第59話 炎魔生誕

 初めて殺した相手は、池田だった。


 俺は当時、冷静に事態の打破を考えていた。


 わざと決闘に負けることで、奴の溜飲を下げ、鬱陶しく絡んでくるのを少しでも緩和しようとしたことが、残念ながら逆効果になってしまい、俺に対する風当たりはますます強くなっていた。


 落ち着いて読書もさせられないのでは、さすがに俺も我慢していられない。


 計算に計算を重ねて、どうすれば周りの鬱陶しい連中を追い払えるか、俺は考えていた。


 暴力で屈服させるのは好きではない。しかし言葉で説得出来るようなら、最初からそれで済んでいる。とにかく俺を取り巻く環境が静かになるのであれば、それでよかった。


「消してみろ」


 オヤジ――リウ大人は俺にそうアドバイスした。


「お前も私の息子なら、いつかはその時が来る。もしかしたら今がその時なのかもしれない。運命が、お前に平穏を与えてくれないのだ。ならば相手を消してみろ。それがお前の最初の試練だ」


 誰を殺すか、何人殺すべきか、オヤジは細かいことまでは話してくれなかった。けれども、俺は何をすべきか大まかには掴み取っていた。


 大将を殺せばいい、と思い至ったのは、高校二年の冬のことだった。


 必要最小限の犠牲で最大の効果を上げるには、誰を消すべきか。


 池田を殺せば万事丸く収まると思った。


 その後の記憶は定かではない。


 気が付けば、俺は池田の家に忍び込んでいた。


 ガソリンをかけた瞬間、奴は目を覚ましたが、かまわず火のついたマッチを投げた。


 たちまち炎が池田の室内を真っ赤に染め上げた。


 奴が絶叫を上げた。


 その瞬間、俺の心の中で何かが産声を上げた。


 長年、胸の内に秘められていた感情が、一気に爆発するような感じだった。まず両目から涙が溢れてきた。わけもわからず悲しい気分で胸がいっぱいになった。次に呼吸が困難になってきた。頭痛・吐き気がし、このまま自分は死ぬのではないか、という恐怖心に襲われた。


 息が出来ないことは、不思議と、火ダルマの池田を見ていることで、なんとか平癒させることが出来た。しかし、いまだに原因はわかっていない。


 その日を選んだのは偶然だったのか。


 初めて人を焼いたのはクリスマスイブだった。


 そこから俺の殺人鬼としての人生は幕を開けた。


 ※ ※ ※


 ユキは口元を押さえている。


 あまりにも非現実的で突拍子もない俺の話に、しかしそれが現実であると何度も心の中で反芻しては、理解を超えたおぞましさに吐き気を覚えているのだろう。


「どうして……そんなに、簡単に、人を殺せたんですか……」

「素質があったのかもしれないな」


 事実、池田を焼き殺した時、俺は焼却炉で紙くずを燃やす程度の感慨しか湧かなかった。


「人を焼き殺す時には、俺は何も感じない。冷えた心で、ただ作業的に相手を燃やすだけだ。池田の次に人を殺したのは、翌年のクリスマスイブの晩だった。突然呼吸困難に襲われた。これまで味わうことのなかった死の恐怖に耐えられず、すぐに池田を焼き殺した時に肉体の異常が収まったことを思い出し、殺す相手を探しに行った。ちょうど公園でホームレスを襲っていた高校生を見つけた。俺はそいつを背後から殴り倒して――人気のない所まで運んだ後――焼いた」


 ユキが顔を背けた。


「ひどい」

「その次の年からだ。焼き殺す相手を選別するようになったのは」


 話せば話すほど、ユキと俺の間に隔たりが出来ていくのを感じている。だが途中でやめる気はない。彼女が俺の側にいるのなら、俺がどういう人間であるか、正確に教えてやる義務がある。


「作業で人間を焼くなんて、それはただの怪物だ。俺は心まで化け物に成り果てたくはなかった。だから、俺は、“俺が尊敬出来るような素晴らしい人間”をあえて狙って、焼き殺すように決めていた」

「わざと、あなたが……いい人だ、って思えるような人間を選んで、殺していたと言うの?」

「そうだ。俺が焼くのは人間ではない。高潔な魂だ。常に俺は自分にそう言い聞かせていた。年に一回、人を焼き殺さなければ、俺は死んでしまう。俺を生かすために犠牲になる人々は、敬意を払えるほど尊い命でなければならない。あえて素晴らしい人間を殺す。それが俺の選んだ殺しの道だった」

