第79話 人の道
―遠野屋旅館―
二神が、警視庁の特殊犯罪対策課、略して特対課に転属を願い出たのは、上杉小夜の存在が大きく関わっていた。
もともと公安に所属していた二神は、極右系の組織として名高い、アマツイクサと名乗る団体の捜査を行っていた。
その時、上司の紹介で、一人の女刑事を捜査に同行させられた。総務部からの依頼とのことだった。
それが上杉小夜だった。
口数少ない二神は、上杉刑事と共に行動することに抵抗を感じたが、彼女もまた愛想のいい性格ではなかったので、逆にホッとした。
上杉刑事も、初対面であるにもかかわらず、二神にある程度の信頼を置いているようだった。
ある日、アマツイクサの拠点が見つかり、二神は適当な軽犯罪の礼状を持って、中に乗り込んだ。
屋内に入った瞬間、日本刀を持った女が二神に斬りかかってきた。
壁際に追い詰められ、あわや殺されるかという時、上杉刑事が飛び込んできて、あっという間に日本刀の女を組み伏せてしまった。
(なんて……すごい人だ)
男以上の度胸と行動力、優れた逮捕術を目の当たりにして、二神は惚れ惚れとした。異性として好感を持ったというよりも、上杉刑事に対して同じ警察官として尊敬の念を抱いた、という方が適切だ。
この人のそばで働きたいと、二神は思った。
一ヵ月後、二神は転属願いを出して、上司にも直談判し、公安から異動となった。表向きは捜査一課への転属――しかし実態は、上杉刑事と同じ特殊犯罪対策課への配属であった。
特殊犯罪対策課は、人知を超えた異常犯罪が発生した時、相手が“能力者”であることを想定して、相応の対策を練って捜査に臨む、世界でも有数の組織である。現に、二神は配属されてから何人もの異能者を逮捕してきた。彼自身は、超能力のような存在を信じておらず、全て科学的に説明のつく事象だと考えていたが、それでも発火能力を持つ人間や、予知能力を持つ人間など、常識を遥かに超えた能力を実際に見せられると、まるで自分が御伽噺の世界に迷い込んでしまったような、怖気の走る違和感を感じていた。
そして、去年。マッドバーナー事件に携わることになった。
上杉刑事の様子がおかしいことには気が付いていた。だが、彼女から説明を受けなかったため、理由はわからなかった。
マッドバーナーが、上杉刑事の恋人を焼き殺したことを知ったのは、今年に入ってから――それも、当のマッドバーナー本人と出会った当日、倉瀬刑事とマッドバーナーが死闘を終えて、喫茶店ピース・レジャーに戻ってきた夜のことだった。
「どうしてです! 倉瀬さん。私には理解出来ません。そんな男と、一年間も共闘しろと言うのですか」
二神は納得出来なかった。
倉瀬刑事は、よりによって、マッドバーナーとともにシリアル・キラー・アライアンスと戦うと宣言した。上杉刑事の恋人を殺したような奴と一緒に仲良く戦うなど、二神には耐えられなかった。
「奴を許すつもりはない。が、戦力を欠くメリットはない。風間ユキを、まだ高校生の女の子を、殺人鬼どもの餌食にしたいのか?」
そんなわけない。
けれども、上杉刑事の敵とは一緒に戦いたくない。
「私は――」
尊敬する仲間の想いを優先すべきか。一人の少女の命を優先すべきか。
二神は答えを出せないまま、形だけでも倉瀬の意思に従い、八田刑事とともに金沢市内で捜査を行っていた。だが、あまり力を入れていなかった。風間ユキのためではなく、マッドバーナーのためにやっている仕事のような気がして、気が乗らなかったのである。
正しい人間であれ、と父は言った。
厳格な父の教育を受けて育った二神は、自分もまた正しい道を進む人間として、わずかな過ちも犯すことなく生きてきた。
高校時代、柔道部に所属していた彼は、部活動をさぼってコンビニの前でたむろしていた不良柔道部員を注意し、彼らに襲いかかられたが、逆に返り討ちにしたことがある。背負い投げで投げ飛ばされたリーダー格の男が、怨念のこもった目で、二神を睨みながら放った捨てゼリフを、たまに思い出すことがある。――てめえ、ウザいんだよ! そんなに偉いのか、てめえはよ!
