第24話 Girl The Decoy

 一行は名古屋駅に到着してから、JR中央本線の神領駅へと向かった。


 小夜の隣に座った倉瀬は、名古屋駅の売店で買った地図を広げて、神領一帯の道を確認している。その熱心な様子に、小夜は思わず肩をすくめた。


「マメなんですね」

「土地勘のない場所だから、あらかじめ地図を頭の中に叩き込んでおきたい」

「そこまでする必要ありますか」

「仮に必要ないとしても、私にとっては験担ぎなんだ」

「アナログな人」


 小夜は冷笑を浮かべた。


「私は、験を担ぐとか、そんな非論理的なことに興味はありません」

「非科学的、とは言わないのだな」


 地図から目を離さずに倉瀬は呟く。


 その物言いに何か不穏なものを感じ、小夜は小首を傾げる。


「何か?」


 倉瀬は顔を上げる。


「『験を担ぐ』という発言に対しては、普通は『非科学的』と返すものじゃないかな。一般的には」

「だからなんでしょうか」

「ちょっと違和感を感じた程度だ。忘れてくれ」


 再び倉瀬は地図へと目を戻す。


 その心の声が聞こえてくる。


《……この女は何かがおかしい……》


(この刑事)


 小夜は、想像していたよりも倉瀬の持つ直感が鋭いことに驚き、また警戒心を抱いていた。侮れない。下手を打つと、その直感だけで裏に隠された秘密まで辿り着いてしまうかもしれない。


 小夜が公安部の特殊対策課という秘密組織に所属していることも知ってしまう恐れがある。


(あるいは私と同じ、人外の才能を持っているのかも。余計なことは口走らない方がいいわね)


 小夜の相手の心を読む能力と同じようなもので、倉瀬には人並み外れた直感力があるのかもしれない。


 ふと、ユキのほうへと目を向ける。


 ユキは二神と親しげに話している。


 口数の少ない二神であるが、愛想が悪いわけではない。ユキに話しかけられるたびに、わずかに微笑みながら、静かに相槌を打っている。


(……っ)


 ユキの楽しそうな表情を見ていると、小夜はなんだか胸の内に苛立ちを感じてきた。ユキは、どこか亡くなった恋人のエリカと似ているところがある。最初にユキを見たときから、捨てられた仔犬のような雰囲気が、どこかエリカと似通っていると思っていた。


 軽い嫉妬の念が湧いてくる。


 二人の心の声が、ノイズ混じりに聞こえてくる。距離が離れていると、それに比例して、聞こえてくる言葉の音質は落ちていく。少し離れた席に座っている二人の場合、なんとか聞こえるレベルでしかなかった。それでも弾んだ調子の二神の心の声が聞こえ、小夜はムッとした。


「二神」


 小夜は荒い口調で、自分より年下の同僚を呼んだ。


「はい」


 柔道有段者の二神は、熊のように大きな体をのそりと立たせて小夜のそばへ寄ってくる。


「席を代わって。老人の相手は飽きた」

「はい」


 小夜が席を立ったのと入れ代わりに、二神は倉瀬の横に座った。。


《もう少しユキさんと話していたかったが……》


 小夜は心の声を聞いた後、とりあえず二神の頭をビシリと叩いた。


「すみません、上杉さん 《いけない、何か気に障ることをしたな、自分……》」

「別に怒っていない。怒っては」

「そうですか 《怒ってるんだな……》」

「あとは頼んだわ」


 自分の過失について色々と考えている二神を残して、小夜はユキの所へと向かい、隣の席に座った。


 ユキは身を強張らせる。


「はい……? 《なんだろう。また尋問されるのかな……》」


 身構えるユキに、小夜は冷ややかな目を向ける。


「何もしないわ。心が読める、って言ったでしょう。この間あなたに質問して、本当に何も知らないことがわかったから。それにあなたの能力も」

「そう 《厄介な能力……》」

「横浜の事件については知っているわ。どこで拳銃を手に入れたのかは知らないけど、相当切羽詰っていたみたいね。人を一人殺してしまうなんて」

「私も気分は悪かった 《でも父を倒すためには、どうしても必要なことだった……》」

「そう、それ。そのことを私は知りたいの」

「どれ? 私が考えていたこと?」

「ずっと心の声が聞こえていたから、よく知っているわ。あなたは父親である風間清澄を倒そう、と考えている。だけど、その理由は決して心の中にも上がってこない」

「そのはずです。私には先を読む力があるから。どんな行動を取ればどんな結果が待っているのか、浮かび上がったイメージの通りに動けば、必ずその通りになります。自分自身にとって最良の選択肢は、常に優先的に頭の中に映し出されます。だから私は父を倒すべきだと信じている。でもこれから何が起こるのかは、わからない」

「予想は出来る?」

「きっと上杉さんが教えてくれた、父とチャイニーズマフィアのつながり、それがこの先に関わってくるんだと思う」

「何かとんでもないこと。テロとかかしら」

「近いかもしれない。でも、もっと……もっと人が死んでいる。まるで戦場のように。頭の中に浮かぶのは、父のせいで多くの人が血を流して死んでいる、そんなイメージ」

「そうやって浮かんだイメージは現実のものになる。だから父親の暴走を未然に食い止めようとしている」

「ええ」

「だからって人を殺したのはまずいわね」

「私も反省はしています。でも後悔はしていない。私の行動の結果に間違いはありませんでした。私は自分の能力を信じています。多くの人を救うために、あの日ダンスクラブで殺してしまった女の子は、死ぬべき運命だったんです」

