第36話 望むままに
リウ大人は、俺にとってオヤジであり、庇護者であり、またマッドバーナーとしての活動に協力をしてくれるパトロンでもある。
滅多に会うことはなかったが、遠く離れた中国上海の地から、常に俺のことを気にかけてくれていた。
なぜ俺を息子として迎え入れたのか。どうして俺が殺人鬼となることを黙認し、あまつさえ、その活動に力を貸してくれているのか。何もわからないに等しいが、少なくとも頼りになる男であることは確かだった。
リーファの発言がなければ。
彼女はリウ大人を疑っていた。
その根底にある彼女の直感を信じている自分と、信じていない自分とがせめぎ合い、真実はどちらなのか判断に苦しんでいる。
どちらもあり得る。
リーファはとうの昔に死んでおり、今の彼女は記憶を空の肉体にコピーされただけの人形のような存在だが、そんな木偶人形でも、なおリウ大人は愛している。
一方で、リウ大人だったらやむをえない事情があれば、愛する娘でも仕方なく殺してしまう可能性もある。
俺は今でも憶えている。
リーファが敵対組織に誘拐されて殺されてしまった。戻されたバラバラの死体を確認して、リウ大人は狂わんばかりに泣き叫んだそうだ。
その数日後、北京にあった敵対組織はこの世界から姿を消した。
文字通り跡形もなく。
構成員がどこへ消えたのか、誰も知らない。
噂では、組織が消滅した日に、北京のとあるレストランで北京ダックを食べた日本人留学生が、「この肉、筋張ってて美味しくない」と文句を言ったとか。
噂は噂だが、彼らが凄惨でグロテスクな末路を迎えたであろうことは想像に難くない。
リウ大人はあの日からおかしくなっていた。
停まっているヘリの中で、リウ大人は葉巻を取り出し、火をつけた。盛大に煙を吐き出す。外の冷たい空気が機内に流れ込んでくる。
この人は、なぜ、俺に会いに来たのか?
「お前に渡した一〇五式火炎放射器だが」
リウ大人は独り言でも呟くように話す。
「かつては風間ナオコという女の持ち物だった」
「風間?」
「ああ。お前が狙っている風間ユキの先祖だ」
葉巻の煙は上空へと流れていく。
「風間ナオコは本土決戦に備えて、『
リウ大人は葉巻を灰皿に突っ込むと、俺の方に向き直った。
「いつ出会ったのかは知らない。風間ナオコはシリアル・キラー・アライアンスと接触を果たした。そして、『蜻蛉組』の資金を勝手に使って、会員権を獲得した」
「その当時からあったのか? あの組織は」
「設立時期はわからない。ルネッサンスの時代からあるとも言われており、キリスト生誕と同時に誕生したとの説もある。いや、説というよりも、伝説のようなものだな。悪魔が戯れに作った組織だ、と主張する会員もいる」
「悪魔――」
荒唐無稽すぎる。
「風間ナオコはいまだ人を殺してはいなかったが、その残虐性をシリアル・キラー・アライアンスに買われた。そして、あの一〇五式火炎放射器を支給された」
新しい葉巻に火をつけ、リウ大人は吸い始める。
「風間ナオコは一〇五式火炎放射器を駆使して人々を焼殺していった。予想外のペースに、シリアル・キラー・アライアンスも死体処理が追いつかず、表に出てしまった事件もいくつかある。だが事後工作が上手くいき、風間ナオコが検挙されることはなかった。ところがある日――何をトチ狂ったのか、風間ナオコは米軍兵を焼殺した」
「……」
「追い詰められた風間ナオコは廃ビルに逃げ込んだ後、観念したのか、焼身自殺をした」
「シリアル・キラー・アライアンスの助けはなかったのか?」
「無理だな。連絡があれば、ある程度の窮地はカバーしてくれるが、さすがに風間ナオコのような状況では、救いようがなかっただろう」
「で、その後、一〇五式火炎放射器がどうしてオヤジの組織に流れていったんだ?」
「そんなことはどうでもいい。そろそろ本題に移ろう。私がお前に会いに来た理由はこんな昔話をすることではない」
俺は全身に緊張を走らせた。
リウ大人がこのタイミングで持ちかけてくる話だ。何かよからぬ気配がする。
「一〇五式の回収は問題ない。付属パーツは溶けて使い物にならないだろうが、基幹となる機構――肝心要のパーツについては簡単に溶けたり壊れたりしない。一〇五式火炎放射器はまた再生する。そこでだ――」
リウ大人は身を乗り出して、俺の目を見つめてくる。
「あれを、風間ユキの父親――風間清澄に返してもらいたい」
俺は咳き込んだ。
発作が徐々に現れてきている。このままでは数十分で症状が悪化する。ここで長話していた結果、苦しみながら死ぬなんて、冗談じゃない。
脂汗を拭いながら、俺は懸命に頭を回転させた。
意識が朦朧としている。
こんな状態では、どんな理不尽な要求を吹っかけられても、素直に呑んでしまいそうだ。
