第33話 ハカリゴト

 ―2008年12月24日―

 ~春日井市郊外 PM7:50~


 後部座席で眠りながら、俺は夢を見ていた。


 今までに殺してきた人間が出てくる夢だ。


 特に5年前、大阪で殺した島谷エリカの登場は、より鮮明なイメージとして浮かび上がった。


 一番苦労した一件だからかもしれない。


 まさかの警官隊の配備。厳重警戒。人を殺すどころか、日中、不審に思われないように振る舞うだけで気疲れした。


 それでも無事殺人を実行することが出来たのは、リーファの協力があったからに他ならない。


 ターゲットの位置情報、警察の配置図。当時はまだガスマスクのゴーグル部分に通信機能と直結しているディスプレイなど実装していなかったから、傍受覚悟の無線くらいしか情報を受け取る手段はなかった。だが十分役に立った。


 島谷エリカはどこにでもいるような女性会社員だった。小柄で愛くるしい笑顔をする女だった。たまたま金沢の俺の店にやって来た彼女をひと目見て、その年のターゲットとすることに決めていた。


 燃やすに値する女性だと思っていた。


 当日、警察の目をかい潜りながら、俺は彼女との距離を詰めていった。殺せる自信はあった。


 マフィアの援護もあるから、逃走経路の確保はなんとかなると思っていた。


 が、読みは甘かった。


 島谷エリカを焼殺するところまでは上手く事は運んだ。しかし問題はそれからだった。


 焼殺直後、いきなり現れた老刑事が俺を執拗に追い詰めてきた。目の前で犠牲者を出してしまった責任感からか、並々ならぬ執念で俺を追ってくる。これまで警察を相手にしていて、あの時ほど真に恐怖を感じたことはない。


 結局、火炎放射器で細い路地に炎の壁を作り、強引に撒いた。一歩間違えれば老刑事を焼き殺しかねない、危うい行動だったが、そうでもしなければ逃げ切れなかった。


 それ以来、その大阪の事件を教訓に、いつも事前の下調べと入念な計画設計を怠らずに、スムーズに焼殺を行えるよう段取りしてきた。大阪では情報が漏れていた恐れもあるため、たとえ協力者といえども、軽はずみにターゲットの情報は流さないようにした。


 もっとも、殺人鬼に協力するチャイニーズマフィアなど、ハナから信用出来る存在ではなかったが。


 夢の中の島谷エリカは、怨めしそうな目で俺を睨んでいる。


(すまん)


 謝るが、彼女は許さない。


 包丁を持って、俺に近付いてくる。


(こうしなければならなかったんだ。でないと、俺自身が)


 そこで俺は言い訳をするのをやめた。


 殺されてしまった彼女にとっては、俺の理由なんて関係ない。生きたいという欲求は全ての生物に通じるものだ。俺は彼女から生きる権利を奪った。そこに、俺自身の個人的事情を持ち込む余地などない。


 俺は紛うことなき凶悪殺人鬼なのだ。


 島谷エリカは、ブスリと俺の腹にナイフを突き刺した。力を込めて、内臓まで深々と刃を達させて、さらに背中まで貫いた。腕が腹部を貫通し、倒れそうになる俺の体を支える。


「罰よ……私を殺した罰……死ね、死ね、死ね」


 呪詛を吐く島谷エリカの瞳は、すでに生きている人間のそれではなく、死によって濁った色を湛えていた。俺の腹を貫いた手が、そのまま体内へと戻り臓物を掴むと、気色の悪い音を立てながら、あらゆる内臓を引きずり出していく。


「おおおおお!」


 夢とは思えない激痛に、俺は耐え切れず叫んだ。


 その叫び声で目を覚ました。


「……?」


 ワゴンは人気のない荒れ果てた野原に停車している。


 予定では、風間ユキの家までとりあえずこの車で移動し、車中で耐火服を着た後、殺人に取りかかるはずだった。


 なのに、なぜこんな辺鄙な場所に停車しているのか?


