第41話 邪悪、胎動

 藤雅明は、自分がなぜ椅子に縛られているのか、頭がガンガンに痛むのか、事態を全く把握出来ていなかった。


 警察署から帰宅して、玄関で這い這いをしていた一歳の孫を抱き上げ、「よしよし」と言ったところまでは憶えている。同居している娘と、娘の婚約者が迎えに出てこないので、不審に感じた――その直後、後頭部に衝撃を感じて、意識が飛んでしまった。


 気が付いたら、椅子に縛られていた。


(ぐっ、署に、連絡を――)


 自分が何か凶事に巻き込まれていることを察した藤は、尻ポケットにある携帯電話を取ろうと身動きしたが、後ろ手にきつく縛られており、手の甲が尻には当たるものの、とても取り出すことまでは出来ない。


 電気のついていない暗いリビングルーム。


 藤はせめて、夜の闇に包まれたこの室内で、なんとか目を慣らそうと虚空を凝視した。

(ん……?)


 目の前の闇の中に、二つのシルエットが浮かんでくる。


 縦長の直方体の箱だ。右と左に一つずつ、整然と並んでいる。その中から呻き声が聞こえてくる。猿ぐつわなどで口を封じられているような、苦しげな呻き声が。


 部屋がいきなり明るくなった。


 誰かが電気を点けたのだ。


「ハーイ、コンニチハ。ワタシ、ケイントイイマース」


 長髪の、頬のこけた白人が、二つの箱の間に立っている。両腕を広げて、これからマジックを始める奇術師のようなジェスチャーをして。だが、この状況で、まさか呑気にマジックを始めるとは考えられない。


「お前は誰だ!」


 敵意を剥き出しに、藤は怒鳴った。


 突然、顔面を横殴りに、固く握られた拳で殴り抜けられる。歯が五、六本折れ、口の中が切れ、口内から血が派手に吹き飛ぶ。


「う……ぷ……あぐぅあ……」


 ボタボタと口から血を流しながら、予想以上に痛いパンチを喰らい、藤の頭はパニックで収拾がつかなくなっている。


 この男は何者か?


 なぜ自分は襲われているのか?


 その程度のことは考えられたが、しかし考えたところで、答えを見出せるはずもない。何の心当たりもない男なのだから。


「ワタシハ、ケインデース。セツメイシタバカリデ、ヒトノナマエヲキクナンテ、ヤハリYellowMonkeyハ、ソノテイドノチノウシカ、ナイノデスネ」

「ぶっ……ぐ……なぜ、私を、襲う……」

「オトモダチノイエ、イレテクレナカッタ。クラセケイジ、ネ。ダカラ、カワリ、デス。ホントウハクラセケイジノWifeヲ殺シタカッタノデスガー、ヨウジンブカイノデ、アナタタチニキメマシタ。コーエーナコトデスヨ」

「殺す……だと?」

「Oh,yes. Come on,Doctor Fortune」


 ケインは、奥の方に隠れていた、“Doctor Fortune”と呼んだ男を手招きし、箱の前に立たせた。


 その男は、眼鏡をかけた老年の男性、ヒゲはなく皺だらけで、年老いていながらも知的な風貌。


 外見は紳士的、かつ好々爺な雰囲気の白人である。


 だが、その目に宿る狂気を、藤は見逃さなかった。


「初めまして。ケインの拙い日本語では、聞き取りづらいでしょうな。私がゲームの趣旨について説明しますので、よくお聞きになるように」


 滑らかな日本語だった。


「ゲーム……?」

「ええ、そうですとも。私は通称フォーチュン教授と呼ばれておりましてね、アメリカでは有名な連続殺人犯なのですよ。こうやって、あなたのような哀れな子羊を拘束して、生か死か選択させるゲームをさせるのが、何よりの楽しみでして、今回もこうして、あなたの家で、素晴らしいゲームを実施させてもらう段となったわけですが――」


