第75話 ルクス氏
―2009年4月1日―
スイス
マンハント開始から三ヶ月が経った。
いまだに風間ユキは生き延びている。通常は一ヶ月ないし二ヶ月で終わるマンハントが、かつてない長期的なゲームへと発展してきている。
これは異常なことだった。
「極めて由々しき事態です」
シリアル・キラー・アライアンス本部ビルで、リリィ・ミラーは報告書を片手に、会長のルクスに状況説明をしている。
窓の外に広がるは大雪峰。
雄大な山岳の光景を堪能しながら、ルクスは振り返った。
「リリィ。僕の“表の顔”はどうしている」
「彼は、いつも通り、あなたとして振舞っております。先月、我々SKAの会員によって親を殺された男が、どうやって突き止めたのか、彼を殺害しようとしました。ですが、護衛の者によって射殺されました。変わったことと言えばその程度でしょうか」
「そうか。彼も大変だね」
「今はその話はいいでしょう。問題はマンハントの進行のことです」
「盛り上がっているんなら、いいじゃないか」
「いいえ。むしろ逆です。膠着状態になっております」
「なぜ」
「先日お話しました、会員ナンバー823、ダークキャットの件です」
「忘れた」
「は?」
「あのさあ、君も幹部なら、素人くさい言い方はやめなよ。会員のことなど、いちいち全部憶えているわけがないだろ。君は電話をかけた後に電子メールを打つとき、『先の電話でお話しした件について』と内容を省略して書くのか? 違うだろう。もう一度、説明して」
「はい。では、もう少しわかりやすく説明しますと、上杉小夜という日本の女刑事が、我々の会員になった件についてですが、マッドバーナー殺害のために暴走して、風間ユキを誘拐してしまいました。そして、そのまま金沢市内に潜伏しております。風間ユキを囮に、マッドバーナーを誘き出すために」
「ふんふん。それで?」
「そのことが、今回のマンハントの不振に影響を及ぼしているのです」
「具体的には、どのように」
「風間ユキの所在が、わからないのです」
「ふうん」
ルクスは、会長デスクの上にあるカップを取り、コーヒーをすすった。
「おかしいね」
「……」
「守護者のルールを設定したことは聞いたよ。なかなか面白い試みだと思った。これは盛り上がるだろうな、と思った。特に、居場所のルールだ。これまではターゲットの居所については多少のヒントを与えていたが、今回からは完全に無しとした。その代わり、守護者の情報は全て流すことにした。あのとき君は、守護者の居場所については、最新の情報を逐一マンハントに参加している会員の皆さんに流している、と教えてくれたね。ちなみに、上杉小夜の居場所について、情報は手に入れているのかい?」
「小立野の近辺に、刑事時代に活用していた情報屋の家があります。そこに匿われているようです」
「当然、上杉小夜の居場所について、会員の皆さんに連絡しているのだろう? だったら、風間ユキの居所も自然と知れるもんじゃないのかな」
「それが……」
「いや、待てよ。そうか。上杉小夜は、我々の会員になったのだったな。ナンバー入りの。ならば、マンハントのルール……『会員の居場所は、その会員がゲームに参加している限り、誰にも公開出来ない』……この条項が適用されるわけか」
「はい。迂闊でした。あの女は、おそらくそれを逆手に取っております」
「マッドバーナーの情報をネタに、彼女を我々の会に勧誘したのは、君だったな、リリィ」
「そうです」
「彼女は、最初からマンハントのルールを知っていたのか」
「いえ。入会してからです。だから、風間ユキを匿うことを考えついたのは、私からマンハントのルールを教わって以降のことでしょう。マッドバーナーへの復讐を果たすだけではなく、風間ユキまでマンハントから守ろうとするとは……」
「誰でも彼でも入会を勧めるから、こうなる。リリィ、これは君のミスだ。わかっているね」
「……ええ」
「我々のことを快く思うはずもない人間を、強引に入会させるとどうなるか。そのことに気が付かなかった君でもあるまいに。そんなに成績を伸ばしたかったのか?」
「正直な話……」
リリィはうつむいた。
否定はしない。
「イザベラ・フェゴールか? あの女への対抗意識だったのか? 彼女なら、僕がマンハントの開始と同時に首を切ったはずだ。今ごろはどこかで店でも開いていることだろう。少し待てば、君のライバルは消えることになっていた。それなのに、なぜ我慢出来なかった」
「全ては……SKAの……あなたのためです」
「へえ、そうか。いいよ、忠誠心から来る失敗として認めてあげるさ。これは決して君自身の個人的な感情から来るミステイクではないと、理解してあげるよ。それでも、問題が解決したわけじゃないけど」
「上杉小夜は、マンハント参加の会員の居場所を、我々が他の会員に通知出来ないのをいいことに、息を潜めております。このまま一年間、風間ユキを守りきられれば、奴の勝ちです。そうなると、前代未聞の、勝者のいないゲーム結果となってしまい……」
「我々SKAの信用問題に関わるな」
「いかがしましょう」
「簡単な話さ」
「は、あ?」
「彼女がいつまでも地下に潜っていられるのならば、僕らに勝ち目はない。しかし、マッドバーナーを殺すという目的がある以上、いつかは顔を出す。その時がチャンスだ。なぜなら、守護者であるマッドバーナーがいる所に、やはり上杉小夜も現れるからだ」
「あ……」
「上杉小夜の情報を他の会員に流すのは、我々が自らルールを破ることになり、非常にまずい。だが、上杉小夜が接近しようとするマッドバーナーの情報を流すことは、ルールに反していない。これならば間接的に、上杉小夜の居場所を教えることが出来る。あとは、風間ユキの隠れ場所を突き止めるのは、会員の動き次第だ」
「あるいは、規約違反として、上杉小夜を始末するのは――」
「どこに規約違反があるんだい」
「でも、あの女は、マンハントの対象を殺しもせず、逆に守るようにして――」
「ルールでは、ターゲットを即時殺す必要はない、としていた。それぞれ趣味嗜好はあるからね。じわりじわりと殺すのが好きな殺人鬼もいる。その性癖をも我々は尊重する。また、マンハントの最中、邪魔になる他の会員を殺しても構わない、とルールには書いてある。だから、彼女が何かしようとしまいと、少なくとも、最後までターゲットを殺さないという暴挙に出ない限りは、規約違反には該当しないよ」
「……」
リリィは歯噛みした。
すると、運営サイドでは上杉小夜の居場所を突き止めておきながら、会員にその情報を流すことも出来ず、小夜がマッドバーナーとの接触を図る時まで、この停滞した状況を延々と続けなければならない、ということになる。
すでに会員からはクレームの声が上がってきている。
難易度が高すぎる。
ゲームとして成立していない。
これまでで最低のマンハントだ、と。
(我慢するしかないの?)
