい”と思っている。
幾人もの人間が死んだり殺されたりするのを見てきて、感覚が麻痺しているのだろうか。
ユキは自分の感情を肯定したくはなかった。
それでも――遠野玲に恋している事実だけは、否定できなかった。
※ ※ ※
灯篭流しを見た後、橋場町派出所前のバス停からバスに乗り、金沢駅まで戻ることにした。駅からはアパートまで歩いて行ける。
バスの中はすでに満席で、立たざるをえない。
俺が吊り革に掴まると、ユキは空いている俺の腕にしがみついてきた。
「明日は百万石行列っていうの、やるんでしょう?」
「ああ」
「楽しみ。見てみたいな」
「ユキ、水を差すようで悪いんだが」
俺は、金沢百万石まつりについて地元民としての見解を言ってやるべきか、判断に迷った。迷った挙句、ここは黙っているのが、周りに乗っている観光客のためにもいいだろうと思い、当初の思惑とは違うことを言うことにした。
「あまり出歩かないほうがいい」
「……そんなこと、わかってます」
寂しげな表情になって、ユキは俺の腕に顔をうずめた。
最近、俺やあやめによく甘えるようになってきている。子どもっぽくなってきている。毎日毎日殺人鬼に狙われていて、精神的に参っているのだろうか。
しかし、灯篭流しを見ているときの態度を考えると、どうもそれだけではないような気がしてならない。
「でも、たまにお祭りくらい楽しんでみたいの」
ユキは勘違いしている。
百万石まつりは、戦後に出来た新興のお祭りだ。市役所と商工会議所が中心になって主催している。土着の祭りではない。
ピース・レジャーの常連客で、主計町の寺に住んでいる郷土史家の先生などは、鼻息荒く憤慨したものだ。
『どうして、金沢を暴力で支配した前田利家なんぞを祀らなあかんのや』
石川の魂は一向一揆や石動山にこそある、と先生は主張していた。
先生の主張に全面的に賛成する気はなかったが、別に反論する気もなかった。
『一向一揆祭りこそ開催せんか、っちゅう話やねん』
その先生の言葉に、他の常連客たちもその通りだと喜んでいた。
国を牛耳る人間がいる。
その人間の好む好まないによって、マジョリティかマイノリティか分けられてしまう人々がいる。
社会における人間の地位なんて、所詮はその程度のことで決まってしまう。
前田利家はマジョリティになった。だから、本来の加賀の精神的文化は、ただの狂信や迷信として片付けられ、表舞台から消し去られてしまった。
いまの世の中も本質的には変わらない。
自分を正義だと信じている人間がいる。その人間にとって、自分が信じる道以外を進む人間は、排除すべき対象だと思っている。だから話を聞くことなどない。理解することもせず、無条件でマイノリティの枠に押し込め、時には存在をも否定する。
(シリアル・キラー・アライアンスは、そんな社会に抵抗するために組織された)
元幹部のイザベラ・フェゴールの話では、会長のルクスは、“人が人を殺すことの何が悪い”と社会通念を真っ向から否定し、殺意こそが人間の真理として、シリアル・キラー・アライアンスを創立した。アイオーン教団で、太古からの知識を受け継いだルクスだからこそ、人間が自らに課した道徳観念に対して違和感を感じたとのことだった。
しかし。
俺は、自分自身も殺人鬼であるが、ルクスの考えには賛同出来ない。
人間にはやはり踏み越えてはならない一線があると思う。理性で生きるのは、人間でなければ出来ないことだ。そのラインを越えてはならない。越えたら人間ではなくなる。人間でなくなれば――人間社会を築く意味などなくなってしまう。
感情だけで生きるのは、人間とは言えないのではないだろうか。
「きゃああ!?」
車内で悲鳴が上がった。
声のした方を見ると、首が直角に折れ曲がった運転手が、乗客に運転席から引きずり出されて、代わりにその乗客が運転席に座るところだった。
「な、なんだ、お前は!? やめなさい!」
勇気あるサラリーマン風の男が、指をさして注意する。
運転席に座った、ロンゲの無精ひげを生やした男は、くっちゃくっちゃと噛んでいたガムを、サラリーマン風の男に向けて「ブッ」と吐き出した。
「俺、オートジャック……ランクC」
「ふ、ふざけるな! なんの話だ!」
「これから……金沢港へ向かいまぁす……で、バスごと、海の中へ、ドボン」
「な、な、な⁉」
「ね、トリックスターさん」
運転に集中したまま、オートジャックと名乗った男は、車内の誰かに声をかけた。
新聞紙を顔の上にかけ、シルバーシートに座っていたアルマーニのスーツを着た男が、