 そこでフォーチュン教授はケインの顔を覗いた。


 ケインは頷く。話を先へ進めろ、と言わんばかりに急かした様子で。


「これは、警告なのですよ」

「警告……?」

「あなたのご友人、倉瀬刑事は、あるヤクザからとんでもない情報を手に入れた可能性がありましてね。もしその情報を、我々に不利益になるような使い方をするようでしたら、さらに犠牲者が出るぞ――ということを忠告するためにも、ここで一度、身近な人間を殺しておく必要があるのですよ。彼は触れてはならない領域に触れようとしている、その行為を食い止めるためにも」

「わ、私には、何の話かわからない」

「いいのですよ、知らなくとも。ただ、せめて最期に教えてあげましょうか。私たちは、シリアル・キラー・アライアンスという会に加入している会員たちでしてね、ひと言で言えば、殺人鬼による寄り集まりですな」

「シリアル・キラー・アライアンス……?」

「そう」


 ニィ、とフォーチュン教授は笑顔で顔を歪ませた。


「人を殺すことが何よりも楽しい集団です」

「わ、私は、殺されるのか」

「何を今さら。怨むなら、私たちの訪問を拒んだ、倉瀬刑事の奥様を怨むのですな。本当でしたら、その奥様の生首でも手土産に、脅しをかけるつもりでしたが」

「……嘘をつくな」

「ほう?」

「近隣に悟られずに、この家に侵入出来るような連中が、ただ追い返された程度で、大人しく帰るわけがないだろう。もともと私を殺すことは、計画のひとつだったのだろう」

「それを、聞きますか?」


 呆れた顔でフォーチュン教授は肩をすくめた。


「聞いたら、後悔しますよ」

「何がだ! 私にはお見通しだ。お前たちのような頭のおかしい犯罪者の考えることなど、全て――!」

「いや、気まぐれですな」

「――あ――か――き、気まぐれ?」

「そう、気まぐれですよ。予定には入っていなかったんですけどね。倉瀬刑事の奥様も、別に殺す気はありませんでしたし、ただ用事だけ済ませたら、帰るつもりだったんですけどね。予想外に警戒されてしまいましたので、白けてしまいましてね。まあ、鬱憤晴らしに、ちょっと人でも殺しましょうかね、と」

「う、鬱憤晴らし!? 鬱憤晴らしで、人を殺――」


 また、ケインが藤の顔を殴った。


 今度は、鼻柱が折れ、鼻血がボトボトと床にこぼれ落ちる。


「ウルサインダヨ、クソッタレ」

「ああ、ああああ、ぐああああああああ!!」


 藤のモジャモジャの髪を両手で引っ掴んで、ケインは力任せに引っ張る。頭頂部の皮膚が引っ張られ、限界まで伸びきった後、ベリベリと音を立てて剥がれ始めた。髪の毛ごと、頭の皮が千切れる。


 藤の絶叫が響き――そうになるのを、フォーチュン教授は素早く拷問用のギャグを噛ませ、声を出させないようにする。


 肉が剥き出しになった頭頂部から血を流し、涙をこぼしながら、藤はムウムウと呻いている。


 その激痛に耐える表情を見て、フォーチュン教授はうっとりと、舌で唇を舐め回した。


「痛くても、おとなしくしなさい。でないと、あなただけでなく、この家の住人、全員死んでしまいますよ。あなたの娘、娘婿、そして可愛い可愛いお孫さんまで……」

「!!」

「わかりましたか? わかったら、猿ぐつわを外しますよ」


 藤は激しく頭を縦に振った。


「よろしい」


 ギャグを外された瞬間、藤はすぐにでも泣き叫びたかったが、我慢した。家族を人質に取られてはどうしようもない。


「さて、改めてゲームの話をしましょうか」


 フォーチュン教授は二つの箱の前まで歩いていく。


「実は、この二つの箱の中には、あなたの娘さんと、娘婿殿が、それぞれに入れられております。あなたから見て左が娘さん、右が娘婿殿です」

「ぐ……っう……」

「そして、ここに、可愛い可愛いお孫さん」


 と、フォーチュン教授は、まだ一歳の藤の孫娘を抱き上げ、ブランブランとぞんざいな動きで振り回した。孫娘は、ふっくらした顔に怯えた表情を浮かべて、今にも泣きそうになっている。