「よくもまあ、そんなことを開き直って言えるわね」


 そう言ったところで、小夜は自己嫌悪の感に襲われた。偉そうに説教しているものの、自分だってマッドバーナーを殺そうとしている。しかもユキを囮にするという非人道的な行動を取って。そんな自分が、果たしてユキのことを非難出来るだろうか。ユキを責められるほど自分だって立派ではない。


「で、あなたは本当にマッドバーナーは現れると思う?」

「現れます。間違いなく」

「と、あなたが主張するから、私が無理を通したのよ。東京で警察に護衛されたままのほうが、マッドバーナーにとっても居場所を特定しやすいし、一石二鳥だと思っていたのに。これで現れなかったらどうするの」

「わざと私の住所を教えているんです。絶対に来ます」

「それで来るようなら相当な間抜けね。普通は罠だと思うわ」

「マッドバーナーは普通じゃないでしょう」

「それでも現れるとは思えない」

「なんだか逆に、『現れてほしい』みたいな言い方ですね」


 さすがにユキはムッとした表情で小夜の顔を睨んだ。


「そんなに出てきてほしいなら、私に言われるまでもなく、最初から実家へ帰せばよかったじゃないですか。事情聴取は名古屋でも出来たでしょ? 警察の方針はどうなっているんですか?」

「それは――」


 小夜は言葉に窮する。


 実際、ユキの疑問はもっともなことである。


 これに関しては、マッドバーナー事件というものが如何に日本の犯罪史上特異な事件であるかを考えれば、捜査方針や対策に様々なブレが出るのも仕方のないことであると言える。


 まずユキの話自体、本当のことであるかそうでないか念入りに検証する必要があった。ユキの話が愉快犯的な偽情報である可能性は否定出来ないのである。その判断にかなりの時間を要した。


 ユキを伴って、マッドバーナーと出会ったという現場検証を行ったり、あれこれ雑事をこなしているうちに、あっという間に一ヶ月が経ってしまったのだ。


 結果、ユキの言葉の真偽は掴めなかった。とりあえず小夜の提案もあり、それなりの警護をつけた上で実家へ帰すこととなったが、いち少女の通報レベルであることに変わりはないので、表面上はそこまで大きく動いていない。


 無視するわけにはいかないが、しかし完全に信用することも出来ず――それでも、あわよくばマッドバーナーが本当に現れたら逮捕してしまおう、という虫のいい考えもあって、散々東京に拘束しておきながら、今さらユキを実家へ戻す運びとなったわけだ。


「警察の不備は否定出来ないわ、ごめんなさい」


 素直に謝った。


 車内のアナウンスが、間もなく神領駅であることを告げる。


「学校、長期で休みを取っていたけど、大丈夫?」


 気まずいまま電車を下りるのも嫌だったので、小夜は話題を変えた。


「勉強については、すぐ取り返せると思います。でもちょっと……」

「どうしたの?」

「最近まで付き合ってた人の様子がおかしいの。東京に行く一ヶ月くらい前に別れたんだけど、それ以来ストーカーみたいに頻繁にメールを送って、電話もかけてきて。こっちに戻ってきたら、彼にどんな顔して会えばいいのか、ずっと悩んでいたんです」

「諦めの悪い奴ね。女の子は一度相手を嫌いになったら、滅多なことじゃヨリなんて戻さないのに」

「ですよね。私は別に嫌いになったわけじゃないんですけど、気持ち冷めちゃって。私はただ、これから先のことを考えると一緒にはいられないから、別れるべきだと思ったんです。もちろん、彼にとっては私の事情なんてどうでもいいことでしょうけど、それでも――」


 その時、電車は神領駅に到着した。


「着いたわね」


 小夜は立ち上がった。ここで愛知県警の人間と合流する予定になっている。


 いよいよ対決の時が近づいてきた。本当にユキの読み通りマッドバーナーが現れるのであれば。


「現れます」


 ユキが、電車を下りようとする小夜の後ろから、強い口調でそう言った。


 ホームに降り立った小夜は、振り返って、後から出てくるユキを見つめる。ユキは小夜に向かって苦笑してみせた。


「私の勘ほんとに当たるから」

「そうみたいね」

「だから上杉さんの恋人の敵――きっと、討てますよ」

「だったら嬉しいわ。でも敵よりも何よりもまずはあなたの身の安全を確保するわ。こんな作戦を立てておいてなんだけど、私だって刑事の気持ちを忘れてはいないわ」

「ありがとう 《でも、あなたは刑事としての使命感よりも、復讐者としての想いを第一にしている。そうでしょう?》」


 ユキの心の声を聞いてしまった小夜は表情を曇らせた。


 否定出来ない。ユキを囮として、マッドバーナーへの復讐を果たそうとしている。なんとしても成し遂げたい。そんな自分の気持ちに嘘はつけなかった。

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