第70話 CruelMajor

 ―金沢駅―


 小夜に引っ張られるままに、ユキは駆け足で歩いてゆく。文句を言う暇もない。鬼気迫る表情の小夜に気圧されてしまっている。自分がどこへ連れていかれるのか、何をされるのか、全くわからないまま、ユキは黙って従っている。


 負い目がある。


 自分のせいで、小夜は顔に切り傷を残すこととなり、その上殺されかけたのだ。


 どれほど自分を怨んでいることだろうか。


 金沢駅に到着した。


 すでに購入していたのか、小夜は二人分のチケットを取り出すと、ユキを引っ張ったまま改札の中へと入っていった。モデルのような美女に腕を引っ張られている少女。その奇妙な光景に、改札口の駅係員は目を丸くしていた。


 ホームに上がってから、ようやくユキは小夜に声をかけた。


「小夜さん、何をするんです? 私を連れてきて、何を考えているんです?」


 小夜がユキを見つめる。


 ゾッとするほど感情の篭もっていない目で、ユキを見てくる。


「あ……の」


 ユキは次の発言をためらった。


「あなたを利用させてもらうわ」


 今度は小夜から話し始めた。


「マッドバーナーはあなたを守ろうとしている。ならば、あなたをさらえば、きっと奴は追いかけてくる。私は、そこで奴を殺す」

「私を囮に使うつもり?」

「ついでに殺人鬼たちも退治する――合理的でしょう」

「待って。小夜さんも、マンハントのこと」

「知っているわ。だって、私もシリアル・キラー・アライアンスに加入したのだもの」

「うそ」


 ユキはにわかには信じたくなかった。


 名古屋で、自分を一所懸命護衛してくれた小夜。そんな彼女が、連続殺人鬼同盟などという狂った集団に身を置いてしまったなど、考えたくもなかった。


 同時に、彼女をそこまで追い詰めさせたのは実は自分ではないか、とユキは後ろめたい気持ちになった。せっかく守ろうとしてくれていた小夜を盾代わりに、自分は生き延びようとしたのだ。


「お願い。うそ、って言って」


 せめてもう一度だけ真偽を確かめたかった。


「嘘じゃないわ」


 現実は残酷だった。


「どうして? あいつらは、いっぱい悪いことしてる。私だって殺されそうになってる。どうしてあんな連中の仲間にならなければいけなかったの?」

「マッドバーナーを殺すためには、奴らの協力が必要だった。復讐は非合法な手段。だったら最初から法を外れた連中に力を貸してもらえばいい。それにね、ユキ。マッドバーナーさえ殺せれば十分なの。その悲願さえ果たせれば、もう生きている意味はない。だから全て終わったら――死ぬつもり。死ぬつもりだから、無駄に生き永らえて、シリアル・キラー・アライアンスに手を貸すつもりはないわ」

「だからって、あんな狂った奴らの仲間になんか、ならなくたって」

「じゃあ、誰が奴を、マッドバーナーを止められるというの!」


 小夜は怒鳴った。


 それは純粋な怒りからではなく、ユキに対してある種のもどかしさを感じているような、苦渋に満ちた怒鳴り声だった。


「シリアル・キラー・アライアンスに入って、ようやく全てがわかった。奴の背後には、チャイニーズマフィアがいる。わかる? あいつは、ただの殺人鬼じゃない。犯罪者集団の後ろ盾があるのをいいことに、善良な人々を焼き殺している、どうしようもない卑怯者よ。でも、卑怯だからこそ、簡単には倒すことが出来ない。たとえ警察でも。だから私は、毒をもって毒を制す方法を選んだ」

「私は――」


 ユキは、その先の言葉をためらった。


(あの人は卑怯な人なんかじゃないと思います)


 そう言おうと思ったが、殺人鬼をかばうような発言をするのは、さすがに気が引けた。


 いや。


 かばうとか、そんな程度の話だろうか?


 ユキは、遠野玲の顔を思い浮かべると、何か不思議な感情が胸の内に湧いてくるのを感じていた。よくわからない感情だ。あるいは、理性がそれを認めたくないのかもしれない。


(本当に、私は、あの人が全てにおいて悪い人だなんて思えない)


 そんなユキの心の声を聞いたのか、小夜の顔が強張った。


「……どういうこと?」

「あ」


 すっかり小夜の能力を忘れていた。


「あなた、何を考えているの? 奴に騙されているの? あいつは私の愛した人を焼いた男よ! 何もしていない、何も悪くないエリカを、残酷に焼き殺した男よ! あなただって元カレを焼かれたじゃない! あんな奴に同情なんて必要ない!」


