第20話 運命の軋り

「お帰りなさい」


 署に戻ると、ちょうど玄関口にいた藤署長が、倉瀬を出迎えてきた。


「待っていたのですか?」

「まさか。倉瀬さん、私も暇じゃないですよ。野暮用で外出して今戻ってきたところです」


 と、コンビニの袋に入った栄養ドリンクのビンを一本取り出してみせた。藤署長の顔色が悪い。何か相当疲れているようだ。


 倉瀬は顔をしかめる。


「よくないな。早く帰って寝て下さい」

「そうもいきませんよ。報告を聞くまでは」

「なら今すぐやりましょう」


 二人は早速、二階の会議室に移動した。


 部屋に入るや否や、ドアを締め切って、長テーブルの端に向かい合って座った。


「赤城の所へ行ったのですか?」


 藤署長は全て見抜いている。


「藤さんはリビングドールって情報屋を知っているか」

「いいえ。誰ですか?」

「正体はわからない。だが腕が立つのは確かだ。私みたいないち刑事の情報までよく知っている」


 マッドバーナーとの繋がりを示唆する発言があったことは、倉瀬はあえて伏せた。注意はされていないが、万が一ということもある。あの様子では、リビングドールはその情報を無闇やたらに広めてほしくないのだろう。


「そのリビングドールからも話を聞いて、大分マッドバーナーに関わる情報がわかってきた」

「何がわかりましたか」

「おそらく、マッドバーナーの背後には……大きな組織がいる」

「詳しく説明をお願いします」


 藤署長は促す。


「まず一〇五式火炎放射器の噂の件だが、単なる都市伝説ではなく、実在するもののようだ」

「まさか」

「同じものかはわからないが、終戦直後の横須賀で米兵焼殺事件があった。そのとき自殺した犯人風間ナオコが、凶器として火炎放射器を使用していた。一〇五式火炎放射器の都市伝説は、その事件がおそらく元ネタになっていると思う。少なくとも、リビングドールは実在すると断言していた」

「その情報源は確かなんでしょうね」

「あいつは信用は出来ると思う」


 たぶん。


「何よりも不気味なのは、その米兵焼殺事件の犯人風間ナオコの、孫娘がクリスマスイブの晩に殺されたという事件だ。その時の犯人は、かつて風間ナオコに殺された米兵の息子。終戦後の火炎放射器事件と、イブの事件。興味深いことに、それぞれにマッドバーナー事件と紐付くようなキーワードが出てくるということ。それを知っていてか、わざとネット上に一〇五式火炎放射器の話を流して、ある方向へ情報を誘導しようとしている人間がいると思われること。藤さん、これらはやはり偶然ではない」

「同時多発的に、色々なインターネットのページで話題に上がっている。誰かが意図的に情報を流した節がある。私の考えは間違っていなかったようですね」

「ああ」

「もし誰かが何らかの意図をもって、マッドバーナーと一〇五式火炎放射器の話を結びつけているのであれば、そこに少なからず因果関係があるはず。それこそ倉瀬さんのおっしゃった二つの事件と関連があるのかもしれない」


 マッドバーナーは一〇五式火炎放射器を使っている。


 一〇五式火炎放射器の噂は、過去の二つの事件が元となって流れたものである。


 どちらも真であるとするならば、マッドバーナーと二つの事件に関連性がある、とするのも真。そこから導き出される答とは、一体何なのか。


「それと、倉瀬さん。先ほどマッドバーナーの背後には大きな組織がいる、と言ってましたね。あれはどういうことですか?」

「私もよくわからないが、リビングドールは一〇五式火炎放射器を作ったのは、『SKA』と言っていた」

「エスケーエー? 何かの団体の略称でしょうか」

「さあ。それについては教えてもらえなかった」


 あとで警察の資料を始め、しらみつぶしに調べるしかない。


「どちらにせよ、最近になって話が広がり始めてきた一〇五色火炎放射器の件……我々の知りえない場所で、何か動きがあるのかもしれませんね」


 藤署長の言葉に、倉瀬は黙ってうなずいた。


 しばらく沈黙が続く。


 頃合いを見て倉瀬は口を開いた。


「これは私の憶測に過ぎないので、聞き流す程度でいい。実は先ほどの二つの事件のうち、クリスマスイブに起きた事件で気になることがある」

「どのような?」

「イブの事件では、一家揃って惨殺されている。が、皆殺しではない。当時9歳の長男が一人だけ生き延びていた。あとは、生まれたばかりの赤ちゃんがいたが、犯人に連れ去られて、犯人ともども行方不明。到底生きているとは思えない」

