第82話 サトリ
―グラスラビリンス―
「自分勝手、か……」
そう小夜に罵られたことに対し、玲は反論しなかった。
なおも小夜は畳みかける。
「あなたは、名古屋で会った時から、そうだった。自分が犯している罪を、罪として認識している、そのことをもって許してもらおうとしている。『反省してます、だから許して』ってこと? 冗談じゃないわ! だったら、最初から殺さなければいい話よ! 誰も死にたくなかったし、誰もあなたに殺してほしいなんて頼んでいなかった! あなたが勝手に――勝手に彼らを殺したのよ!」
「そうだ。勝手に、だ」
淡々と、玲は小夜の言葉を反芻した。
「エリカは、あなたに殺される前の日、私に電話をしてきた! 年末年始は、二人で温泉にでも行こうって、楽しく話をしていた! ずっと、独りぼっちだった私の、たった一人の愛しい人だった! 私のことを理解してくれる子だった! そんな、かけがえのない、大切な人が、私と一緒に生きていくことを、あんなにも望んでいた子が、私も一緒に幸せになろうと思っていた子が、お前のせいで殺されてしまった! 全部、全部全部全部全部、お前に奪われた! 私の人生も、エリカの人生も、お前の勝手な振る舞いで失われたの! お前の、自分勝手な殺人で!」
「……俺が死ねば、いままで、誰も死なずに済んだ。多くの人間が犠牲にならずに済んだ。そう、思っているのか?」
「そうに決まってるじゃない! お前みたいな悪魔が、生きていていい道理なんてない!」
「悪いが、それは筋が通らないな」
「!……なん……ですって……」
突然の玲の開き直りに、小夜の顔が青ざめる。怒りが臨界点を超えた。これだけ怨みつらみを叩きつければ、少しは謝罪の言葉が出てくるだろうと思えば、この男はよりによって、小夜の話に対して、「筋が通らない」と返してきた。
「許せない……やっぱり、お前は、狂った殺人鬼……本性を、表したわね!」
「じゃあ、聞くが、もしもマッドバーナーが島谷エリカだったら――それでも同じセリフを、言えたか?」
「え」
小夜の瞳に、一瞬、動揺が走る。
だが、すぐに持ち直した。
「話をすり替えないでっ! エリカが、マッドバーナーになるわけがない。私の愛する人が、殺人鬼になるわけがない。ありえない仮定を持ち出すなんて、そもそも前提条件として成り立っていないわ!」
「では、事実の話をしよう。風間ユキが横浜で殺人を犯したのは、知っているか?」
「知っているわ。それが!?」
「あの時、というのは金沢駅で軍隊みたいな連中と戦った時だが、お前はユキに殺された恋人の島谷エリカを重ね合わせて見ていたな」
「そんなこと、ない」
「いや、俺は憶えている。確かに、ユキのことを、『エリカ』と呼んでいた。だから印象に残っていた。もしかしたら、お前は、ユキのことも愛しているのではないか、と」
「ち、違う、私は、あの子には――」
「もしも、ユキが横浜だけでない、他にも数多くの人間を殺しているとしたら、どう思う? 俺をなじったように、『生きていていい道理なんてない』と罵るのか? それとも、ユキを変わらず愛し続けるのか?」
「だから、私は、ユキを、愛して、は」
「仮定であろうと、真実であろうと、どうでもいい。俺の言いたいことは――いいか? 確かに、俺の自分勝手な意見だが、それでも言わせてもらうぞ――お前の憎しみも、愛も、結局はお前を中心とした世界の中での話であり、やはりお前自身の『自分勝手な』感情でしかない、ということだ。わかるか? 俺を、今すぐ、この場で殺そうとすることは、結局は――お前自身が俺の存在を否定したい、俺がこの世に生きていることが我慢出来ない――そんな、お前自身の理屈に基づいた、『自分勝手な』振舞いにしか過ぎないんだ」
「あなたの言うことは……詭弁よ……」
「俺は、これまで、二十人近い人間を殺している。だが、俺が生き延びることによって、風間ユキだけでない、これから百人の人間が救われるとしたら? 俺が死んだら、その百人が救われずに殺されるとしたら? それでも、お前は、俺の命を奪えるのか? 俺を殺して、これから先の百人まで見殺しにするのか?」
