第67話 アマツイクサ

 アマツイクサ。


 漢字で表すなら、「天津軍」。


 この組織が日本の歴史にいつから登場するのか、肝心のアマツイクサに所属する幹部の者たちですら、よくわかっていない。


 幹部たちの間では、六世紀初めの頃、継体天皇のもと常陸の国で夜刀神やとのかみと呼ばれる蛇神を討伐した箭筈麻多智やはずのまたちと呼ばれる男が、アマツイクサに所属していたのではないか、と言われている。


 ある所属員は八岐大蛇やまたのおろちの討伐にも、アマツイクサが関わっていた、と主張している。


 無論、彼らは、夜刀神や八岐大蛇が伝承そのままの怪物として実在したと思っているわけではなく、それらがあくまでも、古来から日本に住んでいた先住民を象徴した存在である、とした上で語っている。


 アマツイクサの役目は、日本国内における、日本の平和を脅かすような不穏分子を排除することにある。


 平和を守る、と言えば聞こえはいいが、治安活動というものは度を過ぎれば暴力による支配となってしまう。


 戦時中は特に、多くの反戦論者や、国内で息を殺して暮らしていたアジア人が、アマツイクサによって抹殺されていた。


 警察でも公安でもない。軍隊でもなければ、戦後に出来た自衛隊でもない。


 長い日本の歴史の中で、純粋に、強烈な愛国心を抱えたまま、暗躍し続けてきた闇の治安組織。天皇でも、首相でも、もはや御しがたい独立した集団アマツイクサ。


 その組織に、あやめは所属していた。


 あやめは「くのいち」である。それも、歴史研究的に語られるような、女であることを利用して情報収集するような地味な諜報活動者としてのそれではなく――空を駆け、地を這い、あらゆる体術、技術を駆使して敵を暗殺する、おとぎ話のような存在。


 もちろん房中術にも長けている。あやめは、その訓練も受けていた。


手毬てまり菖蒲あやめ』。


 それが、彼女のコードネームであった。


 手毬の名を与えられているのにはわけがあり、彼女は芸事や遊びの方面に特に才能があった。


 明るく屈託のない性格は、陰気なアマツイクサにおいては珍しいものであり、重宝されていた。


 風俗店に潜入することも多く、時には、対象とセックスをしながら、相手の命を奪うような任務も与えられていた。


 そして、今から遡ること七年前のある日。


 彼女は偶然にもマッドバーナーこと遠野玲と運命的な出会いを果たした。


 任務を終えた深夜の帰り道、激しい性行為と戦闘でクタクタになっていたあやめは、逃げ惑う男性の悲鳴を聞いた。面倒だったが、助けてあげようかと思い、声の聞こえた方へ向かうと―ちょうど男性が炎に包まれて、絶叫を上げながら死んでいくところだった。


 不覚にも、あやめはその様子を美しいと感じてしまった。


 すぐに馬鹿なことを考えた自分の頭を諌め、ケースに隠していた日本刀を取り出し、あやめは相手と対峙した。


 相手はガスマスクと黒い耐火服を装着した大柄な人間であり、さながら紅蓮の炎を操る漆黒の悪魔といったところ。本当に人間かと疑いたくなるほど、化け物じみた迫力がある。この頃は、まだマッドバーナーの名前はマスコミに取り上げられておらず、翌年の世田谷での殺人でようやく有名になる。


 闇の組織に所属するあやめでも、マッドバーナーの存在はまだ知らなかった。


「なに、してたの」


 切っ先を相手に向けながら、あやめは詰問した。


「食事――」


 男の声が聞こえた。


「はい?」

「食事のようなものだと思ってくれ。魂を喰らう……殺さなければ、俺が死ぬ。身勝手なことだと思う。俺が死ねば、この先、多くの人間が死なずに済むだろう。だけど、俺だって死にたくはない……すまんが、見逃してくれないか」

「わけわかんないこと、言わないでよ!」


 あやめは怒鳴った。しかし、その怒りは、正義感から来るものではない。そもそもあやめ自身、アマツイクサの任務でターゲットを殺すことに快感を覚えている、一種の快楽殺人者なのだ。


