第39話 惨殺行為処理
ガスマスクをつけている俺にはわからないが、きっと車内は人間の燃える嫌な臭いが充満していることだろう。初めて人を焼いた時、俺はその臭いに辟易した記憶がある。
脂の燃える臭い。髪の毛の燃える臭い。
吐き気を催すだけではない、何か魂まで腐っていくような、この世のものとは思えない悪臭。
燃えている貢一少年の黒焦げの死体を前に、風間ユキは鼻を押さえながら、肩を震わせて、嗚咽を漏らしている。
「貢一、くん……」
彼女は、彼の死を悼んでいた。
殺されかけていたのに、涙を流している。
「……彼は、なんだったんだ?」
「私の、元カレ」
彼女は涙を拭う。
「私にフられて……それで」
そのひと言だけで事情はわかった。
「それでも、お前を守った」
「うん……」
また彼女は涙をこぼす。
「愛してる、って言ったの、ウソじゃなかったよ……ただ、ただ……違ったの……彼は、何か、違った……」
「そうか」
俺はそれしか言葉を返せなかった。彼女の元恋人を誤って殺してしまった、そのことをどう謝罪すればいい?
「きっと……このために、彼は私と別れないといけなかったんだ……私の身代わりで死ぬために……」
「?」
「……して」
「ん?」
囁くような声でよく聞こえず、俺は聞き直した。
彼女は下をうつむいて泣いたまま、今度はハッキリと大きな声で、俺に訴えかける。
「もう、いい……殺して! 私を殺してよ!」
「何を……言う?」
さっきまで焼き殺されることに怯えていた、彼女の言葉とは思えない。
「もう、疲れた……私が生き延びるため、そこの上杉さんも、傷付いて。私のせいでみんな不幸になってく……だから」
彼女は顔を上げる。
もう泣いていない。心に決めたようだ。
「殺して。あなたの火炎放射器で」
「……」
そいつは無理な相談だ。
俺はクリスマスイブに一人だけ殺す、という制約を固く守り続けている。
一度に二人以上焼き殺しても大して問題はないだろう。人数の制約は俺のポリシーであり、すでにリーファを殺してしまっている以上、こだわる必要もないかもしれない。
ここでユキを焼き殺しても構わない。
しかしそれをやったら終わりだ。
俺にとって、一年に一人という制約は、俺が人間としての枠を越えないための自分に課した“縛り”なのだ。
それを破ったら俺は人ではなくなる。
ただでさえターゲットでない人間を誤殺してしまったというのに――この上、いくら本人が望んでいるからといって、殺さなくてもいい少女を殺してしまっていいものか。いいわけがない。
電車は勝川駅に着いた。
ドアが開いたので、俺は外に出る。
ホームで待っていた乗客たちが、俺の姿を見て悲鳴を上げた。鬱陶しいので、火炎放射器の噴射口を向けてやると、散り散りになってキャアキャアと喚きながら逃げ去ってゆく。
「待って!」
風間ユキが呼び止めるが、こうもギャラリーが多い以上、警察もすぐやって来ることだろう。
話をしている暇はない。
振り返って、首を横に振ってやった。
「残された命を大事にするんだ」
我ながら身勝手な忠告だと思った。
本当だったら、彼女は俺に焼き殺されていたのだから。
「……え?」
殺人鬼が放つ言葉にしては、気持ち悪いほど親切な言葉だと感じたのだろう。彼女は怪訝な表情になった。そこまでは見届けた。
それから俺はホームを駆けた。
早くマフィアの連中と合流しなければならない。モタモタしていると警察がやって来てしまう。警官隊相手に大立ち回りだけはご免だ。騒ぎが無駄に大きくなってしまうし、正直、この装備では多人数と戦うのは向いていない。
万が一、警官の拳銃で背中の燃料タンクを撃たれてしまったら、一発で爆発し、耐火服を着ていようと俺はあの世逝きだ。やたらめったら発砲することはないと思うが、何が起きるかわかったもんじゃない。
とにかく警察はまずい。
勝川駅を後にし、外へ抜け出た。すぐにマフィアのワゴンが迎えに来たので、後部座席に飛び乗った。
「失敗したな」
先ほど俺をオープンカーで送ってくれたショートヘアの女が、助手席から振り返って、にこりともせず揶揄してくる。
「すまん」
耐火服を着たまま、くたびれた俺は目を閉じた。
だが寝る前にひとつ片付けておくことがある。
「そういえば、お前はなんていう名前だったっけ?」
俺の不躾な質問に、ショートヘアの女は無表情のまま答えを返してきた。
「
「冗談きついな」
「男が不甲斐ないだけだ」
そこで初めて香月は少しだけ微笑んだ。
言われてみれば、リーファのような女がいるのだから、ナンバー2が女でもおかしくないか――と疲労してよく回らなくなっている頭で、ぼんやりと俺は考えていた。
※ ※ ※
運転手は、先頭車両で何が起きているか把握していた。
だが停車しなかった。停車することが許されなかった。
喉元にサーベルを突きつけられ、「停めるな」と脅されていたから。
「失敗ですね」