「多い、少ないの問題じゃない! たとえ百人生き延びたって、それまでに死んでいった二十人が報われないことには変わりがない!」
「そうだ、その通りだ」
玲は、深く溜め息をついた。
「だから、逆も言える。俺が死ぬ。ユキを誰も守れなくなる。代わりに撃退出来たかもしれない殺人鬼たちが生き延びる。そんな状況で、これまで死んでいった二十人が報われると、お前は思うか?」
「……」
小夜は、固まった。
「結局は何をやっても報われないんだ。報われるのは、お前の魂だけだ。死者の魂じゃない。俺だけを『自分勝手』と非難する資格が、お前にはあるのか?」
「……」
「同じように人を殺しているユキを許して、俺は許さない。もしも島谷エリカが殺人鬼だったとしても、きっとお前は彼女を変わらず愛し続けただろう。その取捨選択の基準はどこにある? 罪を知る前に出会った、出会わない……知人を殺した、殺されていない……全て、お前中心の考え方だ」
「……」
「だから、俺は――許してくれ、とは言わない――ただ、合理的に考えて、より多くの人間に報いるためには、ユキを守り抜く。守り抜いてから、法の裁きを受けて、死んでゆく。それが一番ふさわしいと……そう思ったんだ」
「……」
「わかってくれ、とは言わない。だが、俺は俺なりに、矛盾を抱えて生きてきた。人を殺してまで、必死にあがいて生き続けてきた俺の存在理由とは、なんだろうと悩んでいた。いまだに答えは出ない。本当だったら、人殺しの過去を消し去りたいくらいだ。だけど取り返しはつかない。せめて最後の最後に、人間らしく戦って、誰かを守って、そして死んでいきたい」
「……」
「上杉“さん”。理解出来なくてもいい。でも、頼む。俺は悪魔のままで死にたくはない。殺してばかりだった俺の人生に、人助けの一ページを刻ませてくれ。それだけ果たしたら、自首しよう。この国の人間、全員の前でけじめをつけよう。それから死んでいく。だから、いまは、戦うのをやめてくれないか?」
「……」
小夜は、顔を上げた。
「いやよ」
小夜は、ナイフを振り上げ、飛びかかる。予想外のスピードに、玲の反応は遅れたようだ。腰を切った。傷は浅い。さらに一歩踏み込み、顔面目掛けて斬り上げる。
「うあっ」
頬を斬られて、玲は血飛沫を上げながら、身をのけぞらせた。すぐに小夜はナイフを持ち替え、逆手に持つと、片手を柄に添えて、体重を乗せての刺突を放つ。
玲は顔を押さえながらも、ストレートパンチを撃った。
その拳打を、小夜は横にさばいてかわした。
ナイフが、玲の太ももをかすめる。これも傷は浅い。機動力を奪うほどではない。
「ちっ」
小夜は舌打ちし、ナイフの向きを変えて、玲の心臓部を突き刺そうとしたが、咄嗟に相手の攻撃を察知し、腰を落とした。頭上を、玲の拳が通り抜けてゆく。風を切る音がした。次に蹴りが来ることを知り、小夜は重心を横にずらすと、玲の蹴脚をかわして、その足首に向かって刃を走らせた。残念ながら、腱を切るには至らなかった。
「お前……⁉」
玲は異常を察知したのか、身を退いた。
「まさか」
「冗談で言ったことが、あだになったようね。私は、確かに、戦闘中の相手の動きを読むことまでは出来なかった。でも、今は違う。お前に対する怒りがある。エリカの仇を討つ使命がある。私は――お前の動きを、読んでいる。お前の攻撃は、全て、私には通用しない。お前が得意げに指摘した私の弱点を、試しに克服してみようとしたら、思いのほか上手くいったわ」
「サトリ(悟)、というやつか」
「さよなら、マッドバーナー……あなたの詭弁は、それなりに、面白かったわ」
怒涛の攻撃が始まった。
玲は反撃を試みたが、どうしようもない。
あらゆる技が、全て読まれてしまい、無効化される。小夜には、何も効かない。逆に、小夜の攻撃は全て喰らってしまう。体中を切り裂かれながら、辛うじて致命傷だけは避けて、玲は後退していたが、とうとう壁際まで追い詰められた。
「死ね」
小夜は、ナイフを振りかざした。
不意に、小夜の脳内に、何者かの心が流れ込んできた。
ノイズだらけの精神。言葉らしきものは読み取れない。人間の脳では認識出来ない特殊な信号。この不協和音に、小夜は聴き覚えがあった。
(犬――それも、群れの――!?)