 別に、誰が人を殺そうが、相手を非難するつもりはない。


 とはいえ、このまま見過ごすわけにもいかない。


「も〜……早く帰りたかったのにぃ!」


 あやめはマッドバーナーに斬りかかった。


 マッドバーナーもさすがに応戦せざるをえず、火炎放射器の引き金を引いた。ドン、と爆音と共に、炎が噴出される。


「きゃっ⁉」


 想像以上の巨大な炎の塊に、あやめはビックリして、真横に受身を取って攻撃をかわした。


 熱気が肌をなめた。


「ちょっとぉ、レディを殺す気?」

「出力は最低にしていた。かわさなくても、当たりはしなかったさ。それに、日本刀振り回す女の子を、俺はレディとは思わないな」

「女の子って、失礼ね。二十五歳の美女を捕まえて、子ども扱いしないでよ。そういうキミは、何歳なのよ」

「……二十三歳」

「あ、ムカ。年下のくせに、私のこと女の子扱いするんだ。そういうのって、おねえさん、一番許せないなぁ」

「本当に、そんなくだらないことが、一番許せないことでいいのか」

「真面目だなぁ。言葉のあやでしょ。もっと許せないこと、世の中にいっぱいあるじゃない」

「そりゃあ、そうだ」

「そりゃあ、そう……って。キミもなんか、許せないこと、あるの?」

「いや、世の中に不満はない。ある程度の妥協は必要だと、俺は思っている」

「じゃあ、別に、許せないことが世の中にあるとか、そんなこと特に考えてないんじゃん」

「いま、腹を立てていることならあるが」

「なに?」

「くだらないとか、怒るなよ」

「怒らないよ。言って」

「先週、映画を観た」

「なに?」

「それは――」


 マッドバーナーはタイトルを言った。あやめはそれを聞いて、プッと吹き出した。自分も見たことのあるやつだ、


「あれ、私も一応は観たけど。どうだった?」

「だから怒ってると言っただろ。いまだに時間を返せと訴えたいほど、俺は腹が立っている」

「わあ、気が合う。私も、やりきれない気分になって、友達に文句の電話かけちゃったくらいだもん。ああ、あの子、迷惑だったろうなぁ……監督に文句言え、って感じだよね」

「まったくだな」


 ククク、とマッドバーナーは苦笑した。


 それから、ハッと彼は身を引き締め、あやめの方を向いた。


「なんで俺は、お前と普通に話してるんだ?」

「あ」


 あやめも気が付いた。


 最初にお互い一手出し合っただけで、なんとなく戦闘が中断されてしまった。いつの間にか普通のお喋りをしてしまっている。


「変なの」


 クスクスとあやめは笑った。


 本来なら、目の前で人が殺された。そのことをなじるべき相手と、道端でバッタリ会った友人とするような、軽い会話を交わしている。


「なんか、キミのことが他人とは思え――」

「しっ、誰か来た」


 足音が聞こえてきた。何人かの話し声も聞こえる。悲鳴を聞きつけて、近隣の住民が様子を見に来たのだろう。


「行くぞ」


 マッドバーナーはあやめの手を掴んで走り出した。


(あっ……)


 男性と正常な付き合いをしたことのないあやめは、こんな風に男と手をつないで駆けることなど、一度もなかった。


(いいな……大きくて、暖かい)


 手袋をはめた手ではあるが、それでも男の手であることには変わりない。あやめは愛しさを感じながら、その感触を味わっていた。


 それが遠野玲との出会いだった。


 劇的に出会った二人は、知り合って一ヶ月ほどで入籍した。


 玲もまた、彼女に一目惚れしていたのだ。


 あやめはアマツイクサを辞職した。


 秘密の組織でありながら、就職も辞職も比較的気安い組織であるのが、彼女にとって救いであった。非現実的な団体であるから、内部の事情を話したところで一般の人間は与太話か精神異常としか思わないだろうし、仮に暴露されることの恐れを抱いたとしても、各方面から口封じを実施し、社会的に抹殺するだけであろう。いたずらに人を殺して騒ぎを大きくするような真似はしないと、あやめは踏んでいた。アマツイクサはそれぐらいの判断は出来る組織だ。


 主婦となったあやめは、夫の、人を殺さなければならない病に理解を示し、彼のために全面的に協力してやっていた。それもこれも遠野玲という男を深く愛しているがゆえの行動であった。


 世界で最も愛しくて、守ってやりたい男。


 自分の夫、遠野玲のためなら、再び血塗られた修羅の道へと戻ることなどあやめにとって苦でもなかった。


 ※ ※ ※


「ドクターフォーチュンが殺されたようだ」


 隣室に控えていた殺人鬼の一人、マンイーターことユルバン・ドレーは、フランス語でアシッドキラーに話しかけた。だが、英語しか通じないアシッドキラーには、彼の言っていることは理解出来ない。


 ふうふうと、鼻息荒く、据わった目をひたすら壁面に向けているアシッドキラーに、同じ殺人鬼ながら嫌悪の目を向けて、マンイーターはベッドから腰を上げた。


「私は、彼女を食しに行く。君はここで待機していたまえ」


 やはりフランス語で命令する。仮に英語で話したとしても、通じたかどうかわからない。ボサボサ髪の浮浪者のような風体をしたアシッドキラーは、どう見ても精神異常者であり、まともな会話が出来るとは思えない。


「まったく……エレガントではないな」


 部屋を出た後、マンイーターは呆れ果てて、かぶりを振った。


【会員No】498

【登録名 】マンイーター(人食い)

【本  名 】ユルバン・ドレー

【年  齢 】44歳

【国  籍 】フランス

【ラ ン ク】B


【会員No】521

【登録名 】アシッドキラー(酸殺魔)

【本  名 】キース・エヴァンス

【年  齢 】27歳

【国  籍 】イギリス

【ラ ン ク】D


 撫でつけたオールバックの髪。


 ピエールバルマンのスーツに、ドミニック・フランスのネクタイといった、高級ブランドで固めたファッション。


 マンイーターは、殺人とは汚いものではなく、美しく彩られるものであるべきだと思っている。


(エレガントに、そう、エレガントにだ)


 人を殺すからといって、汚れた振る舞いをする必要はない。


 堂々と、優雅に、殺せばいいのだ。


 殺した人間の肉を使って、フルコースの一部とした経験もあるマンイーターは、隣室にいるあやめのような豊満な肉体を持った女は、たまらなく食欲をそそる対象だった。


(ベジタリアンなら、なお最高なんだが)


 フンフンと鼻歌を歌い、隣室のドアの前まで近寄っていく。


 そのドアがいきなり勢いよく開けられた。


「おお」


 驚くマンイーターの前にあやめが飛び出してくる。


「あの状況から脱出出来るとは、素晴らしい! さあ、お嬢さん、私の胃にた〜んと収ま――」


 最後まで言えない。


 マンイーターの顔面にあやめの蹴りがめり込んだ。

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