第72話 クリムゾンベレー
ユキの銃撃は、失敗した。
戦闘中の迷彩服の男は、横目で銃口の向きを確認すると、わずかに身を後ろへ反らした。
ユキの拳銃から放たれた銃弾は、紙一重で、迷彩服の男の鼻先をかすめ、薄皮一枚傷つけることすら出来なかった。
「そんな……!?」
絶句する。
父親に韓国へ連れていかれて、幼い頃に拳銃の訓練をさせられたことがある。あの時は意味がわからなかったが、今となってはその技術が活きつつある。中級クラスの腕しかないが、それでも戦闘においては十分役立つ技能だ。
この至近距離からなら、外すことはまずない。ダンスクラブでも、ファティマが身代わりを立てなければ、狙い通り彼女を殺すことが出来たはずだった。
それなのに、迷彩服の男は、自分が引き金を引くギリギリの瞬間まで見極めて、よけた。
(強い)
ユキの背筋に寒気が走る。
迷彩服の男は、冷静さなどかけらもないような風体でありながら、実はただの猪突猛進な男ではない。
ただの殺しのプロでもない。
戦争のプロだ。
迷彩服の男は、小夜から距離を取って、突然無線で連絡を取り始めた。小夜はその隙に攻撃を仕掛けようとしていたが、銃弾を撃ち込まれた左腕が痛んだのか、すぐには動かなかった。
その間に、迷彩服の男は無線を繋げたようだった。
「Are you readey to die、ladies!? Do or die!」
誰かに、怒鳴り声で指示を下しているようだ。
「Go、Go、Go!!」
無線機にがなり立てた。
途端に、金沢駅の各所から、大勢の野卑で野太い声が轟いてきた。
Gungho!
Gungho!
Gungho!
壁一面ガラス張りの外を見ると、駅の屋根の上から、ロープが下りてくるのが視界に入った。
真紅のベレー帽を被った軍人たちが、壁伝いに、次々と降下してくる。まるで戦地における特殊部隊の作戦行動のようだ。いや――ようだ、ではなく、まさに軍隊の動きそのものだ。
そのままガラスを突き破り、構内に侵入してきた。
呆気に取られているユキを、小夜は近くに引き寄せた。怪我していない方の右腕で引っ張ったのだが、銃弾を喰らった左腕の傷は深く、動くとズキンと響く。
小夜は顔をしかめた。
「奴は、通称“残虐少佐”」
「残虐少佐?」
「話は聞いていたわ。ベトナム戦争で仲間を失い、復讐のためにベトコンを一ヶ月間拷問して弄んで殺害。民間人を襲っては、男女問わず犯したという狂った軍人。アメリカに帰国してからも、誰の理解も得られず、運悪く家族を強盗に殺害されて――完全に狂ってしまった男」
「でも、狂ったと言っても、あんな軍隊率いて――」
「類は友を呼ぶの。同じように壊れてしまった連中を掻き集めて、奴は自分だけの軍隊を作り上げた。常にベレー帽は鮮血で染まり、ついたあだ名は『クリムゾンベレー』。それを率いるのは、クルーエルメジャーと呼ばれる男。あの迷彩服の奴が、きっとそうね」
小夜はユキの手を引き、遮蔽物を探して走り出す。
線路に降り立ったクリムゾンベレー隊員たちが、アサルトライフルM-16を構え、一斉掃射を開始する。
隙間のない弾幕が、ユキたちに襲いかかった。
「こっち!」
ライフルの連射音が響き始めると同時に、小夜はユキと一緒に電車の下部へと体を滑り込ませた。ゴツゴツと出っ張った底部に頭をぶつけ、体を擦り剥きながら、なんとか電車の反対側に出て、再びホームへと上がる。
だが、すでにホームの上にはクリムゾンベレーが五人も待ち構えていた。
「しまっ――」
自分たちが逃れようのない包囲網にいることを悟り、小夜はチェックメイトがかかったことを一瞬で理解した。
これ以上逃れようがない。
「小夜さん!」