「そうでしょうね。可哀相に」

「だが、もしも生きているとしたら?」

「……え?」


 藤署長は聞き返した。


 倉瀬の言わんとしていることがわかったのか、表情を強張らせている。


「事件はちょうど三十年前。連れ去られた赤ん坊が生きていたとしたら、六年前の事件の時は二十四歳。十三年前から焼殺事件が発生していたことを考えても、その十三年前で十七歳。怪人として暴れるには絶好の年頃だ」


 決定的なことは言わない。あまりにも予断が過ぎるからだ。


 重い空気が流れる。


 藤署長も倉瀬と同じことを推理し始めたようで、眉をひそめて、考えを巡らせている。クリスマスイブに家族を焼き殺された赤ん坊と、クリスマスイブに人を焼き殺す怪人。きっとその因果関係について、おぞましい結論を導き出しそうになっては、逡巡しているのだろう。


 倉瀬は、自分の考えを最後まで言うべきか、ためらっていた。


 コンコン。


 会議室のドアを叩く音がし、若い巡査が顔を覗かせてきた。


「用か?」

「はい。倉瀬さんに用事があると、女の子が訪ねて来ています」


 女の子?


 倉瀬は心当たりがなく、首をかしげた。


「いくつくらいだ。名前は?」

「高校生のようです。制服を着ているので多分そうかと。名前は、カザマユキと名乗っておりました」

「カザマ⁉」


 倉瀬は目を丸くした。


 聞き覚えがあるどころの騒ぎではない。


「おい、カザマという字は、風の間と書いて、風間じゃないのか⁉」

「すみません。口頭で聞いたので、わからないんです」

「風間ナオコ。そして、風間ユキ。まさか、そんなわけが? いや、しかし、偶然とは思えん!」


 横須賀でアメリカ海軍兵を焼き殺した女は、風間ナオコという名前だった。その後の報復で焼き殺されたのは、風間ナオコの孫娘一家である。このタイミングで、自分を訪ねてきた“風間”姓の少女が、それら一族とまさか無関係であるとは思えない。


 何かが不気味な音を立てて動き出そうとしている。


「倉瀬さんに女子高生から呼び出しがくるとは。今年最大の珍事ですね」


 藤署長はニヤニヤしながら茶化したが、倉瀬はそれどころではない。


(歯車が、回り始めた)


 巨大な運命の歯車が、ミシミシと音を立てながら、徐々に回り始めているような錯覚を、胸の内に感じる。


 急いで会議室を出て、一階の玄関口まで駆け足で下りていく。


 くだんの少女らしき姿を発見した。壁際に寄りかかって、下をうつむいている。


「君が風間ユキか? 私に用件とはなんだ?」


 少女はハッと顔を上げる。


 それから突然駆け寄ってきて、いきなり大声で叫んだ。


「助けてください!」


 あまりにも大きな声だったので、署内の人々が一斉に倉瀬と少女の方を振り向いた。


「落ち着きなさい。一体何が」

「次に殺されるのは私。だから助けてほしいんです」

「おい、穏やかじゃないな。誰に殺されるっていうんだ?」

「それは」


 少女はまっすぐ倉瀬の目を見つめる。


 吸い込まれるように透き通った、綺麗な漆黒の瞳。


「マッドバーナー」


 倉瀬は思った。


 いま自分は、これまでの人生で一番情けなくてマヌケな気の抜けた表情をしているに違いない――と。


 運命の歯車は轟音を立てて回り始めた。

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