第76話 侠の精神

 ―2009年4月1日―

  遠野家


 ユキが上杉刑事に拉致されてから、三ヶ月がたった。


 俺たちは必死で捜索したものの、表立って警察に捜査を依頼出来ない事情もあり、全く進展はなかった。


 マンハントは終わっていない。ユキは生きているようだ。それでも気持ちは落ち着かない。


 倉瀬さんと他の刑事二人は地道に聞き込みを続けており、あやめは彼女なりに飛び回って捜索している。倉瀬さんに協力している情報屋リビングドールも、情報収集しているようだ。


 それでも、この三ヶ月間、何も掴めなかった。


 不安だけは募って、何も動きのない状態が続くのは、精神的によくない。俺たちは、知り合って間もない少女とはいえ、ユキのことを見捨てられず、それどころか彼女の安否を本気で心配して、捜索を続けていた。


 上杉刑事は何処に隠れているのか。


 ジリジリとした焦燥感に包まれるなか、俺は気晴らしをするために、遠野屋旅館の真向かいにある遠野家に行った。


 このままでは、ストレスで気が変になってしまいそうだった。


 義弟の小次郎君の部屋に入った瞬間、俺は固まった。


 シャンユエが、パソコンのゲームをプレイしている。


 おまけに、プレイしているゲームが、十八歳未満お断りの内容だ。スピーカーから、あられもない嬌声が飛び出している。


「ふ、む……日本人の想像力には敬意を表する。よくもまあ、次から次へとセックスという単一の行為に多様なバリエーションを持たせる事が出来るものだ」

「あ、の……シャンユエさん?」


 小次郎君は引きつった笑みを浮かべている。


 彼の本棚には、ライトノベルとか、アニメのDVDとか、そういった類の作品が並べられており、女の子のように柔和な外見とは裏腹に、かなりのオタクだ。そのことを俺はよく知っている。


 しかしエロゲーまで持っているとは思わなかった。


「お前も健全な男子、ということか」

「に、義兄さん、そんなことはどうでもいいから、シャンユエさんをなんとかしてよ。恥ずかしいよぉ」

「まずは何があったのか、説明してくれ」

「い、いきなり僕の部屋に入ってきて、ベッドの下の――本とか、ゲームとか――探し出して、それで、プレイを始めちゃって」

「今に至る、というわけか」

「ううう、かつてない羞恥プレイだよ、こんなの」


 学校では清純派で通っている小次郎君だが、もしも床に散らばっているようなゲームや本に夢中になっていると知ったら、同級生女子のほとんどが彼に愛想を尽かしてしまうだろう。


 特に、ゲームのタイトルには、「陵辱」とか、「鬼畜」とか、なかなかハードな単語が含まれている。小次郎君の性格を知っている俺は、別に心配するようなことはないが、何も知らない他人が見たら、凶悪犯罪者の予備軍かと疑うことだろう。


「成る程、君は女性に斯様な奉仕をして貰いたいわけだな」


 感心したようにシャンユエが言った。


「いえ、別に……」

「遠慮するな。私で良ければ手解きしてやるぞ」

「あ、えと、その」


 おい。満更でもないのか、小次郎君。


「冗談だ。私には決まった相手がいる。その彼がこの手の作品が好きなのでな。私も知識不足で、会話も実践も噛み合わずにいる。その為にこの様な淫らな遊戯に仕方なく付き合ってやっているだけだ。小次郎、期待を持たせておいて済まんが、相手は自分で捜せ」

「は、あ……冗談なんですか。わかりました」


 残念そうな表情で、小次郎君は相槌を打つ。今晩あたり、悶々として眠れなくなることだろう。ま、彼くらいの年頃は、それでちょうどいい。女を知るのはまだ早い。


「おい、シャンユエ。小次郎君に用があったんだが、ここで会ったついでに、お前に話しておきたいことがある」

「何かな」

「ユキがさらわれてから、三ヶ月が経つ。まだマンハントが続いているところを見ると、彼女は無事なようだが、いつまでも上杉刑事が守りきれるとは思えない。早急に居場所を突き止めて、救いに行く必要がある」

