第46話 ゴーストダンス

 しきりと唇を舐めている冨原に、倉瀬は微かに不穏なものを感じたが、あえて追及はしなかった。また例の非現実的な話を始めるに決まっている。ここで冨原の話に乗ってしまったら負けだと思っていた。


「なあ、広い場所に行かねえか。こんな取調室じゃあ、狭くてどうしようもねえよ」


 冨原の気弱な発言に、倉瀬は苦笑する。


「百戦錬磨の武闘派ヤクザが言うセリフとは思えんな」

「ただの殺し屋相手なら、俺もここまでビビらねえよ。キングナックルだけは別物だ。あんな化け物だけは相手にしたくねえ」

「お前さんは、敵が強ければ強いほど燃えるクチだと思っていたが、それは私の買いかぶりか」

「おおむね合ってるぜ。だけどよ、世の中例外ってもんがあるだろ。俺にとってのキングナックルていうのは、相手しちゃいけない奴なんだ」

「そうか」


 半信半疑。


 倉瀬は迷っている。


 警察として、冨原の信じがたい話など聞く耳持たない態度を取るか。


 それとも、冨原ほどの男が恐れているシリアル·キラー·アライアンスとやらの話を、多少は信じてやるべきか。


 もしも冨原の話が真実だとしたら、どうなる?


 凶悪な殺人鬼がこの場に乗り込んできて、冨原を殺害し、場合によっては警察署の連中を皆殺しにする?


 そんな馬鹿な。


 日本の警察はテロの脅威と向かい合ったことはない。連続殺人犯の襲撃を受けるようなこともない。確かに、不意を突かれて襲われたら多少の混乱はあるだろう。それでも、対応しきれずにパニックになるようなことは、絶対にありえない。間抜けにも特攻してきた殺人鬼は、警察署内であえなく逮捕されてしまう。そんな結果になるのが関の山だ。


 しかし。


 マッドバーナーのように、あれだけ大暴れして、いまだ捕まっていない連続殺人鬼だっているのだ。


 もしかしたら、本当に冨原の言うような奴も――。


「待っていろ」


 倉瀬は取調室の電話機を手に取った。


 八田刑事のデスクへと内線電話をかける。


『はい、八田です』

「八田刑事か。ひとつ聞くが、インターネットに接続出来るノートパソコンは持っているか?」

『部署共通の備品ならありますが。使われますか?』

「至急、取調室に持ってきてくれ」


 それだけ言って、受話器を置くと、冨原が興味深そうに倉瀬の表情をしげしげと眺めてきた。


「ようやく、俺の話を信用してくれるようになったのか?」

「まだだ。確認することがある」


 八田が、ノートパソコンとデータ通信カードを持って室内に入ってくると、倉瀬はインターネットに繋げられるようセッティングを指示した。


 準備が出来るまで、名刺入れに挟んだメモを取り出して、連絡先を確認する。


 リビングドールのメールアドレスだ。


「出来ました」

「すまんな八田刑事。ついでにインターネットを開いて、このメールボックスに接続してくれないか」

「ええ、お安い御用で」


 八田は素早くキーボードをタイプし、倉瀬の指定したメールボックスへと入っていく。


 この際だから、メールを打つことまで八田にお願いした。以前、情報屋の赤城から教えてもらったメールアドレスをそのまま送信先の欄へと打ち込んでもらい、用件欄には前と同じ、「頬に映りし三日月夜の活人形」と入れてもらった。


 メール送信して、しばらく待った。


 ほどなくして返信があった。しかし、それはメール送信失敗を伝える英文のメッセージであり、リビングドールからの連絡ではなかった。


「このメールアドレス、削除されているようですね」


 八田の言葉に、倉瀬は肩を落とす。


 当然の話だ。優れた電脳犯罪者であるリビングドールが、こんなお粗末な形で警察相手にメールアドレスを残すはずがない。すでに以前のアドレスは死んでしまっていると考えたほうがいい。


「駄目か……」

「何をやろうとしてんだ?」


 冨原が尋ねてくる。


「リビングドールという奴を知っているか?」

「名前だけはな。俺はあんまりデジタルは得意じゃねえが、相当腕が立つことだけは聞いている。そいつがどうした」

「お前さんの話の真贋を見極めるためにも、奴から情報を聞き出そうかと思ってな。去年、十一月頃だったか、お前さんと初めて激突したあの日――あの時、私は始めてリビングドールと交渉をした。その時の連絡先を使って、コンタクトを取ろうかと思ったのだが、どうやら無駄だったようだ」