「ここでゲームです。と言っても、単純な選択肢ですがね。誰かを見殺しにすれば、誰かが生き残る、というルールです。一度しか言いませんから、よく聞いてくださいよ」

「うぅぅ……」

「まず、娘さんを殺した場合。この場合は、あなたを殺して、娘婿殿とお孫さんは生かしてあげます」

「うぅぅぅ……」

「次に、娘婿殿を殺した場合。この場合は、あなたを殺して、娘さんとお孫さんは生かしてあげます」

「うぐ、う、うううう!」

「最後に――お孫さんを殺した場合――」

「やめろぉぉ!!」


 吼え狂う藤。


 その顔面を、またもやケインは殴り飛ばした。衝撃で鼓膜が破れたようで、耳に入ってくる音が急に遠くなった。


「その場合は、残る三人全員助けてあげます」

「ふぅ、ぐう、うううう!」

「さあ、迷うまでもないと、私は思いますがね。生きていれば、また子どもは産めます。あなただって、幸せな人生を送りたいでしょう? まだ一歳の子どもなんて、今死んでも、どうせ大した記憶は持っていないんです。それよりも、これまでの思い出を無に帰さないためにも、あなたや、娘さんや娘婿さんが生き残った方が、遥かに有意義だとは思いませんか……?」

「黙れぇ、悪魔ァ!」

「オマエガダマレ」


 ケインに思い切り殴られ、左目が潰れた。視界が狭くなる。


「私だ、私を殺せ! それで他の三人は助けてくれ!」

「いけませんな。ゲームから下りるのであれば、全員殺してしまいますよ」

「うう、ぐふうううう!」

「ちゃんと、誰か一人、選んでください。さあ、誰を殺します?」

「な、ならば――」


 藤は、唇を噛んだ。


 選んではならない。犠牲者を選ぶなど、警察署長である自分がやってはならないことだ。


 だったら――自殺するか? 舌を噛み切って。


 いや、ゲームから下りてしまえば、全員殺されてしまう。孫まで。何の罪もない、小さな孫まで。


 ならば。


「娘の……婚約者を」

「ほう?」

「娘の婚約者の方を……殺してくれ」

「ファイナルアンサー、ですか?」

「何度も言わせるな!」

「ははははは、警察署長ともあろう御方が、なんたる醜態! なんたる横暴! 自分の娘と孫可愛さに、あえて婚約者の命を犠牲にしましたか!」


 箱の中から聞こえてくる呻き声が、ひと際大きくなった。


 それが、どちらの箱の中からかはわからないが、きっと娘の婚約者の入っている箱だと思った。


「それでは、お望み通り――アシッドキラー!」


 フォーチュン教授に呼ばれ、奥に潜んでいたもう一人の男が、のそのそと歩み寄ってくる。


 手に、試験管を持っている。痩せ細ったスキンヘッドの白人で、血走った目をギョロギョロさせながら、フウゥフウゥと気味の悪い呼吸を繰り返している。


「さ、せっかくですから、箱を外しましょうか」


 紙で出来た軽い箱を持ち上げ、藤の娘と、娘婿の姿を露わにした。藤と同じように椅子に縛られ、さらに猿ぐつわを噛まされている。その猿ぐつわを、フォーチュン教授は外した。


 途端に、娘婿が泣き喚く。


「いやだ、いやだよ、オヤジさん! 俺、死にたくねえよ! 助けてくれよ! 助けてぇ!!」


 藤は目をつむる。


 そう言われても、この状況でどうすればいいのか?


「お父さん、私が死ぬから! 私が死ぬから、彼とキリコだけは助けてあげて! お願い!」


 娘を犠牲にする? そんな馬鹿な。もともと赤の他人だった娘の婚約者と、生まれた時から大事に育ててきた娘。どっちが大事なのか、比べるまでもない。


 しかし――どうすればいい?


 警察官として、自分はどう振舞えばいい?


