第28話 突破口
小夜の脳内に、殺気立った心の声が大量に流れ込んでくる。
頭がパンクしそうになる。
それらの声を振り払うように頭を激しく振った後、
「二神、お願い!」
頼れる自分の相棒に後詰めを任せた。
「はい」
二神は頷くと、一番先頭にいるヤクザの襟首を掴み、あっという間に背負い投げで倒した。
「次、行くぞ!」
大喝してから、次の敵を掴み、今度は肩車で集団の中へ投げ飛ばした。吹っ飛ばされた男に巻き込まれ、他の連中も将棋倒しに倒れる。戦陣は崩れた。二神は果敢に突っ込んでいく。
その間に小夜は二階へと上がった。
(落ち着いて、小夜。冷静にならないと)
だが刑事をやっていて10年近く、いまだかつて、このような暴力の嵐に巻き込まれたことはない。
ここまで警察を恐れず、国家に屈せず、冷酷に殺意をもって襲ってくる極道がいるとは思っていなかった。マッドバーナーと戦う覚悟を持っている彼女でも、こればかりは想定外だ。
それに気にかかることが一つある。
(あいつらは何が狙いなの?)
ユキを出せ、と喚いていた。
小夜は、なぜヤクザがユキを求めているのか、推理してみようとした。が、考えがまとまる前に、部屋の前まで来てしまった。いまはとにかく脱出を優先させないとならない。ユキをこの家から連れ出し、安全な場所まで逃げること。それが現時点での最優先任務だ。
ドアを開けると、部屋の隅で縮こまっていたユキが、不安げに声をかけてきた。
「上杉さん、何が起きてるんですか?」
ユキは階下の様子を見ていないが、穏やかならぬことが起きていると察知したようだ。
「ヤクザが襲ってきた」
「え……?」
「説明は後。一緒に来て。ここから逃げましょう」
口早に言ってユキの手を握る。
刹那。
――逃がしたら兄貴に殺される
窓の外から、声が聞こえてきた。
小夜は舌打ちし、ユキから一度手を離した。敵が壁を伝って、二階の窓まで上ってきている。
そう推測した小夜は、勢いよく駆け出す。
「ちゃんと玄関から入ってきなさい!」
窓に向かって跳び、足刀を蹴り込んだ。蹴りは突き抜け、ガラスが砕け散る。
ちょうどヤクザが二階までよじ上ってきて、窓の向こうに躍り出たところだった。相手は、顔面を思いきり蹴られて、空中に吹き飛ばされた。
「わあああ!」
悲鳴を上げながら階下へ落ちていく。
すぐに小夜は窓から離れた。
「邪魔が入ったわ。さ、逃げるわよ」
「あ――――」
「ユキ?」
「どうして――何が――なんで」
突然の襲撃に対応しきれていないユキは、パニックを起こしている。無理もない。マッドバーナーが襲ってくるものと思っていたのに、なぜか現れたのは凶暴なヤクザの集団なのだから。
それも尋常な様子ではない。
恐慌を来たしてしまうのも当然のことである。
しかし、いまは一分一秒でも惜しい。
「しっかりしなさい」
ピシ。
ユキの頬を、小夜は軽く引っぱたいた。
「理由はあとで調べてあげる。いまは逃げることだけ考えていなさい」
「は、い」
痛みで少しだけ正気に戻ったユキは、打たれた頬を押さえて、目を丸くしている。呆然とした表情で、機械的に頭を上下に頷かせている。
とりあえず言うことを認識してくれるようになっただけマシだ。
小夜は廊下に飛び出た。
「死ねやあ!」
階段の方から二人のヤクザがドスを振り回して突っ込んでくる。相手が刑事だろうと構わない様子で、血に飢えたヒットマンたちは突撃してくる。
――ぶっ殺す!
