第65話 共通の敵

 倉瀬は最初に遠野玲を目にした時、我が目を疑った。


 面食らった、という表現の方が、もっと適切かもしれない。


(この男が、あのマッドバーナーなのか?)


 背丈は180センチ近く、鍛え抜かれた肉体が服の上からでも判別出来る。


 面立ちは精悍で男らしく、正体が殺人鬼であることを知らなければ、倉瀬好みの骨のありそうな人間に見える。


 何よりも瞳に宿る知性の色が、この男が並大抵の人物ではないことを窺わせる。


「本当に――そうなんだな」


 相手がマッドバーナーであると断定した倉瀬であったが、ここに来て自信がぐらついてきた。


「あなたは間違っていない。俺がマッドバーナーだ。今さら取り繕うつもりもない。誰かに教えてもらったんだな?」

「ああ」


 全てはリビングドールから教えてもらった。


 ある交換条件とともに。


(リビングドールの条件を、呑むべきか――長年追ってきた仇敵を前に、私は――)


 躊躇している倉瀬を見て、玲は肩をすくめた。


「どうした? 逮捕するんじゃないのか? 俺は別に抵抗しないぞ」

「いや――」

「もし急がないのであれば、すまないが来年まで待ってくれないか。俺は逃げも隠れもしない。一年間は逮捕を控えてほしい」


 その言葉に二神はカッとなって、玲に掴みかかった。


 珍しく激昂している。


「貴様! この期に及んで、何を! やはり往生際の悪いことを言っているじゃないか!」

「離してくれ」


 玲は二神の手を払いのけようとしたが、柔道で鍛え上げられた二神の握力を相手にしては敵うはずもない。困ったように、玲は相手の手首を握ったり掴んだりしていたが、やがて手を元に戻した。


「悪いとは思っている。この人間社会で許されるべきではない罪を犯しているのだから、極刑を受けるのは自然な報いだと言えよう。だから、俺は、逃げたりしない。甘んじて、刑を受ける。だが、一年間は許してほしい。守るべき子がいるんだ」

「何を、さっきからわけのわからないことを!」


 殴りかからんばかりの勢いで二神は怒鳴ったが、その肩に倉瀬は手を載せた。


「彼の話は、実は私も詳しく聞きたいことがある。すまんが、ゆっくり会話をさせてくれんか」

「しかし、倉瀬さん――」

「いいか、二神刑事。本来なら私はお前さんを金沢まで連れてくるつもりはなかった。巻き込みたくなかったのと、お前さんは上杉刑事を救出することで冷静さを失いかねんから、連れていきたくなかったのだ」

「その件は、恐縮に思っております。ですが――」

「お前さんが話を面倒にしてしまうのは、あまり好ましくないのだよ」


 倉瀬は睨みつけた。


 二神は、息を呑んで黙った。


「いいか。これは、もはやマッドバーナーという殺人鬼を追うだけの事件ではない。我々は今、マッドバーナーを追っているうちに、より凶悪な殺人鬼集団の存在を知ってしまったのだ。ここで、マッドバーナーを逮捕するのは簡単だ。しかし、それで終わるような話ではない。場合によっては、奴の確保よりも、もっと優先すべきことがあるかもしれん」


 ひと息にまくし立てた後、倉瀬はカウンターに置いてあるコップの水を一気飲みした。


「二神刑事。実は、夜行列車の中で上杉刑事に出会った」

「え⁉」


 まだ、その事実は二神には話していなかった。


「黙っていてすまない。が、まだ話すべきではなかったと思っていた。そして、今がその話すべき時だと私は思う」

「倉瀬さん?」


 二神は動揺している。


 その隙に、倉瀬は二神の手を玲の胸倉から離してやった。


「ありがとう」


 玲は頭を下げる。


「礼は結構だ。それよりも、お前さんからも聞かせてもらおうか。シリアル・キラー・アライアンスの話を」

「そうだな……ここで一度、情報交換をしようか。細かい話はそれからでもいいだろう」


 玲は四角いテーブル席へと、倉瀬たちを誘導した。


 二神はしばらく渋っていたが、結局全員席につき、話し合いの体勢へと入った。


 ※ ※ ※


 ―遠野屋旅館―


 ロビーに、遠野学円とお喋りに興じている、一人の老人がいる。


 風呂上がりなどで通り過ぎる宿泊客たちは、怪訝な眼差しで彼に注目するが、うっかり目が合うと、見なかった振りをして、そそくさと自分の部屋に戻っていった。


 老人は、長い白髪の好々爺然とした男であるが、その片目は縦一文字の切り傷で潰されている。明らかに堅気の人間ではない。


「おい、堂坂。てめえ、営業妨害だぞ。とっとと出てけよ」


 泣く子も黙る暴力団、堂坂組の組長、堂坂雅日どうさかまさひに対して、学円は怖じることなく文句を言った。


 堂坂は呵呵と笑い、にこやかに学円に話しかける。


「そういうお前さんは、リウ一派と仲良くしているではないか。わしにとっては、それこそ営業妨害だ」

「なんでだよ。気にせず戦えばいいだろ」

「気にしないでおられんから、戦いにくいのじゃろうが」


 堂坂はお茶をすする。


「それに、時代はわしらが争い続けることを許しはしない。特に、この世界は在り方が変わりつつある――」


 湯飲みを机に置き、ほう、と堂坂は天井を向いて溜め息をついた。


「戦争はなくならん。しかし、徐々にその数は減りつつある。ちょいと数百年前を見れば、どこでも殺し合いがあったというのに。その中でこそ生きていられる人間は、戦争が減れば、途端に社会の落伍者だ」