ファティマは運転手の喉元からサーベルの切っ先を離し、ひとり呟いた。外から見えないよう、運転席の中でしゃがんでいる。
アラブ系の彫りの深い、浅黒い肌の美貌を持つ彼女は、日本人でありながら、自らをイスラム教の聖女と同じ名前で名乗っている。
ファティマとは、イスラム教におけるムハンマドの娘の名前でもあり、聖女として知られている。キリスト教圏での『マリア』と同じような感覚で、イスラム圏ではよく使われている名前ではあるが――不遜、ではある。
本来の名前は深川綾子。
財界の大物の愛娘であり、ダンスチームH.A.L.E.Sのリーダーでもあり、また裏の顔は――殺人者。
「ひっ、ひっ」
いつ自分は殺されてしまうのかと、運転手は恐怖で顔を引きつらせ、涙を流している。
「何もしませんよ」
クスクスとファティマは笑った。言葉通りに約束を守るのか、いまいち信用出来ない笑い方をわざとする。直接的な言葉だけでなく、こういった“含み”も、脅しになる。
「『勝川駅でやっと停車させた。それまでは恐怖で頭がパニックになっていた』……警察に聞かれても、そう証言すれば、命まで取りませんよ」
「助け――!」
「ほら、騒がない」
またファティマは刃の先端を運転手の喉に押し当てた。息を呑んで、運転手は硬直する。
「まだ風間ユキがいるじゃないですか。警察も。気付かれたら、あなたを殺して、あの子たちも殺して、それで終わりですよ。死んでもいいんですか?」
「殺、さ、ない、で……」
「だったら静かにしててください」
ファティマは運転席から決して顔を出さず、手鏡で車内を映し、様子を探る。そろそろ頃合いだと判断した彼女は、運転手から刃を離した。
「もう行っていいわ。『大丈夫か⁉』と大声で騒いで。私の姿が見られないように、みんなの注意を引きつけるんですよ。わかりました?」
運転手は何度も何度も首を縦に振った。
「繰り返しますけど、くれぐれも今回のことは他言しないように。
突然自分の名前を言われたからか、運転手はガクリと腰を抜かす。眼球が露わになるほど目を見開いて、ファティマを凝視している。
「住所も家族構成も全て把握しています。私に不利になるようなことをすれば、どうなるか――わかりますね?」
「ひ、ひぃ――!」
「さ、行きなさい」
ファティマにポンッと尻を叩かれて、運転手は外へよろけ出た。
ややあって、運転手が騒ぎ出し、野次馬の注目が車内に集まる。悲鳴と混乱。その隙にファティマは運転席から降りた。
人知れず闇の中に溶け込んでいく。
(言いつけ通り、風間ユキの監視を続けていたけど……マッドバーナーに狙われて、なお生き延びるなんて、いよいよ彼女の能力は確かなものね)
歩みを止めず、ファティマは黙考している。
(と、なれば――誰が彼女を追い込むことが出来るのか)
冷たく微笑む。
気がそぞろになっていたせいで、持っていたジュラルミンケースをガードレールにぶつかてしまい、その弾みで地面に落としてしまった。
「あら」
中身が露出する。
すぐそばで悲鳴が上がった。
少し後ろを歩いていた会社帰りの女性が、ファティマのケースの中身を偶然目の当たりにして、尋常ならざるものを察知したのだ。
「もう……私としたことが、うっかりしてました」
革ケースの中には――大小様々な形の、剣、剣、剣。
さすがに血は拭ってあるものの、素人目に見ても、それらが観賞用ではなく、何人もの生き血を啜ってきた禍々しい凶器であることは、滲み出てくる瘴気から感じ取れる。
叫びながら逃げようとするOL。
その足が、足首から千切れて吹き飛んだ。
血が地面に飛び散る。
両足を切断されたOLは派手に転んでしまう。
「逃げないでください」
サーベルを投げつけたファティマは、工具を選ぶ大工のように、淡々と機械的に革ケースの中から得物を選び、やがて銅製の両刃西洋剣を取り出す。
やめて、と命乞いをするOLに、容赦なく剣を振り下ろした。
切断を目的としていない銅剣は、鈍い音と共に、OLの頭を叩き潰した。
ファティマは携帯電話を取り出し、短縮ダイヤルを押して、ある場所に連絡を取る。
「ええ、私です。会員番号252。『ソードダンサー』のファティマです。サービスを受けたいのですが――はい、いつも通り死体処理です。住所は名古屋市の――」
辺りを見渡し、電柱に書いてある地名と番地を読み上げる。
「ありがとうございます。では、よろしく」
電話を切る。
死体はそのまま放置していく。数分もすれば、すぐに専門スタッフが駆けつけて、死体処理をしてくれるはずだ。
何事も起きていないかのように、丁寧に、痕跡を残さず。
「清澄様……久しぶりに、興奮してきました」
ファティマは唇を淫らに舐めた。
再び、その姿は夜の闇へと紛れ込んでいった。
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