「そうだね」

「なのに、お前は何をしている。俺に火炎放射器と耐火服を提供し、たったひと言、『リウ大人とは別の思惑で動いている』と俺に告げ、それ以降は何も動こうとしない。たまに小次郎君にちょっかいを出す以外は、ダラダラと遠野屋に泊まっていて、一体、俺たちを手助けするのか、しないのか――」

「勿論、助けに来たのさ」

「ならば、お前らの情報網を駆使すれば、上杉刑事の居場所など」


 と、そこまで言ったところで。


 シャンユエは席から立ち上がり、俺の顔の前に鼻先を突きつけてきた。マフィアの幹部とは思えない、大きくて丸い、天真爛漫さを窺わせる瞳が、俺の目を覗き込んでくる。


「落ち着け」


 吐息混じりに、囁きかけてくる。


 ほとんど口づけしてもおかしくない距離に、俺はたじろいだが、ここで身を退いたら負けのような気がして、俺は踏みとどまった。


 あやめといい、どうして俺の周辺には、こんな変な女しか集まらないんだ。


「上杉小夜は君に怨みを抱いている。そう遅くない内に君を誘き出そうと図ってくるだろう。その時がチャンスだ。待っていれば向こうから動いてくる。今は慌てて動くのは得策ではない。知恵と体力を無駄に使うだけだ」

「だが、このまま何もしないでいるのも」

「別の事で時間を使えばいい」

「別の事?」

「風間清澄と、リウ大人の調査だよ」

「……たしか、繋がりがあったな」

「元々、風間清澄の祖母である風間ナオコが使用していた一〇五式火炎放射器――これはシリアル・キラー・アライアンス謹製の武器だ――それを風間ナオコ亡き後、我々の組織が入手した。その後改良に改良を重ね、君にマッドバーナーの武器として渡してやっている。この事実をどう思う?」

「言われてみれば……何か、おかしいな」

「君も感じるかい? 流石だ」


 くす、とシャンユエは微笑んだ。


「殺人の証拠や死体の処理等、後始末に余念の無いシリアル・キラー・アライアンスが、オリジナル製作の火炎放射器をいつまでも放置しておくと思うか? 我々の組織にコピー品を作らせるなど、いくら研究改良のためとはいえ、サービスが良すぎると思わないか?」

「普通は、シリアル・キラー・アライアンスが回収するだろうな」

「と、なると、問題は、何を考えてシリアル・キラー・アライアンスは一〇五式を放置しているのか、という事だが」

「答えは出ているのか」

「仮説だが――」


 そこまで言って。


 シャンユエは、口をあんぐりと開けている小次郎君に気が付いた。


「ふふ」


 軽く笑って。


 小次郎君の唇を奪う。


「――!」


 驚く思春期真っ盛りの少年を残して、シャンユエは俺の手を引き、一緒に小次郎君の部屋を出た。


「かわいそうじゃないか、あんなに刺激して」

「坊やを弄ぶのは楽しくて楽しくて仕方がない」

「お前は、俺から見ればお嬢ちゃんだ。二十二歳のくせに。坊やと呼べる身分かよ」

「そんな事はどうでもいい。続きだ」


 廊下の中ほどで立ち止まり、話を続ける。


「龍章帮はある意味シリアル・キラー・アライアンスの下位組織だ。それは私も認める。そこへ使い古しのオリジナル武器を回してきて、コピー品の量産を許す。その背景には」


 そこでシャンユエは声を潜めた。


「シリアル・キラー・アライアンスは何かとてつもない乱を目論んでいる――と考えるのが妥当ではないだろうか」

「つまり戦争か」

「私なりに調べてみたんだが、リウ大人自身のSKA内での地位を推測するに、軽い話では済まないかもしれない」


 シャンユエはチャイナドレスの胸元を開け、裏地に織り込んだメモ紙を抜き出し、開いてみせた。


「まず、リウ大人は定期的に何処とも知れぬ場所へ電話を掛けては、自らを『アラストル』と名乗っている。ただのコードネームと思うな。ここに、判明しているシリアル・キラー・アライアンスの幹部連中の名前と合わせて考えると、リウ大人もまた重要な幹部の一人であると確信出来る」

