第53話 思わぬ再会
倉瀬は、眠っている八田や二神を起こさないように、静かに二段ベッドの上から梯子で下りた。
最近、やたらと夜に目が覚めてはトイレに行くことが多い。
「歳なのだろうな……」
苦笑しつつ、かぶりを振った。
用を足してから、自分のベッドに戻ろうと通路を歩いていると、後ろから誰かに肩を叩かれた。
振り返った倉瀬の顔に驚きの色が浮かんだ。
ここで会うとは思ってもいなかった人物が目の前に立っていたからだ。
「お前は――」
「静かに」
それは、行方不明になっている上杉小夜だった。
小夜に促されて、深夜で人気の少ない洗面所デッキへと移動した。興奮で顔が火照るのを抑えるため、倉瀬は冷水を出して、何度も顔を洗った。
意識しないとつい怒鳴ってしまいそうだった。
これまで無事を連絡せず、姿を消していた小夜が、急に自分の前に現れたのだ。説教のひとつでも垂れてやりたいところだったが、極力声を押し殺して、倉瀬は彼女に詰問した。
「どうした⁉ なぜ、連絡してくれない!? 病院から消えたものだから、何が起きたのか、みんな心配していたんだぞ!」
「申し訳ありません。事情がありまして」
「納得のいく事情だろうな」
「さあ。納得いくかどうか、倉瀬刑事のご判断にお任せします」
そこで、一度小夜は言葉を切った。
「実は」
「うむ」
「シリアル・キラー・アライアンスに加入しました」
「なっ――」
絶句した。
倉瀬はにわかには信じられなかった。信じたくなかった。彼女が冗談を言っているものだと思いたかったが、冗談にしても笑えない。
「嘘では、ないんだな」
「私がそんなタチの悪い冗談を言う人間に見えますか?」
「いや、それはそうだが……しかし……なぜ……」
「言っても、普通は理解出来ないでしょうから、言いません」
「判断は私に任せるのではないのか。簡単でいい。教えてくれ」
「復讐のためです」
「復讐?」
「私の、かつての恋人の――マッドバーナーに殺された、エリカの復讐」
「エリカ? マッドバーナーに殺された……」
倉瀬の記憶が、五年前に――いや年が変わって六年前になる――大阪で殺された、島谷エリカのことを導き出した。
たしか彼女の身辺調査をした時に、恋人の情報も入っていた。実は同性愛者で、恋人は女性であると。それ以上のことはなぜか洗い出すことは出来なかった。誰に聞いても、相手がとびきり美人の同い年くらいの女であること以外は、わからなかったのだ。
まさか同じ警察の、しかも最近一緒にマッドバーナー事件を担当する事になった、上杉小夜刑事が、島谷エリカの相手だったとは。
「驚いたな……なんだか、ここ最近、色々なことで驚かされっぱなしだ」
「私だって驚いています。あなたがSKAのことを知っていたことに」
「つい先日知ったばかりだ。ヤクザの冨原から聞いてな」
「冨原、ですか。彼も金沢へ向かっているそうですね」
蛇口から水が流れ落ち続けている。動揺した倉瀬が閉め忘れたのだ。それに気が付いた小夜は、蛇口をひねって、水を止めた。
「ああ。人伝に報せがあった。ただ――」
「目のことですか。愛知県警で、インヴィシブル・マニトゥに傷つけられた」
「失明したそうだ。もう何も見えない。ヤクザとはいえ、気の毒なことだ」
「戦いの中に身を置く者は、命を落としたとしても文句は言えないでしょう。自業自得です」
冷たく言って、小夜は頬の傷をそっと撫でた。
初めて、倉瀬は彼女の頬に痛々しい三日月形の切り傷がいまだ残っていることに気が付いた。
名古屋で、風間ユキをストーカーから守る時についた傷痕だ。
「治らなかったのか」
「ええ」
彼女は暗い瞳を倉瀬へと向けた。
「どうせ、もともと顔を気にするような身ではありませんから」
「そんなことはないだろ。お前さんは綺麗な顔をしている」
「ありがとうございます。でも、そういう意味で、“気にするような身ではない”と言ったのではありません」
「……?」
「私は――あの日、エリカが殺された瞬間から――時間が止まっています。もう動き出すこともない。私の人生はマッドバーナーの手で幕を下ろされたのです。だから、今さら顔を気にする必要もありません。二度と恋なんてしないでしょうから」
「自暴自棄になるな」
「事実です」
吐き捨てるように小夜は言った。
「私には、彼女だけが――エリカだけがこの世の全てでした。その彼女をマッドバーナーに殺された時点で、生きている意味がなくなった。そう、生きていても仕方がないんです。私に残された役目はただひとつ。マッドバーナーを殺して、人生の幕引きとすること。それだけなんです」
「馬鹿なことを言うな。長い人生の中には、沈んでいる時間もある。一年や二年ではない、十年も続くことだってある。だが、その後に最大の幸福が訪れることを知るべきだ。知らないから、何もかも終わりのような気分になってしまう。還暦を迎える私が言うのだから間違いない。早まるな」
「では、お言葉を返すようですが、あなたは愛する人を殺されたことがありますか? 身を焦がされるほど恋い慕った人間を、無残に焼き殺されたことがありますか? 安全な場所にいて、不幸なんて他人事でしかなかったあなたに、私の気持ちがわかるんですか? 実際に愛する人を焼き殺された私が言うんです――この気持ちに、間違いはありません」
「自分も、愛する者ではないが、大事な友人を失った。あっさりとな。これまでにも何人もの死を見届けてきた。一回一回はお前さんほどではないが、今までの人生で積み重ねた死の数は、計り知れないものがある」
「わかっていません、あなたは。私に幸福なんて訪れません。訪れないんです。私に残された道は、ただひとつ。マッドバーナーを殺し、その後――」
「よせ」
最後まで聞きたくなかった。
小夜は溜め息をついた。ひとまず、その話題は終わらせる事にしたようだ。
別の話題を口にした。
「病院で寝ている私を連れ出したのは、シリアル・キラー・アライアンスの女性でした。彼女は私に話を持ちかけてきました。彼らの組織に加入すれば、マッドバーナーに繋がる情報を与えてくれると」
「そんな下らん甘言に乗ってしまったのか」
「私としても本意ではありません。でも、これしか方法がなかったんです」
「我々もマッドバーナーのもとへ向かうところなんだ。もっと早く相談してくれれば、一緒に行こうと誘ったのだが」
「でも、目的は風間ユキの保護でしょう?」
「主目的は、な。ついでに、マッドバーナーの正体もわかりそうなんだ。だから、そこで」
「殺せ、と? 警察であるあなたが、それを許してくれるのですか? 無理でしょう。それに私は、彼女と……風間ユキと関わりたくない」
小夜は顔を横に背けた。
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