「てめえに言わせれば、張飛だろうが、宮本武蔵だろうが、現代社会じゃただの殺人鬼だと――そういうことだろ」

「突き詰めれば人を殺す道で生きていたわけだからな」


 頭を戻し、学円の目を見据える。


「人は人を殺してはいけない。そのルールが、なぜ決まったと思うかね」

「道徳心ってやつだろ」

「いや、その道徳心とやらは、ルールが先に決まったからこそ生まれたものだ。本来ならば、人間はいくらでも他者を殺せる生き物だ。それがなぜ、他人を殺してはならないというルールが決まったか」

「なんでだと、思うんだ」

「有限だからじゃよ」


 堂坂は笑みを浮かべた。


「“人を殺してはいけない”などという理屈は、どこにもない。が、好き勝手に殺していては、いつか人間は死滅してしまう――だからルールを設けた」

「つまり、人間を殺すこと自体は否定してねえ、と? 人が人を殺すな、って道徳は、数の制限のために作られたと?」

「わしはそう考えている」


 そう言って、堂坂は雑誌立てに差し込んであった新聞を適当に抜き取り、学円の前に置いた。


「人を殺さなければ生きていけない人間がいる。そうでない大多数の人間は、人間が存続するための秩序立てとして、法を作り上げた。殺さなければならない人間たちは、雁字搦めに縛られ、しかしまだ戦争や紛争、小さければ決闘等があるからこそ、己の殺人欲を満たすことが出来た。ところが、現代社会において戦争の数は減り、法の縛りはますます強くなってきている。もはや殺人鬼たちは殺人欲を満たすことが出来ないでいる。その歪みが社会を狂わせつつある――」

「その考えに賛同したてめえは」


 堂坂の演説には興味なさそうな顔で、学円は自分の耳を指でゴリゴリと掻き、中から耳クソを取り出すと、フッとひと吹き、


「シリアル・キラー・アライアンスに加入したって、わけだ」

「ああ……が、若気の至りじゃった」

「てことは、今は後悔してるんだな」

「孫娘と、その恋人が、の……」


 堂坂はうなだれる。それ以上、何も話そうとしない。学円は、すでに事情は知っているので、あえて聞かない。堂坂の孫娘のナミと、その恋人である沖野という青年。この二人が、リウ大人の組織によって惨殺されたということは、裏の世界に生きる者にとっては衆知の事実である。


「わしの子飼いの、“悪獣”部隊が、間もなく金沢に集結する」


 そろそろ立ち去ろうと、堂坂は腰を上げた。


「リーダーの冨原は、先日両目をやられてほとんど使い物にならなくなったが、一応は向かっているそうじゃ。冨原は論外だが、他の者は剛の者が揃っておる。よければ貸してやってもいい」

「申し出はありがてえが、俺はヤクザの力は借りねえ主義なんでな。俺のバカ息子だって、俺とてめえのつながりは全く知らねえくらいなんだ。貸しは作りたくねえ。それにシャンユエが来たんで間に合ってんだ」

「ほう……名前は聞いたことがあるが。リウの所のナンバー2じゃろう」

「うちのバカ息子のために、わざわざ上海から飛んできたんだとよ。昔の義理を返すために、馬鹿馬鹿しい……」

「わしも、お前に義理を返したかったのじゃがな」


 堂坂は玄関口に向かいながら、苦笑した。


「マフィアとつながりあるような奴に、てめえは恩義を感じてるのか」

「たとえ敵に手を貸していようと、わしにとっては最大の友じゃよ。こっそり会いに行かねばならないのは辛いが」


 寂しげに微笑み、堂坂は去っていった。


 玄関の引き戸が閉まるまで、堂坂の姿を見送っていた学円は、気配がなくなった瞬間、「かぁー」と嘆息し、頭を左右にブンブン振った。


「どいつもこいつも、意地張らねえで、さっさと喧嘩なんかやめちまえばいいのによ。てめえらを支配してる、シリアル・キラー・アライアンスの方が、もっと危ねえ敵じゃねえか」


 わかっちゃいねえ、と学円は呟く。


 鬱憤晴らしに風呂にでも入ろうと、奥に向かおうとした。


 その時、誰かが玄関の扉を叩いた。


「スミマセーン、チョットシツレイシマスヨー。オジャマシマスヨー」


 片言の日本語が聞こえてくる。


「誰だよ、うるせえな。休ませてくれよ……」


 学円はブツブツ文句を言いながら、土間に下りて、玄関の扉をガラガラと開けた。


 目の前に、痩せ顔の白人男性が満面に笑みを浮かべて、立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る