第61話 父との決別
「すまん!」
家に帰るなり、俺は妻に頭を下げた。
ランニングから帰るのが遅くなって、もう昼飯の時間になっていたから謝ったのではない。
シリアル・キラー・アライアンスに喧嘩を売って、ユキを守るために戦う羽目になってしまった、そのことを謝ったのだ。
「別にいいけど」
妻は俺に背を向けて、台所でネギを刻んでいる。今日の昼飯はインスタントラーメンだ。すでに鍋の中にはラーメンが出来ており、あとは火を止めて、どんぶりに盛って、ネギを上に加えるだけだった。味噌味のスープの香りが鼻をくすぐった。
「キミって意外と短気だよね」
「そうか?」
「短気っていうか、プライドが変なところで高いっていうか。最初に人殺した時の話だって、そうだよ。普通は殺してやろう、って思わないでしょ。平穏無事に生きたいって顔してながら、自分のライフスタイルを捻じ曲げたり、否定したりするような奴が現れると、途端にキレちゃう。だからキミって短気だな、って思う」
「せめて熱血と言ってくれ」
「熱血じゃないでしょ」
ラーメンをどんぶりに盛りつけながら、妻はあははと笑った。
「熱血、って柄じゃないよ、キミは。だって考え方がいつも陰気くさいもん」
「じゃあ冷静と言え」
「冷静、でもないでしょ。冷静な人は、そんなワケのわかんない連中に喧嘩売ったりしないよ。だから、やっぱキミは短気。私だったら、『へえ、そうなんだぁ』って、にこにこ笑っているうちに終わらせるよ」
妻なら確かに上手くいなせそうだ。いざとなれば、いくらでも冷徹に振舞うことが出来る彼女は、頭の悪そうな言動でカムラージュしているが、実際はかなりのしたたか者である。
「ほら、済んだことは仕方ないから。キミが大暴れしたいって言うんなら、私も全面的に協力してあげる。その前にお昼食べよ」
テーブルに置かれた味噌ラーメンが、食欲を掻き立てる。インスタントラーメンなのに、妻の手にかかるとたちまち御馳走に変わる。いつも美味しい。
「ああ」
妻の明るい態度に救われた気分で、俺はしばしシリアル·キラー·アライアンスのことは忘れ、ラーメンを無心にすすった。
※ ※ ※
夕方、遠野屋旅館に寄ると、食堂から笑い声が、ロビーにまで洩れ聞こえてきた。
聞き覚えのある声が混じっている。
誰がいるのだろうと食堂の扉を開けると、中では親父とリウ大人が酒を酌み交わしていた。
「おや……じ……」
「どっちの“親父”を指して言ってるんだ? ま、どっちでもいいか。お前も座れ。一緒に飲むぞ」
「随分、上機嫌だな……親父」
「おうよ。旧友が訪ねてきたんだ。浮かれずにいられるか。それより座れって言ってるだろ」
親父に命令されるのは癪に障ったが、リウ大人の手前、俺は渋々言われたことに従った。
日本酒をチビチビと飲みながら、しばらくは三人で雑談をしていた。
リウ大人が、本題を話し始めたのは、徳利が十本ほどテーブルの上に並んだ頃だった。
「シリアル・キラー・アライアンスに戦いを挑んだそうだな」
想定はしていたが、予想よりも早くリウ大人に情報が伝わっている。
「ああ」
「お前らしくもない。何があった?」
「別に」
リウ大人に多くを話したくなかった。ちょっとしたことが、これからの戦いに悪影響を及ぼさないとも限らない。自らの弱みを掴ませるようなことを話すわけにはいかない。
親父は普段だったら、俺のこういう態度を叱責するはずだが、何か感じるものがあったのか、神妙な顔をして、無言で酒を飲んでいる。その気遣いがありがたい。
「そうか。ならば詳しくは聞かないでおこう。しかし、頼りとなる武器が何もないお前に、果たして連中と戦い続けるだけの力があるのかな」
「やってみなければわからない」
「無理は承知か」
「戦い抜く見込みは、ゼロに等しい」
「私は助けないぞ」
「最初から当てにはしていない」
「私は、運営者側に近い立場だからな。マンハントに参加するつもりはないが、マンハントの裏方に回る気はある。そして、会員が風間ユキを殺すため、余計なことに気を取られないよう、移動手段、宿泊施設、あらゆる面でサポートをする。それが