「人を殺すことは――人の道なんかじゃ――ない」

「かもしれない。けれども世界には、明日には死んでいてもおかしくないような戦地で、人を殺しながら日々の糧を得ている子どもだっている。人殺しもまた、人だ」

「あなたの言っていることは詭弁です」

「ああ、わかっている。俺一人が早いうちに死んでいれば、何人もの人々が犠牲になることはなかった、ということくらいな」

「……」

「理解出来たか? 君は、どんな男の側で暮らそうとしているのか」

「ええ。嫌なくらい」

「ついでに忠告する」

「忠告?」

「俺の近くにいるということは、いつどんな荒事に巻き込まれてもおかしくない――その覚悟を持たなければならない」

「あなたを拾ったチャイニーズマフィアのこととか?」

「連中もシリアル・キラー・アライアンスの息がかかっている。その上で俺がマッドバーナーとして殺人を犯すのを支援してきた。これは予感だが、奴らも俺に対していつかは牙を剥く。そんな気がしてならない」

「全部、最初から覚悟しています」

「そうかな。俺に会うまでは、自分がなんで危険に晒されているのか、その理由もわかっていなかったはずだ。いまだ混乱している頭で、俺という殺人鬼の近くにいることのリスクを、本当に理解しているのか」

「理解、じゃないです」


 不意にユキは俺の横に寄ってきて、袖をキュッと掴んだ。微かに震えている。何かに怯えている。


「“わかって”いるんです。あなたと一緒にいる危険性も、あなたと一緒にいれば生き延びられることも」

「……」

「私は自分が選ぶべき正しい道が見えるんです。でも逆に、それが正しいという確証はないんです。いつも結果しかわからない。だから私に出来ることは、私を信じることだけ。信じて道を進むことだけ」


 怖いんです、と彼女は囁いた。


「本当は、もっと安心出来る人に頼りたい。だけど私の力が私に呼びかけるんです。あなたの、マッドバーナーの側にいろ、って」


 解せない。何度考えても、納得出来ない。殺人鬼集団に命を狙われている現状を、どうやって打破出来る?


 俺に彼女を守りきるだけの力があるというのか?


「まあ、いい。話がまた大分脱線したな。とにかく最初と二回目の殺人は、リウ大人の事後処理もあって、証拠を残さずに終えることが出来た。なんだかんだで、俺が頼んだわけでもないのに、オヤジは俺が心配だったらしい」

「それから次々と人を殺すようになった」

「そんなところだ」

「あなたは……」


 ユキの声が震えている。次の言葉がなかなか出てこない。


 怪訝に思って、彼女のことを横目で見ると、大粒の涙をこぼしていた。なぜ泣いているのか、その心情が理解できず、微かに動揺していると、小さな声で彼女は問いかけてきた。


「人間の心を、取り戻したいとは、思わないのですか」


 なんてことのない言葉。


 彼女に言われなくても、自問自答していた命題。


 それなのに、なぜか俺の胸に深々と突き刺さった。


 人間の心。


 いまの俺にはない心。


「俺は、人間、だ」

「人殺しもまた人、などと嘯くような人のどこが人間なの!」


 泣きながらユキは俺を睨んでくる。


「あなたは人間をやめた化け物です! 人として越えてはいけない一線を越えてしまった、ただの悪魔です! そんなあなたに、人間を語る資格なんてない!」


 まっすぐぶつけられる気持ち。


 ユキの正論を前に、俺は何も言えなくなっている。


 卑怯な詭弁を振りかざし、これまでの俺の殺人行為を正当化してもらおうとしていた自分の行いが、急に恥ずかしいものに思えてきた。


 俺は、何者だ?


 ただのクズなのか?


 化け物なのか?


「俺は」


 人間だ。


 紛れもない人間だ。


「だったら、君は俺にどうしろと言うんだ! 俺だって死の恐怖は感じる。死にたくないから、生きるために誰かを殺す。その行為のどこが――」

「全部、悪い!」


 言い切られた。


 薄っぺらな俺の詭弁は、ユキの純粋な正義感を前にして、粉々に打ち砕かれた。


 人の数だけ正義があると思っている俺がいた。それは正しいことだと思っていた。


 だけど本当は。


「俺は、だが」

「もう言い訳はしないでください。そして誓ってください。二度と人は殺さないって」

「もちろん、俺だって人間らしく生きたい。でも」

「『でも』、は聞きたくない」

「じゃあ、俺はどうすれば」


 歯噛みする。


 今さら俺に何ができるというのだ。


 その時。


 俺たちのいる展望台に、人影が現れた。


 金髪の西洋人女性。


 見覚えがある。


「リリィ・ミラー⁉」


 シリアル・キラー・アライアンスの一員である彼女の名前を、俺は敵意を込めて呟いた。


 ユキも尋常ならざる空気を感じ取ったのか、俺の腕にしがみついて、隠れるように様子を見守っている。


「お久しぶりです」


 リリィは微笑んだ。

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