第74話 還魂

 血が、飛散した。


 夜が近づき薄暗くなりつつある駅構内を、鮮やかな赤が染め上げていく。


「小夜さん……?」


 倒れたまま動かなくなった上杉刑事の死体に、ユキはゆっくりと近寄っていく。まさかとは思いつつも、頭部を確認する。マシンガンの銃弾で抉られた頭は、無残にも砕けており、頭骨の剥き出しになった部分から、黒い血がドロドロと溢れ出ている。


「いや――」


 ユキはパニックに陥り、過呼吸を引き起こす。容量以上の酸素を摂取して、たちまち呼吸困難になり、脳細胞が悲鳴を上げ始める。混乱と、苦しみから逃れるため、ユキは頭をガリガリと引っ掻いた。


 が、それで上杉刑事が蘇るわけではない。


(いや! いや、! いや!)


 何度も何度も、目の前の事実を否定しようとする。


 だが、起きてしまったことは、二度と修正することは出来ない。


 過去の出来事を無かったことにするのは、たとえ神であろうと、不可能な業である。心が認めたくなくても、現実は、残酷だ。


 ユキは。


 それでもユキは。


 上杉刑事の死を、認めたくなかった。


(死なないで、お願い!)


 やり方は乱暴でも、自分のことを守ってくれていた人だ。このまま死なせていいはずがない。


 それに、自分の人間離れした能力にシンパシーを抱いてくれる、数少ない同種の人間なのだ。


 死んでほしくない。


(起きて、小夜さん、起きて――!)


 息苦しさに耐えながら、ユキはひたすら祈った。


 両手を握り合わせ、天に救いを求める。


 どくん。


 心臓に、過大な負担がかかる。


 呼吸の辛さにあわせて、今度は動悸が激しくなってきた。


「か――」


 目玉が飛び出そうなほどの苦痛。


 だが、ユキは祈り続けた。


 彼女は何かを確信していた。


 自分が持つ、時を支配する能力。


 クロノマリア。


「ああああああああああああああああああああああああ!」


 呼吸の不自由さは解け、代わりに、喉から絶叫が絞り出される。


「おい」


 心配した倉瀬刑事が、ユキを止めようとしたとき。


 まばゆい光で、周囲が包まれた。


 その場にいた全員目がくらみ、顔を背ける。


 やがて光が薄まっていったとき――


 上杉刑事が、起き上がった。


「なん――だと」


 倉瀬刑事は言葉を失う。


 確かにこの目で、死ぬ瞬間を目撃した上杉刑事が、何事もなかったかのように息を吹き返した。


 しかも頭部の傷は治っている状態で。


「奇跡……か?」


 ユキの父親が宗教家であることを思い出し、倉瀬刑事の背筋に寒気が走った。唯一、常識的な存在であると思っていたユキが、人間を超越した力を持つ少女であると知り、驚かずにはいられない。


 上杉刑事が蘇った。


 少女ユキの祈りで、死んだという“過去”が無かったかの如く。


「人間を蘇らせるとは、まさか――そんな――」

「倉瀬さん、俺たちは」


 玲も、倉瀬刑事に同調し、震える声で正直な気持ちを述べる。


「俺たちは、とんでもない少女と、関わってしまったのかもしれない」


 ごほっ。


 ユキが血を吐いた。


 肉体に異常な負担をかけてしまった反動だ。人間一人を蘇らせるという業が、極度のエネルギーを消費させ、彼女の体に負の変化を及ぼしている。


「……」


 目から血の涙が流れた。


 体を反らせ、仰向けに倒れた。


「ユキ!」


 玲は近づこうとしたが、回復した上杉刑事が先に駆け寄り、ユキの体を抱きかかえた。上杉刑事の腕の中にあるユキと、上杉刑事の顔を交互に見てから、玲は手を上げて彼女の行動を制止する。


「やめるんだ。彼女は俺たちが守る。お前は冷静じゃない。その子から離れるべきだ」

「お前の指図は受けないわ」

「そういう問題じゃないだろ。ここはユキの意思を尊重すべきだ。彼女は俺に助けを求めてきた。俺の近くにいれば、助かると予見している。だから、彼女は俺が守らないといけない。お前じゃない」

「よく言うわ。ユキは独りで外を歩いていたのよ。あなたは何をしていたの? 彼女の護衛もせず、ほったらかしにして。よくそれで、守るなんて、偉そうな口が利けるわね」

「“助かる未来を見出すことが出来る”、それがユキの能力だろ。お前だって知っているはずだ」

「ええ。でも、ユキは私を選んだ。金沢駅まで一緒に来てくれたのも、私と一緒に来ることが助かる道だと思っていたから、抵抗せずについてきてくれたの」

「それを、彼女の口から聞いたのか」

「いいえ」

「なら、本当にそれが正しい道か、わかるわけがないじゃないか」


 玲は、次第に気が付いていた。


 これ以上は、何を言っても無駄だと。


 上杉刑事の中には、マッドバーナーに対する復讐心しかない。怨みの対象である自分が何を言っても、上杉刑事が聞いてくれるわけがない。


「うるさい。私がユキを守る。誰にも渡さない。私だけがユキを守れる……お前みたいな殺人鬼じゃない、私だけ!」


 ユキを抱えたまま、上杉刑事は駆け出した。


 黙って見過ごすわけにはいかない。玲もまた、追いかけようと走り出した。


「来るな!」


 上杉刑事は、何かを足もとに落とした。


 クリムゾンベレーから奪い取った手榴弾だった。


 爆発が起きた。


 爆風を真正面から食らった玲は、耐火服で重傷は免れたが、衝撃で吹き飛ばされた。


 尻餅をつき、ほんの一瞬、行動不能になった。


「くっ」


 すぐに立ち上がって、また走り出そうとしたが、行く手の先の方で小規模の爆発が何度も連続して巻き起こった。上杉刑事が、手榴弾をばら撒いているのだ。さすがに直撃を食らうわけにもいかない。玲は躊躇した。


 ようやく手榴弾の爆発音が消えたと思ったら、すでに煙と炎の向こうには、上杉刑事の姿は見えなかった。


 玲は、地面を拳で殴りつけた。


 手榴弾で時間稼ぎをされたせいで、上杉刑事の逃走を許してしまった。ユキをさらわれるという失態も犯して。守れなかった自分が悔しかった。


「馬鹿な。独りで、シリアル・キラー・アライアンスの殺人鬼どもを相手に戦えるわけがないだろうが」


 倉瀬刑事が苦々しく呟く。


 玲も同感だった。あの上杉刑事だけで、こんな無茶な連中と一年間も渡り合えるはずがない。


 シリアル・キラー・アライアンスは、マンハントというゲームを成立させるためなら、誰を犠牲にしても構わないような連中が集まっている。果たして、上杉刑事だけで、いつまでもつのか。


「マッドバーナー……いや、遠野。まずは、一度戻って、作戦を立てよう」

「そうだな。彼我の戦力差を考える必要があるし、ユキを早めに見つけなければいけない。色々と今後のことを検討しなければならなそうだ……」


 玲は、上杉刑事のことを思い返していた。


 自分に対して強烈なまでの殺意を持って接してきた彼女。もしも次に会って、戦いを挑まれたら、自分は彼女をどうすべきなのだろうか。


 殺さなければ、この先、ユキを守るための障害となりかねない。しかし、殺してしまうのも違うような気がする。


 初めて自分の前に現れた復讐者。


(俺は、どうすべきだ)


 火炎放射器を握り、多くの人間を殺してきた自分の両手をじっと見て。


 玲はこれから先のことを考え、苦悩していた。

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