「アホなことしやがって。いい加減信じろよ。俺が嘘をつくような奴に見えるか?」

「下手な嘘はつかんと思っているが、信用はしていない」


 倉瀬は睨んだ。


「お前さんは、戦うことのためなら、平気で他人を犠牲に出来るような奴だ。極道の仁義とはまた違う世界に生きている、野獣のような男だ。そんなお前の言葉を、確証もなしに信じるわけにはいかないな」

「そういうことだろうと思ったけどよ――少しは空気読んでもいいんじゃねえか? 時間もねえ。場合によっちゃあ、倉瀬さんよ、あんたも殺されるぜ」

「なぜ私に気を遣う。お前らしくもない」

「そいつは、もちろん、てめえと再戦するためだよ」

「ほう」


 冨原の宣戦布告に、倉瀬は思わず頬を緩めた。


「随分と気に入られたようだな。この間の風間邸での敗戦が、そんなに悔しかったのか?」

「それだけじゃねえ。俺もあんたも、親父同士に因縁があるんだよ。偶然にも、な」

「私の父が、お前の父親と、か?」

「そうだ。俺の親父も、少林寺拳法の本山で修行をしていた僧の一人だ。ところがお前の親父に追い出されて、ヤクザ者に身を落とすしかなかった。死ぬまでお前の親父を怨んでいた。だから、その復讐を、息子の俺が果たしてやる――ってわけなんだよ」

「なるほど。しかし風間邸で負けたのだから、それで決着はついただろ」

「次やれば、今度は俺の圧勝だ」

「懲りない男だ」


 倉瀬と冨原が掛け合いを行っている間、八田はひたすらキーボードを打ち続けていた。ガチャガチャとせわしなく、止まらない。


 様子がおかしい。


 倉瀬は八田に声をかけた。


「どうした、八田刑事?」

「誰かがこのパソコンにアクセスしてきています!」

「なに!?」


 ディスプレイを見ると、パソコンには強くない倉瀬でも、何か異常な事態が発生していることはよくわかった。


 画面上に、OKボタンのついたポップアップが所狭しと並んでいて、日本人形の写真が隙間を埋めるように挿入されている。初めてやり取りをした日、ネットカフェのパソコンを壊された時と、同じ状態だ。しかし今度は壊すことが目的ではないようだった。


「代わってくれ」


 八田を押しのけ、倉瀬がパソコンの前に座った瞬間、リモートデスクトップの画面が立ち上がり、ウィンドウの中にテキストエディタが現れ、リビングドールの打ち込んでいる文章が表示され始めた。


活人形:

『おじいちゃん、おっひさー!!

 ヾ(*゚▽゚)ノ

 あれから全然連絡くれないから、寂しかったじゃんかぁ。

 。・゚゚·(≧д≦)·゚゚·。

 どうしてた? 元気してた?

 マッドバーナーは残念だったね、捕まえられなくて』


タイスケ:

『ああ、残念だ。

 ところで、メールは、使えなくしたんじゃないのか?』


活人形:

『裏技。メール送れてません、って返信来たでしょ?

 あれはねえ、ボクが作った嘘文章。

 でもね、あのメルアドは本当に死んでるんだよ。

 この次の連絡先は、また教えてあげるよ。

 ほら、ボクも敵が多いからさ、こうでもして選別をしないとさ、

 やってられないんだm(。·ε·。)mスイマソ-ン 』


タイスケ:

『わかった。

 おいおい教えてもらおう。

 それよりも、情報を買いたい』


活人形:

『マッドバーナーの情報じゃないよね?

 (;¬д¬) アヤシイ 』


タイスケ:

『別の話を聞きたい。

 シリアル・キラー・アライアンスの情報を教えてくれないか』


活人形:

『げ、SKA!?

