第60話 守護者のルール

「いいお店ですね」

 寒い所から暖かい店内に入ったためか、リリィの眼鏡は湿気で曇っている。注文したコーヒーが出てくるまで、リリィは眼鏡拭きでレンズを拭きながら、にこやかに話しかけてくる。


 東茶屋街にある行きつけの喫茶店だ。観光客が大勢訪れるメインの通りから、一本裏手の道にあるこの店は、サイフォンの音がよく聞こえるほど、静かな店内である。客の誰もが、この店に入った途端、小声になる。そういう空気の流れている店だ。


 店の入り口にある宮沢賢治の本に目をやって、リリィは「まあ」と弾んだ声を上げた。


「素敵。私、彼の作品は大好きです。小説も、詩も。全部読みました」

「外国人のあんたが理解してくれるとはな」

「日本が好きですから」


 彼女は優しい眼差しで、俺をじっと見つめてきた。


「さて、勿体ぶられるのは好きじゃない。結論から話してもらおう。なぜ、また俺の前に現れた」

「警告のためです」

「ユキを俺の家に泊めてやっていることか」

「ええ。ゲームは年明けと同時に、スタートしました。この金沢に向けて、そろそろ第一陣が到着する頃です。残された時間はわずか。巻き添えになる前に、彼女を解放してはいかがでしょうか」

「親切だな」

「私が、ですか?」

「放っておけばいいじゃないか。お前らにとって、俺や、俺の家族がどうなろうと、知ったことではないんだろう?」

「“我々”は。でも、“私”は困ります」

「あんたが?」

「だって、ファンですから。あなたの」


 そう言われても嬉しくない。


「だから事前にお話に伺いました。あなたが迷惑を蒙る前に」


 さっきから、俺も彼女も、「死ぬ」とか「殺す」とか、「マッドバーナー」といったような単語は口に出していない。静かな店内で迂闊にこれらの言葉を出してしまえば、たちまち他の客に聞かれてしまう危険性がある。


「このまま彼女を俺の家に置いていたら、どうなる」


 店に入る前からひと言も口を利いていないユキを見て、俺はリリィに尋ねた。


「あなたは一〇五式をお父様に返されましたね。道具のない状況で、いつまで辛抱出来ると思います?」

「俺は、彼女のために、戦う気はない」

「でも、そうせざるを得なくなります。ゲーム参加者は手段を選びません。あなたが我関せずを貫こうとしても、彼らはあなたごと風間ユキを狙うかもしれません。その時、あなたは何が出来ますか?」

「……」


 リリィの言う通りだ。俺には装備がない。全部リウ大人に返した。これでは、ユキを狙って殺人鬼が襲ってきた時に、俺まで殺されそうになっても、自衛する手段がない。


「風間ユキを解放することをお勧めします。それがあなたのためです」

「見放し、の言い間違えじゃないのか」

「ふふ」


 少しも、リリィに悪びれた様子はない。


 ユキは俺の方へと身を寄せてきた。俺が殺人鬼であろうと、ただ一人味方になりうる以上は、彼女も頼るしかないのだろう。


「ひとつ教えてくれ」

「なんでしょう」

「去年のクリスマスイブの日、俺が彼女に迫りながら、どうしてお前たちは放っていたんだ? 彼女はゲームのキーパーソンだろう? それが、開催前に万が一のことがあったら、最悪ゲームを中止しなければならなくなる。なぜだ」

「彼女の力を試していたのです」


 深入りのコーヒーを美味しそうに飲み干して、リリィは満面に笑みを浮かべた。


「ゲームの参加者に嘘を言うようなことがあってはいけませんから。最終テストも兼ねて、ちょうどあなたが目をつけていたこともあって、成り行きを見守っていたのです」

「もしも俺の行動が成功していたら――」

「その時はその時です。いざゲームが始まって、問題が起きるよりはマシです」

「いつから試していた」

「あなたも見たでしょう? 横浜のダンスクラブで、彼女が起こした騒動を。あの時殺されたダンサーの少女は――我々の協力者でした」


 ユキがビクンと体を震わせ、驚きの表情を浮かべた。


「えっ……?」

「登録名はリトルボマー。詳しくはここではお話しませんが、風間ユキがもともと狙っていたもう一人の会員、ファティマとは仲のよい会員でした」

「ファティマは――」


 ユキが口を挟んできた。


「父の愛人だった」

「そうですね。でも、あなたは、ファティマが我々の会員であることは知らなかったでしょう。あなたを試す立場にあったことも。それでも――あなたはファティマを殺そうとした」