 運転手を務めていたマフィア構成員が、ウィンドウを開けて煙草を吸っている。


「おい、ここはどこだ?」


 身を乗り出して質問しようとした瞬間、助手席からショットガンの銃身が伸びてきて俺の胸を突き、無理やり後部座席に押し戻した。


 ショットガンを構えたリーファが俺を睨んでいる。


 理由は考えるまでもなくわかった。


「リウ大人から粛清の命令が来たのか」

「そうよ……と言いたいところだけど、見当外れね」

「違うのか」

「やっぱり何も理解していない」


 リーファは悔しげに歯噛みをする。鈍い反応の俺に苛立っているようだ。


「私を殺すために刺客を雇ったのは、あなたでしょ! 絶対、アキラに決まってるわ!」


 俺は小首を傾げた。


「なんだ、記憶はあるのか」

「……記憶?」

「1ヶ月前、何者かに壊されたと聞いて、てっきり直前のバックアップデータに戻っているかと思っていたが……メモリは回収されたんだな」

「違うわよ。メモリは回収されていない。死体ごと、何者かに片付けられたわ」

「違う? だけど、今の話を聞く限りでは」

「映像よ。自分が殺される瞬間の映像が残っていた。店内の隠しカメラで。だから、あの日のことは知っている」


 ショートカットの、やや中性的な顔立ちの美人顔となった今のリーファは、全くの別人顔なので、以前とは似ても似つかない。


「そうか。知っているのなら話してくれれば良かったんだけどな」

「わざとあなたには知っていることを隠していた」

「なぜ」

「あなたを試していたに決まっているでしょ!」


 ますます険しい表情で、リーファはショットガンを押しつけてきた。隣の運転席に座っている構成員が、ウィンドウを閉める。いよいよ危うい空気が漂ってきている。


「そして、あなたはあの日のことを話そうともしなかった。私のメモリが残っていないと思い込んで。卑劣な人。そのことがわかったから、私は……」


 ショットガンの銃口が、俺の顔面に向けられる。


「あなたを、殺そうと、決心したのよ」

「おい待て」


 俺は慌てて制止する。


 さすがにショットガンを向けられた状態で、そのような物騒なことを言われては、悠長に構えていられない。


 それに濡れ衣だ。確かに横浜の店で彼女が誰かに殺害されたことは知っている。だけど殊更に話す必要もないと思って黙っていただけだ。俺が刺客を送り込んだわけではない。


 もっとも、バックアップを取っていたリーファは、俺が風間ユキを見逃したことに対する怒りの記憶まで復旧させたのだろう。そしてタイミング的に、俺が口封じでリーファを殺す刺客を雇ったのだと勝手な推測を立てたのだろう。


 ま、結局のところ、風間ユキの一件があろうがなかろうが、そんなの関係なしにリーファは俺を粛清するつもりだったのだ。


 俺が彼女の愛を拒んだ時より、彼女は俺に対して殺意を抱いているのだから。


「笑えないな。本気で俺を殺す気か」

「そうよ。怪人マッドバーナーは人知れず、郊外で始末される……死体が出ることもなく、私たちの組織によって、闇へと葬られる」

「なるほど。確かに俺は、お前さえいなければ、あの晩の出来事――風間ユキを見逃してお前たちを裏切ってしまったこと、それらが無かったことになるだろうとは考えていた。お前を殺すことを全く考えなかったとは言えない。だけど、俺は無実だ。何も謀ったりしていない」


 長台詞を喋りながら、頭の中は、事態を打破するための方策を練ることで激しく回転している。


 火炎放射器は? 後部座席の後方、ずっと奥のシートに置いてある。届かない。無理に取ろうとしても、その前にショットガンで頭部をコナゴナに破壊されて、お終いだ。


 では、隙を突いてリーファのショットガンを奪うのは? これだけ体に密着させられていれば、上手にやれば、逆に無傷で相手の武器を奪うことは出来るだろう。しかし運転席の構成員が邪魔だ。シートの陰で見えないが、きっと銃を構えているに違いない。万が一の場合、俺の頭を撃ち抜くだろう。


「リーファ。大した証拠もないのに、俺を殺すのか? そもそも俺を殺して解決する問題か?」

「解決する、しない、の問題じゃないわ。これは仁とか義とかの問題よ。我々中国人は精神的な結束を重んじてきているわ。他人を騙そうとする奴をのうのうと生かしておくほど呑気ではないの。――それに」

