第21話 狂いゆく世界

 ―2008年11月24日―

 ~横浜中華街~


 深夜の中華街を、三人の男が歩いている。


 ある者は眼が蒼く、ある者は鼻が高い。悠然と闊歩する彼らは見るからに人種が違う。夜更けの中華街を徘徊する怪しい西洋人たち。目立たないはずがない。


 ちょうど巡邏中だった警官二人が見咎め、その年上の方が、


「おい」


 と呼び止めた。


「ハイ、ナンデショウ」


 骨ばった顔立ちの白人が、微笑みながら振り返る。


「日本語通じる? こんな時間に何してんの? いくら日本でも危ないから、早く家に帰りなさい」

「What?」

「いや、ホワットじゃなくて。意味わからないのか?」

「Oh,yeah,ワカリマスヨ、チョットネ」

「だったら、ゴーホーム、家に帰りなさい」

「OK,OK,fuckin yellow Jap」

「あ? いまなんて言った」

「キイロザル、トイッタノデスヨ」

「貴様!」


 警官の怒号が夜の中華街にこだまする。


 それでも白人は笑っている。


 他の二人もクスクス忍び笑いを漏らしており、恐れている様子は微塵も感じられない。


 もう一人の年若い警官は不穏な空気を感じ、困惑の表情で先輩警官と白人男性の二人を見比べている。ピリピリと空気が重い。


「あの、先輩……」


 オドオドと話しかける若い警官を、先輩警官は(しっかりしろ!)と睨みつける。


 しばし対峙する、三人の西洋人と警官二人。


 やがて白人男性は両手を上げて、肩をすくめた。


「Oh,it's a joke.ジョーク、ジョーク、ジョークアベニューデス。マサカ、ヒトサマノクニデ、ケイサツアイテニケンカヲウルワケアリマセン。ダイジョウブデスヨ」


 空とぼける白人に、腹の虫の収まらない警官は、


「何が冗談だ!」


 と食ってかかったが、


「オトナシク、ゴーホームシマース」


 と相手が手をひらひら振りながら去っていったので、それ以上は深追いしなかった。


「胡散臭いくらいカタコトな外人でしたね……」

「うるさい、臆病風吹かせやがって」


 パシン。


 呆けたように後ろ姿を眺めている若い警官の頭を、血の気の多い先輩警官は思い切りはたいた。


そうしているうちに、三人の西洋人は姿を消してしまっていた。



 ※ ※ ※



 リーファは海城飯店の地下で煙草を吸いながら、イライラと遠野玲のことを考えている。


(どうして私たちに牙を剥くようなことを)


 もっと理性的な人間だと信じていた。


 玲があの少女をかばったことに、いまだ納得がいかない。あの少女は、よりによって組織の息のかかったダンスクラブで、洒落にならない騒ぎを起こしたというのに。これで半年はあのクラブで闇の取引は出来なくなる。


 大体、一〇五式火炎放射器をほとんど無償で提供しているというのに、玲のあの恩知らずっぷりはなんなのか。正規ルートはおろか闇のルートでも流通していないような高性能の兵器を、父からの指示もあって、採算度外視で貸し与えているのではないか。


 聞くところによると、SKAという謎の組織が製造した兵器らしいが、リーファはSKAなどという名前を聞いたことはない。興味はあるが、父が関わっている以上、あまり深入りしないほうが身のためだと思っていた。


 とにかく、殺人鬼に手を貸しているという危険も省みずに、デメリットばかりでメリットなどほとんどない援助を玲に対して施している。


 玲は組織に対して、頭を下げても下げきれない恩があるはずだった。


 それなのに。


「許せない」


 煙草をぐしゃりと握り潰す。火種が手の中に残っているはずだが、熱さも忘れるほどリーファは怒りに打ち震えている。その怒りは、今回の件に関することだけではない。


 もっと根は深い。


 何度も愛し合った自分を捨てて、見ず知らずの女と結婚してしまった遠野玲。心の底から愛していたのに、振り向いてくれなかったあの男。


(もしもあの少女を始末してこなかったら)


 その時は報復だ。


 自分の愛を裏切った分の恨みも込めて。




 コン、コン。


 静かな音を立てて、誰かが地下室の扉を叩く。


「……?」


 リーファは不審に思った。


 部下とは叩き方が違う。部外者のようだ。しかし地下室へ通じる階段には見張りの者を待機させているし、そもそも店の入り口自体シャッターを閉めていて、入れないようにしているはずだ。


「ハイッテモ、イイデスカー?」


 怪しげなカタコトの日本語が聞こえる。


 リーファは答えない。


 引き出しの中から短刀を取り出し、警戒を絶やさずにいる。


「ハイリマスヨー」


 その言葉の直後。


 鉄製の頑丈な扉が、蝶番ごと吹き飛ばされた。


 すぐにリーファは机を飛び越え、視界に入った侵入者の姿目がけて突進してゆく。


 鈍い音が響く。


 気が付いたら床に這いつくばっていた。


(え?)


