第25話 風間邸

 小夜は神領の町並みにどこか親しみを感じた。


 遠くに山が見える閑静な佇まい。町を横断するように川が流れている。その川とクロスして東名高速道路が走っているのを、駅のホームから眺めることが出来る。


 昔から小夜は道路が好きだ。


 大きければ大きいほどいい。一般的には高速道路は景観を壊すと不評な存在であるが、小夜にとってはむしろ高速道路があると、平凡な風景の土地でもひと際光り輝いて見えてくる。


 道路は色々な土地と通じている。その先にまだ見ぬ世界があるのかと思うと、小夜は心がときめいてくる。だから道路が好きだ。例えばこの東名高速道路であれば、東へ針路を取れば、この名古屋から一気に東京まで行ってしまう。


 離れた土地と土地が繋がっている感覚。その感じが小夜にはたまらない。


「上杉小夜さんですね」


 不意に横から声をかけられ、小夜は振り向いた。


「愛知県警の八田義臣はったよしおみと申します。以後、よろしくお願いします」


 時代錯誤の立派な口髭をたたえ、刑事というよりもまるで明治大正の憲兵のような風貌の男だ。体格は並であるが、背丈は大柄な二神に負けず劣らず高い。


 小夜は無愛想に会釈をする。


 もう倉瀬も二神も、八田への挨拶は済ませたようで、改札の近くで小夜と八田の二人が来るのを待っている。


「ちょうどお昼ですね。どうですか、美味い定食屋があるんですが」

「ありがたい。案内してくれるか」


 倉瀬の言葉に、八田は大きく頷いた。


「喜んで。名古屋名物ってほどのものは出ませんが、きっとえらい気に入りますよ」


 駅そばの駐車場に入ると、八田はリモートキーのボタンを押した。


 ガチャリとロックの外れる音がし、エリシオンのヘッドランプが点滅した。


「随分と高い車に乗っているんですね」


 車好きの二神が、助手席に座りながら目を輝かせている。


 八田は自慢げに笑った。


「うちのカミさんの実家は寺なんですよ。義理の父が見栄っぱりで、私に、『どうせ車を買うなら、それなりのものを買いなさい』と、大枚はたいてくれましてね。お陰様で、中小企業の重役クラスが乗りそうな車を、私ごときが運転出来るってわけですよ」

「八田さんは神領に住んでいるのですか?」


 気が合うのか珍しく二神の口数が多い。


「ええ。愛知ではまだマッドバーナー事件は起きていませんからね、担当なんてもんはいないのです。で、こっちでは誰が応対するかという話になった時に、地元の者である私なら適役だろうと選抜されたわけです」

「なるほど」


 エンジンを入れると、車内に大音量でロックが流れ出した。


 レッド・ツェッペリンの『移民の歌』だ。


 八田は照れ臭そうに笑い、急いで音量を下げた。


「いや失礼。CDを入れっ放しにしていたのを忘れていましたよ 《俺がツェッペリンを聞くなんて意外性があって格好いいだろ……》」


 ハハハと快活に笑う八田。


 それに合わせて一同も和やかに微笑んだが、小夜だけはある一点が気になって、皆と共に笑うことは出来ずにいた。


(愛知県警は一人だけしかよこさなかった)


 警備体制が緩ければ緊急事態に対応しきれない。確証がないのだから仕方がないと言えば仕方がないのだが、それにしてもマッドバーナー事件を侮り過ぎているとしか思えない。


(取り返しのつかないことになってからでは遅い)


 小夜はマッドバーナーを倒すことを第一に考えている。


 それなのに真剣に取り合ってくれない愛知県警の態度が、実に歯がゆかった。


 ※ ※ ※


 昼食を食べた後、一行はユキの実家まで赴いた。


 人気の少ない住宅街の中に風間邸はあった。


 敷地は広い。だが家の概観自体は極めて普通の住宅である。もっと新興宗教の家らしく、妖しげな偶像やオブジェクト飾られているのかと想像していたので、小夜は拍子抜けしてしまった。


「ただいま」


 ユキは邸内に呼びかけた。


 誰も出てこない。


「……ただいま」


 もう一度声をかけたが、やはり反応はない。


「いつもこうなのか?」


 倉瀬に問われて、ユキは頷いた。


「父も母も布教活動で日本全国飛び回っているから、仕方がないです」


 リビングルームに入ると、洒落たピアノが壁際に置いてあるのが目についた。ピアノは大正浪漫の香り漂わせるアンティークに近い作りで、飾っているだけでも美しい。その上に写真がいくつか飾ってある。ユキと家族の写真のようだ。