背後から声が聞こえてくる。
小夜は振り返りざまに、後ろ回し蹴りを放つ。
隙を突いたと油断していたのか、背後から奇襲をかけてきたヤクザは、頭部に蹴りを喰らい、そのまま壁に頭蓋を叩きつけられた。白目を剥いて倒れる。
間髪入れず、ドスを持って突進してくる二人のヤクザの方へと向き直る。一番先頭のヤクザが突き出してきたドスを横にさばいてかわすと、相手の喉仏のあたりを手刀で強打した。
「かっ」
呼吸困難になり、喉元を押さえるヤクザの顔面に、小夜は肘打ちを当てた。ゴキリと鼻の骨の砕ける感触が肘に伝わる。口や鼻から盛大に血を噴いて敵は倒れる。だが、ただでは寝かせない。
小夜は敵の手よりドスを奪い取った。
「こんガキャア!」
続けて襲いかかってきたヤクザのドスを、小夜は奪い取ったドスで正面から受ける。火花が散る。相手が構え直す前に、自分の刃を滑らせ――不意にくるっと手首を返して、相手のドスを弾き飛ばした。
弾き飛ばされた相手のドスが、壁に突き刺さる。
「あ、れ?」
手ぶらになってうろたえる相手の、足の甲めがけて、小夜は屈みながらドスを突き刺した。
「ぎゃあああ!」
革靴ごと足を貫かれて、絶叫を上げるヤクザ。その金的を膝で蹴り上げた。くふん、と変な声を上げて、ヤクザはその場でうずくまる。
小夜は敵が無力化したのを確認すると、壁際に避難していたユキの手を取った。
階段まで一気に駆けてゆき、ノンストップで一階に下りていく。
リビングルームに躍り出た瞬間、小夜は固まった。
二神が頭から血を流して倒れている。
日本刀を持ったスキンヘッドの男が、すわった目で小夜を見据えた。
「よう。残念だったな」
おそらく二神はスキンヘッドの男と戦い、敗れたのだろう。息があるのかないのか、わからない。どちらにせよ出血が激しい。命に関わる深手を負っているのは間違いない。
「やって、くれるわね……」
小夜は状況を確認する。
八田刑事は敵に捕まり、ひゃあひゃあと悲鳴を上げている。
倉瀬は散らばった食器に埋もれたまま動かない。
二神は血を流して倒れている。
窮地に追い込まれた。相手は最初からこちらを殺すことも辞さない気でいるから、どんな交渉も通じそうにない。いや、自分に限っては命を失う程度では済まないかもしれない。
男たちの欲望にまみれた心の声が聞こえてくる。
一部の連中は、自分だけでなくユキまで欲望の対象に含んでいる。全部で三十人はいそうなヤクザたちの、汚らしい妄想を否応なしにぶつけられて、小夜は嫌悪感で吐き気を覚えた。
そのとき。
倉瀬の意識が頭の中に飛び込んできた。
――く、体が動かん。なんて威力だ。早くしないと上杉刑事が……
どうやら、気を失ってはいないようだ。
(どうする?)
倉瀬が復活するのを待つか?
しかし、この多勢を相手にしたら、今度こそ倉瀬はあの世行きだろう。
他人任せにして、みすみす老刑事が殺されるのをよしとするのか? だが、このままでは、どちらにせよ全滅は時間の問題だ。
誰かが犠牲にならなければ、この場を逃げ延びることは不可能だ。
「姉ちゃん、調べたけどよ。刑事部の“黒猫”の小夜、って言うんだってな。いい名前じゃねえか。俺ァ、猫好きでよ。家にも三匹くらい飼っているんだ」
もう勝負は決したと思っているのか、スキンヘッドの男は語り始める。
小夜は油断せず身構えたままでいる。その背後に隠れて、ユキはガタガタと震えている。
「で、個人的にはあんたは見逃してやりてえんだが、そうもいかねえ。ここで五体満足で返したら、どんな報復があるかわかったもんじゃねえ。今後の活動に支障が出るのだけは困るんだよな 《マフィアと三元教の壊滅を前にして》」
スキンヘッドの男の心の声が聞こえた瞬間、小夜は閃いた。
時間稼ぎが出来るかもしれない。
「その活動って、チャイニーズマフィアと、三元教を叩き潰すことでしょう?」
「……あ?」
どうも極秘事項だったらしい。
周りのヤクザたちがどよめいている。聞こえてくる心の声を取捨選択して、興味ある情報だけピックアップしていくと、何やらチャイニーズマフィアの殲滅については聞かされているが、三元教を滅ぼすことについては初耳だったようだ。
「てめえ、何をほざきやがる 《俺と幹部連中しか知らねえ情報を、なんでこいつが》」
スキンヘッドの男の様子が一変した。
いける。小夜は次の一手を試行錯誤した。
「私が何で“黒猫”と呼ばれるか、わかる? どんな場所でも猫のようにこっそりと入って、情報を好き放題漁れるからよ。当然、あなたの組の幹部からも情報は頂いたわ」
「なにぃ? 《裏切り者か? 誰だ》」
「知りたい? 誰から情報を手に入れたか。でも、駄目。ま、あなたや幹部連中が、どうして三元教まで倒そうとしているのか、自分の口から教えてくれるのなら、裏切り者の名前を言ってもいいけど」
「ふざけるな!」
怒号するスキンヘッドだったが、これは小夜の罠だった。聞き出したい情報をわざと相手にぶつけることで、少なからず、相手はその情報について思考を巡らせてしまう。上手くいけば、相手が秘密事項についてあれこれ考えて、知りたいことを全て読み取れる場合もある。
“黒猫”小夜だからこそ可能な、究極の尋問技術。サトリの技。
例に漏れず。
スキンヘッドは、ある単語を、コンマ数秒だけ思い浮かべていた。
――シリアル・キラー・アライアンス
「……?」
聞きなれない単語だ。
警視庁の裏組織、特殊犯罪対策課に所属する自分ですら、一度も耳にしたことのない言葉。
「シリアル・キラー・アライアンス。『連続殺人鬼連盟』、とでも呼ぶのかしら」
それは独り言のつもりだった。
だが、スキンヘッドの男は違ったニュアンスで受け取ったようだ。
「てめえ、そこまで知っているのか……?」
よろめくスキンヘッド。
ふと、小夜は、ユキが先ほどから自分の袖を引っ張っていることに気がついた。
(邪魔しないで)
(違うの、上杉さん。私の能力)
(能力?)
