第37話 BURNER SHOW
『風間ユキは神領駅に向かった。そのまま道に出ろ。部下がお前を拾いに来る』
無線の指示通り、俺は公道に出た。歩道を走っていると、帰宅中の会社員とぶつかりそうになった。
「うわあ!」
「すまん」
驚いて悲鳴を上げる会社員に、俺は謝罪の言葉を投げた。
視界の端で、会社員が引きつった笑みを浮かべているのが見えた。「こ、こちらこそ」と返したようにも聞こえた。
(目立つじゃないか。早く誰か俺をカバーしてくれ!)
ちょうど焦り始めたとき、激しいタイヤの摩擦音を夜道に響かせながら、一台のオープンカーが俺の隣に横付けされてきた。
「乗ってくれ。すぐ出す」
キビキビとした声で指示を出す運転手は、黒いショートヘアの東洋人の女性だ。一度だけリウ大人の付き人としていたのを見たことがある。名前はなんと言ったか。
俺は火炎放射器のタンクを背負ったまま、構わずオープンカーに飛び乗った。着地するよりも先に、車は急速発進する。体が座席に叩きつけられ、タンクの金具がガシャンと荒々しく鳴った。
ショートヘアの女は、ちらりと俺のほうを一瞥し、フンと鼻を鳴らした。
「迷惑な話だ。こんな夜更けにたかが一人の少女を殺すため、私まで駆り出され――これ以上事態をややこしくしないでくれ」
「ややこしくしているのは俺じゃない。俺はいつも通りやっているだけだ」
「とにかく協力出来るのは、駅へ送り届けるまでだ。あとのことは関与しない。我々の存在も明らかにしたくない。全て自己責任でやってくれ。いいな」
「ああ」
偉そうな口を利くからには、この女はそれなりに組織の中で高い地位にあるのだろう。
名前が気になったが、今は風間ユキのことに集中しなければならない。
春日井駅の前で車は停まった。
俺は駅構内に入った。乗客たちが口々に叫んで、大騒ぎしながら逃げ惑うが、構っている暇はない。
ちょうど電車がホームに入ってきた。
一瞬、先頭車両に人影が見えた。他の車両に人は乗っていない。電車はしばらく進んだ後、停車した。構内にアナウンスは流れない。今ごろ駅員は警察への通報で大慌てなのだろう。
だが、電車のドアは閉まろうとしている。
(なぜ⁉ 運転士には連絡が行ってないのか⁉)
疑問に思っている暇はない。優先すべきは車内へと入ることだ。
閉まりかけのドアに無理やり体をねじ込み、両手で力任せに全開にしてから、中へ飛び込んだ。ドアが勢いよく閉まる。明らかに様子がおかしい。これはシリアル・キラー・アライアンスの仕業なのか、それとも別の力が働いているのか。
電車は動き出した。もし先頭車両で凶事が起きているのなら、なんで運転を止めようとしない? 気味が悪いが、やるしかない。
ひたすら人影の見えた車両を目指して進んだ。
先頭の、ひとつ前の車両まで辿り着いた時。
ドアの窓越しに展開されている物々しい光景に、俺は我が目を疑った。
ひとまず威嚇として連結部ドアの窓ガラスをぶち破り、火炎を放った。向こうの車両にいる誰かが悲鳴を上げた。
俺はドアを乱暴に開け、先頭車両へと移る。
手前には、黒いスーツを着た背の高い女が倒れている。腹部から血を流し、苦しそうにしながらも、俺の姿を認めるとキッと睨みつけた。直感で、この女性は警察だと感じた。
それから、その奥に紙袋を被ったジャージ姿の男が一人。包丁が血で濡れている。きっとあの男が黒いスーツの女を刺したのだろう。
男の陰に、風間ユキ。彼女は腰を抜かして床に座っている。
(なるほど、あの紙袋の男が黒いスーツの女を刺し、さらにユキまで殺そうとしているわけか)
自宅がヤクザの襲撃を受けただけではなく、こんな変な格好の男に命を狙われるとは、つくづく風間ユキは不運な少女だ。
紙袋男が包丁を振り上げたままでいるのを確認して、俺は奴の凶行を止めるべく、火炎放射器の口を天井に向けて、炎を威嚇噴射した。
紙袋男は叫び、乗降ドアの方へと飛び退いた。
もしもこの火炎放射器が一〇五式と同じ性能を持っているのなら、通常の火炎放射器よりも長く噴出できるはずだ。とはいえ、一〇五式でも1秒間の噴射で40回しか使えない。ましてやこの新型ではどうなるのかわからない。たかが威嚇のために貴重な一回分を費やしてしまうのは勿体なかったが、ユキを横取りされるよりはマシだ。
俺は、自分が“殺したい”と感じた人間しか殺さない。
好感や興味を感じるからこそ、敬意を払って殺せるような相手。どうせ殺さなければいけないのなら、虫けらのように殺ししまうよりも、慈しみをもって丁寧に焼き殺したい。
風間ユキは滅多に会ったことのない特別なターゲットだ。あんな得体の知れない紙袋男に彼女を奪わせたくはない。
『なにをしている』
ガスマスクの無線機からリウ大人の声が聞こえてくる。
『早く目標を焼いて離脱しろ。時間が経てば経つほど救援は難しくなる』
俺は苦笑した。
過保護なオヤジだ。好きなように暴れろと言いながら、俺が脱出不能になるのを心配してくれている。それとも俺が捕まってしまうのは組織的に都合が悪いからだろうか。いや、あの人の場合、簡単にトカゲの尻尾切りをやるだろう。その点は何も気にしていないはずだ。
重たい耐火スーツに辟易しながら、前へ前へと進んでゆく。