ユキが小夜の体を引っ張った。だが小夜は、もう自分の命を落とすことを覚悟しており、せめてユキだけでも守ろうと考えていた。
小夜は、あえてユキの前に出て、自分が壁になった。
「だめえ!」
伸ばされたユキの手は、もう届かない。
敵に向かってゆく小夜。
クリムゾンベレーたちが、引き金を引こうとする。
そこへ、階段からホームへ駆け上がってきた人物が、クリムゾンベレーたちの中心に飛び込んできた。
「そこまでにしろ!」
倉瀬刑事だ。
クリムゾンベレーたちは迎撃する暇もなかった。
銃口を倉瀬刑事に向けた、と思った次の瞬間には、隊員の顎に強烈な掌底アッパーが叩きつけられていた。巻き添えを喰らったアサルトライフルの銃身がぐにゃりとひしゃげる。曲がった銃身から暴発した銃弾が、別の隊員の頭に当たり、血と頭蓋骨と肉片が飛び散った。
いきなりの襲撃者に対抗すべく、残る三人の隊員も、一斉に攻撃の矛先を変える。
それが間違いだった。
彼らは小夜のことをすっかり忘れていた。
「せやぁっ!」
気合一声。
小夜の飛び膝蹴りが隊員の後頭部にヒットする。
そのまま体重をかけ、相手を押し倒すと、うつ伏せになっている敵の頭を掴んで、思いきり床に顔面を叩きつけてやった。鼻柱がぐしゃぐしゃに折れる音が聞こえる。鼻骨が脳にでも突き刺さったのか、そのまま敵は息絶えた。
残る二人の隊員は軽いパニック状態に陥ったのか、倉瀬刑事と小夜、どちらを標的にするか迷っていたようだが、そのせいで、ついに反撃の機会を逸してしまった。
一人は、倉瀬の裏拳を真正面から喰らった。
もう一人は、小夜のナイフで喉をかっさばかれた。
「ふう……」
敵が全員倒れてから、初めて小夜は倉瀬に話しかけた。
「礼は言わない。でも、ありがとう」
肩で息をしながら支離滅裂なことを口走る小夜に、倉瀬はただ苦笑するのみだった。
「どうして、ここがわかったの?」
「情報提供者だ」
倉瀬は携帯電話をちらつかせた。
「リビングドールという情報屋を聞いたことはないか? 奴から急ぎで連絡があった。金沢駅に、お前さんがユキを連れて向かっていると。それで慌てて向かってみれば――」
話している間に、クリムゾンベレーが集まってきた。停車中の電車を、ある隊員たちは屋根越しに、ある隊員たちは底をくぐって、ホームの方まで抜けてきた。
「この有り様、ってわけだ」
「奴らはランクはC。所詮は群れて行動しなければ人も殺せないような奴らよ。だけど、厄介は厄介ね」
「個々の人殺しとしての凶悪度は大したことがなくとも、さすがに軍隊レベルで襲われるとなると、一個人にはなかなか骨の折れる相手だな。まったく」
そう言いつつも、倉瀬は拳法の構えに移行した。
「銃を使わせるな。使わせたら、負けだ」
「わかっているわ」
倉瀬と小夜は肩を並べ、二人揃って敵の真っ只中に突入していった。
※ ※ ※
残虐少佐こと、グレゴリー・ブラックモアは、血と硝煙で薫り高くなる戦場独特の空気に、心の底から満足していた。
彼はこの理不尽な世界に納得がいっていなかった。
彼がベトナムで体験したことは、確かに真実の出来事であり、そこには人間の内奥に眠るある種の真理が潜んでいたと思っている。
にもかかわらず、この世界は「平和」というものを全てに勝る崇高なものとして崇めており、「戦争」は悪だと決めつけている。よって、彼がベトナムで行ってきたことも、全て否定されようとしている。
そのことに納得がいかない。
人は人を殺す。
過ちを犯す。
いくら否定しようとも、それらは常にこの世界に蔓延している出来事であり、否定しきれないものである。
人々は殺人や犯罪をイレギュラーとして排除しようとする。
しかし排除しても排除しても現れるものであれば、それらは本当はイレギュラーなどではないのではないか?