道を外れた人間が何を言おうと、二神の心には響かない。正しい行いを出来ないことが悪いのだと、信じていた。
今でもその想いは変わらない。
だから、マッドバーナーのような殺人鬼に力を貸すことなど、二神には無理な話であった。
※ ※ ※
「いつか話そうと思っていた」
遠野屋旅館にあてがわれた一室。
老眼鏡をかけた倉瀬刑事が、独自の捜査資料をチェックしながら、顔も上げずに二神に話しかけてきた。
「なんでしょう」
「正論は、時として暴力になる」
倉瀬刑事は顔を上げる。
「正しく生きられる人間ばかりではない。そんな人間にとって、お前さんのような物の考え方は、暴力でしかない」
「それは過ちを犯すものが悪いのです」
「生まれた時から金のない人間もいる。そんな人間が、物も食えず、飢え死にかけている時、店から食べ物を盗む。その行いを、お前さんは、間違っている、のひと言で切り捨ててしまうのか?」
「罪を憎んで人を憎まず。私は、人を否定するつもりはない。ただ、罪は、罪、です。罪を犯したからには、相応の償いをすべきです」
「償い……か。話にならんな」
また倉瀬刑事は資料に目を落とした。
最後の言葉が、二神には聞き捨てならなかった。
「話にならないとは? それは、マッドバーナーを容認しない私に対する、揶揄のつもりですか?」
「マッドバーナーを認めろ、とは言っていない」
「しかし、倉瀬さんの口ぶりでは、そう言っているようなものだ」
「……いいか、二神」
倉瀬刑事は溜め息をつき、老眼鏡を外すと、正面から二神の目を見据えてきた。
「罪を犯した人間は、人として、何をすべきか」
「罰を受けるべきです」
「違う。それは、“法”だ。人の道ではない。“法”があるからこそ、人の道が守られている面もある。しかし、いつも“法”を優先すべきなのだろうか? 私は、二神、マッドバーナーは罪を償うべきだと思う。それはそうだ。だが、今ではない」
「あなたの言う、“人の道”とは、なんですか」
「人の道は、人の道だ。理屈ではない。心で感じるものだ」
「答えになっていない」
思わず、二神はきつい言葉で返してしまった。
「あえて言葉で言うのであれば――それは、二度と罪を犯さないことだ」
「シリアル・キラー・アライアンスと戦うことは、人を殺すことになる。奴に、これから一年間、殺人を続けさせることとなる。矛盾しています」
「……ほれみろ、やはりお前さんは正論しか言わん。人が人として生きるために、あえて過ちを犯す。それは、本当の過ちとは言わん。そんなこともわからんのか」
「わかりません。過ちは、過ちです」
「随分と、安全な場所で生きてきたのだな」
倉瀬刑事の顔に、憐れみの色が浮かんだ。
「本当の悪意に晒されたことがない――警察組織の中で、常に“法”の番人として、後ろ暗い思いのない戦いをしてきた。だから、過ちを犯してでも生き延びなければならない、人間の営み、病んでいる人間の心などわからないのだ」
「あなたは、マッドバーナーに、人間性を感じるのですか!?」
「犯した罪を抜きにして、遠野玲という一個の人間を見れば、な。私はマッドバーナーをただの狂人だと思い込んでいた。だが、実際に会ってみると、彼もまた人間。ならば、罪を償わせるのはまだ早い。だから」
「だから、シリアル・キラー・アライアンスを相手に、これ以上の殺人を行わせると!? あなたの考えていることは、見方を変えれば、マッドバーナーという殺人鬼を、殺人鬼集団撃退の道具として利用しようとしていることに等しい! そのようなことが、法を司る我々警察官が考えていいことでは――」
「正論はこの場合毒でしかない! お前さんの言うことは正しい、だが、それを言っては終わりだと、なぜわからない! 正しいことは、正しいことだ! が、正しさを表に出すことで、救われなくなる人間もいる! 矛盾を飲み込まずして、人の道を生きられるものか!」