 ド━━━(゚ロ゚;)━━ン!! 』


タイスケ:

『そう略すのか』


活人形:

『おじいちゃん、おじいちゃん、

 それだけはやめときなってヾ(- -;)

 命がいくらあっても足りないよ』


タイスケ:

『構わん。金がかかってもいい。

 だから、教えてもらおうか』


活人形:

『その情報だったら、1億円だね(。・ε・。)』


タイスケ:

『ふざけるな』


活人形:

『だって、当たり前じゃんかぁ

 :・。・゜゜・(≧◯≦)・゜゜・。・ビエエン

 怖いんだぞ、あいつら、ほんとに怖いんだぞ』


タイスケ:

『実在するのか?』


活人形:

『あのね、おじいちゃん。サービスはここまで。

 あとはお金もらってからだよ(·_ ·)ジーッ 』


タイスケ:

『いや』


 その“サービス”だけで、今回は十分だ。


 倉瀬は、予想以上に上手く話が進んだことで、内心ほくそえんでいた。


タイスケ:

『聞きたいことは聞き出せたから、いい』


活人形:

『え、おじいちゃん?

 (;△;)o』


タイスケ:

『すまんな。今度ゆっくり情報を買わせてくれ』


活人形:

『あ、あああ、ひどいよ、おじいちゃん!

 人の好意を踏みにじってぇぇ!!

 訴えてやる、訴えてやるからな!

 。·゚゚ '゜(*/□\*) '゜゚゚·。 ウワァーン!! 』


 倉瀬は電源ボタンを押して、強制的にパソコンをシャットダウンさせた。乱暴な扱い方に、八田は慌てて、「く、倉瀬さん!?」と非難の声を上げたが、こうでもしないとリビングドールに中身を破壊されかねない。倉瀬は八田を無視して、冨原の方を向いた。


「信じよう」


 賭けではあったが、シリアル・キラー・アライアンスの名前を挙げたときのリビングドールの反応を試してみた。


 結果は、思った以上に有意義なものであった。あのリビングドールの発言は、明らかにシリアル・キラー・アライアンスが実在すると知っていてのものだった。


「今のやり取りで、あんた、信じたのか?」


 一部始終を見ていた冨原は呆れた表情になっている。


「一応、な。信用してもよさそうだと判断した」

「あんたもかなり大雑把な性格をしてるんだな」

「だからこの歳まで刑事を続けられたんだろう。そんなことよりも、お前さんはこれから先どうすべきだと考えている?」

「広い場所へ移った方がいい。気休め程度だが、敵の対処がやりやすくなる。こんな狭い部屋に追い詰められたら、それこそ皆殺しにされちまう」


 事情を把握していない八田は、殺すだの殺されるだの、倉瀬と冨原が交わす会話にすっかり驚いて、両者の顔を見比べている。


「ど、どういうことですか?」

「ああ、それはな、話すと長くなるが――」


 倉瀬は、これまで得た情報について、八田に説明してやろうとした。


「オシヨ(こんにちは)」


 声が、聞こえた。


 ギャッと冨原の悲鳴が上がる。


 両目を一瞬のうちに切り裂かれた冨原が、血飛沫を飛び散らせながら、顔を押さえてのけぞっている。


 いつの間に部屋に侵入してきたのか。

 ナイフを持った美青年が、冨原の前に立っている。

 次の攻撃へ移ろうと深く腰を落とした。


 倉瀬の背筋に、戦慄が走る。


 少しも気配を悟らせずに、部屋の中に入ってきた。

 そして気が付かれないまま、冨原の両目を切り裂いた。


「何者――だ」


 倉瀬が問う。


 問われた相手は、日本語が通じないのか、無視してナイフを振った。


 冨原の胸が、シャツごと切り裂かれた。


「よさんか!」


 倉瀬は一気に敵の近くへと距離を詰めた。


 その勢いに乗って、強力な拳をお見舞いしてやろうと、腕を構える。


 刹那。

 敵の姿が消えた。


 消えた、と言うよりも、姿は見えるのに、まるで存在感がなくなった、とでも言うべきだろう。まるで不可視になったかのように、相手は自分の“認識”の外へと消えてしまったのだ。


(この感じ――昔、道場で!?)


 過去の対戦経験の中から、似たタイプの武術家を思い出そうと脳が激しく回転を始めた瞬間。


 倉瀬の眼球めがけて、刃が迫ってきた。


【会員No】540

【登録名 】インヴィシブルマニトゥ(不可視の悪魔)

【本 名 】イール・ワールバーグ

【年 齢 】26歳

【国 籍 】アメリカ合衆国

【ラ ン ク】A

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