第31話 シックスセンス
神領駅の改札まで着いたとき、小夜は、何者かの邪悪な思考が頭の中に入り込んでくるのを感じた。
色々な心の声。酔っ払いの支離滅裂な声、夜遊びに向かう女子高校生のハシャいだ声、駅員のくたびれた声、などに混じって、その邪悪な心の声は確かな存在感を伴って迫り来る。
(近付いてきている!?)
少しずつ、声は鮮明になりつつある。
――ユキ、待て、ユキぃ
――殺してやる、殺してやる
「この声、例のストーカー?」
小夜の呟きを聞いて、ユキが小さく悲鳴を上げる。
「上杉さん、まさか貢一くん……!?」
「どうやら、そうみたいね。こんな大変な時に面倒事を増やしてくれて……やっぱり、あの時捕まえておくべきだったわ」
のんびり話している隙などない。小夜は戸惑うユキの腕を引っ張り、改札窓口の前を突っ切る。
あくびをしていた駅員が、「ちょっと、お姉さん!?」と、急に慌てて小夜を呼び止めたが、警察手帳を提示されておとなしく引っ込んだ。
ホームに出てから、小夜は隣の高蔵寺駅方面を見て、まだ電車の灯りが見えないのを確認した。
貢一が来るまでには間に合わないことを悟ると、覚悟を決め、相手が来るであろう改札口の方を向いて戦闘態勢に入る。
「勘弁してほしいわね。ヤクザの襲撃に、ストーカーの接近……踏んだり蹴ったり。あなた、本当に未来を読めるの?」
「ごめん……なさい」
「ねえ、疑いたくないんだけど。でも、これだけは言わせて」
「はい」
「私を騙していない? あなたが感じる道は本当に正しい道なの? それとも、実は正しい道はわかっているけど、それを隠しているとか」
「嘘なんてついてない!」
でしょうね、と小夜は頷く。
ユキの思考にブレはない。自分に対して話していることには、一切嘘は入っていない。
「でも」
とユキは付け足す。
「一番大事なことの説明が洩れてました」
「なに?」
「私の能力は、確かに私にとって最良の道を選べます。私が生き延びる道――でも」
「でも?」
「私の周りの人は、たとえ大事な人でも、生き延びるとは限らない。ううん、むしろ私のせいで、命を落とすことが多い」
「……」
「助かるのは私だけ。だから……」
改札口の方角から、たむろしていた女子高校生たちの悲鳴が聞こえてくる。逃げ去っていく様子だ。何かが近付いてくるのがわかる。
「上杉さん、あなたも、もしかしたら……」
「最悪な情報を今ごろになってありがとう」
小夜は肩をすくめた。
「だけど気にしなくて結構よ」
「え?」
「私は死なない」
貢一の心の声が鮮明になってきているのを感じ、小夜は拳に力を込めた。
「マッドバーナーを殺すために私は生きている。奴に一矢報いることも出来ずにあの世逝きなんて、まっぴらごめんよ」
「上杉さん……」
「いいわよ、小夜って呼んで」
小夜は笑った。無愛想な彼女にしては珍しく。
「この修羅場を無事抜けたら、友達になりましょ。その代わり約束して」
「約束?」
「マッドバーナーを倒すまでは私に協力して。いい?」
「……はい」
ユキは首を縦に振ったものの、目は別の方に向いていた。
改札口からホームに、ゆらりと人影が入ってきた。
駅員の怒号が聞こえたが、その人物が手に持った何かを突きつけた瞬間、すぐに叫び声を上げた。
包丁を持っている。
「なに、あれ?」
小夜は眉をひそめた。
進入者の風体はあまりにも異様だった。
頭に茶色の紙袋を被り、顔を隠している。目の部分に穴が二つ。呼吸をするたびに、安っぽい紙袋が、バフッ、バフッ、と膨らんだり凹んだりしている。服は薄汚れたジャージ服。どう見ても頭の正常な人間の格好ではない。
「ユキユキユキユキユキユキユキユキユキユキユキ……」
「どうか――してる」
さすがの小夜も頬が引きつった。
ここまでイかれたストーカーは見たことがない。
ストーカーは歩みを止めた。
ホームに電車の接近を告げるアナウンスが流れる。
小夜はユキを自分の背後に逃がしながら、いつ相手が飛びかかってきても大丈夫なように、意識を集中させる。
緊張が流れる。
(電車)
ホームに滑り込んできた名古屋行きの電車に、ユキが気を取られた瞬間。
「ユキィィィィ!!」
包丁を振り回しながら、ストーカーが突進してきた。
(止める!)
ヤクザのドスと渡り合える実力を持つ小夜にとって、たかが高校生の包丁など、取るに足らない得物だ。
問題ないと踏んでいた。
ところが。
(ごめんなさい)
ユキの心の声が聞こえる。
肩を掴まれ、グイッ、と後ろに引っ張られた。
「ユキ⁉」
迂闊としか言いようがなかった。
彼女の能力を、ただ、“最良の道を選択出来る”程度で認識していた自分を、小夜は呪った。
ユキの性格を考えて、果たして最良の選択肢だからといって、たとえば横浜でマフィアを殺したように、誰かを殺したり出来るだろうか? いや出来まい。ユキのような心優しい少女に、そのような真似は普通出来ないはずだ。
(生存本能――⁉)
ユキの能力とは、決して単なる先読みの能力ではない。
生物が生存するために持つ本能の力が、平常時はただの未来視程度でしかない能力と融合して、緊急時には神懸かった反射行動を伴ってしまうのだろう。ユキが望もうと望むまいと、その行動がユキを生き延びさせるものであれば、無意識のうちに体を動かす。自分でも制御しきれない本能的なもの。
小夜は、先ほどのユキの言葉を、どこかで自分とは無縁のことように考えていた。
まさかユキ自身が自分に害を加えるとは思ってもいなかった。
バランスを崩された状態では、敵の攻撃に対処することが出来ない。
鮮血が飛ぶ。
「ぅあっ!」
頬を押さえて、小夜は倒れた。その美貌に痛々しいほどの切り傷が刻まれ、赤い血が垂れ流れている。
(ごめんなさい――上杉さん、ごめんなさい!)
その隙に、ユキは停車中の電車に飛び乗った。
ちょうどのタイミングで扉が閉まる。
「ユキィィィィ!」
ストーカーは雄叫びを上げ、電車に向かって猛突進していく。跳躍し、窓ガラス目掛けて、体を丸めて飛びかかる。全体重を乗せての人間弾頭に、窓ガラスは粉々に砕け、ストーカーの侵入を許してしまった。
(ユキのバカ! それが正しい未来なの⁉ 追い詰められただけじゃない!)
小夜はそれでもユキを恨みはしなかった。
特殊な能力を持つがゆえの、人間と人外の狭間で味わう苦しみは、小夜自身よくわかっている。
決してユキを責めまい、と小夜は思っていた。
動き出した電車の、連結部に体を入れ、突き出した棒に掴まる。スピードが出てきても振り落とされないか心配ではあったが、四の五の言っていられない。
(次の駅までもてば……!)
次第に揺れが激しくなる車体に必死でしがみつきながら、隣の春日井駅に着くまでの間、ユキが生き延びてくれることを祈っていた。
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