「正義は絶対です。人の道とは、それ以外にありえない」
「二神。私も、法の番人を自負している。だからこそ、法秩序を行使すべきタイミングを心得ている。それは、今ではない。二神、理解してくれ。“法”とは、人を縛るためのものではない。人の営みを補完するものだ。人のあり方をないがしろにするような“法”は、もはや法ではない。だから――」
なおも、倉瀬が言い募ろうとした時。
倉瀬の携帯電話が振動して、木の机をガタガタと鳴らした。机上の電話を取り、モニターに表示された番号を見て、目を見開く。
「上杉刑事からだ――」
「え」
二神は身を乗り出す。
倉瀬刑事が電話の受話ボタンを押すと同時に、二神もまた電話に耳を当てた。すぐに、上杉刑事の声が聞こえてきた。
『倉瀬さんね』
「上杉刑事か! どこにいる!」
『……そこに、マッドバーナーはいる?』
「いない。二神刑事ならいる」
『そう。なら、マッドバーナーを今すぐ呼んで。話があるの』
「我々では駄目なのか」
『私はマッドバーナーに復讐をしたいの。エリカを殺した、あいつに、復讐を……』
「まず、話し合おう。それからマッドバーナーをどうするかは決める」
二神は苛立った。
上杉刑事が、マッドバーナーを出せと言っている。素直に従えばいいのに、なぜ倉瀬刑事は言う通りにしない。マッドバーナーを出せば、風間ユキを解放してくれるかもしれない。そうすれば一石二鳥ではないか。
マッドバーナーをかばって、上杉刑事の頼みを退ける、その意図が二神には理解出来なかった。
『お願い……奴を殺す、最後の機会なの。これを逃したら、もう私にチャンスは巡ってこない』
「いいか、上杉刑事。マッドバーナーだけでは済まない状況になっている。より大きな悪が、我々の生活を脅かしている。先に潰すべきは、奴らだ。それに、マッドバーナーは逃げも隠れもしないと言っている。一年待つだけだ。そうすれば、奴は自首する」
『自首で、終わらせない。私の手で殺す』
二神は、自分の耳を疑った。
上杉刑事は、本当に、マッドバーナーを殺そうとしているのか? 法の裁きを受けさせるのではなく、自らの手で、復讐を果たそうと?
たまらず、倉瀬刑事の手から携帯電話を奪い取った。
「上杉さん! 私です、二神です!」
『二神……』
「どういうことですか! あなたらしくもない! 刑事が殺人など犯してはならない! 話し合いましょう! 今、どこに――」
『二神、ごめんなさい。私は、マッドバーナーとしか話をしたくないの』
「――我々は、蚊帳の外ですか」
『それは、違う。巻き添えにしたくないだけ。これは私の問題。私個人の問題。愛する人を殺された時、私はすでに刑事ではなくなった。ううん、私の人生は、私のものではなくなった。復讐を果たすことが、人生の目的となった。だから、そんな私のわがままに、仲間を巻き込みたくないだけ』
「上杉さん……私は」
『言いたいことは、わかるわ。私のことを、どれだけ信頼してくれていたか。私も、二神、あなたを信頼している。でも、こればかりは、関わってほしくない』
「お願いだ、場所を――」
『十分後、その電話にまた連絡する。それまでに、マッドバーナーを呼んできて。その時、まだマッドバーナーがいないようだったら……』
「だったら?」
『風間ユキを、殺すわ』
通話が切れた。
携帯電話を耳に当てたまま、二神は硬直している。上杉刑事は、風間ユキを殺す、と言った。
罪もない少女を、人質に……?
「そんな……上杉さん……」
肩を落として、膝をつく二神。
その姿を横目で見ながら、倉瀬は、前に教えてもらった遠野玲の番号に電話をかけ始めた。
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