第73話 いつか壊れた日

 俺はまた一人殺してしまった。


 ユキを守ると決めたのだから、仕方のないこととは言え、気持ちのいいものではない。クリスマスイブに人を殺すのは、多少は割り切ることは出来る。しかし、そうでない時の殺人は、言うなれば必要のない狩りをしているようなものだ。後味が悪い。


 たとえ殺人鬼といえども。


「南無……」


 とりあえず合掌だけは済ませておく。


 奴が何という名前か知らないが、最低限の礼儀だけは忘れないようにした。


 周りを見ると、乗客が怯えた眼差しで、俺を見つめている。車内に残っている人間の全てが、腰を抜かしてしまったようだ。悪いことをした、と申し訳なくなった。


 震えている小学生低学年くらいの女の子に近寄り、その足元に落ちている犬のぬいぐるみを拾ってやった。


 ボックス席の真向かいに座っている母親らしき女性が、「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。


「すまなかった」


 俺は少女に犬のぬいぐるみを渡してやった。


 少女はひきつけを起こしたようにヒックヒックと泣きながら、恐る恐る、ぬいぐるみを受け取った。


「……その、ぬいぐるみに、名前はあるのか?」

「わ、わんた……」

「そうか、『わんた』か。可愛い名前だな」


 それから母親らしき女性に顔を向ける。


「あんたはお母さんか?」

「は、い」

「怖がらなくていい。無意味に人は殺さない。それより教えてくれ。この子は、俺が敵を焼く瞬間を見ていたのか?」

「み……見て、いました」

「そうか」


 ショッキングなものを目の当たりにして、相当精神的負担が大きかったことだろう。


「警察が来たら、PTSDのことなど相談するといい。早めに手を打たないと、脳の発育によくない。こんな騒ぎを起こして、すまなかった」


 俺は頭を下げた。つられて母親も頭を下げる。怯えているのは相変わらずだが、その眼差しに微かな好奇心が宿っていた。そりゃそうだ。心的外傷後ストレス障害の心配をしてやる殺人鬼なんて、この世界のどこにいるというのだ。


 そんな偽善者は俺くらいだ。


 電車から降りた。


 すでに外は片付いているようだった。


 倉瀬刑事が、息のある兵士の腕に手錠をかけ、一瞬黙考した後、手錠をなぜか外して、相手の腕を床の上に伸ばすと、思いきり踏みつけた。


 骨の折れる音がし、兵士が悲鳴を上げた。


「立場上、証拠は残したくないんでな」


 刑事が殺し合いに参戦していたなどと知れたら、世間が黙ってはいないだろう。手錠を使ってしまえば、その証拠を残してしまう。だから倉瀬刑事はあえて腕を折るという残酷な行動に出たのだ。


「思った以上に、マンハントとやらは、やりたい放題だな」

「ああ」

「どうだ、そっちは。片付いたのか」

「ボスと思われる奴を焼き殺した。そちらは怪我人は?」

「一人、負傷したようだ」

「ユキか?」

「いや、例の女刑事だ。風間ユキを連れて逃げていた――」


 倉瀬刑事は、そのもう一人を目で示した。


 と同時に、倉瀬刑事の表情が強張る。あるトラブルに気が付いたようだ。俺も、最初から自分に向けられている殺気のことはわかっていたが、彼女の方から何か言ってくるまで、黙っていることにしていた。


「マッドバーナー……」


 銃創を負った左腕を抱えながら、右手に拳銃を持って、俺に狙いを定めている女が一人。


 名古屋の中央線上で、腹に傷を負って倒れていた女性。


 刑事の上杉小夜。


「島谷エリカを、憶えている……?」


 上杉刑事は、撃鉄を起こす。


「五年前に、俺が殺害した女性だ」

「そうよ……私は、その恋人」

「恋人? あの女性の?」

「そうよ。……女が女を愛して、何が悪いの?」

「いや、悪いとは思わないが、すまない。失礼なことを言った」

「……礼儀正しくしていれば、同情してもらえるとでも思ってるの?」

「ん?」

「そうやって、ユキのことも騙したの⁉ 倉瀬刑事を仲間に引き入れたの⁉ お前は、罪もない人たちを無情に焼き殺しておきながら、まるで理性と優しさがあるような風を装って、自分の罪を軽くしようとしている! お前は姑息よ! 自分の犯してきた罪を正当化しようと企んでいるわけ⁉」

「俺は――正当化するつもりはない」

「嘘つくなぁ!」


 ドン。


 爆ぜる音、というよりも、重い楔を壁に打ち込むような音だ。


 マフィアの息子とはいえ、そこまで拳銃の音に聞き慣れていない俺は、至近距離で聞かされた銃声に、改めてこのように突き刺さるような音がするのかと、新鮮な印象を受けた。


 と、のんびりしていられるのも、この新型耐火服のお陰だ。


 突然ピースレジャーに現れたシャンユエが、俺に提供してくれた新しい耐火服。以前のバージョンよりも軽く、逆に耐久性が上がっている。動きやすさと同時に、通常サイズの口径の拳銃であれば弾き返してしまうという優れ物だった。


 上杉刑事の銃から発射された弾も、当然、この耐火服で無効化された。ただし、エネルギーは伝わってくる。腹部に、ヘビー級ボクサーのパンチを食らったような衝撃が走った。息が詰まった。