玲への攻撃を中断し、ダンスクラブの入り口の方を向く。
それでも反応が遅かった。
「ガウ!」
目を血走らせたドーベルマンが、牙を剥いて突入してきて、あっという間に距離を詰めると、小夜の喉笛目掛けて飛んできた。
よけられない。
牙が、喉に食い込んだ。
「かっ――⁉」
目を見開き、小夜は驚きの眼差しをドーベルマンに向ける。そうしている間にも、ドーベルマンは容赦なく、顎に力を入れた。骨ごと喉を噛み千切ろうとしている。
小夜はナイフで、ドーベルマンの腹を刺し、かっさばいた。内臓が、ダンスフロアにこぼれ落ちる。ギャウンと悲鳴を上げ、ドーベルマンは小夜の喉から口を離して、床に転がると、間もなく絶命した。
「あ――かぅ――」
ひゅうひゅうと、喉に開いた穴から、空気が漏れてくる。おびただしい量の血が流れ、自分の体から体温が抜けていくのを感じる。
(死ぬ……こんな、形、で……?)
マッドバーナーを殺すことも出来ず、呆気なく死んでしまうのか?
小夜の目に絶望の色が浮かんだ時、無数の犬の吼え声が外から聞こえてきた。
※ ※ ※
―スイス―
リリィはひとまず安心していた。
上杉小夜が動き出したことで、マッドバーナーが動いた。あとは、マッドバーナー側が何としてでも、風間ユキの居場所を突き止めるだろう。それに伴い、マンハントの進行もスムーズになる。殺人鬼たちに、広大な金沢市内のどこにいるかわからない風間ユキを捜させるのは無理があった。解決の糸口が掴めたことで、やっと問題なく、ゲームを行うことが出来そうだ。
しかし、上杉小夜が風間ユキを連れてこなかったことは誤算だった。てっきり人質として連れてきて、マッドバーナーに脅しをかけるものだと思っていただけに、リリィの思惑は外れてしまった。
(でも、まあ、同じことだけど)
風間ユキを連れてくるのであれば、そのまま会員の殺人鬼に襲わせればよいし、連れてこないのであれば、別の手を考えてあった。
そして先ほど、その“別の手”を実行したところだった。
上杉小夜の匂いをもとに、彼女の移動経路を逆に辿って、風間ユキの居場所を導き出させる。
SKAから情報提供をするのではなく、あくまでもマッドバーナー、上杉小夜を経由して、会員自らの手で風間ユキの居所を発見させるのだ。
それが出来るのは、あの会員だけ。
唯一、人間ではない、あの殺人犬だけである。
「マルコシアスを出した以上、風間ユキは終わり……下手したら、ふふ、守護者も含めて、全員死亡かもしれませんね」
リリィは薄笑いを浮かべた。
彼女がルーマニアで見つけて、自分のペットとした、殺人犬マルコシアス。犬の王者であり、人間をも恐怖と暴力で支配する、まさに悪魔。
主催者の息のかかった会員が、マンハントを攻略してしまうのもどうかと思ったが、成功しようと失敗しようと、膠着状態が続くよりマシだった。だからマルコシアスを出動させた。すでに金沢に待機させていたから、到着まで、そう時間はかからないだろう。
【会員No】666
【登録名 】ディアブロドッグ(悪魔の犬)
【本 名 】マルコシアス
【年 齢 】不詳
【国 籍 】ルーマニア
【ラ ン ク】A
「さあ、私の可愛いマルコ――奴らを、思う存分楽しませてあげて」
両腕を広げ、うっとりと歌うように、リリィは遥か遠く日本にいるマルコシアスへと語りかけた。
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