第29話 暴力の代紋

 相対しながら、冨原は、いまだ倉瀬がそれほど体調が万全でないことを悟っていた。


(足もとがふらついているぜ、爺さん!)


 労せずして叩き潰せる、と判断した冨原は、一気に距離を詰め、顔面狙って鋭い上段突きを放った。


(仕留めた!)


 そう思った時には、倉瀬はヒョイと顔を横にずらし、当たるか当たらないかスレスレの距離でかわしていた。


 攻撃を外された冨原の体前面ががら空きになっている。


「うおっ!?」

「甘いぞ若僧」


 倉瀬の姿が視界から消えた。


 冨原の突き出した腕の下をかい潜って、懐へ潜り込んだ倉瀬が、水月に向かってアッパーカットで殴り上げる。


「ぐふっ!」


 冨原の体がくの字に折れた。一発で意識が飛びそうになる。


(くそがっ)


 インファイトなら負けない、とばかりに、冨原は接近している倉瀬のこめかみを狙って肘打ちを繰り出す。


 その肘を、倉瀬は腕を跳ね上げて、弾き飛ばした。


 再度上体ががら空きになる冨原。慌ててバックステップし、距離を離すが、すぐに相手に間を詰められる。


「ぅおお!」


 冷や汗が飛ぶ。


 下がりつつ、重心を巧みに転移させ、逆に前へと突進する。


 退きながらでは反撃が難しい。体が後ろのめりになっている体勢では、戦局を覆すほどの大打撃を加えることは不可能だ。


 あえて前へ向かって反撃するしかない。


 だが、相手に向かっていくことは、それだけリスクを負うことになる。


 イチかバチかの賭けだ。


「死ねや!」


 速度は申し分なしの右ストレート。


 が、倉瀬はその突きよりも早く動き、冨原の左サイド裏、すなわち攻撃の外側へと軽やかにステップを踏み、片手で右ストレートの拳をさばきながら、交差しつつのカウンター攻撃を放った。


 豪快に振られたアッパー気味の振り突きが、またも水月に叩き込まれる。


「か……はっ!?」


 少林寺拳法の技、水月返し。


「ジジイィィ!」


 横に回り込んだ倉瀬に対し、腰を回転させて、今度は左ストレートを打つ。


 だが、その腕を内受けでいなしつつ、倉瀬は攻撃のインサイドへとあえて正面から入り込み、全身の体重を乗せて、冨原の頸脈へと手刀切りをぶち当てた。


 勢いで吹っ飛ばされる冨原。


 他のヤクザを巻き添えにしつつ、リビングを派手に転がってゆき、庭に通じる窓際まで行ったところで、止まった。


「……?」


 頭を振る。


 おかしい、そんなはずではない。


 自分たちは日本でも随一の戦闘部隊であり、警察だろうが他の極道だろうが、恐れるものなど何もないはずの無敵の集団であるはずだった。


 そのリーダーである自分が、定年間近の老刑事に、素手ゴロで遅れを取っている。一度は攻撃を喰らわせ、しばらく身動きとれなくしていたはずの相手に。


「認めないぜ、爺さん……」


 力の入らない体を無理やり立たせて、冨原はなおも戦闘を続行しようとする。


「俺の親父は、てめえの親父に追放された……暴力を否定されてな」


 足下に落ちていた日本刀を拾い上げる。


「親父は武を極めようとしていた。親父は最強であることを重んじ、暴力を愛した。わかるか? 暴力こそが世界を支配する唯一の真理だからだよ!」


 刀を大上段に構える。


「お前ら警察は俺たち暴力の存在を否定する! それが如何に傲慢か、考えたことがあるか! 暴力があるからこその秩序! ぬるま湯に浸った世界に真の秩序が現れると思うか! 俺たち暴力を司る極道は秩序の担い手だ! てめえら警察じゃねえ!」