「うーん、可哀想になってきましたね。ラストチャンスを上げましょうか」

「……?」

「今から、倉瀬刑事の携帯電話に電話をかけましょうか。それで出るようでしたら、あなたたち全員、助けてあげましょう」

「な、に――⁉」

「ちょっと、携帯電話を貸してください」


 フォーチュン教授は、藤の尻ポケットから携帯電話を抜き取り、メモリから倉瀬の番号を探り当て、電話をかけた。ダイヤル音の途中で、わざと藤の耳に携帯電話を押し当て、通話状況を確認させる。


(頼む、倉瀬さん、出てくれ。出てくれ――)


 出てくれ、出てくれ、と必死になって呟く。


 娘も、娘の婚約者も、すがるような目つきで事の顛末を見守っている。


(まだ夜の10時じゃないか。寝るには早い、早いぞ、倉瀬さん! 頼むから出てくれ、出てくれ――!)


 出てくれ……出てくれ……。


 しかし反応はない。


 ちょうどその頃、倉瀬は泥酔して、深い眠りについてしまっていることを、藤は知らない。知る由もない。


 やがて、出てくれ、と呟く声は嗚咽へと変わっていった。


「残念ですな」


 少しも残念そうじゃない、嬉々とした表情で、フォーチュン教授は携帯電話を投げ捨てる。


「さて、それじゃあ、アシッドキラー」


 号令をかけると同時に、スキンヘッドの狂った白人が、液体の入った試験管を持って、犠牲者に襲いかかった。


「きゃああああああああああああああ!!」


――え?


 藤は、何が起きたのか、自分の目を疑いたくなった。


 アシッドキラーは、まず最初に娘に襲いかかると――試験管の中の液体を、顔面に垂らし――娘の顔を溶かし始めた。


 ゲボゲボと言葉にならない悲鳴を上げながら、娘はひたすら痙攣を繰り返しているが、アシッドキラーは液体による溶解を中断しようともしない。そのうち、抵抗を続けていた娘の両腕がダランと下がり、無残に顔を溶かされた死体となって、息絶えてしまった。


「どういうことだ――どういうことだ! なんで、なんでなんでなんで娘を娘を娘をををををををを!!」

「くふふふふ、いい泣き声ですなぁ。ゲームマスターは私ですからね、最後の最後でペナルティを引っくり返しても、それは私の勝手というものです。やっぱり、あなたたちは皆殺しですな。怨むなら――電話に出なかった倉瀬刑事を怨むんですな!」

「うわあああ、わあああ、わああああ、わああああああああ!!」


 焦点の合わない目で、虚空をぼんやりと見ながら、発狂した藤がガクガクと体を揺すらせ、涎をまき散らしながら暴れている。


 その首が、ゴキリと横に折れた。


 ケインに殴られ、一撃で、藤は絶命した。


 同時に、娘の婚約者も、顔面を硫酸で説かされて、背筋の凍るような悲痛な叫び声を室内にこだまさせた。


 こうして、殺人鬼たちの憂さ晴らしという気まぐれによって、藤署長の一家は皆殺しにされた。


 いや、たった一人だけ除いて――


「おや、ケイン。何の真似ですか」

「……」


 ケインは、1歳3ヶ月のキリコを抱きかかえて、じっとその顔を見つめている。


「さあ、渡しなさい。その子も殺しましょう」

「No」

「Kane?」

「I can't kill her.I don't know why...」

「You,crazy? A little baby--KILL! HER! SOON!」

「No!! I can't!!」


 しばし言い争った末に、ついに、フォーチュン教授が根負けした。


 その結果、どうせ幼子であるし、目撃者として消す必要もないだろうということで、キリコはその場に残された。


 殺人鬼たちが帰っていった後。


「まー……まー……」


 二度と起きることのない母親の死体にすがって、キリコは母のズボンをくいくいと引っ張った。


 遊んで、遊んで。怖いおじちゃんたちはどっかへ行ったよ。


 しかし母は起きない。


 母は、人を人とも思わない、残虐非道な殺人鬼たちに殺されたのだ。


 だが、その事実を赤子のキリコがわかるはずもなく、悲鳴を聞きつけた隣家の住人が駆けつけるまで、キリコは母に何とかして遊んでもらおうと、頑固にその服を引っ張り続けていた。

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