第22話 黒猫

 マッドバーナーに命を狙われている、と少女が訴え出てきたことで、署内は大騒ぎになっていた。


「イタズラでは?」


 と最初は疑っていた藤署長も、少女の必死な様子を見て、どうも冗談ではないらしいと途中から認識を改めている。それだけ少女の怯え方は真に迫っている。


 少女、風間雪季は、夜の住宅街を歩いている時にマッドバーナーと出会い、殺人の予告を受けた――と話した。その説明に不自然な様子はなかった。


 解せないのは、なぜ倉瀬のことを知っていて彼に助けを求めてきたか、ということである。


「以前、お世話になったことがあります」


 少女はそう弁明したが、倉瀬は彼女のことはまったく見覚えがなかった。


 さすがにその点については嘘をついているとわかったが、だからと言って助けを求めてきている少女を無碍にすることもない。


 とりあえずは聞き流してあとで詳しく質問すればいい、と倉瀬は考えた。


 その晩遅くになって、やっと本庁から男女一組の刑事がやってきた。


 一人は倉瀬よりもひと回り大柄な体格の男。


 もう一人はスレンダーで背の高い美人だった。


「本庁からやってまいりました上杉小夜さよです。こちらは二神秋山ふたがみしゅうざん


 女刑事の上杉はテキパキとした動作で警察手帳を出し、倉瀬に内容を確認させた後、さっさと手帳を胸ポケットにしまった。こういうのを鷹のように鋭い目と言うのだろうか、と倉瀬は考えてみる。鷹というほど細目でもないが、放たれる眼光の鋭さは、まさに獲物を駆る猛禽の目のような迫力がある。


 その鋭い目で、倉瀬の横にいるユキを一瞥した。


「その子を一時貸して頂きます。改めて事情聴取をさせて頂きたく」


 有無を言わせぬ口調だ。


 上杉は警部とのことだ。倉瀬と同じ階級だ。それなのに、見た目せいぜい三十代前半で、遥かに年下である上杉が命令口調で迫ってくるのは、あまり気持ちのいいものではない。かといって、ユキの前で不和を起こすわけにもいかない。


「どうぞ。いまの時間なら、会議室でも取調室でも、好きな部屋を使っていい」

「わかりました」


 整った顔をにこりともさせず、上杉は小さく頷くと、相棒の二神とユキを連れて部屋から出ていった。


「すこぶる美人でしたねえ。あれが本庁でも話題の“黒猫”上杉刑事ですか」


 モジャモジャ頭を掻きながら、藤署長は上杉の後ろ姿を見送っている。


「私も話には聞いたことがある。女だてらに捜査一課でかなりの功績を挙げているとか」

「彼女、父親が公安の重職についているらしいんですよ」

「ほお」

「で、父親が宗教系の犯罪専門だったらしく、彼女自身もいつしか詳しくなって、その関係でよく捜査に加わっているそうです」

「公安の宗教関係と言うと」

「総務部の管轄になりますかね。私も詳細は覚えていないのですが」


 上杉刑事が消えていった廊下の曲がり角を眺め、ふと倉瀬は妙なことが気になった。


「上杉刑事はマッドバーナー事件の捜査にどれだけ関わっているので?」

「いち担当者だと思いますが」

「おかしいな。何かが変だ」

「変? マッドバーナー事件の担当者ですし、女の子相手だから数少ない女性の担当刑事として派遣されたのでしょうし、私はおかしいとは思いませんが」

「藤さん。理屈じゃないんだよ」


 倉瀬の勘が頭の中で警鐘を鳴らしている。


 噂の上杉刑事とは、今回が初対面であるが、初めて顔を合わせた瞬間から、胸の内に何となく違和感を感じている。


 その違和感の正体が何であるのか、倉瀬にはわからなかった。


 ※ ※ ※


 会議室で二人きりになった途端、上杉刑事はブリーフケースの中から書類の山を取り出し、テーブル上に広げた。


 ユキは何が起きているのか理解出来ず、書類の山と上杉刑事を交互に見ながら、次の展開を待っていた。


「あなたも無関係ではないから話します。要件のみ聞きますが――」


 と早口で言った後、上杉刑事は一枚のプリントをユキの眼前に突きつけた。


「この男に見覚えはありませんか」


 そこには丸く肥え太った老齢の男性の写真が印刷されている。人民服のようなものを着ているから、ユキは先入観から中国人だと思った。


「この男はチャイニーズマフィアの頭で、名前は柳徳華(リウ・ダーファ)。通称リウ大人と呼ばれている男です」

「さあ」


 ユキはかぶりを振る。


 会ったことがあるのか、ないのか、よくわからない。仮にどこかで会っていたとしたら、この写真の男は大柄で貫録があるから、そう簡単には忘れないはずだ。


「会ってないと思います」


 答えたユキの顔を、何か探るような目つきでジッと上杉刑事は見つめている。同性とはいえ、自分とは比べ物にならないくらい綺麗な顔の女性にまじまじと見られて、ユキは気恥ずかしくなった。