「その風間清澄という男は、どんな男なんだ」
「新興宗教の教祖だ。三元教という教団のな」
さらに、とリウ大人は付け加える。
「私と同じシリアル・キラー・アライアンスの会員でもある」
「オヤジも会員なのか⁉」
「便利な連中だからな。ただ、継続的に人を殺していなければ、会員権は剥奪される。その資格がある者だけが会員であることを許されている。その縛りはたまにネックではあるが」
「もしかして、耐火服の供給や、一〇五式火炎放射器のメンテは、全部あいつらが」
「違う。技術については中国政府にツテがあるし、工場はタイの郊外に設けてある。とにかく、風間清澄が一〇五式火炎放射器を整備済の状態で、自分に返してほしいと要求してきた。我々としては異論はない。ただ、お前が困るかと思って、こうして直接会いに来て交渉している。どうだ?」
「俺の、今後の武器は、どうなる」
「我々もタダでお前に一〇五式を使わせていたわけではない。サンプリングは当然行っていた。だから全く同じ性能とはいかないが、近い武器は作ってある」
ヘリの積荷の中から、リウ大人は大きい木箱を引きずり出し、蓋を開けた。
中には新品の火炎放射器が入っていた。
「何年もかけたが、一〇五式とほぼ同じ性能だ。使い勝手は全く変わらないはずだ」
「今すぐにでも使えるのか?」
「使えるさ。もともとそのつもりでここへ運んできた」
「どういうことだ?」
「風間ユキを殺したいのだろ」
にぃ、とリウ大人の口元が歪む。
「父親としての餞別だよ。存分に使って暴れるがいい」
重い火炎放射器を木箱の中から取り出し、リウ大人は俺に向かって差し出してきた。
俺は思わずその動きを片手で制した。
「……どうした、アキラ。素直に受け取れ」
「ひとつ聞きたいことがある」
「なんだ?」
「リーファはシリアル・キラー・アライアンスに殺された。だが、彼女はあんたが指示を出したと思い込んでいたようだった。俺にはそのどちらでもあるように感じられる。真実はどうなんだ」
「ハハハ、そんなことか」
大声で笑いながらも、リウ大人の目に狂気が宿る。底知れぬ闇を感じて、俺は背筋がゾッとした。
「さすが私の娘だ。確かに、私はシリアル・キラー・アライアンスに報告した。娘が風間ユキを殺そうとしていることをな。そして腕の立つ殺人鬼たちを派遣してもらった。無論、シリアル・キラー・アライアンスに対する義理立てから起こした行動だ」
「悪く言うと点数稼ぎってところか。最低だな」
「怒るな。お前もリーファのことはどうでもいいのだろう? 私もだよ。私も……」
徐々にリウ大人の顔に陰が差す。一瞬、父親としての表情を覗かせた。
「私も、リーファが本物でさえあれば……」
ヘリの無線が鳴る。操縦士が受け答えをしている。リウ大人の眉がピクリと動いた。
「風間邸が堂坂組に襲われたそうだ」
「!」
「幸い警察の奮戦により、事なきを得たようだが、今度はストーカーに命を狙われているらしい。助ける人間もいないから、窮地に立たされているそうだ。悠長にも構えていられないな」
「オヤジ。あんたは俺に何をさせたいんだ。マフィアとして風間ユキに報復をしたいのか、シリアル・キラー・アライアンスとして彼女を殺させないのか――」
「どっちでもないさ」
リウ大人は再び火炎放射器を突き出してきた。
「私は私のことしか考えておらんよ。全ては天命によって動いている。天が定めたことには逆らえんさ。ここでお前が風間ユキを殺すのであれば、それもまた天命であろう。私はその結果次第で柔軟に対応を変えさせてもらう。どの組織としての立場でもない――私個人としての考えに則って行動する。さあ……武器を取れ」
俺は躊躇した。
天命と言う。だが、こんなのは天命ではない。人の意思が複雑に絡んでいる以上、糸を手繰り寄せていけば必ず誰か黒幕がおり、全てはその誰かの思惑通りに事が進んでいく。流れに身を委ねているつもりが、誰かの操り人形となって動いているだけでしかなかったりする。そんな無様な生き方だけは絶対にしたくない。
しかし。
もう時間がない。胸の中に高温の種が生まれている。じゅくじゅくと内臓を焼き尽くすような熱い痛みが走っている。早く風間ユキを焼き殺して、この苦しみから解放されたい。
俺は火炎放射器を受け取った。
ヘリから降りて、耐火服に着替え始める。ガスマスクを装着すると、内部に仕込まれた無線機からリウ大人の声が聞こえてきた。
『さあ、行け。お前の望むままに戦ってこい』
言われるまでもない。
無線の指示に従い、風間ユキのいる方向目指して、俺は重たい耐火服を着たまま、出来る限りの速さで駆けていった。
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