第23話 エリカ

 ―2008年12月24日―


 とうとうクリスマスイブを迎えた。


 マッドバーナーはまだ現れていない。


 今年はターゲットがはっきりしているので、これまでと状況は異なる。どの土地の誰が犠牲になるのか、ジリジリと待つ必要はない。


 ユキが嘘をついている可能性もあったが、彼女の様子は非常に落ち着いており、不自然な点は見られない。確証はなくとも、状況から判断して彼女が警察を騙していることは考えにくかった。


 だから警察も12月中旬過ぎから、ユキの警護に本腰を入れていた。


 今度の話が本当だとしたら、未然に犯行を防げるだけではない。上手くいけばマッドバーナー逮捕に結びつくかもしれないのだ。


 この日、倉瀬と本庁の刑事ペア、合わせて三人でユキを護衛しながら、新幹線で名古屋まで向かっていた。


 わざわざ実家のある地まで戻るのはあまりにも危険だと倉瀬は主張していたが、


「マッドバーナーを逮捕するには、あえて彼女を囮にして奴を誘き出す必要があるわ」


 と上杉刑事に諭され、渋々承諾していた。


 だが納得はしていなかったようで、新幹線が小田原を過ぎた頃、倉瀬は上杉刑事に釘を刺してきた。


「奴が現れなければそれが一番いい。何もユキさんを危険にさらす必要はない」

「そうですね」


 小夜は相槌を打った。


 嘘だ。本当は(現れてほしい)と願っている。


 彼女にとってこれは千載一遇のチャンスなのだ。ユキを囮にすることにそれほど罪悪感は抱いていない。


 大体、マッドバーナーが現れてほしいと望んでいるのは小夜だけではない。


《……今度は逃すか……》


 倉瀬の心の声が小夜の脳内に響いて聞こえる。


(ま、そんなもんでしょうね)


 どんなに取り繕っても考えていることはみな自己中心的なものである。人間の思考回路なんてそれほど上等なものではない。特に男はいつだって下等な存在だ。表面上は大物ぶって、豪快に見せようとしているが、その中身まで大物であった試しがない。


 男を見下しているわけではない。しかし心の中を読める小夜にとって、偉ぶった男ほど信用出来ないものはなく、必然的に交流を避けていた。


 そもそも。


 小夜は異性には興味がない。


 男の心の中を覗いていたせいで、後天的にそうなったのか、生まれつき小夜の心はそう出来ていたのか。


 彼女は同性しか愛せなかった。


 かつて小夜には心から愛せる女性がいた。


 その恋人は五年前、大阪でマッドバーナーに焼殺された。


 倉瀬泰助も関わっていたあの事件で。


 ※ ※ ※


 小夜は物心ついた時から人の心を読めていた。


「パパ、一〇五って、なに?」


 6歳の時、父が頭の中で考えていたことを読み取ったことで、父には自分の能力を知られた。


 幸運と言える。最初に彼女の能力を見出したのは、小夜にとってこの世で誰よりも信頼できる男だったからだ。


「いいか小夜。その力は絶対に外では知られないようにするんだ」

「どうして?」

「外の世界の連中は、理解出来ないものは力でもって排除しようとする。人種差別、性差別、この世界に蔓延するあらゆる差別は、理解できないことから生まれる。だから、お前のその誰にも理解されない不思議な力のことは、胸の内にしまっておきなさい」

「……?」

「お前には難しい話だったな。とにかく俺の言うことを聞くんだ。学校でも友だちの家でも、絶対に能力を持っていることを悟られるな。いいな?」

「うん」


 厳しく注意する父に、小夜はすっかり萎縮してしまった。


 しかし、その時の注意の言葉があったからこそ、今まで自分の能力を他人に明かすことはなく、今日まで何事もなく生きてこられた。


 そして京都大学に合格し、父と同じ警察官となるため脇目も振らず勉強し続けていたあの頃。


 常に国家公務員試験の参考書を片手に、キャンパス内を急ぎ足で歩いていた、余裕のなかった自分の前に、彼女は現れた。


 島谷エリカ。


 仔犬のようにコロコロと笑う、ふっくらとした印象の可愛らしい女性だった。彼女もまた自分と同じ悩み――女性しか愛せない――を抱えていた。


 同性愛者同士だから恋人同士になるとは限らない。だが彼女たちは相性が良かったのだろう。


 すぐに二人は深い関係となった。


 周囲で噂されているのを知っていたが、構わず小夜はエリカと交際を続けていた。愛しているから愛すのであり、その相手はただ同じ女の子であるという、それだけの話である。


 とは言え自分たちに対する心の声が聞こえてくる。


 低俗で、卑猥で、狭量な、聞くに堪えない暴言の数々。


 小夜はノイローゼ気味になり、ますます人間が信用出来なくなった。


(私が愛せるのはエリカだけ。彼女だけが信用出来る)


 国家試験に合格し、エリート警察官の第一歩を踏み出した時でも、小夜は一生エリカと共に歩んでいこうと思っていた。掛け値なしに彼女を愛していた。


 その心の支えが、マッドバーナーによって一瞬の内に消し炭にされてしまった。


 以来、小夜は人生の楽しみなど何ひとつなくなり、ひたすらマッドバーナーを追うだけの復讐者と化していた。


 このことは、警察関係者では彼女の父しか知らないことだ。


 何も知らない上層部は、普通に小夜をマッドバーナー特別対策本部に配属させた。もし事情を知っていたら、私情が入るからと、絶対に小夜をメンバーから外していただろう。


 誰も、小夜と5年前の犠牲者との関係を知らなかった。


 ※ ※ ※


 新幹線は熱海に到着した。


 目的地の名古屋まで近付きつつある。


(本当は怖い。でもエリカ、あなたのために)


 小夜は財布に忍ばせているプリクラを取り出した。小夜は恥ずかしいからと散々嫌がったのだが、エリカに、「ええやん、ええやん」と袖を引っ張られ、仕方なく一緒に撮った写真だった。初めて一緒に旅行に行った、あの時の写真。東京の小夜の実家へ戻るついでに観光をして、東京タワーの展望台にあるプリクラで撮影したもの。


 満面に笑みを浮かべてピースをしているエリカの横に、口を閉じて不機嫌そうな顔をしている自分が写っている。


(もっと笑えば良かったかな)


 他の写真でも小夜は笑っていない。


 エリカの納棺の時に思い出の写真を入れたが、その全てが笑っていない自分の写真だった。


(つまらない写真ばかりでごめん。でも、マッドバーナーを殺したらきっと私は笑える。その時はあなたの墓前でいっぱい笑ってあげる。笑ってあげるから……)


 緑濃い景色をぼんやりと眺めながら、小夜は死んだエリカに決意を表明した。


 もうすぐ敵を討つから、あとちょっと辛抱して――と。

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