少なくとも、ベトナムの戦場でブラックモア少佐が体験したことは、人が人を殺すことが勲章となる世界で、他者の死を悼む必要などない、人間が蛆虫以下の存在であることが当然の環境であった。その中で生き抜いてきた自分がいる以上、あのベトナムでの生活が異常であったとは思えず、あれはあれで正しい人間としての生き方であると思っていた。
ところがアメリカに帰った彼を待っていたのは、誹謗中傷の嵐だった。
自分のしてきた残虐行為について、どこから嗅ぎつけたのか、新聞記者やフリーライターが家に押しかけては、戦場に出たこともない視野狭窄の平和主義者どもの与太話を聞かされて、ブラックモア少佐はうんざりしていた。
そしてある日、妻と娘が暴漢に襲われて殺された。
せめてもの救いは、暴行を受けることなく、即死に近い状態で、頭を銃で撃ち抜かれて死んでいたことだろう。
(そうか――平和のために――そんなに戦争がしたいのか!)
反アメリカ。
ブラックモア少佐は、国のために戦った自分を異常者扱いする国家に、その庇護のもと暮らしている愚民どもに憤りを覚え、反旗を翻すことを決意した。
仲間集めはスムーズにいった。
彼らを率いての破壊活動も思った以上に効果を上げた。
だが、そのうち国家の反撃が苛烈なものとなってきて、ブラックモア少佐率いるクリムゾンベレー部隊は殲滅の危機に瀕していた。
そこへ救いの手を差し伸べたのが、シリアル・キラー・アライアンスである。
人を殺すための同盟。
人殺しを容認する世界を築き上げるための、志を同じくする者たちの集まり。
(素晴らしい)
ブラックモア少佐は感動した。
そして誓った。自分はこのシリアル・キラー・アライアンスのもとで、人が人を殺し、略奪する――そんな世界が当たり前のものとなるように、尽力すると。
殺人こそが人間の真理である。
その哲学を証明するため。
ブラックモア少佐は殺人鬼同盟の会員となったのだ。
※ ※ ※
(マンハントを制するのは、どうやら我々クリムゾンベレーのようだな)
もうカザマユキを始末するのも時間の問題だ。
あの黒服を着た長身の女だけで何が出来る。
老いた頬に笑みを浮かべ、ブラックモア少佐は歩き出した。
さすがに、カザマユキのとどめは、自分が刺さなければならない。でなければ、マンハントの報酬は自分のものにならなくなってしまう。
(さて、とどめを刺すか)
電車の壁に張りつき、屋根へと登ろうとする。上を乗り越えて、反対側に出ようと考えていた。
窓枠に手をかけ、グイ、と体を引き上げた。
ガシャン……
重々しい金属音と、足音が車内から聞こえてきた。
それは、唐突な登場であった。
自分の目の前、ガラス越しに、ガスマスクをつけた男が、火炎放射器を両手に引っさげて、ジッと立っていたのだ。
「Who――⁉」
驚いたブラックモア少佐が誰何した瞬間。
ガスマスクの男は、両手に持った火炎放射器を構え、自分に噴射口を向けてきた。窓に掴まっているこの状態では、すぐには反応出来ない。
「No、No、No!!」
ブラックモア少佐の制止も虚しく。
炎が噴き出され、窓ガラスをぶち破りながら、ブラックモアの全身を包み込んだ。
叫ぶ間もなく、ブラックモア少佐は燃え盛る炎の中で、物言わぬ黒焦げの肉塊と化していた。
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