リリィには耐えがたい屈辱であった。自分のせいでこの事態を招いてしまったのだから。
上杉小夜を面白半分で勧誘すべきではなかった。
「もしも、これが風間ユキの能力に関するトラブルであれば」
ルクスが呟く。
「風間清澄を訪問して、詰問したんだけどねえ」
「は?」
「時間を操る能力、か……危ういな。まともにやってもクリア出来ないかもしれない。とんでもないターゲットを推薦してくれたものだ。規約にある、『マンハントのターゲットを推薦する者は、ターゲットとなる人物が何らかの形で殺害不可能“ではない”ことを確約しなければならない。ターゲットが殺害不可能であると判断されたとき、罰則規定に基づき、相応の罰を与えるものとする』……」
「その可能性が、出てきた、と?」
「現に、風間ユキは賢い選択をしている。本人でも知らず知らずのうちに。上杉小夜に会員たちの注目は集まっており、この4月まで守護者であるマッドバーナーたちは無傷のままベストコンディションを維持している。もしもマンハントが本格的に再開し、Aクラスの殺人鬼が次々と現れるようになったとしても、マッドバーナー、手毬のあやめ、倉瀬泰助、リビングドール、奴らの力をもってすれば、12月まで耐え抜くことは可能かもしれない。そうなると……正攻法でいっても、クリア出来ないかもしれない」
「それはいけません。ただでさえ上杉小夜のせいでゲームが進行しないというのに、折角再開したとしても、クリアが難しいのであれば、結局は同じ問題になってしまいます」
どのようにすれば解決しますでしょうか――とリリィが救いを求めて、ルクスに問いかけてくる。
ルクスは、唇に手を当てて、しばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
「Sクラスの、あの三人はどうかな?」
「アイルランドのミリヤード――バイヴ・カハですか!?」
「いつまでも霧深い古城で玩具相手に拷問ごっこや調教ごっこで遊んでいる場合じゃないだろう。過去最大級のマンハントとなろうとしている。こんな面白い退屈しのぎがあるというのに、享楽を貪っているような連中ではないはずだ。声をかければ、来る。どうだ?」
「実は、すでに……」
「連絡はしたのか」
「マンハント開始と同時に」
「どうだ」
「興味はないようでした。それは、そうでしょう。いくら風間ユキが特殊な能力を持っているとはいっても、あの人たちから見れば子供だまし。精霊か、神か……我々を悪魔とするのであれば、バイヴ・カハはアイルランド古来の戦神。人間の手に終える相手ではありません」
「ま、最初のうちは、せいぜい先読みが出来る程度の能力としか判明していなかったからね。今でこそ、時を操るということがわかっているけど……」
ルクスは会長椅子に腰掛け、グルリと椅子の向きを窓の方へと向けると、遠くの白い山並みに目をやった。
背中越しに、リリィに手を振る。
「とにかく、君の失態は、君が挽回してね。とは言え、ゲームが動き出すのは、あくまでも上杉小夜がマッドバーナーに接触する時だと考えなよ。それまでは辛抱強く待つしかない。金沢観光でもしていたらどう?」
「は、い……」
やはり、上杉小夜が動き出すのを待つしかないのか。
リリィはいつになるかわからない、気の遠くなるような結論をルクスに出されて、ガックリと肩を落としながら、会長室から出ていこうとした。
「ああ、それと、もうひとつ」
ルクスは椅子の背もたれの奥から顔を覗かせ、リリィを呼び止めた。
金髪碧眼の、育ちの良さそうな洗練された面立ち。貴族の血を引いているのだろうか、男でもハッとさせられる中性的な美しさがある。まさにルクス(光)の名に恥じない、気品に溢れた――美少年。
まだティーンエイジの、あどけなさが残る面立ち。
リリィは、ルクスの美貌に魅入られながらも、何を言われるのだろうかと気になって、一所懸命耳を傾けた。
「Sクラスの件だけど……諦めずに交渉は続けてね。でも、本格的にマンハントへの誘いをかけるのは、12月に入ってからでいいよ。そのときでもマンハントが終了していないようなら、最後の交渉に出る。それでどうかな?」
「かしこまりました」
うやうやしく頭を下げ。
リリィは、会長室から静かに出ていった。
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