「それに?」

「あなたは疑わしい」

「何がだ?」


 こうなったら手はひとつだ。


 一か八かだが、何もしないで散弾を喰らって、頭をグチャグチャに吹き飛ばされてしまうよりは、賭けに出たほうがまだマシだ。


 彼女に隙が出来る瞬間を狙うしかない。


「シリアル・キラー・アライアンス」

「……なんだ、それ?」


 意識をショットガンの方に集中させていた俺は、突然リーファが口にした意味不明な単語を聞いて、わずかに混乱した。


「どうせアキラ、あなたも加入しているんでしょう?」

「だから、一体なんなんだ、それは」

「しらばっくれないで。全部シリアル·キラー·アライアンスが関係しているんでしょう!」

「知らない。俺は、そんなよくわからないものなんて知らない。何を勘違いしているんだ?」

「私を殺した――いえ、壊したのも、シリアル・キラー・アライアンスの一員だった」

「だから俺にもわかるように説明を」

「それに、調べたら――爸爸は何も言ってくれなかったけど――あなたの一〇五式火炎放射器も、爸爸があなたへの協力を惜しまないのも、全部テストだってわかった」

「テスト? オヤジが俺に協力してくれるのが、何のテストだって言うんだ?」

「自分が一番知っているんでしょ! この裏切り者!」


 金切り声が車内に響き渡った。


「なんなのよ! 一体! なんで私を邪魔者扱いするのよ! 殺人鬼をけしかけたのはあなた!一〇五式の情報をインターネットにわざと流したのは爸爸だった! あなたと爸爸でグルになって何を企んでるのよ!」

「俺は、何も知らないっ」


 知らず知らずのうちに俺まで声を荒げてしまう。リーファが何をそんなにヒステリックになっているのかわからない。


「もういい……」


 興奮の収まったリーファは、より一層凶悪な目つきになって、俺を睨みつける。


「あなたも爸爸も信用出来ない……だったら、私は私で好きなように動くわ。あなたたちの、先を越してみせる……」


 ショットガンの引き金にかけた指に、グッと力を込める。


 来る。


「その前に……あなたには、死んでもらう」


 もうこのタイミングしかない。


 俺は咄嗟に彼女に向かって言った。


「リーファ、愛している――」

「⁉」


 動揺するリーファ。


 銃を持つ手が、若干緩む。


「――だが、すまん」


 俺は正面からショットガンの銃身に飛びかかった。


 リーファが驚き、引き金を引こうとするが、それよりも早く俺は銃の向きを力任せに変えてやった。


 銃口を運転席の構成員へと向ける。


「ワァッッ⁉」


 顔を庇うように、両手でカバーした構成員だが、その程度の防御でショットガンの弾を防げるわけがない。


 ズドンと重い銃声が響き、彼の両手は吹き飛び、頭部も潰れたトマトのようにベシャリと飛び散って、砕け散る窓ガラスごと外の空間にばら撒かれた。血や脳漿が、キラキラと車内の灯りを浴びて輝きながら、飛散していく。


「アキラァァァァァァァ!!」


 怒声を上げるリーファは、ポンプアクション式のショットガンの弾を装填するため、ガコンとフォアエンドを手動で動かした。だが撃たせるわけにはいかない。リーファの前頭部に頭突きを食らわせてやる。悲鳴を上げ、のけぞるリーファ。


 急いで俺は後部座席を倒し、最後尾のシートまで身を躍らせると、一〇五式火炎放射器を手に取った。


「殺してやる! アキラァ!」


 リーファが体勢を整えて再びショットガンを構えるのと同時に、俺もまた火炎放射器の先を相手に向ける。


 そして敵が発砲するよりも一瞬早く。


 俺の火炎放射器が、火を噴いた。


「きゃああああああああああああああああああああッッッ!!」


 狭い空間では、火炎放射器による攻撃は絶大な威力を発揮する。逃げ場のない火炎に襲われて、リーファはたちまち火だるまとなり、頭を抱えながら泣き叫び、のた打ち回る。


 俺は素早く最後尾へと身を躍らせると、耐火服を掴んだ。炎の熱を耐火服で遮断しながら、後部のガラスを蹴り破り、車の外へと飛び出た。その勢いのまま草地の上で転げ、服についた火を消した。


 車から距離を取った。


 ワゴン内で何かが動く様子はない。当然、リーファは息絶えてしまったのだろう。あれで助かるわけがない。


(とうとうやってしまったか……)


 これは、1年に1人しか殺さない、俺の主義に反することだろうか? いや、緊急避難であるし、そもそも運転手を殺したのはリーファの銃である。


 そしてリーファは人間とは言いがたい存在だ。


 どうせ数日もすれば、バックアップから新しい彼女が生まれてくるに違いない。オリジナルの彼女はすでに20年前に死んでいる。もはや命ある存在ではなく、ただの取換えの利くロボットのようなもの。いくら死んでも、それは壊れているだけであり、何の感傷も湧かない。


 とは言え。


 どれだけ自分に甘い言い訳をしたところで。


 ターゲット以外の人間の命を2人分も余計に奪ってしまったことで、憂鬱な気分になるのは避けられなかった。

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