「Call me?(呼んだか?)」
と新聞紙をどかして、起き上がった。
乗客が、男の顔を見て、一斉に悲鳴を上げた。
男はピエロのメイクをしている。
唇に塗った紫でどぎつい色の口紅が薄気味悪い。
ピエロの男は、大きな目玉をギョロリと向けて、俺を見据えてきた。
「Can you speak English? I can't――japaneese is so hard.(あんた英語は出来るか? 日本語は難しくってね) 」
「A little(少しだけ)」
「Oh,cool(上出来だ)」
突然、ピエロ男は、ブリーフケースを開けてサブマシンガンを取り出すと、天井に向けて乱射し出した。
乗客たちは絶叫を上げ、頭を抱えてうずくまる。
威嚇射撃は終わり、砕けた天井の破片と薬莢がパラパラと床に落ちてきた。
ふええん、と泣いている赤ちゃんがいる。
ピエロ男は赤ちゃんに顔を寄せると、チョッチョッと舌を鳴らした。赤ちゃんは泣きやまない。ピエロ男は溜め息をつくと、サブマシンガンの銃口を赤ちゃんに向けた。
「やめろ!」
制止しようとしたが、ユキが俺の腕を強く引っ張って、(だめ!)と首を振った。やがて、ユキがそうした理由がわかった。
「Get out(出ろ)」
「え……?」
赤ん坊の母親は、涙で濡れた頬を震わせながら、ピエロ男に顔を向けた。
「I say "GET OUT"(出ろ、って言ったんだよ)」
ピエロ男は窓に向かって発砲し、ガラスを全部砕いた。
何もなくなった窓から、赤ん坊を抱えた母親を持ち上げ、無理やり外に突き落とそうとする。
「ひっ、や、やめて」
ドン、とピエロ男は母親の背中を押した。
「ひいいぃぃ……!」
外に飛び出た母親の叫び声は、バスの走行とともに後ろへ流れていって、すぐに聞こえなくなった。
暴走するバスは、すでに金沢駅を通過している。
奴らが目指すのはさらにその先、金沢港なのだろう。
「What do you think? Killing her,or...(狙いはなんだ? ユキじゃないのか?)」
拙い英語で、ピエロ男に話しかける。
「Yeees,I love her,FUH SHO! But I'm hooked that the people surprised to my JOB,this time,too,I want her to be not killed easily...with this my interest and that dope game is on my hand(そうさ、その通りさ、モチロンさ! けどよ、俺の繰り出す犯罪で世間サマをアッと言わせるのがたまんなくてな、今回も、彼女にゃ簡単に死なれたら困るのさ……そんなこんなで、最高にイカれたゲームを、俺は用意してるんだ)」
「How?(どんなゲームだ?)」
「Now...(こんなゲーム)」
ピエロ男が指を鳴らす。
その瞬間、横の座席から飛び出してきた何者かが、俺の脇腹にナイフを突き刺してきた。
ユキが悲鳴を上げた。
「何をする!」
俺は、服の下に軽量型の耐火服を着ている。普段の耐火服に着替える時間がない時の備えで、やはりシャンユエが支給してくれたものだ。ナイフぐらいだったら防刃にもなる。
次の攻撃が来る前に、俺は相手の腕を押さえて、ナイフを叩き落した。
「まだ仲間がいたとはな――」
その相手の顔を見た俺は、凍りついてしまった。
まさか、そんな。
ありえない。
どうして、彼女が……。
「痛いな、離してよ、アキラくん」
あやめの顔だ。
あやめが、奴らの仲間――!?
混乱のあまり、隙だらけになった俺の顔面に、ピエロ男は霧吹きで何かを噴きつけてきた。急激に睡魔に襲われる。即効性の睡眠薬のようなものか。
「く、そ……」
意識を失って倒れる瞬間、ピエロ男の甲高い笑い声が聞こえてきた。
「I'm TLICKSTER!! I present for you,"Princess Saving Knights"GAAAAAAAME!!(俺様はトリックスター!! 「お姫様によるナイト救出」ゲームを、プレゼント・フォー・ユー!!)」
そういうことか。
こいつは、俺を捕まえて、ユキに助けさせる気だ。
それなら、しばらくユキの身は安全かもしれないが――しかし、こいつは、どうやって、絶対に危険を回避するユキを――
俺の意識はそこまでだった。
次に目を覚ました時、俺はどこかの廃倉庫で、柱に縛られていた。
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