 正気を失った目で睨みつけながら、小夜はユキの肩をガッシリと掴んで、前後に激しく揺さぶった。


 ユキは唇を噛み締めた。


 いっそ泣きたい。


 小夜の言い分はもっともであるし、マッドバーナーの蛮行を肯定するつもりもない。


 だけど、ユキは自分が触れ合ってきた遠野玲という男性に対して、悪い印象は持っていなかった。マッドバーナーとしての彼は認めたくはないが、それ以外の面では非常に魅力的な男性だと思っている。


 もしも彼が人を殺すことをやめて、今後は罪を償うことに生きてくれるのなら。


 もしもマッドバーナーとしての一面がなくなったなら。


(私は、もしかしたらあの人に……)


 ユキが考えると同時に、小夜が息を呑んだ。


「……そんな……やめて」


 小夜の顔がくしゃくしゃに歪む。一気に老け込んだように見える。その反応を見て、ユキは、いま自分はとんでもないことを考えていたのだと悟り、愕然とした。


「あなたはそんなことを考えてはいけない! そんな――マッドバーナーに、そんな感情を――!」


 ホームに電車が滑り込んできた。特急しらさぎ号だ。小夜の背後を流れゆく車窓を見ているうちに、ユキはいつもの感覚に襲われた。正しい道を選ぶべき時の、あの独特の胸を圧迫するような昂揚感。


 今回は電車だ。


 あの電車から距離を置かなければならない。


「小夜さん、その電車から離れて!!」


 叫びながら、ユキは電車と反対の方向へ距離を取った。


「え?」


 小夜の反応が一瞬遅れた。


 電車の窓が砕け散る。


 迷彩塗装の服を着た老兵士が、電車の中から飛び出してきた。


 小夜は振り返って、とっさに応戦しようとしたが、男の回し蹴りを喰らい、吹き飛ばされた。


「Die! VietCong!」


 迷彩服の男は、拳銃を取り出し、小夜に向かって乱射する。


 かろうじて体勢を整えた小夜は、急いで柱の陰に隠れ、銃撃から身を守る。何発か腕に当たっていたのを、ユキは目撃した。決して軽い怪我ではない。


「小夜さ――」


 小夜に声をかけようとしたユキだったが、今は他人の心配をしている暇はない、ということに気が付いた。


 迷彩服の男が、今度は自分に銃口を向けていたからだ。


 電車は停止した。車内の様子がよく見える。乗客は皆、頭を撃ち抜かれて死んでいる。窓ガラスという窓ガラスに血や脳漿がぶちまけられており、ある窓には、逃げる途中だったのか、頭のはげた中年男性が窓に張り付いて、絶叫を上げた表情をこちらに向けたまま息絶えていた。


 この男は、電車の中で、乗客を皆殺しにしてきたのだ。


「I' l kil you!! VietCong!」


 ユキは急いで後退し、ホームから線路に落ちる。段差の陰に入ると同時に、銃声が聞こえ、頭上のホームが削り取られた。頭を抱え、うっかり銃弾が当たってしまわないよう、必死で身を潜めている。


(これが、マンハント――これが、シリアル・キラー・アライアンス⁉)


 自分の想像を超えた暴力と脅威。


 一人目からして、すでにこの勢いだ。無関係な人間を意味もなく虐殺して、ついでのように自分を殺そうとしている。愛憎などではない。ただ殺したい。それだけの理由で人を殺せる連中。


(こんなの、一年間も、生き延びられるわけない……!)


 銃声と跳弾の音に怯えて、ユキは涙をこぼした。早くもこの場で殺されてしまうような気がした。


 その時、ユキのいる線路に電車が入ってきた。


 慌ててユキは前に出て、転がる。


 間一髪で、ユキの後ろを電車は通過した。


(停車する……!)


 不幸中の幸い。電車は、ユキと迷彩服の男の間に入って、停まった。


 これでしばらくは時間稼ぎが出来る。


 迷彩服の男が電車に阻まれているうちに、距離を稼ごう――と思って、駆け出そうとした時、電車の窓が割れた。


 またもや迷彩服の男が飛び出てくる。


 ユキの目の前に着地した。


「――!」


 ひきつけを起こしたように硬直し、ユキは一歩も動けなくなる。


 迷彩服の男は、容赦なく、銃口をユキの額に押しつけた。発砲したばかりで熱を帯びている先端が、皮膚を焼く。熱くて痛いが、恐怖が、ユキの感覚を麻痺させていた。


【会員No】247

【登録名 】クルーエルメジャー(残虐少佐)

【本  名 】グレゴリー・ブラックモア

【年  齢 】69歳

【国  籍 】アメリカ合衆国

【ラ ン ク】C


 迷彩服の男が、引き金を引いた。


 銃声が鳴り響いた。

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