「う――くぅ!」


 無傷の俺を見て、上杉刑事はさらに二発、俺のガスマスクを狙って発砲する。


 だが、ガスマスクも強化素材で出来ているので、銃弾を弾いてしまった。ただし、衝撃で首が後ろへ折れそうになった。


「上杉刑事、だったか――聞いてくれ」

「うるさぁい!」


 また二発。


 心臓のあたりと肺のあたりに撃ち込まれ、俺は痛みで顔をしかめた。


「頼む、聞いてくれ。俺を殺したいのなら、殺せばいい。逃げも隠れもする気はない。だけど、せめてユキを守りきるまでは――」

「お前の助けなんていらない!」


 また一発。


 喉に衝撃が走り、ゴホッとむせる。


「ユキは私が守る!」

「倉瀬刑事から聞いたぞ。お前もシリアル·キラー·アライアンスに入ったのだろう?」

「ええ。お前を殺すために」

「だったら、ユキがターゲットなのに、それを守るのはルールから外れているだろう。規約違反じゃないのか?」

「マンハントの間は、シリアル・キラー・アライアンスのことを口外する以外は、何をしようと自由。それだけが唯一のルールよ。たとえ同じ会員を殺すことになっても、それはゲームで競い合うための行動のひとつに数えられる。だから、私がユキを守っていても、それは規約違反じゃないわ」

「決めるのはお前じゃない。シリアル・キラー・アライアンスだろ」

「仮に奴らが、規約違反として私を狙ってきても、返り討ちにしてやるわ」


 上杉刑事はなぜか自分の肩口に向かって、大声で怒鳴った。マイクでも付いているのだろうか。


「聞こえる⁉ 私は、あなたたちを利用するけど、あなたたちに利用されるつもりはない! 来るなら来なさい! 全員殺してやるわ!」


 隠しマイク。


 まさか、シリアル・キラー・アライアンスの会員は、全員肉体に盗聴機を埋め込まれているのだろうか――と思った瞬間、


「そうよ」


 まるで俺の心の中を読んだかのように、上杉刑事はほくそ笑んだ。


 ずっと黙っていたユキが、俺に向かって叫んだ。


「気をつけて、小夜さんは心を読めるの!」


 上杉刑事の顔が急に崩れた。


 美しい女性――頬に大きな切り傷がある以外は、とても整った顔立ちの女性だったのに、ユキの声を聞いた瞬間、どんな不細工よりも醜い顔に崩れてしまった。


 それは人間としてのラインを越えてしまった顔だった。


 彼女は壊れた。


 ユキが俺に肩入れしたことで、上杉刑事が持っていた何かの観念が、一気に崩壊させられてしまったようだ。


「どうして――どうしてなの、ユキ」


 くしゃくしゃに歪んだ顔を、ユキに向ける。


「どうしてよ! こいつは、こいつは私の大切な人を殺した奴なのよ! なんにもしてなかったのに! いつか一緒になろうって約束していた人だったのに! 私を愛してくれる人はあの人しかいなかったのに! そんなエリカを殺した奴に、どうして味方するの! 教えてよ! どうして私じゃないの! 私はあなたを守ってあげる! いつまでも守ってあげる! なのに、なんで、マッドバーナーなの⁉ どうしてよ! 教えてよ、エリカ――」


 エリカ。


 ユキのことを、思わずエリカと言った。彼女は亡き恋人の名前を叫んでいた。自分が間違えた名前を言ってしまったことに気が付いていない。


 つまりは、そういうことだ。


 上杉刑事にとって、ユキは、亡き恋人の代償だったのだ。ぽっかりと抜けてしまった穴に、ユキという守るべき対象を当てはめた――。


 彼女は、もしかしたら、ずっと前から壊れているのかもしれない。俺が島谷エリカを焼殺してしまった、あの日から。


 心がズタズタに引き裂かれ、絶望的な孤独感を抱えたまま、それでも社会に適合するため、壊れた心を上手に取り繕って生きてきたのかもしれない。が、名古屋で俺と出会ってしまったことで、彼女はもう取り繕うのをやめた。壊れるままに壊れ、俺を殺すことだけに生きるようになってしまった。


 俺が、彼女の人生を狂わせてしまった。


 いまさら誰かを殺すことで、周りの人間の人生がおかしくなってしまうことに、ショックを受けるようなことはない。それは当たり前のことだ。誰かが死ねば、誰かが悲しむ。何も驚くことではない。


 それでも、いざ目の前で壊れてしまった人間を見てしまうと……。


 俺は思考が徐々に停止していくのを感じた。


 誰のせいで、彼女は壊れてしまった?


 俺だ。


 俺のせいだ。


「小夜さん……」


 ほとんど気が触れんばかりの上杉刑事を見て、ユキは悼む目になった。どんな言葉をかければ、上杉刑事は救われるのか、真剣に悩んでいる顔だった。


 そのとき。


 倒れていた敵兵士の一人が、マシンガンを手に取り、上杉刑事に向かって構えた。顔の半分は血に染まっており、腹部に銃創もあり、どう見ても瀕死の状態だったが、最後の気力を振り絞って立ち上がったのだ。


 俺は火炎放射器を持ち上げ、敵に向かって炎を噴出させた。たちまち、敵の体は火炎に包まれた。


 それでも、相手は、銃を下ろさなかった。


 悲鳴を上げることもなく、体を燃やされながら、膝立ちになって。


 引き金を引いた。


 銃弾が、上杉刑事の頭部に当たった。


 血肉が弾けた。

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