ちょうど紙袋男がどいたことで、風間ユキは俺との直線上にある。簡単に殺すのも申し訳ないが、リウ大人の言うとおりモタモタしていられない。火炎放射器を構え、噴射口を彼女に向ける。
あとは引き金を引くだけだ。
「リウ大人……それが、あなたの協力者……そうでしょう?」
不意に、黒いスーツの女が俺に話しかけてきた。
リウ大人との繋がりを知っていることに、俺は微かに動揺した。
が、彼女が瀕死の重傷を負っていることを思い、
(あまり喋るな、傷に障る)
と無言でかぶりを振ってみせた。
黒いスーツの女は目を丸くして、俺を凝視する。何に驚いたのかはわからない。
放っておけない気がした。
「そこのお前」
紙袋男を指差す。まさか俺が喋るとは思っていなかったのだろう。紙袋男は、人差し指を向けられた途端ハッと息を呑んで後退し、ガン、とドアに勢いよくぶつかった。
「救急車を呼べ。お前が刺したんだろう? 責任持って彼女を助けろ」
「な、な、なんだよ」
震える声。
きっと紙袋の下の顔は泣き笑いを浮かべているに違いない。
「あ、あんた、殺人鬼マッドバーナーだろ! いいじゃないかよ、ほっといてくれよ! あんたにとっては一人二人死んでも同じことだろ!」
「俺にとって殺人とは食事だ。食を取らねば死んでしまう。だから殺す。たかが一人とは考えない。一人の人間を殺す、その重みを考えたことがあるか? 人を殺すことは重いことだ。お前は何を考えてその女を刺した? 何を考えてそこの少女を殺そうとしている? 人の命に敬意を払えるか?」
「う、うるさい! 殺人鬼のくせに説教垂れるな!」
「ああ、お前の言う通りだ。本来なら俺には偉そうなことは言えまい。だからと言って正論を否定されるいわれもない。救急車を、呼べ」
「ふ、ふざけるな、ふざけんなよ……」
紙袋男は怒りで肩を震わせていたが、一歩も動こうとしない。すっかり怖じ気づいている。だが携帯電話を取り出そうともしない。
俺は肩をすくめた。
再び風間ユキの方を向く。
倒れている女は気にはなるが、ここで風間ユキに逃げられたら元も子もない。先に彼女を焼き殺してから、黒スーツの女のために救急車を呼んでやろう。
「他人を思いやる心は、あるのね」
風間ユキがかすれた声で話しかけてくる。
「同じ人間だからな」
「同じ人間――だったら、どうして人を殺すの? どうして罪もない人たちを焼くの? どうしてそんな残酷なことが出来るの? 理解出来ない。もっと、もっと他に許せない人間はいくらでも――」
そこで彼女は口をつぐんだ。自分の言わんとしている理屈に矛盾があると、口に出しながら気が付いたのだろう。
「罪もない、とはなんだ? 許せない人間、とはなんだ? その基準は? 人間を罪の有無で超法規的に裁くのは、傲慢なことではないのか?」
「違う、私は――」
「俺が誰かを殺す基準は、善悪ではない。魂、だ。俺が焼くのは高潔な魂だ。清く輝く魂であるからこそ、焼くことに価値がある。別に取捨選択をしたわけではないが、俺が殺してきた人間はそういう人間だ。お前にはわからない話だろうが」
「……ううん」
ユキは頭を振った。
「あなたの言うこと、狂っているけど、わかる気がする。とても、わかる。でも、私は人として、あなたを許せない」
「それでいい。俺は咎人だ。お前が人のまま死にたいのであれば、絶対に俺を許すな」
「ええ、許さない。あの世に行っても、あなたを怨み続ける」
「そうしてくれ」
引き金に指をかける。
少々時間をかけ過ぎてしまった。早く殺さないと、人気の多い所まで電車が進んでいってしまう。
ためらわず炎を噴き出させた。
「うわああああああああ!!」
俺が引き金を引き切るよりも早く、紙袋男が駆けてゆき、風間ユキの体をタックルで押し倒した。
もつれて倒れる二人の上方を、火炎放射器から噴き出された炎が、唸りを上げて通過してゆく。
(くっ、あの男が邪魔だ)
このまま炎を下に薙いで、さっさと風間ユキを焼いてもよかったが、それでは無関係な紙袋男まで巻き込んでしまうことになる。無用な殺人はしたくない。
すぐに炎の噴射を中断する。
飛び散った可燃剤が、男が被っている紙袋にもかかり、炎をともす。男はじたばたと暴れて、火を消そうとしたが、上手くいかず、とうとう紙袋を脱いで捨てた。
中から出てきたのは、気の弱そうな、線の細い少年だった。
「貢一くん――」
「ユ、ユキ、ユキ」
貢一と呼ばれた少年は、風間ユキに馬乗りになったまま、包丁を振り上げた。
「ユキィィィィィ!!」
彼女の胸を突き刺そうとする。
俺は重い体を出来る限り早く動かし、貢一少年の所まで駆け寄ると、彼の背中を蹴り飛ばした。
「わあっ⁉」
重いブーツで蹴られて、貢一は吹き飛び、床に転がる。
ちょうど、電車は勝川駅でドアを閉め、出発進行を始めたところだ。事前に調べた周辺地理の情報では、二つ先の大曽根駅は地下鉄名城線と連絡しているため、乗降客が多い。必然的に殺害や逃走が厳しくなってきてしまう。
ケリをつけるのならば、今のうちに行わなければならない。
「今度こそ覚悟してくれ」
俺はいま一度、風間ユキに火炎放射器を向けた。
「やめろぉぉぉおおお!!」
貢一少年の絶叫が、俺のガスマスクをビリビリと振るわせた。
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