 一歩、二歩、と前に進んでゆく。


「俺が背負っているのは、堂坂組なんてチンケな看板じゃねえ。“暴力”の代紋よ。だから負けるわけにはいかねえな」


 あと一歩踏み出せば、倉瀬の顔面を叩き割れる距離まで近寄ったところで、冨原は静止した。


「親父のためにも、てめえには負けられねえ、倉瀬ぇ!」


 踏み込みながらの渾身の斬撃。


 倉瀬の体が、刀の横へと滑らかに流れた。


 まるで山中を流れる清流の如く、柔らかな体さばきで敵の攻撃をかわした後、反撃の蹴りを放つ技。


 その名も流水蹴。


 ズグンと、三たび、冨原の水月に蹴りが突き刺さる。


「ぐっ!」


 ついに冨原は膝をついた。


 手からこぼれ落ちた日本刀が床に突き刺さる。


「お前さんが、私にどれだけ個人的な怨みを持っているのかは知らんが」


 二度と使わせないよう、倉瀬は日本刀を奪い取る。


「そう簡単には負けてはやらんよ」

「……へっ」


 冨原は胸を押さえてうずくまっている。青白くなった顔に笑みを浮かべた。


「さっきは一発でやられた奴が……偉そうに……」

「久々の戦いで、カンが鈍っていたようだ。だが、もう取り戻せた。あとは体がどこまで動かせるか、だな」

「くく……それだけ、動かせりゃ、十分……じゃ……ねえか……」


 敗れた冨原は、なぜか余裕綽々の様子で苦笑している。


「でも、ここまでだな」

「何がだ」

「俺一人倒したところで、何人いると思う?」


 それまで呆然として倉瀬と冨原の一騎討ちを見守っていたヤクザたちが気を持ち直して、各々得物を手に取り、じりじりと倉瀬に向かって迫っていく。


「ここで、死ぬんだよ、お前らは」


 ぜえぜえ、と苦しげに息をつきながら、冨原は倉瀬に指を突きつけた。


 なぜか倉瀬は少しも動揺していない。周りには興味なさそうに腕時計を見ている。


 冨原は異変に気がついた。


「てめえ、なんだ、その様子は……?」

「う、む」

「なんで、焦らねえんだ……?」

「自分で考えろ」


 と言いつつ、倉瀬は腕時計から目を離し、冨原を睨みつける。


「いいか、警察をなめるなよ。お前たち暴力団が暴力を駆使するならば、我々警察は何を使うと思う?」


 屈み込んで、冨原と正面から向かい合う。


「情報力だよ。それも、機動性の高い、な」

「情報力――機動性、だと?」

「世間一般じゃあ、なかなか警察は動いてくれない、ってイメージが強いがな、基本的には警察ってのは動きが早いもんだ。通報を受けてみろ、すぐに現場へ飛んでくるぞ」

「……」

「お前さん、私や上杉刑事に注目していて、そこの八田刑事が何をしていたか、ちっとも気を配っていなかっただろ?」

「まさか」


 冨原は、八田の方を見た。


 ヤクザに押さえつけられている八田は、ひいひい言いつつも、不自然な形で右手をズボンのポケットに突っ込んでいる。ポケットが、何やら細長い物で膨らんでいる。大きさと形からして――携帯電話。


「おい、そいつのポケットを探れ!」


 冨原の命令を受けて、八田を押さえていたヤクザは、ボディチェックをした。


 ズボンの中から、携帯電話が出てくる。


「兄貴! こいつ、こっそり警察にメール出してやがった!」

「ふふふ、どうだ! こんなこともあろうかと、短縮お助けメールを常に送信出来るようセットしていたのだ! 今どきの携帯電話は、画面を見ないでも、メールを出せるのだよ! 愛知県警随一のクレバー警官、八田様をなめるなよ! 憶えておきたまえ、ヤクザくん!」

「うるせえ、このチョビヒゲ刑事がぁ!!」


 ヤクザは思いきり八田の面を殴り飛ばした。


「ほべっ⁉」


 と悲鳴を上げて八田は倒れる。


 倉瀬は痛々しそうに顔をしかめて、なおかつ苦笑した。


「臆病な刑事ってのも困りものだが、こういう荒事の時には非常に役に立つなあ。救援を呼んでもらって、本当に助かった」

「穴隈! 肩ァ貸せや!!」

「もう遅い」


 冨原が逃走のため、手下に怒鳴り声で号令をかけるのと、外からけたたましいサイレンの音が響いてくるのと、ほぼ同時だった。


 あっという間に警官隊が風間邸に突入してきて、次々とヤクザたちを取り押さえていく。


「時間かけすぎたんだよ、お前さんは」

「畜生め!」


 冨原はせめて一矢報いようと殴りかかる。


 が、パアン、と皮と肉の弾ける音が響き、首筋の頚脈へと正拳突きがクリーンヒットした。


 白目を剥き、意識の飛んだ冨原は、倉瀬の足もとに前のめりに倒れ伏した。


 倉瀬の秘奥義、羅漢圧法の炸裂である。


 体勢の虚実をおろそかにした相手の経絡秘孔を突き、血や神経の巡りを遮断させ、刹那の内に肉体の機能を停止させ、ときには気を失わせてしまう。少林寺拳法でも使用出来る者は限定されてくる、秘伝中の秘伝だ。


「残念だ。お前さんとなら圧法勝負も楽しめそうだったのにな」


 好敵手となりえた冨原を見下ろしながら、倉瀬は本当に残念そうに呟く。


 冨原は尋常ではない強さを持っていた。しかし、それを遥かに上回って、倉瀬のほうが強かった。久々の強敵との戦いで、カンを取り戻すのに時間がかかってしまったが、結局まともに勝負したら赤子の手をひねるようなものだった。


 どうせ命がけの戦いを強いられるのならば、もっと戦い甲斐のある強さを持った相手と当たりたかった。


(まあ、よいだろう。本命はお前ではない)


 余計な邪魔は入ってしまったが。


 本当の倉瀬の目標はたった一人。


 後にも先にも、ここへ来た理由は、ただひとつ。


 殺人鬼マッドバーナーの逮捕を狙うのみである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る