 それでも上杉刑事は目線を外さない。


(何かを疑われている)


 直感でユキはそう感じた。


「ではこの写真を」


 上杉刑事は、今度は資料の中から一枚の写真を取り出した。


 そこに写されている人物を見た瞬間、ユキはハッと息を呑んだ。


「見覚えありますね」

「はい」

「あなたのお父さんです」

「はい」

「一緒に写っている人物は?」

「先ほど見せてもらった……リウ大人という人です」


 どこかのビルの中で。


 父は、チャイニーズマフィアのリウ大人と、仲良さげに握手をしている。何かの交渉が成立した後、お互いに契りの握手をしているような様子だ。遠方からの隠し撮りのようで、画像は多少ぼやけているが、父もリウ大人も口もとに笑みを浮かべている。


風間清澄せいちょう。39歳。新興宗教『三元教』の教祖。1978年12月24日、家族を日本滞在中のアメリカ人に焼き殺され、一人生存。その後親戚の家で養われることとなり、従妹の風間マドカと入籍。以後、崩壊しかけていた母の教団を再構築し、三元教の教祖として新たな人生をスタートした」


 上杉刑事は目をつむって頭を指先でトントンと叩き、記憶の中の情報を語っていく。

「チャイニーズマフィアは、龍章帮ロンチャンパンと呼ばれる中国でも最大の秘密結社。仕入れ元不明の兵器を売りさばいているとされるが証拠が見つかったことはない。資金繰り等も不明。日本において着実に勢力を伸ばし、一説にはかなりの量の兵器を日本国内へ持ち込んだとか」

「あの、関係ない話は――」

「私は恋人をマッドバーナーに殺された」

「えっ?」


 唐突に身の上話を切り出されて、ユキは混乱する。


「だからマッドバーナーに復讐するチャンスがやって来て、自分を抑えるのに必死なの。お願いだから隠し事はしないで。私を怒らせないで」

「何を言ってるの」


 この人は刑事? それとも……


「そうね。刑事というよりも、復讐者、と言った方が近いかも」

「うそ――私の考えていること、わかったの?」

「だから隠し事はしないでくれないかしら」


 上杉刑事はいきなりユキの頭を両手でつかんで、自分の顔の前へと引き寄せた。澄んだ瞳で真正面から見据えられて、ユキは息が止まりそうになる。瞳まで美しい。


「あ、の……」

「公安部の父は、表向きは宗教団体の監視をしている……でも、その実態は、違う。世界でも有数の暗部アマツイクサ。その父が調べた情報に間違いはない。一〇五式火炎放射器は実在し、龍章帮から風間ナオコの手に渡り、多くの人間が焼殺されることになった。その風間ナオコの子供で、家族をクリスマスイブに皆殺しにされた男、風間清澄。そして一〇五式火炎放射器を操るマッドバーナー。関連性は何? 意趣返しのつもり?」

「私は何も知らない」

「見えるわ、あなたの頭の中。イメージが映像となって、全部見える。隠し事は無駄だと言ったでしょう。それは記憶? 誰かに住所を教えている――自分の住所も、名前も、全部。ああ、その男がマッドバーナーの正体なのね。馬鹿ね、どうして自分から個人情報を教えたわけ? ……もう、ほとんど背中しか見えないわ。どうして正面から向き合わなかったの? 素顔を見ていないのは、痛いミスね」

「う、そ……!?」


 半信半疑だったユキだが、上杉刑事の言葉に、確信を抱く。それは常識的な思考回路の持ち主であれば、絶対に辿り着くことのない結論。


「本当に私の心の中を読んでるの⁉」

「洗いざらい話してもらうわ。マッドバーナーと龍章帮と風間清澄の繋がり。知らないとは言わせない」


 上杉刑事の瞳に殺気が宿った。

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