マンハントに参加する殺人鬼たちの援助はする。それは言い換えれば、俺の敵になると宣言しているようなものだった。
「結局はあっち側に行くわけか」
「彼らには世話になっているからな。お前が息子とはいっても甘く対応する気はない。今さらなことではないだろう?」
「まあな。あんたは俺が小さい時から、何もしてくれなかった。俺が裏社会でも生き抜けるよう、アドバイスをしてくれたくらいだ。俺はあんたの思惑には乗りたくなかった。だから、あんたはますます俺が疎ましくなっていった。戦う術は教えても、堅気として生きる道は教えなかった。違うか?」
「よく分析しているな。その通りだ」
リウ大人は立ち上がった。
「人として生きようと、殺人鬼となった今でも考えているような甘ったれに、注いでやる愛情などない。私には、私の望むように育たなかった息子のために協力してやる義理などない」
淡々と冷めた口調で、リウ大人は自身の心境を吐露している。嘘か真か。そこに秘められた真意があるのか。俺には、彼の本当の心はわからない。
「私はシリアル・キラー・アライアンスのために動く。それがどんな意味を持つか、もう悟っているようだ。ならば、すでに命運尽きていることもお前にはわかっているだろう。それでもお前は、つい最近知り合ったような少女のために、無駄に命を捨てるというのか」
「人として最後の一線を越えたくない」
そうだ、俺は。
俺が人間である証明のために、ユキを守る。
自分の命を守るため人を殺し続けてきた俺が、ユキを生かすため戦いに挑む。
罪もない人間を、私的な事情のために大量に殺してきた俺が、もはや少女一人を守るくらいで贖われるとは思っていないが。
それでもこれは贖罪の戦いと言えるかもしれない。
「せいぜい自分に酔っていろ」
リウ大人はコートを羽織り、俺を睨みつけた。
「昔からお前はそうだ。下らないプライドの高さが災いして、自分をよく見せようと、浅ましく動き回る。私が評価出来るのは、お前が最初に犯した殺人、その次の殺人、二回だけだ。三回目からは、意味のない殺しへと堕落してしまった。所詮はその程度だ。お前のやろうとしていることは――お前という人間の外面を、体裁よく取り繕うための、極めて下賎な自己満足にしか過ぎない」
吐き捨てるように罵ってきた。
「殺人鬼たちの餌食となるがいい」
捨て台詞を残して、リウ大人は食堂から出ていった。間もなく、ガラガラと入り口の戸を開ける音が聞こえた。帰っていったようだ。
俺と親父は、お互いに何も言わず、ひたすら酒を手酌で注いでは、飲み続けていた。
「……玲」
十分ほど経ってから、親父は俺に声をかけてきた。
「なんだよ」
「お前は、あやめちゃんを愛しているか」
「急に恥ずかしいことを聞いてくるなよ」
「愛してるか、って聞いているんだ。質問に答えろ」
いつになく真剣な様子に、俺は気圧された。
「ああ、愛している。それがどうした」
「そうか」
親父はひとり納得した様子で、ウンウンと頷いた。
それから、おもむろに口を開いた。
「あの子を悲しませるなよ」
俺の、お猪口を持つ手が止まった。不覚にも、その親父のひと言に万感の思いを感じて、胸が詰まった。
「……あやめを泣かせるような真似はしない。約束する」
今日、明るい言葉で俺を力づけてくれた妻の顔を思い出し、俺は親父に誓いを立てた。その言葉を守れる可能性が低いことを感じながら――それでも、俺はただでは命を落とす気はなかった。
俺が死ぬことは、ユキの身を危険に晒すことに等しい。
絶対に負けられない。
(この時以外に、俺が人として生きられる機会はない。魂が燃え尽きる瞬間まで、俺はユキを守り続ける――守り抜いてみせる)
言葉に出さず、心の中で、俺は自分に対しても誓いを立てていた。
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