「他の幹部とは」

「会長ルクス。リリィ・ミラー。そして退職したと噂されているイザベラ・フェゴール。何か気が付かないか」

「いや」

「君は、悪魔学は詳しくないのか。そうか。ルシファー、リリス、ベルフェゴール、そしてアラストル。その筋には有名な悪魔の名前だ。キリスト教の神ヤハウェに反逆した悪魔の大幹部たちとして特に名が知られている。ルシファーは、光の天使であったとも言われ、明けの明星の化身であるともされる。故に、光を表す“LUX(ルクス)”を冠した名前を持っている。リリスは、原初の人アダムの最初の妻であったとされ、アダムがセックスで正常位に拘るのを嘲笑ったために離縁された。その後は無数の悪魔と獣のように性交を繰り返しては、次々と悪魔を産んでいったという。その名前は、百合の花、“Lily(リリィ)”から来ている」

「それが連中の名前の元ネタか。悪ふざけも、いいとこだな」

「案外、本気かもしれないぞ。シリアル・キラー・アライアンス自体、冗談のような組織だが、成立してしまっているのだから」


 確かにそうだ。冗談のような組織を存続させている。


 それこそ悪魔の所業と考えなければ、納得出来ない話だ。


「そしてベルフェゴールは、中東において発明の神であったとされる。人間の使うあらゆる道具は、全てベルフェゴールが造り出したとも言われている。ベルフェゴールの名前を解くと、バアル・フェゴール。バアルは、元々中東の神の名であるが、同時に神格を表す形容的な言葉でもある。フェゴールは、フェゴール山という土地があるそうだ。即ち、フェゴール山の神、とでも訳せるのだろうか」

「で、幹部には、かつてイザベラ・フェゴールという名前の奴がいた……」

「どうだろうか?」


 シャンユエは俺の手からメモを奪うと、また胸元にしまった。


「上杉小夜が行動を起こす前に、会ってみないか?」

「誰と」

「イザベラ・フェゴールだよ。金沢で、サラスパティというカレー屋を経営している。しかも、君の店のすぐ近く、直木賞を取った作家がよく通っていたという喫茶店のある――」

「まさか、109のすぐ裏手にある、あの雑居ビルか!?」

「そこの二階に店があるそうだ。私の情人チンレンでもある情報屋の男が、既にカレーを食べながら、私達の到着を待っている。行ってみないか」

「行って、どうするんだ」

「君は、このまま、シリアル・キラー・アライアンスを野放しにするつもりか?」


 キッとシャンユエは睨んできた。


「私は、下種なパンになるのだけは御免だ。嘗て闇の世界の人間は、ルールを守って行動してきた。侠の精神を重んじてきた。最近の帮は利潤の為ならば赤子すら手に掛ける。そんな下種に成り果てたくない。帮であろうと、人類の為に戦わない道理はない」

「シャンユエ……」

「私は闇に生きる。人から蔑まれる闇の世界で。それでも人の為に戦いたい。何かおかしいか?」

「おかしくは、ないさ」


 ちょっと胸が熱くなった。 


「このまま風間ユキを守り切っても、シリアル・キラー・アライアンスが残る限り、我々に未来は無い。そんな気がする。だから、奴等について多くの事を知る必要がある。君は反対か?」

「賛成だ。全面的に」


 心の底から。


ハオ! では、直ぐにサラスパティへ行こう。荷物は軽めでいい。イザベラ・フェゴールは良識ある女と聞く。いきなり戦闘にはならんさ」


 今は、シリアル・キラー・アライアンスに襲われる心配もない。それに、シャンユエの近くには常に護衛のラオが潜んでおり、有事の際には助けに来てくれるはずだ。戦闘力は申し分ない老人だ。何も心配ない。


「ああ、さっそく、行こうか」


 俺は、ポケットに財布が入っていることを確認すると、他に荷物は持たず、シャンユエと一緒に遠野家から出た。


 外に出ると、春のほのかに暖かい空気が、肌を優しく包み込んだ。

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