 何が起きたかわからない。


 頬肉がジンジンと鈍痛で響き、ふと目をアゴの方に向けてみると、口からボトボトと生温かい血が流れ落ちている。


 叩き折られた歯が何本か床に散乱している。


「――!!」


 抗議の声を上げようとしたが、アゴが外れている。


 身を起こし、ふらつく体を必死で立たせながら、リーファは短刀を構え直す。青いチャイナドレスが口から垂れた血でどす黒く染まった。


「Uhmm...very,very cute China girl モ、ソレダケミニクイカオニナレバ、ダイナシデスネ」

「!!」


 言われて鏡を見る。


 一瞬のうちに何発喰らったのか。


 顔はすでにボコボコに変形しており、アゴが外れ、歯も折られ、以前の美貌は見る影もない。


 怒りと悔しさと悲しみで、リーファの目尻に涙がにじむ。


 侵入者は、白人男性を筆頭とした、欧米出身と思れる三人組。


「……!!」


 リーファは再び短刀で切りかかった。


 が、その鼻柱を掌底で叩き潰され、一気に机の方まで吹き飛ばされる。あまりの勢いで体が机の上に乗ってしまった。


「ワタシ、ケイン、イイマス。King Knuckle Kane。アナタタチ、ミニクイ、ミニクイ、ユーショクジンシュヲナグリコロスノ、サイコウニダイスキデス」


 ふんふんと鼻歌を歌い、白人の男ケインは両腕を無造作に広げた状態で、飛行機ごっこでもするかのような動きを取りながら、ゆっくりゆっくりリーファのそばまで寄ってくる。


 リーファは机から下りようとしたが、他の二人に体を押さえられてしまった。


 白人の男ケインが机の上に乗った。


「コロサレルリユウハ、キットアノヨデワカリマース。Go to heaven。イマカラ、タノシイタノシイ、キタナイChineeseノザンサツショー、カイシデース」


 拳を振り下ろす。


 ぐしゃりという音ともにリーファの顔が潰れる。


 それでもまだ息はある。


「マダマダ」


 興奮して、鼻息荒く、ケインは何度も何度もリーファを殴っていく。肉の潰れる音、骨の砕ける音、飛び散る血、肉。


「オオ、オオ、WoOoooyaaa!!!!」


 恍惚とした表情を浮かべながらケインは吼え猛った。


 あっという間にリーファの首から上はすり潰された肉塊と化した。


「う、うう、ううう」


 男の一人が興奮した様子で、ケインに何かを訴えかけている。


 懐から液体の入ったビンを取り出した。


「Ok。トカシテ、ケッコウデス」


 ケインが頷くと同時に、ビンを持った男は狂喜の小躍りをしながら、リーファの死体の頭側に回り、ビンの蓋を取った。中の液体を垂らし、原形を留めていない死体の頭部へと振りかけていく。


 肉の溶かされる音がし、湯気が立った。


 硫酸だ。


「ふう、ふううう」


 男は目を血走らせて、じっくりと肉が溶解していく様を観察している。常人ならばグロテスクな光景に耐え切れず、嘔吐してしまうようなところ、その男は逆に興奮して、勃起していた。


「ナニカ、アリマスネ」


 手についた血を拭い、ケインは机の上に置いてあった紙を取り、中身を読んでみる。


 それは一〇五式火炎放射器の図面であった。


「Cool」


 ケインは冷たく笑うと、図面をポケットにしまった。


「ソロソロタイサンシマショウ」


 二人に撤収を促し、ケインは先に地下室から出る。途中、階段に横たわっている顔面の潰れた死体を蹴り飛ばし、道を作ってから、遅れて上がってきた二人の仲間をまず通してやった。