ユキの手を振り払おうとした小夜だが、あまりにも彼女が必死な表情で、自分の腕をグイグイと引いていることに気が付き、その意味を考えたあと、
(あっ)
ハッとなった。
(能力、ね?)
目で問いかけると、ユキは真剣な表情で、力強く頷く。
(うん)
最も最良な道を選ぶことの出来る、超直感力。先読みの力。
(左?)
ユキに引っ張られるまま、小夜は体を左へ、左へと進ませていく。
その動きに合わせて、ヤクザたちも目線を移動させる。敵の誰もが小夜に注目している。
(どうするの? これで。みんなが私たちを狙っている。逃げようがないわよ)
ユキは、それでも左へ左へと誘導していく。
(大丈夫)
心の声が流れてくる。
(私を信じて。よくわからないけど、これが一番いいの。左へ寄るのが。そんな気がする――あ、もういい! ここまで。ここで止まって。もう動かないで)
止まる?
敵に囲まれた中で、動きを止めて、何をするのだろうか?
誰もが気が付いていない。
ちょうど、小夜とユキの体の陰になって――倉瀬が食器を少しずつどかしながら、戦線に復帰しようと準備している様子が、上手く隠されていることに。
「女ァ」
スキンヘッドは、日本刀を振りかぶった。
「どこで、その情報仕入れたのかは知らねえが、首を突っ込みすぎたな。シリアル・キラー・アライアンス――SKAはな、触れちゃいけないダークサイドだ。てめえは知り過ぎた」
「情報管理が甘い、あなたたちの責任でしょう」
「言ってくれるぜ」
一歩、また一歩と、歩み寄ってくる。
周りのヤクザたちも、小夜が逃げ出したら押さえ込もうと、スキンヘッドをサポートするように周囲を固めている。
逃げ場がなくなっていく。
「ユキちゃん」
小夜は、ユキを見て微笑んだ。
「逃げて。私が盾になるから」
「そいつァ、殊勝な心がけだな!! じゃ、死ね!!」
スキンヘッドが跳躍する。
白刃が、室内灯の光を受けて眩く光った。
いきなり、小夜とユキの背後から何者かが飛んできた。
スキンヘッドの手をめがけて、飛び足刀蹴りを放ち、日本刀を叩き落とした。
「なっ!?」
驚愕するスキンヘッド。
着地したその直後――パンチが飛んでくる。
頬骨が砕かれんばかりの勢いで、顔に拳がめり込んだ。咄嗟に身を退いて衝撃を和らげたスキンヘッドは、間合いを離して構え直す。
「ジジイをなめるな」
倉瀬だ。
倉瀬が復活したのだ。
スキンヘッドのヤクザ冨原を殴りつけた体勢のまま、倉瀬は、ギロリと周りのヤクザをひと睨みする。
敵は全員震え上がって、一歩退いた。
「いま、上杉さん!」
「ええ!」
倉瀬を残すのは気が引けたが、小夜とユキは、硬直したヤクザたちの間をすり抜けて、庭から外へと抜け出した。
「この、クソジジイが!」
冨原は憤怒で頬を紅潮させ、倉瀬と正面から向かい合う。
「第2ラウンドでKO負け。それがお前の末路だ。来い、チンピラ坊主」
倉瀬が手招きをする。
「てめえは刻んでやるよ! 五寸刻みに刻んでやるよ!」
腰からドスを引き抜き、冨原は金切声を上げる。
二人は再び激突した。
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