 小夜はそれとなく写真を一枚一枚チェックした。


 ユキの父である風間清澄は、週刊誌やネットで流通している写真と印象は変わらない。西洋人にも見える、彫刻のような顔をした美男子で、ただ写っているだけで貫禄が出ている。テレビのニュースで清澄の演説している様子を見たことがあるが、心地良い重低音の声音で、声量豊かに、世界のあり方について滔々と語っていた。信者を順調に増やしているというのも無理からぬ雰囲気だった。


 ユキの母親は初めて見る顔だった。夫婦で布教活動をしているというのであれば、メディアに露出してもいいようなものだが。美しく、気高い、聖母のような気品を持っている。写真だけでもただ者ではないことを感じさせる。


 口髭をいじっていた八田が、黙ったままでいる小夜にしびれを切らして、声をかけてきた。


「で、どうしますか? この家に待機したまま、イブが過ぎるのを待ちますか?」

《勘弁してほしいぜ、今日はキャバクラで馬鹿騒ぎしたいのに……》


 八田の心の声が聞こえて、小夜は内心苦笑した。


「そうですね」


 唇に手を当てて、考える素振りをする。


「いっそ繁華街でも行ってキャバクラで馬鹿騒ぎでもしますか。マッドバーナーにこの家の場所も割れているでしょうし。八田さん、お好きなんでしょう? 今頃だったらサンタクロースのコスプレした可愛い子がいっぱいいますよ」

「えっ」


 八田の額に脂汗が浮かぶ。


「は、はは、何を。私は妻帯者で刑事ですよ。そんな場所で遊ぶわけが」

「そうですか」


 冷笑する小夜に、邸内をくまなくチェックしていた倉瀬が、「おい」と厳しく声をかけた。


「失礼なことを言うんじゃない。協力してくださっている県警の方だぞ。何を知っているのか知らんが、言葉には気をつけなさい 《さすが“黒猫”の小夜、愛知県警の刑事の情報まで知っているのか。確かにやり手だ……》」

「そ、そうですよ。やだなあ、上杉さんは。ハハハ 《このアマ……》」


 立派な見た目と裏腹に、八田の内面にはかなりのギャップがある。正直、頼りない。


 小夜は肩をすくめた。


 その時、隣の部屋から怒号が聞こえてきた。


「誰だ!」


 室内をチェックしていた二神の声だ。


 小夜と倉瀬は、八田にユキを任せ、二神の所へと駆けつける。


「何があったの?」


 声をかけながら二神の体に手を触れる。


 直接相手の体に触っていると、考えていることがダイレクトに小夜の頭の中に流れこんでくる。


 小夜の質問に対し、二神の脳内で記憶の映像が構築されていく。庭の中に隠れていた少年が、二神に見つかって、慌てて垣根の向こうへ飛び越えて逃げてゆく光景が小夜の脳内に流れ込んできた。


「ストーカー?」

「あるいは泥棒かもしれません」

「きっと泥棒なんかじゃないわ。さっき電車の中でユキちゃんに聞いた。前に付き合っていた同級生の男子にしつこくされてて困っているって。きっとその男よ」


 言い終わるや否や、小夜は庭に飛び出し、垣根を飛び越えて道路に出る。道の向こうを少年が走っていくのが見える。


 ストーカーが目の前に現れたのに、刑事として無視をするわけにはいかない。今はマッドバーナーが最優先事項だが、どうせこの時間帯には現れないし、男の刑事が三人もいるのだ。心配は要らない。


 ユキのためにも、あの少年にお灸を据えておく必要がある。


「二神、ユキちゃんのことは頼んだわ!」


 家の中に大声で呼びかける。


「上杉さん、待って――」

「待たない」


 二神の制止を無視して、小夜は駆け出そうとする。


「止まらんか!!」


 倉瀬の怒声が外に響いた。


 小夜は踏み出しかけた足を止め、ゆっくりと倉瀬の方を向いた。


「今は我々がすべきことに集中するんだ。もし万が一、この直後にマッドバーナーが現れたらどうするんだ。戦力は一人でも多いほうがいい。冷静になれ」

「……ええ」


 仕方なく小夜は従った。どちらにせよ少年の姿は見失っている。


 が、遠くを逃げている少年の声だろうか。


 ノイズ混じりの中、微かに聞こえた小さな心の声は、こう言っているように聞こえた。


――ユキを殺したい


(逃していいとは思えない)


 ここで捕まえなければきっと大変なことになる。


 将来に禍根を残してしまった気がして、小夜は心安らかでなかった。

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