 地上では、ぶち破ったシャッターの穴の前に、誰かがたむろしている。


 先ほど職質をしてきた巡邏の警官二人だった。


「お前は――⁉」

「な、何してる!」


 今度は疑うまでもなく危険な人間と判断したのか、二人とも警棒を抜き、いつでも応戦できる体勢を整えた。


「フン」


 ケインはせせら笑う。


 姿が掻き消えた。


 ゴキッ。


 年上の警官の首が、ケインに殴られて、九十度横に折れ曲がる。


 一瞬で絶命した。


「ひ、ひ、うわあああ」


 崩れ落ちる先輩の姿を目の当たりにし、恐怖に耐え切れなくなった若い警官は、踵を返してその場から逃げようとする。


「ふぅぅ!」


 先ほど硫酸を使ったケインの仲間が、懐から別のビンを取り出し、若い警官の脚に向かって投げつける。


 ふくらはぎに当たった瞬間、ビンは割れ、硫酸が脚を焼いた。


「あああ!」


 若い警官はもんどりうって倒れてしまう。


 そこへゆっくりと歩み寄っていくケイン。


「いやだ、いやだ! 殺さないで! お願いします!」


 地面をズルズルと這いながら、哀願する若い警官の姿に、ケインは背筋がゾクゾクと震えるほどの快感を感じながら、にこやかに微笑んだ。


「ソレデハ、ヒトツタスケテアゲマショウ」

「え、え?」

「イマ、コノバデ、アナタノダイジナヒトノナマエヲ、オオゴエデサケビナサイ」

「だ、大事な人」

「ダレデモイイ。オオゴエデ、ソノ、ダイジナヒトノナマエヲサケベタラ、ユルシテアゲマショウ」

「ほ、本当に⁉ 本当に許してくれるの⁉」

「アメリカジンハ、セカイデモットモ、ジヒブカイミンゾクデス。ウソツキマセン」

「あ、あ」


 若い警官の顔に、希望の色が浮かぶ。


「サア、サケブノデス!」

「ま――真由美ぃぃぃ!」

「コエガ、チイサァイ!!!」


 ぐしゃ。


 若い警官の頭を殴り潰す。


 ケインは、最初から殺す気だった。一筋の希望にすがりつく若い警官の哀れな姿を見て、楽しみたいがために、嘘をついた。


 最後は裏切って殴り殺した。


「SKA〜、SKA〜、SKAハ、ナンノリャク〜? フン、フーン♪」


 愉快そうに即興の歌を歌いながら、二人の仲間を連れて、ケインは夜闇の向こうへと去っていった。




 ―2008年11月24日―

 ~世田谷の警察署~


 少女ユキは、警察署の事務所で、毛布を被って床に座り込んでいる。


「寝た方がいい」


 初老の刑事倉瀬にそう言われたが、とても落ち着いて寝る気分ではなかった。


 昨日の夜、ダンスクラブで人を撃ち殺した。


(ファティマ)


 本当に殺そうとしていたのは、彼女だったはずなのに。


 死んでしまったのは別の人間。


 でも、きっと誤って殺してしまった少女も、ファティマの仲間だったはずだ。死んでも仕方のない相手だった。あのタイミングで撃ち殺されるべくして撃ち殺された人間なのだ。そう言い聞かせた。


 しかしユキは落ち着かない。


 いくら自分の選ぶ道が常に正しいことだとわかっていても、やはり人を殺すことは気分が悪いし、また許される行為ではないと思っている。


 二人も殺してしまった。


(全て終わったら、私――死のう)


 ユキは決意する。


 だが今はまだ死ねない。


(今はまだ死んだらいけないんだ)


 膝を抱えて、涙がこぼれそうになるのを必死で抑えるため、グッと歯を食いしばる。


(私が死んだら、きっと誰も止められない。だから私が戦わないと。私が)


 戦うために必要なものは三つ。


 天の時、地の利、人の和。


 ダンスクラブの襲撃で天の時は得た。地の利はこれから信じるままに行動すれば、きっと得られる。


 残るは、人。


 自分に必要なものは怪人マッドバーナー。


 昨晩コンテナ置き場で会った、自分を追いかけていた男性が、きっとマッドバーナーだ。そう感じる。そして、そう感じたからにはそれが真実だ。


 だから住所を教えた。


 名前まで教えた。


 それらが全て正しい行動だと感じたから。


(本当に?)


 今まで正しかったからといって、今度もブレがないという証拠は、どこにもない。もしかしたら今度という今度は読み誤って命を落としてしまうかもしれない。


 それでも。


 ユキは自分の“能力”に未来を懸けたかった。


 せめて自分の手の届く範囲にいる人たちが命落とすことなく、笑って生き続けているような、平和で穏やかな未来を。


 本庁からの担当刑事が来るまでの間、ユキは延々と今後の計画について考えを巡らせていた。


 やがて本庁から、一組の男女の刑事がやって来た。

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