「失敗した」

「失敗かどうかは、先に行かないとわかりませんね。あなたの能力を考えれば、ファティマでなく、リトルボマーを排したことが、未来に生きてくるのかもしれません。ともあれ、あの時の行動が、我々に確信を抱かせました。このゲームは、いまだかつてない、空前絶後の白熱したものとなると――」


 リリィの頬がやや紅潮してきた。


「あなたは本能で生き延びる道を選び抜くことが出来る。それはすなわち、あなたを狙いとするゲームは、非常に攻略困難なものとなる証拠。だからこそ今回のゲームは盛り上がる」

「私、そんなゲームに参加した覚えなんてない」

「あなたの意思は重要ではないのです。我々が企画し、我々の会員が満足する。そのことだけが肝要」

「いい加減にして!」


 ユキが叫んだ。


 店内の客たちがギョッとして俺たちの方を向いてくる。明らかに店員が迷惑そうな顔をして、ひと言注意するかどうか迷っている様子だ。


「店を出よう」


 興奮したユキの様子に危惧を抱いた俺は、口早に二人を促して、席を立とうとした。


 張り詰めていたものが一気に弾けたのか、ユキは涙をこぼしながら、リリィを罵っている。


「あなたたちは、人の命をなんだと思ってるの! どうして勝手に人を景品のように!」

「景品ではありません。ゲームのクリア条件です」

「どっちだって同じよ! 私はそんなことのために生きているんじゃない! あなたたちに殺されるために生きているんじゃ――」


 我を忘れて、穏やかではない内容を、ユキは大声で怒鳴っている。


 俺は血の気が引くのを感じた。こんな場所で堂々と殺人鬼連盟の話をしないでほしい。連中のことが世に知れるのは大いに結構だが、そのせいで俺まで疑われるようなことになるのは、勘弁してほしい。そもそもユキだって人を殺しているのだから、あんまり目立つような真似はすべきではない。


「出るぞ!」


 テーブルの上に金だけ置いて、俺はユキを力づくで引っ張り、一緒に店を出た。にこにこ微笑みながら、リリィも続いて外に出た。


 ユキは泣くのをやめない。泣きじゃくりながら、両目の涙を何度も拭っている。


「諦めなさい」


 残酷なリリィの言葉が容赦なく彼女を責め立てる。


 その無残な態度が、俺の胸の奥に潜む、何かの感情を刺激した。


 頭に熱いものが走る。


 今まで感じたことのないような、燃える心。


 怯えて泣き続けているユキを見ていると、なぜか俺は――


 この気持ちは、なんだ。


「提案がある」


 思わず強い口調でリリィに呼びかけていた。


「はい?」

「ゲームを、より面白くするための提案だ。聞いてみる気はないか」

「より面白くする? いいですね、お聞かせ願えますか」

「守護者のルールだ」

「守護者」

「そうだ。一人の少女を、大勢でよってたかって襲っても、面白くないだろう。ユキが超能力を持っていたとしても、だ。だから、俺がひとつ、ゲームをより刺激的にするルールを考えた」

「……なるほど」


 早くもリリィは理解したようで、含み笑いを浮かべたまま、何度も頷いている。察しがいいのは、話がスムーズに進むので、こちらとしても都合がいい。


「風間ユキを狙う殺人鬼たち。そして、それを守護するのは――やはり同じ殺人鬼。まずは、その防衛線を突破しなければ、彼女を殺すことは出来ない」

「遠野――さん⁉」


 ユキが驚いて顔を上げる。


「守護者となるのに、資格は要らない。彼女を守りたいという気持ちがあれば、それだけでいい。ただし、ゲームの期間である一年間は、彼女を守り続けなければならない。当然、攻める側が有利だ。どうだ、面白いルールだと思わないか?」

「素晴らしい」


 リリィが簡単の溜め息を漏らした。


「あなたには、我々の会員になってほしいと思っていましたので、守護者として命を落とすのを見るのは忍びないですが……しかし、白熱したゲームを予感させる、あなたの素晴らしい提案を、私は無視することが出来ません」


 興奮した顔で、リリィは体を震わせる。


「採用しましょう! あなたの提案を――守護者のルール――今までにない、最高に刺激的な、新しいマンハントとなることでしょう!」

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